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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
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知らない方が幸せかもしれないけど、

「鹿之助はね、なぜかわからないけど、アクイを寄せ付ける体質だったの」


 馬村の母は昔を思うように遠くへ目をやった。落ち着かないのか、不安でたまらないのか、手を祈るように組んでいる。


「普通の人間は、精神世界には簡単に行けない。アクイを発現した張本人か、浄化師として訓練を続けた者が、限界まで集中して初めて、他者の精神世界に行くことができるの」


 馬村は、新藤と同様、特異的な存在だった。

 新藤のそれと違うのは、馬村が初めて人の精神世界に足を踏み入れ、アクイと対面したのが、5歳の時だったということ。そして、新藤とは違って、馬村にはその精神世界で自分を保っていることができなかった。


『いいなぁ』


 5歳の馬村は、後ろに立っている女の人から聞こえたおぞましい声に身を震わせた。


『私だって、子どもが欲しかった』


 別の声もした。


『早く死んでくれればいいのになんて、私が思ったからだ』


 心臓をわしづかみされたかと思った。


『楽になりたいって、思ったから。お祖母ちゃんに本気で死んでほしかったわけじゃないのに』


 苦しい。

 助けて。

 もう無理だ。


『俺のことだけ忘れてたな、父さん』


 わからない。

 これはなに。

 誰の声。


『俺だけが、いらない子だったんだろうな』


 やめて。

 逃げたい。

 悔しい。


「私たちが気づいたときには、馬村は意識を失っていたの。それが、5歳の時」


 だから、と馬村の母は目を閉じた。そうして開いた。


「だから、私たちは鹿之助がつぶれないように、強くしなければならなかった。絶対に」


 それから、鹿之助は修行することになった。早すぎるとわかっていた。だけどほかの人のそれよりもずっと厳しく修行しなければならなかった。


 自我を失わないように。


『剣介とはこれから別々に暮らす』

『どうして?』

『たがいにとって悪影響だからだ』


 鹿之助の父は言った。事実、なぜだかわからないが、一緒にいると二人は体調を崩すことが多かった。


『鏡の中に入るぞ』

『嫌だ、助けて、お願い、母さん!』

『…………』

『母さん!!』


 泣き叫ぶ馬村を、半ば無理やり鏡の間に放り込む。


『なんで、俺だけ、兄ちゃんは、うわあああああ』


 放り込んでも鹿之助が泣きも笑いもしなくなると、次は乱暴に剣で戦うことにした。


『嫌だ、助けて、無理だよ』

『いいからかかってこい!かかってこないなら叩き切るぞ』


 真っ二つになっては再生を繰り返す。急ピッチで進めたのにも関わらず、それでも馬村はアクイに遭遇することになった。分家のものからも馬鹿にされ、本家の癖にと何度も揶揄われ、時には実際に殴られた。限界だった。そんな息子を見てられず、馬村の両親もまた、馬村とうまく会話ができなくなった。ぶっきらぼうで最低限な、上っ面の会話が卓上に広がっていた。


 ある日、鹿之助は問うた。


『母さん、兄ちゃんは優秀だって、ほんと』

『そうね、兄ちゃんはたくさんアクイを屠って人を救っているわ。鹿之助はまだまだだから頑張らなきゃね』

『――――そっか』


 その日から、鹿之助は笑わなくなった。そして、奇しくも、二度とアクイに飲まれることはなくなった。


 間違ったと気づいた。だけどもう、取り返しがつかなかった。

 会話は成り立つ。だけどただ成り立つだけだ。


「そうして4年ほどたって小学校を卒業したとき、剣介が鹿之助を迎えに来たの」


 今でも鮮明に覚えていた。


『やらないといけないことがあるんだ』


 それは、剣介が倒れる、ちょうど3週間前のこと。鹿之助を引き取りたいと剣介が言ってきたのだ。


『わかったことがあるんだ』


 そのころの鹿之助はどこかがおかしかった。鹿之助を救いたかった。藁にも縋る思いだった。


『俺たちのために、俺は最後に、しないといけないことがある』


 引っかかるところはたくさんあった。だけどもう、疲れていたのだ。


「剣介は、そうして家の家宝である黒剣と鹿之助を連れて、今鹿之助が住んでいる家へと帰りました」

「そん時にはあたしと住んでたから、3人でくらすようになったということだな」

 

 師匠が――たま子は続けた。


「それから奴はその剣を鏡にぶち込もうとした。みんながみんな、とち狂ったとばかり思ってたんだが――――」


 黒剣を片手に、剣介は師匠をみた。目線の高さは同じ。そこも好きだった。

『たま、ごめんな』

『謝るようなことするなよ』

『ははっ、そりゃそうだ』

『で、なんだ?説明くらいしろ』

『…………まるっと全員を救う方法があるんだ』

『全員?』

『ああ、俺と、たまと、鹿之助と、そして未来であうだろう女の子と』


 たま子は意味が分からずに持っていた竹刀を剣介の首に当てた。


『ちゃんと言えや。謝ったってことはなんかあるんだろ』

『俺が10年くらい俺じゃなくなる。最悪死ぬ』

『ああ?』


 まあ聞けって、と剣介は笑って、少し泣いた。説明はぼそぼそとつぶやくように行われた。長く寄り添ってきたけれど、初めて聞くトーンだった。


『そうか』

『うん、そうなんだ』

『じゃあ剣介は、鹿之助を前世の業から守るために、前世である黒の剣士を制御したいわけだ』

『そうだ』

『その白の乙女と書生さんと黒の騎士とやらは、このままじゃ出会ったら必ず全員死ぬんだな?』

『そうだな』

『腹が立つ』

『え?』

『腹が立つって言ったんだ』


 たま子は剣介の胸倉をつかんだ。痛いよぉと情けない悲鳴を剣介は出すが知ったこっちゃない。


『剣を剣介の精神につながる鏡にぶち込んだら黒の剣士が出てくるんだろ?そんでそいつをぶちのめさなきゃ、お前が乗っ取られておしまいだ。そんな危険な賭けに、旦那を一人挑ませろと?』


