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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
14/55

私が壊れてしまう前に、

 少女は言った。

「バカって言われた」

 男は言った。

「よかったね」


 ***


『2週間後に迫る期末テストの範囲が知らされたのは、それから3日後のことだった。馬村たちの通う芦原高校では、テスト範囲が升目に細かく記載された紙はマトリックスと呼ばれている。生徒たちは、勉強にある程度目処がついたらマトリックスの升目に書かれたテスト範囲を好きなペンで塗りつぶしていく。色とりどりになったマトリックスを手に、テストへ挑むのだ。


 び―――、と高校の側に広がる野原のように澄んだ緑色で新藤は早くも数学の確率分野を塗りつぶした。


「きっもちぃ!」

「新藤はっやぁ!」


 自学会という名前の先生の見張りつき、強制参加の学習会で、ぶっ通しで100分勉強していた新藤たちは、解放感からか、声が大きくなっていた。


「やろ、集中した」

「スッゴ、わたしなんて眠くてぼんやりしてたらゆっき―が鬼の形相で横にたってたわ、ほんとびっくりした!」

「まぁ、100分は長いよね」

「人間の集中力の限界を考慮すべきよ」

「ちょっと東雲声大きいって、ゆっき―こっち見てる」


 ゆっき―とは、新藤たち特進クラスの担任である。東雲は、蟻も殺したことがないような顔で微笑み、担任の視線を潜り抜ける。新藤は苦笑いであった。


「ったく、誰よ自学会って名前つけたやつ、強制したら自学じゃないっての」


 小声で悪態をつき、いそいそと机に積み上げられた教科書やノ―トをリュックにしまう。修行僧もびっくりな重さになったリュックを背負い、極限まで薄くした校則違反すれすれの正カバンを手に、東雲はロ―ポニ―テ―ルを揺らした。


「帰ろうよ」

「あ、ごめん、私……」


 新藤は、馬村との勉強会のために図書館による必要があることを思い出した。


「はは―ん」


 東雲は新藤の表情に何やら思い当たることがあるのか、邪悪に笑っている。彼女の背負っている黒いリュックが、悪魔の羽に見間違えるようだ。


「いやちょっと待って何!?」

「いや―、別に~」

「なんかスッゴい嫌な予感するんだけど!」

「ふふっ、女の子って本当に楽しい☆」

「突然のキャンメイク東京!」


 その様子を遠くから見ていた恥ずかしがり屋で怖がりの小林由美も、失恋したての修馬もやって来て、新藤の周りはとたんに賑やかになった。


「何々、新藤の恋バナか?」

「ちょっと梨花ちゃん、そこんとこ詳しく!」


 さて、学校随一、いや、地域随一の間の悪さを誇る馬村 鹿之助。彼は自分の話で特進クラスが盛り上がっているとも知らず、ゆっき―こと幸村先生に数学の質問をしに、特進クラスの扉を開けた。


「え、新藤さん、好きな人いるの?」


 急な声に新藤は文字通り飛び上がった。

 くどいようだが、もう一度言おう。

 馬村は、馬鹿である。故に、新藤の顔が沸騰せんばかりに赤く染まっていても、新藤の周りが唾を飲み込み、息を殺して馬村を見ていても、新藤の好きな人が自分かも、だなんて微塵も思っていないのである。


「う、うん……」


 新藤は、この短時間で、先程の100分自学会よりも頭を回転させた。肯定すべきか否定すべきかを必死に必死に考えた。


 どうする、ここで否定したら一先ずこの場は脱出できる、でも、嘘つくの? 馬村君に? いや、それはダメだ、好きな人に嘘つくのはギルティ―、て言うか無理だ罪悪感で死んでしまう、だけど肯定するの!? ばれるばれるばれる、私顔めっちゃでるし! そもそもバレたらダメだし……!いやだけど馬村くんは鈍感極まってるからバレないのでは!?


 とまぁ、いっぱいいっぱいの返事であった。


「へ―、そっか、応援してる!あ、ごめん僕質問してくるから先に図書室行ってもらってもいいかな?」


 …………対する馬村は、1ビットも脳の容量を使っていない返答だった。そうしてスタスタと質問に行く馬村の後ろ姿にがっくりと肩を落とす新藤を、仲間たちは気まずそうに見ていた。


「……ま、まぁ、あれよ、恋にコ―ルド負けはないから!」


 新藤は、昨日読んだ、黒の剣士と白の乙女を思い出していた。自分の中に確かに存在する白の乙女が、あんなに、あんなに、砂糖吐きそうになるように甘い恋をしていたのに、どうして自分は、こうも恋愛とは程遠い人生を送っているのか、と顔をしかめた。


