領主 アーロン
ちょっとした時間つぶしにどうぞ
「それでは本日もさっさと公務を果たしていきますよ」
「いやいやいや。それはもうお前の仕事にしてるから。俺は外に出て体を鍛えっ――」
「そんな戯言はどうでもいいからサインしろ。とりあえず内容については説明してやる」
こんな感じで始まるアーロンとエミリオの朝。二人は執務室に入る――というより、エミリオが閉じ込めると、アーロンによる公務が始まる。
アーロン・スル・デュラン。二十六歳になる若き領主だ。ポルペイン王国の王都から離れた地方にあるデュラン領の領主である。アーロンが経営する領地のデュラン領は、王都の南部にある沿岸部にあり、常に海上からの脅威にさらされた地域だ。同時に海産物に恵まれた漁場豊かな土地でもある。王都とも離れている上、主要な海上航路ともなっていないため大きな港はなく、小さな漁港や漁村が沿岸部に点在している。
内陸部は少し小高い山があるだけで、あとは平野が続いているが、あまり開拓が進んではいなかった。アーロン領の目下の目標として、少しでも土地を切り開いて農地とし、農産物の確保を行うことにあった。
しかしここで一つ問題があった。大問題であった。それは現領主であるアーロンの事務能力が壊滅的であること。その為、執事であるエミリオが 事務作業を代行することによって成り立っている。だが、全ての事務作業をエミリオが行っている訳ではない。諸手続きなどを済ませ、基本的な方針を考えるエミリオは、最終的な判断をアーロンに仰ぐ。何故か。アーロンの動物的勘が馬鹿にならないからだ。先例がある。先代が急逝し、若くして領主を継ぐことになったのが五年前、アーロンが二十一歳の時だ。エミリオも次代の執事となるべく、少し前から執事修行を始めた頃だ。これまで領地経営といった経験はなく、書類作業をこなす事になったアーロンだったが、そこで事務能力が壊滅的に崩壊していることが分かった。その為先代の執事とエミリオは領主代行として雑務をこなしていた。そんなある日、たまたまアーロンの目にとある書類が目に入った。その書類は水路の計画書類である。アーロンはそれを見るなりすぐに取り掛かるように命をだしたのだ。もちろん執事二人はこれに反対した。今はそれより優先すべきことがあると考えたからだ。しかしアーロンはこれを強行した。さらにこの事業を最優先とさせた。当時の執事たちは暗愚な主人に辟易とした。
(この領地もこの代までか)
これが偽らざる当時の本心だった。そして最優先で作らせた水路は着手から二年後にほぼ完成した。その年この地域一帯では稀に見る水不足となったのだ。しかし急ぎ作らせていた水路のお蔭で、最低限の水は確保され、農作物も深刻な被害をギリギリのところで回避されたのだ。
そんな先例が何度かあった為、最終確認の時はアーロンにやらせる体制が整ったのだった。
「ところでマヤがどこに行ったのか知らないか?」
エミリオの読み上げる書類を無視し、
「そんなにマヤ様の居所が知りたければ、ここにある書類をとっとと決裁しろ。とりあえず私の手元にある書類で本日の分は終わりだ。そしたら後は自由にしたって問題ない」
パンっと叩いた書類の数はまだまだあるものの、頑張って決裁したなら本当に午前中で終わりそうな量だ。
「その言葉、覆すなよ」
「覆しませんよ」
そう軽口を返すと、二人は公務に没頭するのだった。
――ただし、書類は午前に終わることはなく、昼食後しばらくして終わったのだった。本日もデュラン家は平和である。