いつか、
眩しい光が目に飛び込む。馬村も新藤も修馬も、色鮮やかな世界の眩さに目を細めたくなった。だが、彼らは目を見開いたまま、その眩しさも自分の一部と受け入れる。精神世界に入る前のそのままの景色がそこにあった。すうっと薄れていく馬村の精神体を見るに、馬村はどうやら元いたところに戻っているようだと、新藤は安堵し、現実世界に目を向けた。
天井も元のように穴はなく、瓦礫も落ちてはいない。勿論先ほどのままである。本は所定の位置に収まっていて、何よりそこには新藤の友人がいた。帰ってきたと言う実感がようやく新藤の胸にも訪れる。
しかし、修馬だけ、彼だけが今までとは何かが違っていた。勿論彼は、精神世界であったことなど欠片も覚えていない。ただその心に巣食っていたアクイがいなくなり、心に余裕を持ったのだ。
きつく結ばれた唇が、ゆっくりと開かれる。紡がれる音はどこまでも優しい。
「ごめんね新藤」
と、修馬は笑う。
(好きな人に彼氏ができるってどんな感じなんだろう)
自分ならどうだろうか。馬村に好みじゃないといわれたら。師匠と自分に似ているところがないことを、新藤は知っていた。膝下まであるスカートは校則を守るためにしている部分もあるが、足を見せたくないからというのが主な理由だ。師匠のように長く細い足なら、とどうしても思ってしまう。部活のために短く切った髪も、師匠の長い髪のように美しくはない。
そんな身体的特徴の違いだけじゃない。師匠と違って馬村の力になれているという自覚が、新藤にはなかった。勉強を教えることは彼女にとって息をするくらい容易で、それゆえにその行為の影響の大きさを考えられないのだ。
(自分のことが好みじゃないことくらいわかっている)
新藤は修馬から目をそらした。
(わかっていても、やっぱりつらいよなぁ)
自尊心が落ちに落ちたところに、友達からやんわりと助けられる。どれほど惨めだっただろう。
「ありがと。俺もっとかっこよくなるよ」
そう言って、彼は小さく頭を下げ、ゆっくりと新藤に背を向けた。風が、吹いたような気がした。修馬を元気づけるかのように、あるいはその行動をたたえるように風が修馬の背中を押す。それと同じ風が、新藤たちの頬も撫でた。
眉を下げて笑う姿はどこか泣いているようにも見える。その姿がなんだかまぶしい。顔立ちとか立ち姿とかそういう表面的なものにまで、精神状態は影響しているようだった。どこか思慮深さを増したような修馬に新藤は目を細める。
お礼なんて言われることではない。新藤は当然のことだと首を振った。
彼女は知らない。当たり前、とこの世でされていることがなんと難しいことか。
彼女は知らない。自分を庇いに飛び出してきた新藤に修馬がどれだけ感謝しているか。
彼女は知らない。その優しさと勇気がどれほど周りの力になったか。
やっぱり人は、自分が1番可愛いし、傷ついたら痛いと知っている。怒って喚いて泣いて叫んで後悔する。傷ついたことも傷つけたことも簡単に忘れてカラッと笑う。人間は本当にどうしようもない生き物だ。
そんなことは。
勿論ずっと前からわかっているけれど、
「……っじゃあ、行こっか」
それでも共に笑い合いたいから、人は言葉を尽くすのかもしれない。
ごめんね。
ありがとう。
好きだよ。
嬉しい。
生きて。
会いたい。
笑って。
傍に、いて。
「「「よく、頑張った」」」
清川さんたちが去るのを見送る修馬の肩を新藤たちは順番にたたいた。
こういう日は、仲間からの思いやりが必要だと思うから。
***
夏というにはまだ少し足りないけれど、十分もう空は高い。原色の青をそのまま貼ったような空は新藤を馬村の元へと急かしている。なんだか頭がガンガンするのは、空気にあてられたからだろうか。馬村の教室のドアを開けるともうすでに馬村の他に生徒はいない。
「馬村くん!」
机に落ちていた影が動いた。馬村はシャープペンシルをシンプルな黒のケースに入れる。
「ん、行こっか」
そう言って立ち上がった馬村が気遣わしげに新藤を見やるので、新藤は小首を傾げた。
「辛くない?」
相変わらず主語が欠けた馬村の日本語を補うと、『精神体が傷ついたから、心が弱ってるはずだ。心と体は繋がってるから辛くないか』というところだろうかと、新藤は苦笑いした。その通りだった。馬村検定1級合格も近い新藤梨花、その優秀さはこんなところでも光る。
「うん、全然大っ……」
新藤は、ここで言葉を止めた。最初は、大丈夫だと言うつもりだった。新藤は今まで、大丈夫かと聞かれた時に、肯定以外の返事をしたことがない。辛さ悲しさ苦しみは綺麗に笑顔で隠して、1人になった時に泣くのが彼女である。
だけど。
辛い時に辛いと言わない方が迷惑をかけることもあると知ったから。
彼女は弱音を吐いた。
「……少し、怖い、かも」
アクイが自分を支配する前に人に頼ることは何も間違っていないのだと、馬村がその行動で教えてくれたから、修馬の笑顔に勇気づけられたから、新藤は続ける。
「自分の存在がとても不確かなものに思えて、その何て言えばいいのかな」
「うん」
「自分の中にね、もう1人何かがいるの」
可愛くて、愛らしくて、そしてどこか芯のある、遠くて、近しい存在。自分が壊れる気がして、とても怖かった。




