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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
15/55

一瞬でもいい、

 地続きの過去の延長線上にででんと構えた勝負の入り口が、今、重苦しいチャイムの音と共に開かれた。生徒たちは各々の武器を手に、自分の知力を信じて次なる敵へと挑んでいく。新藤たち特進クラスの学生としての全プライドは、この瞬間にかかっている。生徒たちの焦りが映ったのか、時計も早く動いているようだ。


 期末試験開始間際まで勉強していなかったアピールをしていた者も、テスト対策の自作ノートとにらめっこしていた者も、血相を変えて机にかじりついている。


「特進クラス」は、そういう場所だ。中学時代、何もせずとも点を取って、先生から頼りにされ、勉強を教えてほしいと頼まれていた彼らは、入学生実力試験で明確にランク分けされた。


 天才と、要領が良いだけの凡人。

 Sランクの頭脳を持つ新藤梨花と、所詮はA~Bランクの自分たち。


 初めて渡された一桁ではない順位表に、震えが止まらなかった。嘘だと信じたかった。親に順位表を見せたくないという、初めての感情が心に沸き立つ。水が張ってあるかのように冷たい廊下を、肌を指すような4月の風を、彼らは覚えている。




 ()()()()()()()()()


 負けず嫌いの巣窟、特進クラスが新藤梨花に土をつけようと動き出した。問題冊子にざっと目を通して、倒しやすい敵を狙いにかかるも、一足先に、Sランクの新藤が敵の強さをその身を削って確かめる。


 (教科書応用問題レベル……Bランクね)


 難なく新藤は敵を裁くも、特進クラスの面々も負けていない。


 (ユークリッドさん、力を貸してくれぇええええええ!!)


 新藤のような繊細かつ技量を魅せる技でなくとも力業で巨大な敵を倒していく。定期テストに向けて教科書の例題を答えまで完全に暗記し、計算時間をギリギリまで削った。それでもまだ、シャーペンを振るう彼女は一歩先にいる。あと少し、もう少し。親が差し入れてくれた夜食が、友達と共有した対策ノートが、先輩から借りた過去問が、彼らが諦めることを許さない。


 定期テストは人間性を反映する、と、昨日担任のゆっきーがいつに無く真面目な顔で語っていた。


 頑張れば点数は出るんだから頑張れる人間かどうかが自ずとわかる、と続くその言葉はすでに彼らのHPを削っていた。


 勝てない。

 勝ちたい。

 落ちこぼれには、なりたくない。

 バカなんて、言われたくない。



 ――あと、30分。


 間に合う間に合わないでは無く、間に合わせるのだと彼らが頭を酷使する中、




 カンッ



 新藤がいち早く彼女のシャーペンを机に置いた。乱れた問題冊子を揃える音が、シャープペンが走る音の中で異質に響いた。


 (ふざけんじゃねぇぞ新藤!!)


 特進クラスの面々は驚愕に口を開いたが、



 (馬村くん、大丈夫かな)


 新藤は、彼らの思いなどつゆ知らず、のんきに馬村のことを考え、見直しに入った。


 そのころ。

 

 (あ、これ、みたことあるやつだ!)


 馬村鹿之助も、ゆっくりと戦闘を続けていた。始まりの村で支給された剣で一匹一匹スライムを倒すかのような戦闘っぷりである。


 (これもみたことある!)


 今まで、数々の赤点(くきょう)を共にしてきたシャーペンと共に、馬村は大学に向けた最強の武器、内申書を手にするために敵を見つけていく




 が、














 (みたことあるけど……わっかんねぇ!!!!!)



 戦地に一人、今日も哀れな高校生(ゆうしゃ)が、悲痛な叫びをあげた。


 (まてまてまてまて、まだ終わってない、落ち着け、取り敢えず場合の数だ、たかが3桁位しかないんだ、全部書けばとにかく答えはでる、とにかく落ち着け)


 新藤が問題を解き終わったころ、馬村は問題用紙の裏一杯に樹形図を書いていた。


 (おっけぃ、いける!

 あとは数えるだけだ間に合っ)



 キーンコーンカーンコーン


 戦争の終わりを知らせる鐘が、生徒(戦士)たちに次の戦いへ備える最後の時間をプレゼントした。


 (ノォォォォォオオオオオオ!!)


