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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
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少しでいいから、

 大学受験。

 それは、進学校の生徒にとっての目標であり、夢の舞台。リア充どもが異性と触れ合っている間に教材と恋愛し、いい汗を流すスポーツマンを横目に難問たちと格闘してこそ進学校。大学合格を願うのは、それが県下一の進学校にまぐれで入学し、以来ずっと底辺を彷徨う、例えば、そう。彼のような勉強ができない少年だったとしてーー


「300人中、273位……」


 変わらない……変わらない?はずだ。


「……今まで勉強してなかったの?」


 どこぞの黄門様の家来のように成績表を掲げる彼とは反対に、新藤は凄惨なテスト結果に固まった。彼女は初対面の人にこんなに失礼なことを言うような人ではない。ただ、先程までの命の危機によって動揺しているのである。これでなかなかナイーブかつ、ナウでヤングなカントリーガール。新藤梨花ちゃんここに見参、なのである。


「した。なんなら今もしてる」


 対するこちら、生粋のバカである。バカすら漢字でかけない男、その名も馬村 鹿之助。名が体を表し過ぎたあわれな男だ。彼はその細い体躯をぐいっと伸ばし、カッコつけて眼鏡を付け直した。


「……1人でね」


 彼は独りだった。感情のない言葉を聞いて、新藤は彼にそう言わせてしまったことの罪悪感を感じ、居た堪れなくなった。その隙をつかない彼ではない。彼はここぞとばかりに畳みかけた。


「だから、手を貸して欲しいんだ」


 新藤はその言葉にようやく思い出した。勉強を、教える。この、馬鹿に。使い込まれた英単語帳をみるに勉強量は多いのだろう。それでもなお、この順位。新藤は、今までたくさんの人に頼まれて人の勉強を見てきたことがある。


 しかし、彼らは普段勉強していない人であり、勉強しても勉強しても勉強ができない馬村のような人に会ったのは初めてだった。正直彼の力になれる自信はない。本来ならば断りたいところだった。だが先ほど命を救われたばかりであるために、それが躊躇われる。


「……ごめんその前に質問。さっきの猫ってなにか知ってるの?」


 新藤には確認しておかなければならないことがある。馬村はなんでもなさそうに口を開いた。


「……僕達、浄化師はアクイって呼んでるんだが、まぁ要は人の負の感情が具体的な形を持った物体だよ」

「浄化師って?どうして私は今までアレを知らなかったの……?」


 説明下手なりに分かりやすく伝えようと馬村は言葉を選びながらゆっくりと話した。その口ぶりに、どこか新藤は懐かしさを覚えた。世界の全てを不思議に思う幼い子供の質問に答える親の姿と今の馬村がどこか重なる。


「浄化師はアクイを屠る存在だよ。君がアレをしらないのは、浄化師以外、アレを覚えている人がいないからだ」

「……」

「僕たち浄化師はね、負の感情に支配された人々の心の中に入ってアクイを祓うんだよ。普通はアクイが弔われたら、あった出来事も忘れてしまうんだけど……なんか、新藤さんは覚えてるみたいだな。つまり、あいつはまだ新藤さんの中にいるってわけ」


 では、まだ。

 あの猫は、アクイは。


 新藤は怯えた。自分の体から、暗い闇が噴き出すあの瞬間がフラッシュバックする。

 

「……なん、で」


 負の感情には、心当たりがある。頬を濡らす涙も、強く握るあまりに血が出た掌も、頭を揺らす記憶も。


 逃げたい、と思ったことも。


「ねぇ、新藤さん。君は、()()()()()()()()()()()()?」


 戦いの中でも手放さなかった英単語帳を、彼は花壇の上に置いた。食い入るようにその動作を見つめていた新藤は、しかし何も告げなかった。名前も知らない白い花が、所在なさげに揺れる。


「まっまさか僕に話しかけられてること!?そう言うこと!?黙ってろ急に勉強教えてとか言ってんじゃねーよ図々しいわとかそう言うこと!?ミイラ取りがミイラってはなし?」


 勝手に慌て出す彼に、「とりあえずミイラ取りがミイラは違う」と新藤は思ったが、口に出す気力はない。


「校長先生のカツラ取っちゃったとか!?」

「違う」

「じゃあ、実は新藤さんも勉強で悩んでたり……?」

「違わないけど、今は違う」


 気を遣ってくれてるのだろうか、と新藤は無表情に思った。だとしたら申し訳ない。今は笑い返す気力がない。いつもだったら、大丈夫だって笑い返せるのに。心配されているのが、痛いほど分かる。やり方は不器用だけれど、言葉がとっても温かいから。


 新藤は、らしくないな、と自嘲気味に思う。幼い頃から、良くできた子だと行く先々で褒められていた。人よりもちょっとだけ色んなことに気付くから、人よりも心の防御力が高いから、そして人よりもずっと頭が良くて運動ができたから、新藤はいつだって輪の中心にいた。それは幸せだと、羨ましいと、多くの人が言う。


