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既に黄昏を越え、宵闇の近づく町の片隅。誰もが自分の道を急ぐ中、急に二人は呼び止められる。
「そこゆくお嬢さん方。ちょぉっと待ってもらえないかな?」
その言葉に二人は足を止め、声をかけてきた者を注視する。深くフードを降ろした青年は、うつむき加減で壁に背中を預けながらその視線を受け止めた後、ゆっくりと顔をあげる。
「いやぁ、マジでそのまんまだな。"白金の姫"サマと銀環石の騎士ジョゼット」
極近しい者と主人以外には知らせていないはずの名前。それがこの世界に来て何度も喋られている。その事実は、騎士に警戒と敵愾心を呼び起こさせる。姫をかばうように前に立つと、人目を気にするように周囲を見回した。
「この辺りの路地裏は、夜になると誰もいなくなる。だから安心さ。・・・・・・お前さんも、俺サマもな」
その言葉と共に上着のボタンを外せば、押さえつけられていた体躯が弾けるように姿を現す。屈強な筋肉の上にうっすらと毛皮が生え、背中側からは尻尾が顔を覗かせる。あり得ないレベルの着やせを達成していた青年は、フードごと上着を投げ捨てた。
出てきた顔は、まさに猛獣のそれ。鋭く延びた犬歯、獲物を捕らえて離さない眼光、これから始まる出来事を期待して凶暴に歪んだ笑み。真っ赤な舌が、べろりと口周りを撫でた。
「貴様・・・・・・モンスターか!」
「俺サマは"亜人"だよ。まあでも、アンタにとってはモンスターと変わらねーかもな」
「なるほど。姫、お下がりください。この不埒者は、私にお任せを。『心剣鎧身』!」
騎士が外套を外しながらそう叫べば、服に重なるように全身鎧が彼女を包む。重さなどなさそうな透明な鎧があっという間に色彩と密度を得ると、いつの間にかわずかに浮いていた体が落ち、ガシャリと音を立てた。
そして虚空に現れた柄を引き抜くと、根本から発光する刃が出現する。生まれたての鎧と両手剣を身に纏い、騎士は戦いの準備を終えた。
「おぉ、ムービーの光景を実物で見るってーのはなかなか乙なもんだ。じゃあ、俺も"準備"するぜ!」
「愚かな。そのようなこと、させるわけがあるまい!」
のんきに見物していた青年に対し、騎士は容赦のない斬撃を繰り出す。しかしガオは、焦るでもなく両腕をクロスさせて、その剣を受け止める。血しぶきの代わりに、水銀のようにも見える液体が宙に飛んだ。
「何故斬れない、って顔だな。ゲームとは違って、この世界じゃ作ったモノは、"定着"するまで時間がかかるんだよ!」
その言葉と共に蹴りを入れるガオ。鎧で受けたはずの一撃は重く体に残り、彼の言葉の実感を強くする。――――彼女の武具は今はまだ見た目だけのモノであると。
「まあ見とけ。これが俺サマの変身だ! ウオォォォォン!」
月に向かって一声叫ぶと、ガオの体が変わり始める。体は一回り大きくなるように分厚い毛皮が生え、手からは長い鉤爪が存在をアピールするように街灯の明かりを反射して輝く。そして半分獣のようになっていた顔が完全に狼のそれになると、明確な歓喜を込めてガオは雄叫びをした。
「さぁ、やろうぜ! 騎士のアンタは、殺して食らう! 姫サマは、カラダを楽しんでから食ってやるぜ!」
「貴様、言うに事欠いて! そのような真似、私が止める!」
互いに激情をぶつけ合った後、僅かな時間二人は間合いを保ったまま動きを止める。そして騎士が何度か刀身を揺らめかせた後、気合いの声と共に人狼となったガオへと踏み込んでいくのだった。
戦いが始まってしばらくの間は、騎士が身につけた装備を試すかのような消極的な攻防が続いた。ガオの方も無理には攻めず、観察するような攻撃に留まる。しかしすぐに騎士の斬撃が人狼の毛皮を掠めるようになる。