 哀れな勇者の叫びは届かなかったようである。




 ***


「お疲れ様〜!!」

「あぁ、新藤さん」


 肌に張り付いた制服を掴んで風を取り込み、火照った体を冷まそうとしていた馬村のもとへ新藤は一目散にやってきた。


 テストが終わったからって気を緩めるな帰るまでがテストだ、というお決まりの台詞を先生が言い終わるなりかけ出したのは、馬村の手応えを知りたかったからだ。気持ちよく夏休みを過ごせるかはこのテストに左右される。なんてったって三者面談があるからだ。


 これまで1か月にわたって勉強を見てきただけに、新藤は責任を感じていた。自分の成績よりも気にしているくらいである。かと言って、「手応えはどう?」などとすぐに聞くこともできずに、新藤はおずおずと馬村の顔を伺う。


「帰ろっか」


 どういう感情なのだろう。いつも通りの馬村に新藤は首を傾げた。特進クラスの生徒は、喜んでいる人、言い訳をしている人、青い顔をしている人、全員が全員違ったが、全員が全員いつもとは違っていた。それこそ嫉妬の目線を向けられることもあったので、あまりのいつも通りの馬村に、新藤は少し驚く。


「そうだね」


 膝下まであるスカートを揺らして、新藤は先に動き出した馬村についていく。教室の喧騒から少し離れた下駄箱で、新藤は馬村の顔を覗き込んだ。


「どう、だった?」

「あー」


 馬村は目を細めて、下駄箱からローファーを取り出す。やけに黒々としたローファーだった。


「一回解いた問題の、解き方を忘れたものとかあったな」


 悔しそうに紡がれる言葉に、新藤は頷き先を促す。


「あと、国語で専門の専に点が付くかがわかんなくなってゴミっぽく見える点を微妙な位置に書いたのは我ながら悪どいなって反省してる」


 あまりにすまなそうなその顔に新藤は破顔した。罪悪感から痛む胸を撫でながら、馬村は続ける。


「今日からもよろしくね、新藤さん!」

「あー、それ、なんだけど」


 新藤は頬を掻いてすまなそうに言った。


「明日から部活動再開だから、今まで見たいに勉強を見るのは難しいかも」


 馬村は目を丸くした。それはつまり、新藤が部活に行く、ということを意味する言葉だったからだ。休部にテストも重なって、1か月新藤は部活に行っていなかった。馬村はうっすらとバレー部で何かあったことを悟っていたが、本人からは詳しく聞いていなかった。話してくるのを待ってみようと思ったからだ。


「そっか」


 突き放したように聞こえないくらいのやさしさが混じった声で言う。新藤の中で決めたことなら、問うのは無粋だと思った。どう転がるかわからないから、余計なことは言えない。


 だけど一人で新藤がそれを決めたことに衝撃を受けて、頼ってほしいだなんて思っていた自分がいたことに吐き気がした。


 この感情が何なのかわからずに、馬村は眉を上げたが、新藤は気づかず、


「部活がないときとかは見れるから!」


 必死に顔を赤くして言った。その姿に吐き気が消えたから、大したことではない、と馬村は相光を崩し、数秒後にはそのことを忘れた。記憶力の悪さが、彼の長所なのである。


「ありがとう」


 気分がよくなった馬村は、踵を踏まないように片足を上げて靴を履く新藤がバランスを崩さないようにと手を差し伸べた。


「ふぇっ」


 この意味をなさない音を発したのは新藤である。男性免疫のない新藤の声は弱々しいものだった。距離感音痴の馬村に振り回され続けてしばらくたつのに、新藤は一向になれそうにない。心臓が跳ねる音が手を通して伝わらないかと気が気ではなかった。触れているところだけが熱を持つ。


 お礼を言いたいのに、うまく言えない。餌を差し出された金魚みたいに口をパクパクと開閉しても音にはならなかった。


「いつもよりも解けたんだよ、今日。新藤さんのおかげだ。全然それでもまだ足りないけど、これからも僕頑張るから」


 追い打ちをかけるような馬村の言葉に新藤はたまらなくなった。


(無理!! 本当に無理!!)


 早くこの状況から解放されたいと思う一方、ずっとこの瞬間が続けばいいのにと思う。

 だって。


「まっ、馬村くんっ、その!」

「師匠も、きっと、喜んでくれる」

「……っ」


 だって、馬村は新藤のことを仲間としか見ていないんだから。

 新藤は思い出す。


 ――お嬢様、わたしの片割れ


 あの小説の中の白い乙女は、たしかに愛されていた。愛した人に、愛をもらっていた。


(私の中に、確かにいるのに)


 自分は全く持って報われそうにもない。


「羨ましいな」


 いつか。

 いつか、この思いがあふれて止まらなくなる日がくる。

 新藤は、それが怖くてならなかった。

 

「え?」


 靴を履き終えて、手を貸してくれた礼を言い、ずり落ちたカバンを元に戻す。その間にいつも通り、人ひとり分の距離が二人の間にできた。


「ううん、行こっか!」


 つぶやいた言葉は夏の空に溶けていく。



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