クロマツの五年~それぞれの月日
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瞬くと、幼馴染の見慣れた部屋の壁紙があった。
五年ぶりだというのに何も変わらない雰囲気にヨシタカはどこか不思議な気分になる。
「久しぶりなのに全く変わってないな」
部屋を見渡すと、小学校から使っている学習机がまだそこにあった。小さな炬燵も、中学校の時に一緒に買って貼ったグラビアアイドルのポスターだって、色褪せてはいたが確かにそこにあった。
「なにも変えてないからな」
丸坊主のタクミは自分でも久しぶりのように部屋を見渡して笑う。
「でも、震災の時はさすがにぐちゃぐちゃだったよな」
同じく幼馴染のシュウヘイが思いのほか感慨深げに付け足す。
「この部屋にはタンスとかもなかったから危険はなかったけど、本棚の本とかはさすがに散乱してたよ」
タクミは笑って当時を振り返る。
「それにしても、もう五年か」
そんな言葉に、三人は窓外に目を向ける。遠くに、何事もなかったかのように梵鐘が吊るされている。
「あれが落ちちゃったんだもんな」
当時の情景が思い起こされてヨシタカは思わず身震いした。
「鐘が落ちたことなんて全然なんてことなかったよ。それより、ここを頼りにして来てくれた人に何もしてやれなかったことの方が心に残ってるな」
寺の跡取りであるタクミは苦々しく顔をしかめる。当時、寺は避難所としては機能を果たした。だが、収容人数がまもなく一杯になった兼ね合いでやむなく受け入れを拒否した事実もあり、彼はそれを今でも気に留めているのだった。
「―――なにこのしみったれた空気? 俺、入るタイミング間違えた系?」
無遠慮に襖が開けられたかと思うと、やはり昔馴染みのケンジが入ってきた。彼は他の三人の気配などお構いなしにヅケヅケとコタツに足を突っ込んで暖を取る。そして全然隠し切れていなかった日本酒の瓶を懐から取り出し、これで役者は揃ったみたいだな、とカッコつけてみせたのだった。
ヨシタカは震災で家を失ったこともあり、大学進学に合わせて両親と共に上京した。在学中は一度も故郷を訪れなかった。もうそこに自分の生まれ育った家がなく、帰る理由がそもそもないというのは尤もだった。しかし、それ以外にも皆が大変な時期に投げ出すように故郷を離れたところにどこか後ろめたさを感じていたのも確かだった。
「今日は極上モノを用意したから、遠慮なく食え」
皿に載せた牡蠣を見せながらニンマリとしてケンジは言う。震災直後に壊滅的な打撃を受けた養殖場も今では復興し、【牡蠣復興支援プロジェクト】なるものに参加しているケンジの会社の業績は堅調に推移しているという。当時、惨状で笑顔すら消えていた痛々しいムードメーカーの姿も今では想像できない。
「ケンジ、お前んとこまだ決まんないの?」
鍋をつつくシュウヘイの質問に、ヨシタカはついていけない。ケンジは何の気なしに、ああ、とだけ頷く。
「予定は?」
「全然」
取り残されている気分を察してか、タクミはヨシタカの器に大ぶりの牡蠣をよそりながら、家の話だよ、と教えてくれる。
「そうそう、こいつんち、まだ仮設なんだよね」
シュウヘイは馬鹿にしたように告げるが、ヨシタカはどう反応していいかわからない。するとケンジは笑って彼の肩を叩いて、
「いいのいいの、俺なんて、寝に帰っているようなもんなんだから」
と言い放った。
五年。この底抜けに明るい幼馴染がその歳月を仮設住宅で過ごして来たという事実に、ヨシタカは少なからず衝撃を受ける。そして、今なお仮設住宅に多くの人が住み、かつ、転居の目処が立っていない現実をシュウヘイに教えてもらった。
ヨシタカは大学の四年間、何不自由のない暮らしをしてきた。正直、その年の四月に東京に移り住んでからは震災の爪痕などすぐに消え失せていた。時折、故郷に思いを馳せることはあっても、それは自分が幸せに過ごした原風景に郷愁を覚えていたに過ぎなかったと思う。
「しかし今回の同窓会、ヨシタカが来てくれるとは思わなかったな」
何の気なしにケンジは言ったが、タクミは彼を鋭く睨み、
「バカ、俺たち幼馴染なんだから当然だろ」
と告げた。