「はぁっ! どうした、威勢が良かったのは最初だけか!」
ガリガリと壁を削りながら、騎士は横薙ぎの斬撃をガオへと振りかざす。とっさにガオが身を伏せると、そこに叩きつけるように頭上から両手剣が振り降ろされる。
「いやぁ、さすがは王国随一の剣士サマだぜ。剣の軌道は素直だが、いい振りしてるな」
バックステップで避けながらガオがそう口に出す時には、すでに騎士はくるりと剣を回して、胸元へと剣を突き込んで行く。それもブリッジするように何とか回避すると、崩れた体勢の中、脚の力だけでガオは壁へと飛んだ。
「実は歌も得意な声なんだからさあ、会話に付き合ってくれたりしてもいいじゃんかよ」
「黙れ! 戦いの場で言葉など必要あるものか!」
ぴたりと壁に張り付いて文句を付けるガオに切り裂くような返答を返すと、騎士は正眼に剣を構え直す。その様子を見据えると、ガオはイヤな笑いを浮かべた。
「そうかい。それじゃ、そろそろあえぎ声を聞かせてもらおうかねぇ」
言葉と共に幾度か壁を蹴り、勢いをつけてからガオは一直線に騎士の元へと向かう。単純な勢いはあるが、それだけの攻撃。タイミングを合わせた横振りの斬撃が、彼の体を捉える。先ほどとは違い、今度こそ致命傷を与えるはずだった。
舞い散る毛。しかし剣閃はガオの肉体を損なうことなく、左腕に当たってその勢いを弱める。獣の体当たりが命中する前に騎士が聞いたのは、愉悦に狂う人狼の笑い声だった。
「実はサァ、最初の斬撃。剣がハリボテだっただけじゃなくて、元々俺サマには通用しないんだよね」
路地に騎士を押し倒し、鉤爪でその頬を撫でながら勝ち誇って告げるガオ。同時に姫の方にそこらの石ころを投げ、悲鳴を上げさせる。
「お姫様にも強化してもらえれば、武器が通じるかもしれないのになぁ? ホラ、守り手の騎士がこのままじゃやられちまうぜ?」
「ジョゼット! ・・・・・・彼女を離して!」
悲鳴のような要求を笑い飛ばし、手近な石を投げつけて、今度は腕に命中させる。痛みに耐える姫を横目に見ながら、組み敷いた騎士へと愉悦に満ちた目を向ける。喉の奥底から、唸り声が漏れた。
「ゲームでは分断されてから、数の暴力でヤられてたけどよぉ。俺サマなら、武器無効ってだけでコレよ。お前らが襲われるシーン見ながらさぁ、想像してたんだよ。こんな風にしてやりたいってナァ!」
「くっ・・・・・・ゲスな男め・・・・・・」
「恨むんだったら、そういうジャンルに生まれたお前等の存在を呪えよ。さあ、騎士の鎧を一枚ずつ剥いで、ハラワタを引きずり出してヤるのがいいか。それとも、騎士を張り付けにして姫の方で楽しむのもよさそうだなぁ?」
「・・・・・・この銀環石の騎士を、舐めるなっ!」
鎧の接合部をガリガリと適当にこすりながら、姫の方にも剣呑な視線を向けるガオ。完全に彼が油断した刹那、騎士は全力を持って人狼を跳ね退けた。
全く予想していなかったらしく、ガオは無様に尻餅をつくが、すぐに体勢を立て直し立ち上がる。その間に、騎士はもう一度姫と人狼の間に立った。
「イイねぇ、その調子だ。がんばれがんばれ。もっと俺サマを楽しませてくれよ」
「姫様、ご無事ですか」
「ええ、ジョゼット。大丈夫よ」
自分の言葉に反応せず、無事を確かめあう主従。その姿を見て、興奮を一段と強くするガオ。我知らず溢れでてくる涎を拭った。
「決めた。やっぱ二人ともハラを裂く。んで、並べてヤるわ。そんだけ仲が良いんだ、お互いの中身を入れ替えてから喰ってヤる」
自分の欲望を懇々と語る獣の姿に、自らの体で姫への視線を遮る騎士。その瞳は、悲壮な決意が宿っていた。