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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
11/55

とにかく、

 まずは一閃、黒の剣士がその剣を振り上げる。靴の裏で剣を受けて剣士の背後へと馬村は回り込む。着地して回転、そのまま攻撃へ。しかし馬村の蹴りも同様に躱される。

 息を荒げて馬村は舞う。黒の剣士の動きも相まって、より一層舞の完成度は増していた。


 バックステップで躱し、ジャンプで躱し、踏み込んで躱す。黒の剣士の攻撃は、それが精神を破壊するための動作であることを知っていてもなお、芸術と評するべき動きだった。何年も、何十年も同じ動きを繰り返してきたような。そういう精錬度。


 舞って舞って舞って、斬って斬って斬って、回って回って回って。一瞬の着地、そのままバク転へ。互いに少しずつ傷をつけられていく。少しといっても常人が弱気になるには十分なほどには精神体は疲弊していた。そうやって互いに傷つけ合うこと半刻。


 両者は互いが互角であることをようやく認識する。そうして同時に距離を取った。


「やりますね」

「おじさんもね」


 精神力は互角といったところだろうか。実のところ、馬村は驚いていた。今までも自分をこの世に発生させた人たちと、精神世界で戦うことはあった。お仕置きであったり、腹いせだったり様々だったが、馬村は真っ二つに精神を斬られて育ってきた。

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 対する剣士も驚いていた。

 彼は長らく最強だった。彼と白の乙女の愛は誰の精神よりも強く、硬かったからだ。思いの強さが力に変わる世界において、それは無敵を意味する。それ故に彼に斬れないものなどなかった。


 今 ま で は。


「全く、浄化師に何が起こっているんでしょうかね」


 黒の剣士は独りごちる。馬村の精神はあまりにも強い。そして何より恐ろしいことに、それは愛を、友情を、努力を元に手に入れた強さではない。馬村の精神力の源泉を見つけようと、黒の剣士は試みる。諦感、失望、怒り…………嫉妬?そこまで読み取った黒の剣士は、そこから先を見るのを止めた。これ以上は飲まれてしまう。彼の闇は深すぎる。


 仕方がない、と黒の剣士は、白の乙女に目を向けた。


「一緒に、逃げます?どこまでもいつまでも、世界が僕達だけなら、きっとそこは楽園ですよ」


「やーなの」


 白の乙女は首を振る。拒否するように、嗜めるように。それを受けたおじさんは嘆息し、その美しい顔を笑みで埋めた。


「そうですか、愛しい人。それならば僕は去りましょう。この方と戦うには時期尚早ですし、何より、あなたはまだ完全に昔のあなたになったわけではない。あなたの居場所が分かった今、私は貴方にいつでも会えますからね。しつこくして嫌われたら本末転倒です」


 そう言って馬村に目を向けて。


「では、またいつか」


 たんっ、と。

 黒の剣士は姿を消そうとする。


「うわー、逃げたー!わーるいんだー悪いんだ師匠に言っちゃーお!」


 馬村はIQ2の罵倒をする。ちなみにIQ2はサボテンと同等レベルである。ふぅ!かっこいい!


「良いですよ、それを()()()()()()()()


 しかし黒の剣士は馬村の1枚も2枚も上手だった。馬村は舌打ちしたい気持ちに駆られる。去っていこうとする彼を追おうとしたが、馬村はそれよりもやるべきことがあったと体に入れていた力を緩めた。


「ふにー」


 白の乙女は依然として目を擦りながらその白い体躯を揺らしている。新藤の面影はそこにはない。ただ、纏う雰囲気がどこか似ていた。


「戻ってきてよ、新藤さん」


 馬村は微笑む。柔らかく、新藤が戻ってくることを少しも疑わない笑み。


「僕、新藤さんのおかげで数学の問題解けたって報告したいんだけど」


 何を思ったのか、白の乙女は馬村に抱きついた。そうして馬村の顔を見上げる。


「ふにー?」


 愛くるしいその動作に馬村は軽く笑う。ずいぶんと幼いその姿が、どこか懐かしかった。遠い昔、ここによくにたところで、彼女のような子供を見たことがあるような気がした。だからだろうか、結局馬村は新藤であった彼女を拒絶できないで、その抱擁を受け入れる。そして白の乙女の背中を撫でて、乙女の耳元で囁いた。