「リア充爆発しろ……」

「このタイミングでのそれは呪いの意味が強すぎるのよ!」


 高校に入学して、勉強して、勉強して、部活して、勉強して。

 戸惑う間もなく、不安を置き去りにする猛スピ―ドで、新藤は青春を駆け抜けている最中だ。並走する仲間と走っていくうちに、もう、夏休みという名の水分補給地点にいる。


「ほらほら隣の芝生なんて見ちゃだめよ」

「合言葉は隣の芝生に除草剤」

「元気出せ、新藤」


 中学生の新藤が想像もしていなかったような事態に遭遇して、泣きまくって、励まされて。




 そうして、好きな人ができた。


「……そうだね、頑張る」


 小さな手をきゅっと握って、新藤はリュックを背負って教室を後にした。


 ***


 図書室での勉強会で自分の魅力でもアピ―ルしようかと考えていた新藤であったが、結局勉強を始めると、邪念を捨て去って馬村に勉強を教えることに集中してしまった。自分への失望と馬村の勉強を見た疲労感で、新藤は机に突っ伏していた。目線の先には、ずいぶん古い本がたくさん並んでいた。校舎のボロさは伊達ではないのだろう。本の寄付もそれなりにあるに違いない。


 ―――本が好きなのですか、お嬢さん。

 ―――ええ、とても。だって、自分の知らない世界を知れるのよ。

 それってとってもわくわくするわ。

 ―――知らないものに惹かれる感情は理解できます。

 ―――驚いた、てっきりあなたは変化を嫌う人かとばかり。

 ―――嫌いですよ。失いたくないものが、多いので。


 そういえば私の中のあの子も本が好きなんだっけ、と新藤は思い出す。昨日読んだ本の中身は、新藤の優秀な脳に叩き込まれていた。


 ―――はじめまして、お嬢様


 白の乙女と黒の剣士と書生の男の恋の物語。三角関係で大正ロマン、加えて悲恋だなんて、少女漫画みたい、と自分の髪をくるくるとまわして遊ぶ。白の乙女と黒の剣士が実際に存在することを鑑みるに、ノンフィクションなんだろう。それを考えると、ずいぶん作者は悪趣味である。


「新藤さん?」

「あ、ごめん、質問?」

「いや、ずいぶんぼんやりしていたから、疲れたかなって、久しぶりの自学会だったし」


 いたわるような目がなんだかくすぐったくて、目をそらす。


「ああ、いや。昨日読んだ本のこと考えてただけ」

「三の宿命だっけ」

「そう、なんだか、よくわかんなくなっちゃって」


 毎週日曜日にテレビでみていたヒ―ロ―と馬村を、ヒ―ロ―に倒される悪役を黒の剣士と重ねていた自分がいた。だけどどうも、そこまで単純な話ではないらしい。


「まだなんとも言えないんだけど……」

「うん」

「黒の剣士は白の乙女ともう一度結ばれることを願って行動してるだけで、アクイとは全然違うんだなぁって」

「そうだね」

「…………ってごめん、勉強の邪魔だね、私、ちょっとそこらへんで本読んでくる」


 床と椅子がすれる重低音が空っぽの図書室に響く。物思いにふけってゆったりと進む時計の針は午後5時を指していた。高校の傍で野球をしていた小学生チ―ムも引き上げの準備をしているのか、声が聞こえてこない。代わりに、せっかちなニイニイゼミが夜が来るのを食い止めるかのように必死になって叫んでいる。


 いつものように新書コ―ナ―に立ち寄ると、いつもは絶対に目に留まらない本がなぜか新藤の視界に入った。


 ・心くらい、すっぴんでいよう~好きな人に自然体で好かれる方法~

 ・結局は無邪気な女が最強な

 ・かぐや姫がモテモテな理由


「誰が読むのよこれ……」


 …………その数秒後、それらの本は新藤の胸の中にあった。もくもくと読み続ける新藤の顔はしかめっ面と真顔の連続だった。


「だめだ、清楚ってなによ昔の中国の国名かよ……」


 天を仰ぐ姿を見るに、収穫は芳しくないらしい。


「新藤さん、質問!」


 飛び上がって驚いて、本を急いで棚に片づけ、新藤は馬村に駆け寄った。いまだ、勉強会は終わらなない。今までの成果を発揮すべく、馬村も新藤も懸命にシャ―プペンをノ―トに走らせ、赤シ―トで必死に暗記し、教科書をシャド―イングしていった。


 それぞれがそれぞれのやり方で勉強に励むうちに日々は消費され、あっという間に決戦の舞台。


 期末テスト、当日である。

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