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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
23/55

大事なものを失う前に、

 マスコットの補強をし、運動会実行委員の指示のもと、マスコットを移動させ、校舎に縄やすずらんテープで括り付け終わった頃には、もう完全下校時刻間際だった。


「完全下校時刻まで、あと5分です。まだ校内にいる生徒は、速やかに下校しましょう」


 実行委員が拡声器で叫ぶのを聞きながら、最後まで作業をしていた新藤、金木、そして馬村を含めた青組組み立て班の生徒たちは、全速力でリュックを背負って校門へ走る。


 校門が閉められる1分前に滑り込むようにして外へと出た。時刻は7時。太陽が今日という日に名残惜しそうに別れを告げるような、そんな時刻だった。


「お疲れぃ!」


 用事があると修馬たちが先に帰ったので、残るは新藤と金木、そうして馬村だけになった。


 どう考えても東雲と西山が面白がった結果なのだが、3人はそんなことなどつゆ知らず、今日の自分達を労いながら、地獄坂と呼ばれる傾斜のきつい坂をゆっくりと降って行った。


「よかったー!大丈夫そうだね!」


 新藤は、その明るい声を茜色の空に張り上げた。白いセーラー服がやけに眩しい。膝下の長さのスカートが風に揺れる。


 今、馬村たちの背中を押すのは、同じ風。取り留めのない話をしながら、彼らは青春を浪費していく。それはとっても贅沢なことだけれど、だからこそ大人はその思い出を記憶の箱の中に閉じ込めて、青春と名付けるのかもしれなかった。


「好きなフォントは明朝体かゴシック体かを話してたらさ、馬村君が、どっちも一緒にしか思えないって言うんだよ」

「あんまり違いがね、そりゃ見比べればわかるだろうけどさ」

「……」

「それってやっぱりヤギと羊くらい違うじゃん?それ一緒にしたらさすがのショーンも怒っちゃうよね」

「あー」


 どこか上の空な金木の端正な顔を、新藤が下から心配そうにみる。


「え、どうかした?」

「まだすこし体調悪いのかな?荷物もとうか?」


 馬村も心配そうに金木をみた。


「あ、いや、何でもない。ごめん。ショーンが丸焼きにされる話だっけ」

「流石にそれはどう言う話!?」


 この会話により、新藤に完全に体調を崩していると思われた金木であるが、その実は考え事をしていただけである。しかしその内容を言うのもはばかられた。


(新藤が馬村くんを選んだ理由ってなんなんだろ……)


 なんてったって失礼が過ぎる。

 幸いにも、それを説明するよりも前に、新藤とは帰る方向の違いから「またね」と言い合うことになった。


「馬村くん」

「ん?」

「これから時間ある?」


 新藤が右の角を曲がるまで、名残惜しそうにその後ろ姿を見つめながら二人は立っていた。


「あるよ」

「じゃあ、何か食べて行かない?今日両親が夜勤だから、家にご飯なくてさ、何か買って一人で食べるのも味気ないし」


 学校だと、新藤がいて馬村と二人っきりになる機会はあまりない。もちろん金木が言ったことは事実だが、馬村について詳しく知りたい、と言う思いからの誘いだった。

 馬村は、しばし思考して、朗らかに笑った。


「お好み焼きはどう?行きつけのお店があるんだ」


 路面電車が走るこの町は、夜景が有名で、山の上から見ると星が地上に埋まっているように見える。その一つ一つの光に誰かの人生があって、一人一人が毎日泣いたり笑ったりしながら今を生きているかと思うと、その途方もない時間の重なりに圧倒されてしまう。


「ちょうど、僕の家と金木くん家の中間くらいにあるみたいだし」


 町の掲示板に、この花が今綺麗に咲いているだとか、町のアイドルになった尾の短い猫が何という名で呼ばれているだとか、そんな小さく温かな情報が毎月書かれているような、ここは、そんな町なのだった。少し注意してみれば、そこここに思いやりの結晶が置かれているのが分かる。馬村は、そんなこの町が、とても好きなのであった。


「こんばんはー」

「あら、鹿乃介くん、おかえり」

「はい、ただいま」


 ズンズンと二人で他愛もない話ーー例えば、面白い先生だとか、学校で売られているパンで好きなものは何かだとか、そう言う話をしながらお好み焼き屋さんに向かっていると、必ずと言っていいほど、馬村は通りかかる人に声をかけられていることに金木は気づく。


