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それは、ウィスタリアの戦闘用ボディに搭載された機能のうちの一つだった。右腕がワイヤーによって伸び、縮む事で彼女の体を空中へと運ぶ。何種類もの亜人や希少種の素材で作られたワイヤーは彼女の体を軽々と支え、ゴムよりも何倍もしなやかに伸縮した。
ビルの天井へと降り立った彼女は、着地音も足音を感じさせない静けさで、そのまま走って速度を上げてゆく。そしてある地点で、彼女は虚空に向け再び手を伸ばした。
シュッという空気が抜けるような音が僅かに発せられ、同時にヒトの右腕よりもずっとシンプルな断面を残して右肘から先が消えた。
否、右肘からは一本の線が延びている。それは夜に溶けながらも、確かにそこにあった。その線が導くように、ウィスタリアの体も空へと浮かぶ。
彼女は飛んだ。いや、跳んだと言う方が正確だろうか。虚空の先にある右腕、古い雑居ビルの屋上の柵をつかんだ右手をめがけて。
そして半ばで右手を離す。彼女の体は勢いを残し、砲丸のように空中を飛ぶ。そのままではビルの壁に突き刺さるのは避けられないように見えた。
「せぇのっ!」
気合いの声とともに、途中にあった街灯を足蹴にする。勢いよりはずっと軽い金属が擦れる音が響き、更に彼女は加速する。ついでに、更に上方へと方向を変えた。
少女の胸元が淡く緑色に発光を始める。より高く跳んだ彼女は、手が掴んだのとは別のビルの壁を蹴った。
メイド服のスカートを翻しながら、高飛びを終えたウィスタリアは夜空に浮かぶ。胸の光に呼応するように、猫耳がぴこぴこと動き、だらりと下がった尻尾はピンと立った。
この服装はほとんどただの趣味だったが、猫耳と尻尾は姿勢制御のパーツの一つである。もっとも、同じ機能で別の見た目をしているものは数多くあるのだが。
「さぁーって、目標はどこですかにゃーっと」
薄い表情でそう呟くと、眼下の町に意識を走らせる。相手に張り付けておいた"星"は未だに二人を追いかけていたが、大まかな距離しかわからないので、星から見える光景と自分の今の視界を照らし合わせて位置を確認しなければならない。
それでもすぐに相手を認識すると、そちらに向けて自分の位置を修正する。今度は伸びた右腕がマンションのベランダの一つをタッチした。
「方位よし。距離よし。録画・・・・・・よしにゃ。んじゃ、ごー!」
速度を保ったまま緩やかに落ちてゆく我が身に、ウィスタリアは命令を下す。取るのは頭上。彼らの付近にあるビルめがけ、右腕が再び空を飛んだ。
「さぁて。オオカミさん、早く来てちょーだいにゃっと」
単純な戦闘能力では、ガオよりも彼女の方が劣っている。普通にやり合っては、彼女に勝ち目はないのだ。
そして、あれだけの<パワー>を使って魔力の痕跡を漂わせていては、他のライバル達も簡単に標的を見つけてしまう。つまりそう、ここからは何もかも時間の問題だった。
夜闇に沈む空間に、緑の燐光が灯る。街の街灯の中では消えてしまいそうなほど儚いそれは、踊る妖精が落とした鱗粉かはたまた悪趣味な人魂のようにも見えた。
その光が浮かび上がらせたのは、獲物を探すウィスタリアの横顔。胸の魔力炉<エンジン>が全開になり、速度を加速させてゆく。しかしこのボディの質量では自由自在に空を翔ぶと言うわけにはいかず、先ほどまでと同じように手足を使って滑るように加速してゆく。先ほどまで感じていた風の圧力はきれいさっぱり消え去っていた。
一瞬、窓際に手を付いてから離れる。一瞬、出しっぱなしの洗濯物を横目に、物干し竿を蹴り外す。一瞬、遅くまで残業してる男と目があった。
「にゃひひ、お疲れさま♪」
反射的に笑顔で手を振り、更に加速して夜の闇へと身を踊らせるウィスタリア。彼女が描く緑白の軌跡を眺めながら、男はぼんやりと頬をつねった。
そんな風にしながらも、追跡させている"星"の映像と距離感を元に、彼女は着実に獲物へと近づいてゆく。そしてその眼が路地裏を行く二人を映した時、キラリと輝いた。
