子どもなんて嫌い
子どもなんて嫌い。
すぐ騒ぐし。
汚いし。
泣くし。
生意気だし。
だから自分が母親になるのだと医者から宣告されたとき、すぐにその子どもはいらないと、書類を要求した。サインは明日以降にもってこいと、先延ばしにされたが、まだ3か月もいってないくらいだから、大丈夫。恋人にもまだ体調が悪いことしかばれていない。生真面目な彼のことだ、言えばたちまち結婚だとか騒ぎ始める。まだそんな気はない。
子どもは反吐がでるほど嫌いなのに。そういうことをするのが悪い。そういわれても食欲、睡眠欲に並ぶ三大欲求だから仕方がないじゃない。すでに成人しているし、誰にも迷惑はかけないから。いいじゃない。
コンビニに、伝線したストッキングの替えを買いに行く。体はだるいけれど、1週間以内にそのだるさからも解放される。ただの風邪だと思えばいいと言い聞かせる。だるくても、仕事はなくならない。これから取引先にあいさつ回りにいくのだから、このままいけない。
「……何」
そんな私を、なぜか至近距離でながめる、5歳…6歳くらいの男児がいた。コンビニの中で子ども一人。そんな異質な状況なのに、周りで雑誌を立ち読みする中年男性らは見向きもしない。
まぁ、雑誌の中の、目の大きくてスタイルの良い女の子のほうが興味あるものね、そりゃあ。別にそれは気にしない、男はそういうものだし、女もある意味そういうものだ。「TPO」をわきまえつつ、三大欲求には逆らわない。
「お父さんは?」
子どもは嫌いだし、苦手だが。おっさんたちが役に立たないのなら仕方ないと、営業スマイルで声をかけた。
「知らん」
「お母さんは?」
「知らん」
やけに目つきのきつい、不機嫌そうな子どもだった。私も釣り目だから、一種の親近感を覚える。いけない、それよりストッキング。
「ちょっと、どいてもらえるかな、君」
「俺、名前ないんだ」
「は?」
子どもに名前がない?誰よ、この子の親。名前すらわかんない子どもって! 教育行き届いていないんじゃない。
「つけてもらえないんだ」
「……それおかしくない?」
私は子どもの肩に手を置き、心配そうな表情を見せる代わりに、そのどさくさにまぎれてストッキングを手に取った。よし、これであとはこのガキをコンビニ店員か誰かに託して……
「名前つけてくれよ、――“お母さん”」
「へ?」
その一言を残し、その子どもの姿は一瞬にして消えてしまった。
子どもなんて。
うるさくて、汚くて、泣き虫で、生意気で、大嫌い。
だから妊娠が分かった時はすごく落ち込んだし、駆け込んだ産婦人科医には「オロス」と言った。なんとも微妙な顔でわかりました、と同意書を取り出した女医さんだったけれど、これは私の選択だ。恋人にも見つかる前に、ことを運びたい。出産なんて考えたくもない。
「なのに」
まるで子どものいたずらのように、手術の同意書を帰宅した恋人に見つけられ、問い詰められた。私が何も言わなかったのに、賢い彼は推測して、心の底から喜んでくれた。でも。
「生まない」
そういうと。彼はしばらく沈黙した後、一晩寝て考えてみろと、私を布団に誘なった。体もだるいし、一応「身重」の私に対して何かしようとも、彼は思わないようだった。
そう。脳裏に浮かぶのはコンビニの子ども。
めまいがして、座り込んだそこに突然現れた――至近距離で私を覗き込んだいた子ども。ストッキング売り場を隠すように立ち、私に言い残して消えたあの子ども。
「名前……か」
つけるなら、あんな悪ガキそうだったし。
「カケル、だな」
いつまでも駆け回っていそう。彼が走り回っている姿を想像し、私は不意にほほ笑んでしまった。
「どうした?」
横で寝ていた恋人を起こしてしまったようだ。
「ううん、何も。今日コンビニであった悪ガキがね、自分に「名前をつけてくれよ」とか言うから。もし私があの子につけるとしたら、かけるって名前だろうなって……」
「へぇ」
「でも、あの子私のこと――「母さん」って呼んでさ」
「……ちょっと待て」
「ん?」
「それ、俺たちの子どもじゃないか」
「はぁ!?」
「生まれたい、意思だろ」
「意味わかんない。そもそも、まだ3か月だし、そんなオカルトじみた話信じられない」
(そんなはずはない)
私のおなかの中にいる子種が、自分の未来の姿を見せただなんて考えられない!
翌朝。
私は同意書をもって病院に行く。恋人に何度止められても、それだけは決めたことだったから。でも途中でコーヒーが飲みたくなって、昨日立ち寄ったコンビニに再度やってきた。
イタ。
私が目的としている珈琲の販売コーナーで、まるで私を待ち受けるかのように、昨日の彼はいた。だから開口一番こう声をかけてやった。
「邪魔よ」
「ありがとな!」
「え?」
「カケルって名前。僕、好きだよ」
珈琲売り場で立ち尽くす私にそう捨て台詞を残し、コンビニから出ていった男児の背中は、光の中ですっと薄れて、いなくなった。
「偶然、だよね」
彼は自分の口から「カケル」と言った。でも、そんなはずはない。
――そんなはず。
――そんなはず。
「お帰り」
「ただいま」
家に帰った私は、早めに帰宅していた恋人に、ねぇ、と声をかけた。
「どうした?」
彼は優しい口調で、私に近寄り、横に座り込んだ。彼は、もうわかっているのかもしれない。
「あのね。私ね。今日病院行ったんだけど」
「うん」
「同意書、道の途中で無くしちゃって」
「なくしたの?」
「コンビニの、ゴミ箱のとこで、間違えて捨てて」
「……うん」
「だから」
「うん」
「……産休って、うちの会社とれるかな」
「とれるだろ、今のご時世。少子化対策に貢献するんだから」
お読みいただきありがとうございました。お気に入りの過去作品でしたので、お読みいただけ光栄です。