 彼女は本気で怒っていた。


『いや怒るまで早いって、クレッシェンドえげつないって、さっきまでピアノだっのにもうフォルテッシモじゃんか』

『うるさい!!』


 食い気味に否定する。だって許せない。大好きだから。大切だから。


『助けろって言えよ!!』


 だから頼ってほしかった。


 だけど。


『たまのお願いでもさすがに無理だ』


 剣介は初めから一人で挑むつもりだった。力になってくれるとわかっていた。たま子が強いことなんて、ずっと隣で見てきた剣介が一番よくわかっている。


『私じゃ、力不足か……?』


 地を這うような声。彼女には、そうとしか思えなかった。頭のどこかでは、自分を危険にさらさないために剣介がそう言っているとわかった。だけど、彼女には自信があった。


『私は戦える!私は強いって、剣介が一番知っているは』


 彼女の言葉が止まったのは、彼が口をふさいだからだ。彼自身の口で。


『~~~~!!』


 顔を真っ赤にする彼女はじたばたと暴れるけれど、頭をがっちりとつかまれているからか効果はなかった。口づけは長く続いた。


 ゆっくりと口を離すと、物寂しそうな目をされた。


 それはだめだと剣介は思った。

 彼はもう一度、彼女に口づけた。さらに深く口づけた。

 やがて、たま子は抵抗することをあきらめ、その身を完全に剣介に任せた。


 腰が抜けたのか、彼女がへたり込んだから、そのすきに部屋から出て剣介は鍵をかけた。


『ごめんな』


 最後に謝ったのは一体誰のためなのだろうか。謝るくらいなら、彼女をその場に連れていけばいいと、理性は自分に言う。だけどそれはできない。


 たま子が、自分についていきたいと思っていることはわかってる。うれしくないといえばウソになる。離れがたいのは事実だ。死に際に見る顔が彼女の笑顔なら、どんなにいいだろうと思う。



 だけどそれより、ずっと。


 自分以外の誰かとでも、かまわないから。


 たま子には、幸せに生きてほしい。それを、たま子自身が望んでいなくとも。


 その時、彼がそんな風に思っていたことを、あとに残された手紙でたま子は――師匠は知った。


「――――んで、カッコつけて剣介は私を閉じ込めて一人で鏡の間に向かったわけだけど」


 師匠はにやりと笑った。


「それで黙ってるたまじゃないんだな、私は」 


 当時の師匠は――たま子は怒りに燃えていた。


『扉があかないなら――――壊してしまえばいいじゃない♪』


 タマー・アントワネットはそう言って扉を破壊し、一目散に鏡の間に向かった。扉を破壊するのにてまどり、ずいぶん時間がたっていた。たま子は焦っていた。


 眼前に広がるのは、色のない世界。

 剣と剣が交わって飛ぶ火花だけが赤かった。


 剣介は疲弊していた。当然だ。剣介は若い。才能もあった、努力もした。ただ、経験が足りていないのだ。


 劣勢なのは一目瞭然。今にも押し切られそうだった。


 その時剣介は自身の終わりを悟っていた。本音を言うなら、戦いたくなかった。剣介は黒の剣士に夢の中で負け続けているからだ。


 それは、のちに手紙の中で明らかになったこと。


 剣介は、幼いころからずっと、夢を見てきた。黒の剣士は夢で言う。

【私が勝ったら、25歳の誕生日にお前の体をもらう】

【俺が勝ったら?】

【そうだな、一度でも勝ったその時は――お前が私の力を手にするのだ】


 次の日が、その、剣介の誕生日だった。


【どんな手を使ってもいいぞ、どうせ負ける】  

  

 鏡の中に剣を投げ入れたものの、何もしなくても明日には黒の剣士は自分をのっとってくるはずだった。ただの最後の悪あがき。


 だから、最悪。

 最悪、彼は自分の体に剣を突き刺すつもりだった。


 剣が眼前に迫る。

 鼻先を剣がかすった。

 汗で目がにじむ。

 疲労から剣先が上がる。それを見逃す剣士じゃなかった。


 手を切り落とそうと剣士が動いたのを受けて、左足を踏み込む。

 間に合わな――


『なんで』


 鈍い音がした。剣が剣を受ける音。


『言っただろ』


 彼女がいた。


『私は!!』


 従妹であり、友であり、恋人であり、妻であった人。

 彼女は剣を振るう。その小さな体躯で、倍近くもある黒の剣士を切りつけた。


『剣介に守られたいんじゃない!!』


 剣介の心臓が高鳴った。

『剣介の横に、並びたいんだ!!』


 剣士の頬から血が滴った。

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