「敵影発見! それじゃやってやる、にゃー」
わざとらしい口調の変化は、コスプレの練習と緊張を隠すため。時を経て今は生身から変わり果てた身になっていても、そういう感情は中々消えないのだった。
夜を切り裂くように、そこかしこで光が乱舞する町中を、二人は身を潜めるようにして足を早めていた。
先ほどの襲撃の余韻に身を堅くし、時折周囲に視線を這わせる。その視線が周囲の人々と絡み合う度、騎士は姫を反射的に後ろに隠すのだった。
切り裂かれたコートから覗く白い肌と、どこかで見たような顔。元のゲームの流行故、多くの人がどこかで彼女らの顔を見た事があった。時には追従して写真を撮ろうとする人々に追い立てられるように、二人は人気の無い所へと歩を進めてゆく。
「やはり、あの男から辿られたのでしょうか?」
「恐らくはそうでしょう。この地は、我らの国よりも諜報が優秀らしいですね。もう追っ手を差し向けてくるとは」
「はい。あのケイタイデンワやパソコンとやらを見る限り、我らの情報は筒抜けでありました」
「それに、予言めいた事も書かれていました。私たちがたどり着く運命も・・・・・・。勿論、信じませんが」
そう言いながらも、姫は自身を包むコートをきゅっと引き寄せる。寒さを感じたわけではない。男に教わった通りに自分達に関係する言葉を検索する度に現れた情報と、それを付随する下卑た感想を思い出し、寒気が走ったのだ。
「だが、しかし。少なくとも途中までは当たっていました。そして我々の情報も、まるで賞金首のように書かれていた」
「姫様・・・・・・」
「すまない。この地に来た事、間違いだったかもしれません。何もわからぬまま、羽虫のように網に囚われるのが我らの定めなのかも」
自分自身の言葉に俯き、姫は足を止める。騎士は周囲を油断なく見渡してから、控えめな仕草で、俯く姫の手を取った。
「ご安心ください。姫様の御身は、私が命に代えてもお守り致します。・・・・・・誓いにかけて」
「ジョゼット。その言葉もまた、予言の中に記されていた」
「はい。しかし、この言葉は気に入ったので使うのです。運命や予言など、私たちが気に入った場所だけ切り抜いて、後は捨ててしまえばよいのです。ご自身の判断をお信じください」
包み込むようにその身を近づけ、耳元で囁くように放たれた言葉に、姫は幾分か表情を柔らかくする。
「ふふっ。そうだ、私には貴方が付いていたわね。幼き日より、この身を守るナイトが」
「はい。この身は常に、御身の傍に」
その言葉を契機に、彼女らは互いの体を触れ合わせる。外套からこぼれでた騎士の胸元に、姫の顔が触れたとき、一気に騎士は姫を抱き寄せた。
「姫様、新手です!」
小声ながらも耳元で鋭く発せられた言葉に、姫は身を堅くする。それを安心させるように一度抱きしめた後で、騎士は街灯の及ばぬ夜闇へと鋭い目を向けた。
「先ほどのモンスターの仲間か!?」
次の声は周囲によく響いたが、返答はない。それを是と捉え、騎士は路地裏へと姫を連れて走る。
背の高い雑居ビルが乱立する地域を、場違いな二人が駆け抜ける。走りながらも周囲を睨み、敵を確認する騎士の目に、白を基調とした特徴的な服が映った。
「女中・・・・・・か?」
「せいかーい。メイドさんでぇす!」
呟いた声に返答があった事に驚く騎士。その声の主は、右前方のビルの3階非常階段で仁王立ちして動きを止めた。
「もう逃げられないんだ、にゃー。さ、観念なさい☆」
わざわざ右半身で斜に構え、右の人差し指を突きだしたポーズでそう宣言するウィスタリア。
それに対する無言の返答として、騎士は今一度自分の剣を創造する。薄暗い闇の中に光る刀身が瞬時に浮かび上がり、慣れ親しんだ重さを両手で支える。同時に再び鎧がその全身を覆い、形を成した。
「あーあ、そんな力を使わない方がいいのにー。結構、消耗しちゃったんじゃない? ・・・・・・じゃにゃい?」
「黙れ! 私は、姫様を守るのだ!」