『梨花ちゃんは特別だから』


 荷物を運ぶのを手伝った。次第にそれが当たり前になった。

 宿題を手伝った。手伝わないと性格が悪いと言われるようになった。

 学級委員になった。やりたくなくても適任だと拍手された。


『梨花ちゃんは特別だから』


 恵まれている。勉強も運動も、苦労したことがないのだから。

 恵まれている。みんなに好かれているから。

 恵まれている。高校に入学してすぐスタメンになれるのだから。

 恵まれている。だから、弱音など吐く資格はない。



 大丈夫だと、新藤は馬村に向けて笑みを作ろうと頬に力を込めた。助けてくれてありがとうと言うために、口に溜まった唾を飲み込んだ。


 馬村は、ゆっくりと膝をついて下を向いた新藤の顔を覗き込んだ。


「新藤さん」


 ビクッと新藤の肩が揺れる。自分の弱さを汚い部分を見られたくなくて、新藤は目をギュッと瞑る。見られたら幻滅されてしまうと思った。


「辛いときに平気なふりをするのは、自分を守るため?」


 痛い、と思った。

 言葉が痛いと感じたのは、これで2回目。


「……あ」


 否定の言葉は音にならず、ただ吐き出された息だけがゆらゆらと天に登る。どうやら馬村は、思うままに疑問を口にしただけだったらしい。


「僕はね、負の感情は無駄なものじゃないって思うんだよ。それもそれで、人間が自分を保つために大事なものだ」


 その証拠に、淡々と話を続けた。

 生きている限り、人は傷つき、傷つけられる。自分を守るために、壊れてしまわないように、人は怒り、悲しみ、嘘をつく。それは言わば防衛装置だと、彼は考えていた。


「ただその感情だけに支配されたらダメだけどね」


 アクイが生まれてしまう原因がそれだと彼は笑った。新藤は目を見開いた。真正面から2人の視線がぶつかる。ビー玉を太陽にかざした時のように、キラキラと光る馬村の目が眩しくて、新藤は目を細め、それではダメだともう一度目を思いっきり開けた。


「あのアクイは、綺麗で大きかった。あんなアクイができるくらい新藤さんの感情が動いたってことは。それだけ、バレーボール頑張ってきたんだろ?」


 なんで分かったんだろう。

 新藤はユニフォームの番号をクシャッと握った。くしゃくしゃになった排球部の文字が、それでもユニフォームに鎮座している。使い込まれたそれは新藤の努力を証明していた。


 彼は、無駄な努力なんてないと言うつもりはなかった。


 努力が、継続が、いつだって成果を生む訳じゃない。そんなことは彼だって遠の昔に経験済みだ。どれだけ問題を解いても、どれだけ単語を暗記しても、テストの点数は上がらない。普通なら投げ出している。自分には才能がないと、地頭が違うんだと、環境のせいだと、言い訳なんて、ほら、あっという間に思い付く世界だから。諦めた方が楽なことなんてたくさんある。そんなことなど、彼だって百も千も万も承知である。


――――――――だけど。


 だけど彼は、()()()()()()()()()()()()()()()!()


 幸せになれないと嘆く日も、ボロボロになりながらも立ち上がる方法を模索する日も、それすら愛して止まないのだ、諦めるという手段を思い付かないのだ、言い訳なんて考えもしないのだ。そもそも彼は、報われなかった努力すら忘れかけているのである。


「あれだ、その……アクイが怖いなら、僕が祓うよ。話聞いて欲しいなら、勉強の合間に聞く。話聞いて欲しくないなら……そうだな、勉強教えて?」


 どうやらこれが目的だったらしい、と新藤は思った。あまりの必死さに先程までの涙が馬鹿馬鹿しく思えてきて、新藤は笑った。


「すがすがしいくらいに自分本位だね?」


 泣くと言う行為は、何処か笑うという行為に似ている。泣きすぎても笑いすぎても最後の方はもう、見分けもつかない。

 新藤は、笑って笑って笑って、ちょっぴり泣いて。

 彼女は言った。


「じゃあ……勉強の合間に聞いて貰おうかな。点数を見るに勉強会は長くなりそうだし。また潰れそうな時にでも」

「それって!」


彼女は答えた。


「うん、手伝うよ。ほら、助けてもらった借り、返さないとだしね」


馬村はその綺麗な目を細めて笑った。至近距離でみた全開の笑顔に動揺し、その照れ隠しに彼女は叫ぶ。


「fine の名詞の意味」

「晴れ!」

「だったら聞かないよ!」


正解は、『罰金』だそうだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] さっそくめちゃくちゃ笑わせていただきました! 特に校長先生のカツラがツボに……ベタなのに笑ってしまうっ(笑) fine『罰金』。恥ずかしながら初めて知りました。 勉強になります!
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