「あら、鹿乃介くん友達ー?」

「はい、そうです」

「あらー、色男やねー」

「いえ、そんな……」


 中には金木にまで声をかける人もいて、金木はとても驚いていた。


「すごいな」

「え?」


 当の本人は、何が凄いのか全くもって理解していない。


「いや、よく声かけられるから」

「ああ、もうここにきて4年は経つからね」

「それ言ったら俺、生まれてからずっと同じところに住んでるけど、こんなことないよ」


 家の周りはどこかに行くために通るだけ。辛うじて周辺に住む人の顔と名前は把握しているし、会ったら会釈はする。だけど、こんなふうに言葉を交わすことはない。


「それは……僕が、とってもこの町が好きで、大事にしようって思ってるからかな」

「え?」


 金木が聞き返した時、丁度そのお好み焼き屋さんがあると言う商店街に着いた。もちろん、金木もその存在は知っている。

 人通りが絶えなかったと言うこの商店街も、今は閑古鳥が鳴いている。テナント募集と書かれた張り紙も、褪せてしまっているのが物悲しい。


「僕この町が好きなんだ。この商店街も、すごく好き。戦争が起こるずっと前からあったんだって、ここ。知ってた?」


 首を横に振る。金木は、この商店街に足を運ぶこと自体、8年ぶりだった。小さな頃、この商店街で行われる、これまた小さな夏祭りに行ったきり。端から端まで回るのに30分もかからないような祭は大きくなっていくに連れてなんだか物足りなく感じて、少しずつ足が遠のいた。


「あんまり人が足を運ばなくなったのも知ってるし、それは別に責められるべきことじゃない。ただ、大事にしてるものが違うだけ。僕は好きで、この辺をよく歩くから、同じだけ、ううん、それより多く、思いを返してもらってるんだと思う」


 金木には、あまり拘りと言うものがない。

 近いからとか、速いから、有名だから、そういう理由で何かを利用することが殆どだ。

 それに疑問を抱くことも、それを悲しいことだとも思ったことがない。


 だけどこの時、それが少しだけ恥ずかしかった。


「この商店街でできるだけ物を買ったり、食べたりするのは、応援の気持ちも込めてるんだ。ささやかだけどね」

 

 逆風に立ち向かう勇者に、せめて。与えられるものは少なくとも、ここにあなたを応援している人がいると伝えるために。


「金木くんのすきなものの話も聞きたいな」

「俺ーー」


 自分のことばかり話してしまったからと、照れ臭そうに笑う馬村に、金木は何か言葉を返そうと心の中を隅から隅まで探す。


 何か。

 何かあっただろうか。


 パッと出てこないのが、答えだった。


「俺、ない、かも」


 ぽと、と言葉が溢れた。

 言い繕うこともできた。だけどそれはできなかった。


「少なくとも、すぐに、そんなふうに強い思いで好きだと言えるものがない。なにかと比べてこっちが好き、くらい、かも……勉強も、言われたからしてるだけで好きなわけじゃないしな……」


 一瞬、新藤の顔が浮かんだ。だけどそれは、この「好き」とは違うような気がして言えなかった。


「そっか」


 次に続く、馬村の言葉が怖くて仕方がなかった。逃げ出してしまいたいとさえ思った。


「じゃあ、これから見つけるのか」

「え」


 驚いて、心臓がどくん、と跳ねた。


「それはすごく楽しみだね!」


 その時、金木は否が応でもわかってしまった。

 なんで新藤が、馬村に惹かれたのか。


(こういう、とこか)


 全く、と思う。


(新藤が顔や成績や、背丈で人を選ぶような人なら良かったのに)


 だけども、そんな新藤だったのなら、金木はここまで新藤に興味を引かれてはいないのだった。


 気がつけば、お好み焼き屋さんはすぐ目の前にあった。木でできた扉に「お好み焼き」と書かれた暖簾がかかっていた。


 たくさんの人が通ってきたのがわかるほど褪せていたけれど、丁寧に洗われているのか、汚れは見当たらなかった。


 店に入ると、少しよれた白いTシャツを来た齢70を超えるであろうお爺ちゃんが「いらっしゃい」と微笑んで言った。それだけで歓迎されているのが分かる声だった。体の芯に響く声。