後ろに譲れぬモノを背負い、騎士が吠える。凛々しきその言葉に、ウィスタリアは冷たい表情を返した。
姫が騎士の後ろに数歩下がってひざまずく。目を閉じて先ほどと同じポーズを取ろうとした刹那、視界の端に白いモノが飛んだ。
「ジョゼット! 危ない!」
「なっ、姫様!? くうぁっ!」
姫の叫びに上げた声が、瞬間で苦悶へと変わる。騎士の背中を、紫に輝く鉄パイプを持った手首が撃ち据えたのだ。
そして次の瞬間、ウィスタリアの右手が発射される。それは一直線に騎士の右手首をガッシリと掴み、そこから紫に光る燐光を吐き出させる。頭上のメイドへと向けられていた剣先が、ずしりと地面へ落ちた。
「これは・・・・・・力が・・・・・・抜ける・・・・・・?」
大剣の柄を左手で支えながら、騎士は惚けたように呟く。しかし、それも一瞬のこと、彼女は大剣を捨て、左手で右手を掴む手に挑みかかった。一度に取れぬほどしっかり握られているとわかると、指の一本ずつ引き剥がそうと試みる。焦りに、目が曇った。
「引っかかった、にゃー」
その一瞬を狙いすまし、ウィスタリアは手首の取れた左腕を前に出す。大理石のような白い腕は、その内側に緑に輝く宝石を飲み込んでいた。
宝石が瞬間的に強く発光し、左腕の手首の根本から魔力による透明なエネルギーが打ち出される。
それは右肘から伸びる線に沿って疾り、騎士に着弾するとバシッという音と共に一瞬輝きを増してからはじけ飛ぶ。その衝撃に仰け反ろうとする騎士をウィスタリアの右手が繋ぎ止め、同時に背中にもう一度、鉄パイプを見舞った。さらに時を置いてもう一度、色のない弾丸で打ち据える。
「うああっ!」
「次でノックアウト? かにゃー。これでアタシの勝ちっ!」
幾度かの衝撃に耐えかね、右手を吊り下げられたままで騎士は膝を折る。その手からは今も力が抜け続け、既に感触がなくなりかけていた。
得意げな表情で、ウィスタリアが左腕を騎士の頭へとポイントする。同時に先ほどよりもじわりと宝石が輝きはじめ、より深い碧色へと染まってゆく。
「ジョゼット!」
「姫・・・・・・様・・・・・・っ」
姫の悲痛な声。それにかすれ声で答えながらも、動けない騎士。月をバックにしたメイドの顔が、勝利の確信ににやりと歪んだ。
「ひめ・・・・・・さま・・・・・・。申し訳ありません」
「そんな事を言わないで。貴方は、私を守るのでしょう? 信じてますよ」
「っ!?」
姫の声が終わると同時に、その体が赤く発光し始める。反射的にウィスタリアは威力を高めていた魔力弾を打ち出した。しかし慌てていたために狙いはそれ、騎士の脚へと命中する。
脚が捻じ折れるほどの衝撃。しかし、騎士は立ち上がる。いつの間にか、姫の灯火が燃え移るように、騎士の体からも溢れだしていた。
「守るべき対象に護られるなど、紅顔の極み。けれど、その羞恥は今は忘れましょう。姫よ、少々お待ちくださいませ。すぐに片づけて参ります!」
その言葉と同時に、騎士は左手で右腕を掴む手を無造作に引き剥がす。そして今度は、伸びたままのウィスタリアの手首を握りつぶそうと力を込めた。
「冗談じゃないわ! これ高かったんだから!」
その言葉と共に魔力弾を連射する。それを左腕で防御した隙に、ウィスタリアは自身の右手を戻す。左手首の方は、既に騎士の背後から消えていた。
「名も知らぬ刺客よ。覚悟してもらおう」
そう言いながら、左手で軽々と大剣を拾い上げる騎士。それに左手を添えて正眼に構える。その威圧感に、メイドはぶるりと身を震わせた。
「これが本気ってワケ? あーもう、ヤバそうぅ」
「さあ・・・・・・行くぞッ!」
鎧の上から身に着けていた外套を脱ぎ捨て、体から鮮やかな赤色光を迸らせながら、3階の高さへと一時に騎士が飛び込んでくる。上段からの斬撃を横に飛んで回避しながら、ウィスタリアは隣のビルの壁へ飛び込む。
「もー! 今回は簡単に行くと思ったのにぃぃぃ!」
叫びながらも、三角飛びの要領で壁を蹴りだして加速する。本当の戦いが、始まろうとしていた。