全てをかけて、
午前2時13分。
「師匠」
鏡の中から足を踏み出し、馬村は愛する人に声をかけた。
「……どうした?」
朝方はずいぶんと涼しくなってきたからか、馬村は中学校の青色ジャージを着ている。
「夢を見るんです」
師匠は馬村の方を見ない。慣れているからだ。高校生になったばかりのころ、彼はよく鏡の間に浮かぶ無数の鏡の中の一つから現れていた。その鏡は、馬村の心につながる鏡だった。精神がふらっと散歩にでるなんてことはたまにあって、師匠は鏡から出てきた誰かを見守ることには慣れていたけれど、こうも頻繁なのは馬村だけだった。
「夢の中で僕は、幸せそうな恋人たちを引き裂いて笑うんです。何度も笑うんです。彼女は僕のものだと主張して」
「そうか」
「そして彼女は死ぬんです。僕の前で。僕と彼女の許嫁だったひとも死にます」
「うん」
「僕は、また、今世も……!」
何度も、何度も繰り返された会話。次の言葉も師匠はわかっていた。
「誰かの好きな人を、好きになって……そして二人を引き裂くんだ……!!!」
「……」
「兄さんの大事な師匠を、俺が好きになったばっかりに……!」
返答も決まっている。いつだって同じ。
「大丈夫だ。私は君を好きにならない。君は誰も傷つけられない」
馬村のこの記憶は翌朝には消えてしまう。蓋をして、重しをつけている記憶が馬村の鏡にはこれでもかとつまっていた。
「それなら、よかった……」
安心したように、嬉しそうに、悲しそうに、泣き笑いのような表情を浮かべ、馬村は自分の鏡の中――心の中に戻っていった。その様子を見ながら師匠は顔をゆがめる。
「……剣介。どうしたら、あいつを救える……?」
あの優しい男の子が。
これ以上苦しまないために。
師匠には、打つ手がなかった。
***
文化祭当日、金木は満面の笑みで新藤と学校を回っていた。西山と東雲が、さすがに金木に悪いことをした、と途中でさりげなく新藤と金木を二人にすると約束したからである。
「じゃあ、俺、小林と回るわ。同じ化学部で燻製するし自然だろ」
「それなら、私は修馬で遊ぶわ」
「修馬とって言ってやれよ……」
「ま、鉢合わせないように計画を練ろうか」
なんだかんだ言いながらも、結局のところ彼らは優しいのであった。
(今日はつけてきてないみたいだしな)
作るのは大変だが当日は楽な映画は上映用の教室に見張りと映画を再生する人の二人いれば十分なので、基本新藤たちは自由である。ダンスや書道パフォーマンス、劇を見たり、うどんやカレーを食べたり、アトラクションを回ったり、やりたいことはたくさんある。校則にうるさい芦原高校も今日は自由。肩につく長さの髪を結んでいなかったり、スカートの長さを膝上にしている女子も散見された。
「みんなかわいー!」
「そうか?」
金木には新藤のほうが当然かわいい。笑った顔なんて特にだ。
「うん、わたしもショートじゃなかったらああやって遊ぶんだけどな~」
僻んでいるようには聞こえなかった。口説かれることはあっても口説くことはない金木はこういう時どういえばいいのかわからなかった。おそらく、新藤は何も求めてはいないのだろうけれど。
「ま、でもショート似合ってるけどな」
だから金木は思っていることをそのまま言った。ちょっとくらいは俺のこと意識すればいい、と思いながら。
「へへ、褒められちゃったっ!」
「~~~っ!!」
花が咲くように笑う。いつも笑顔を絶やさない新藤だけれど、今日は文化祭でテンションが上がっているからか、いつもよりも笑顔がかわいい気がした。
(なんだ、それ……)
身長差を利用して照れているのを隠す。こうして隣に並んでみると、ずいぶんと新藤は小さい。女子の中では背が高いほうだけれど、金木にとっては全然だ。なんだか無性に彼女の頭をなでたくなって、ぎりぎりで止まる。
『好きでもないやつに頭ポンポンされたってキモイだけよ、少女漫画は夢みたいなもんだから、実行には移さないようにね。テニプリ読んだだけでテニスできるようになるわけじゃないでしょ』
『そうなのか……』
『考えが甘すぎるわ。綿菓子でもそんなに甘くないわよ』
行き場をなくした手は宙を舞う。東雲のアドバイスのおかげであった。
『じゃ、どうやったらいいんだ?』
『たくさんのポジティブな感情を共有することね』
東雲はその美しい顔に笑みを浮かべて言っていた。
『これを見たらこの人のことを思い出すってものあるでしょ?そういうのを増やして、傍にいないときでも自分のことをポジティブな意味で思い出してもらえるようにする』
『俺のことで頭をいっぱいにさせるってことか』
『そう。そして、たまーに好意をにおわせる』
金木は東雲のアドバイスを思い出し、意気揚々と文化祭のパンフレットを開いた。
「どれ行きたい?」
「んー」
小さなパンフレットを覗き込むせいで二人の距離がぐっと縮まる。胸が苦しかったけれど、金木はあえて自分も近づいた。触れないように、できるだけ自然に。
「まずは射的かなぁ……って、わっ、えと、ごめっ」
ひょっとすると肌が触れそうなくらい近かったから、新藤が顔を赤くした。
(俺のことで、新藤が、照れて……!)
金木はしゃがみ込んでしまいたいのをどうにか我慢した。手でパタパタと顔を仰いで熱を冷まそうとする姿もやけに魅力的で、金木はいっぱいいっぱいだったけれど、『自分のことで頭をいっぱいにさせる』ために、いろいろな話をして、いろんな場所を回った。
そして、最後。