 店内に置かれたテーブルには、緑と白のギンガムチェックのシーツが被せられている。レンガ風の床タイルはところどころヒビが入っているが、チリ一つ落ちてはいない。


「モダン焼きと、ミックスをお願いします」


 注文するなり、店主は鉄板でその二つを焼き始めた。食欲を刺激する音がする。古い温度計も、手書きで書かれたメニューも、一度も来たことがないのに、何故かとても懐かしい。


 ここを教えてくれたのが嬉しくて、何かお返しをしたい、と金木は考え、そういえば忘れていた、とリュックをあさり、一冊のノートを取り出した。


「そういえば、これ。俺の使ってるノート。土日の間使わないし、その間貸すよ。勉強見る約束したのに、運動会が忙しすぎて見れてないからね」

「ありがとう!」


 馬村は、クリスマスの朝にプレゼントの箱を開ける前の小さな子供のように期待と喜びに満ちた顔をする。そうして金木の顔をじっと見つめた。


「ほんっと、金木くんって、かっこいいよね」

「ふふ、よく言われるー」


 小さなころから、黙ってれば人が寄ってくる顔だから。寄ってこなかったのなんて、それこそ、新藤くらいのものだった。自分から声をかけたのなんて。


 だから、馬村が外見を褒めて来たのだと勝手に思った。


「あ、いや。顔のことじゃなくてさ。顔も、もちろんかっこいいんだけど」


 そこではじめて金木は、馬村も自分の顔に微塵も興味を持ってなかったな、と自覚する。

 

「金木くんは好きじゃない勉強で頑張ってるんだろ?ペンだこを見ればわかるし、貸してくれたこのノートも先生の細かな発言までメモしてるし、ただ色をたくさん使ってきれいに見せてるんじゃなくて、赤ペンだけで、重要度がわかるように書いてる。これは、努力している人のノートだ」


 ぱらぱらと馬村がノートをめくる音に合わせて、りんりんりんと虫の鳴く音が微かに聞こえる。

 金木の顔が真っ赤に染まった。


「勉強が好きじゃないのにそうしてるのは自分じゃない誰かのためかなって思ってさ。親の期待だったり、友達からの期待だったり、そういうものに応えるために、頑張ってるんじゃないのかなって。それが何なのかは分からないけど、なんにしろそれってすごく難しいことだと思うから」


 馬村は、そこで花が咲くように笑った。


「そういうところが、かっこいいなって」


 金木の顔が、さらに赤くなった。

 

(距離感音痴ってこう言うことか)


 新藤が前に言っていたのがどう言う意味か今ならわかる。恥ずかしくてならなかった。だけど嫌な恥ずかしさじゃない。


(くっそ、こんなの……勝てっこない)


 馬村は、人の努力だったり悲しみだったり、自分でも忘れているような小さなものを拾い上げて、大事なことだって示してくれる人なのだと、すとん、と気づいた。


「はっ恥ずかしくないのかよ、そんなこと言って」

「別に、思ったこと言っただけだし」

「はっ、あっ、あっそ!」

「ふふ、口悪くなってる」


 指摘されて気づく。


(俺、どんだけ気緩んでんだよ)


「ていうか、勉強好き、とか。今時絶滅危惧種だろ、コンビニ前でヤンキー座りしてるやつくらい見ないわ」

「えーひど〜い!」


 こんなに気が緩むのは、珍しいことだった。金木は、求められる「金木英悟」があったし、別にその「金木英悟」であろうとすることが苦というほどでもなかったから、円滑な人間関係を築くために、そう振舞っていたからである。


 皿に移されたお好み焼きが、こと、と静かに二人の前に置かれた。


「鹿乃介、友達かい?」

「はい!」

「そうか、よろしくな」


 心から、その言葉に返事ができたことが、金木はとても嬉しかった。


 その日食べたお好み焼きは、とてもおいしかった。


 本場の広島や大阪でお好み焼きを食べたことはもちろんあったし、それはまぁもちろん言葉を失うほどに美味しかったけれど。


 食べ物、というのは不思議なもので、誰とどう言う気持ちで、食べたかが美味しさに関わる。食べ物の美味しさが、気持ちに影響を与えるように。


 だから金木は、この時新しい友人と食べたこのお好み焼きよりも美味しいお好み焼きは俺にとってはない、と思ったのである。それから足繁く馬村とここに通うのだろう、と言う予感が彼にはあった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 馬村くんかっこいいですね。これは惚れてしまう……!! 金木くんとも仲良くなったようで、よかったよかった。 ほっこりです*^^*
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