「僕の友達を、返してくれないかな?」


 乙女は「ふわわ」と笑って、しゅるしゅると、ゆるゆると、馬村の胸の中で新藤となった。

 白い髪は黒色へ、赤色の目は黒色へ、あどけない顔は意思を持つ。




 新藤梨花が、そこにいた。

 正気を取り戻した新藤は、自分が置かれた状況に硬直する。新藤は気安く異性と触れ合うタイプではない。だからこそ動揺は大きかった。目に当たっている冷たい金色が学ランのボタンだと気づき、硬直した。そんな新藤の動揺に気づかない馬村は、


「ん、おつかれ」


 と、師匠がしたのと同じように新藤の頭を撫でた。新藤は硬直している。


「よく頑張ったね、ごめんね、迎えにくるのが遅くって」


 新藤は硬直している。


「ん、いい子だ」


 馬村は耳元で囁いた。優しく新藤の頭を撫でる手。心地いい体温。耳朶をなでる息。新藤は硬直している。


「体、斬られたんだって?精神体が真っ二つになったら精神も傷つくから、辛いだろ?いいよ、もっと寄り掛かって」


 馬村は、新藤を抱き寄せた。そうしてその頭に自分の顎を乗せ、背中を一定のリズムで叩く。泣き疲れて眠った子供をあやすような動作だった。馬村の心音は新藤のそれとは違い落ち着いていて、新藤は少し悔しくなる。


「辛かったろ。痛かったな。泣きたかったろ。ごめんね」


 そうして耳元で吐息まじりに囁いた。


「ありがと」


 新藤は、硬直している。仮にも新藤は馬村のことを気になっていて。弱っている時に抱きしめられて耳元で話され、背中を撫でられ…………彼女は、いっぱいいっぱいだった。


(この、距離感音痴がああああああああああ!ちょっと待て、やめて、そんなの一般女子高生、彼氏いない歴イコール年齢、人生のモテ期は0歳児な私にしないで!ドキドキするから!耐性がないんだってばよ!)


 新藤は動揺している。しかし精神体は弱っているのか動けない。


「しんどーさん、頑張ったね」


 やめてほしい、と新藤は思う。

 馬村くんは四捨五入したらイケメンになるんだから!


 新藤は褒めているのか貶しているのか分からないことを考えた。だが今、新藤の角度からみる馬村は、たしかにトリックアートみたいな感じでカッコ良くなっている。ピンチを助けてくれた補正と好きな人補正がかかって、プリクラよりも加工された新藤の中の馬村は、恐ろしいくらいにイケメンになっていた。※注意、本物はそこまでカッコよくないです。


「ん、えらい偉い」


(止めろ背中を撫でるんじゃねぇ!誰か、誰か、本当にで助けて!!あんなに頑張ったのに死因:萌え死なんてカッコ悪すぎる!)


 胸が痛かった。息もできない。

 新藤の願いが届いたのか、新藤はその状況から解放された。


 ガタンッ


 犯人は修馬である。修馬とてそんなつもりはなかったが、友人が無事なのが分かると気が抜けて、たおれこんでしまったのだ。その音を聞き、馬村は新藤を抱き締める力を緩め、そうっと新藤を座らせた。


(あ……)


 あんなに開放してほしかったのに、開放されたらされたでなんだか名残惜しくて、新藤は息を漏らした。温度と感触がまだ残っている。今はそんなこと考えている場合じゃないのに、心臓が言うことを聞かない。


 新藤は頬を叩いて無理やり心臓を正常に戻した。


「大丈夫?」


 修馬は頷こうとして頷けず、震えた体はそのままにぎこちなく笑った。



 

(辛いよね)


 新藤は自分が修馬のように好きな人に告白もできずに振られたことを想像する。想像だけで辛くって、信じることができなくて、新藤は泣きそうになった。


 そんな彼を救うことはできなくても、せめてその気分だけでも晴らせたらいいのにと、新藤は頭を悩ませる。その時、落ちていた蜻蛉日記が手に当たった。借りようとしてたんだったと、新藤はそれを手に取った。それから新藤はどう伝えれば良いのかを考えに考え、悩みに悩んだ挙げ句、なぜかよくわからないところに着地した。新藤はその蜻蛉日記を掲げ、修馬に見せた。


「蜻蛉日記、知ってる?」

「え?」


 ここで解説といこう。蜻蛉日記は、平安時代に藤原道綱母によって書かれた日記である。どういう日記かというと、


「大好きな旦那が浮気性!あの人に愛される他の女なんて許さないんだからねっ!むきーーーーって日記ね」


 …………確かにそうだが、どこか許容しがたいものがある新藤の解説であった。概ねその通りで(生徒に教える前にこれを読んだ先生が職員室で大笑いして顰蹙を買ったそうだ)、冒頭からなかなかぶっとんでいる藤原道綱母たんは、【世の中の話は綺麗事か嘘ばっかりだわ!それを面白いって言う人もいるんだから、私みたいな普通の人の話でも珍しくはあるでしょ。最高の身分の男との結婚生活の実例にでもしよっかな!】と書いている。


 彼女の旦那、これがなかなかにクレイジーで嫁が妊娠すると浮気する男なのだ。厳密には平安時代は一夫多妻制、分かりやすく言うとハーレムが許されているから浮気ではないのだが、どの時代でも恋人が異性と度を越して仲良くするのを人は厭う。そりゃそうだ。やったれ道綱母!


 彼女も怒りに燃え、使用人に旦那を追跡させたり、浮気相手への手紙に「信じらんない!他の女に渡そうとしている手紙を見るに、旦那様は私の家へ来るのを止めようとしているの?ねぇ、ねぇ、ねぇ?」のような文字を添えたり、萎れた菊に歌を添えて送ったりと対抗する。旦那はたまーに藤原道綱母に愛を囁くから、余計に性質が悪いのだ。


「藤原道綱母は、病気になったり、お母さんを亡くしたり、いろいろ、本当にいろいろあるなかで悩んで苦しんで、それでも夫からの愛を諦められなくて自分の心と向き合うの」


 蜻蛉日記を藤原道綱母は『あるかないのかよくわからない、かげろうのような儚い身の上のことを書きつづった日記』と称している。その言葉が、彼女の生き様が、新藤の心に強く響いた。どうせ儚い人生なら、全力疾走で駆け抜けよう。どうせ苦しくなるなら、全力でもがこう。まるで、そう言われたみたいだった。


「あめのした 騒ぐころしも 大水に 誰もこひぢに 濡れざらめやは」


 新藤は、修馬の顔から悲壮さが消えつつあるのを読み取った。

 それは、新藤が最も好きな歌。その意味に惹かれて、新藤はいつもその日記を読む。


「世の中は長雨で騒いでいるこの頃ですね。誰もが恋しい人に逢えないで涙で袖を濡らしているはずです。わたしだってのんびりなんかしていられません」


 修馬は目を見開いた。彼は、辛かったのだ。一目惚れなんてとバカにされようがそれでも彼は清川が好きだったし、だからこそ何もできずに終わった自分が嫌だった。

 身の程知らず。

 その言葉がずいぶん重くのしかかっていたのだと彼はようやく自覚する。


 好きな人の好きな人になれないかなぁ、と悩む日々。だけどそれは、自分だけじゃない。その辛さを、遥か昔、平安の世から、人々は抱えてきているんだ。道綱母もそうして悩み苦しみ、涙し、それでも自分と向き合い続け。



 最後には、文学作品とまでなった。


 無駄じゃないのだ、悩みも苦しみも悲しみも全て。それを無駄にするかしないかは自分次第で、だからこそ新藤は修馬にこの話をしたのだ。


(ああ、新藤は……)


 修馬はそう気づき、


「そっかぁ」


 修馬は憑き物が落ちたように微笑み、新藤に問うた。


「ねぇ、新藤」

「んー?」

「新藤も、そういう人いるの?」


 新藤は目を見開いて、抱きしめられた体温を思い出したかのように腕をこすった。


「うん……どうしようもなく馬鹿な人、だよ」


 修馬は猫につままれた顔をして、しばらくして思い当たって手を打った。


「ああ、そういう、こと。そう言うことね……」


 褪せた世界が、再び色を帯びていく。いつ見てもこの景色は綺麗だなと、新藤は思った。

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