自分はどうして今回、同窓会に参加しようと思ったのか。ヨシタカは幼馴染に気を使わせている自分に嫌気がさしながらも考えた。自分は生まれ育ったこの町が好きだった。この町も、この寺も、無くなってしまったけれど、学校だって、家だって・・・挙げたらキリがない。でも、惨状に向き合って戦うものもいる中で大学進学という理由を盾に逃げ出した。苦しかったのだ。あの惨状に向き合うのがどうしても。でも、逃げ出したことには変わりなかった。
「そう言えば、ジュンは来ないの?」
気まずい雰囲気を吹き飛ばそうとヨシタカは明るい声を上げる。ジュンとは幼馴染のグループで唯一の後輩だった。一学年下の、背伸びばっかりするようなマセた、でも可愛い後輩だった。
「あいつは来ないよ」
ケンジは明るい声で言う。
「あいつは、一番忙しいからな」
そしてそう付け足した。
景気の良いケンジをもってそう言わしめるジュンが何をしているのか気になったが、幼馴染たちはそれについて語ろうとしなかった。
四人は幼い時の思い出話や現在の状況など、積る話が尽きなかった。日本酒が進み、悪態をつき始めた酒癖の悪いケンジを皆で宥めるのも、ヨシタカには懐かしく感じられた。皆、変わらない。確実に震災を機にそれぞれが変えられてしまったにも関わらず、幼馴染たちは変わらず自分を迎えてくれたのだ。空になった鍋を覗き込んだケンジの頭を皆で抑えつけながらも、ヨシタカはそう思ったのだった。
翌朝、早くに四人は家を出た。ケンジは二日酔いだなんだとテンションが低いながらも捲くし立てたが、三人はそ知らぬ素振りで彼の脇を抱えて連れ出した。
ヨシタカと同じでもレベルの違う東京の名門大学に進学を決めていたシュウヘイだったが、彼はそれを辞退してまでも地元のボランティア団体に籍を置いていた。彼は今では、ボランティアをしたい人とボランティアをしてほしい人を繋ぐ活動をするNPO法人で活躍している。
四人はその日、シュウヘイの紹介で海岸線に防風林として機能するクロマツの苗木を植林するボランティアに参加した。ヨシタカは正直、慣れ親しんだ景色が変わり果てた姿を見たくはなかった。彼が最後に見た景色は、震災後一か月でまだ瓦礫の撤去など手つかずの状態だったから。
「どや、あれがうちの養殖場じゃ。すごいやろ」
「お前関西人じゃないし」
「東北人だし」
「てゆーかイントネーションもろ東北訛りだし」
海を見渡せる丘に着いた時、自慢気にボケたケンジに三人で各々ツッコみを入れる。入れながら、ヨシタカは景色に目を奪われていた。ここに来る途中、目に焼き付いていたあの日の光景がウソのように町は整然としていたのだった。家の残骸や倒れた電柱、折り重なった車なんか、一つもなかった。見事に整地された土地を見て、彼は複雑な思いを抱く。抱きながら、でも、ケンジの養殖場を見て僅かでも希望を抱ける自分を見つけたのだった。
四人は精力的に働いた。植林は決して楽な作業ではなかった。慣れない仕事にヨシタカはすぐに足腰が痛くなった。でも、絶対に根を上げなかった。幼馴染たちに笑われたって、心配されたって、必死にその作業を全うしたのだった。
「タクミもヨシもキツかったろ」
ボランティアで提供された握り飯とお茶を持ってきたシュウヘイが笑った。作業は終わり、丘の上に三人並んで腰かけて休んでいた。視界には海岸の稜線に沿って、植林してきた苗木が延々と続いている。
「今日は結構キツかったな」
そんな弱音をケンジが吐いたものだから、ヨシタカはタクミと目を見合わせて笑った。
「今日の作業は終わりだから」
シュウヘイはそう言ってから、タッパーに入っている残りの握り飯を周りのボランティアの人たちに配りにいってしまった。
「あいつ、あんなに逞しかったっけ」
ヨシタカは少し大きくなった気がする彼の背中を見ながら呟く。
「いや、どっちかって言うとちっちゃい頃はあいつが一番ひ弱だった」
応じながらタクミは塩むすびに噛り付く。
「一番、泣き虫だったよな」
ケンジの声に、珍しく他の二人も頷く。
「震災があいつを変えたんだな」
「ああ」
「かっこよくなりやがって」
「なんだかくやしいな」
「泣き虫だったくせに」
「ああ、泣き虫だった。トビキリの」
口々に悪態をついた後、遠ざかる彼の横顔を見ながら三人は吹き出したのだった。
ボランティアが終わると、シュウヘイはそのまま活動の補助をつづけ、ケンジは会社に戻った。ヨシタカはタクミの運転する車で高台までドライブしていた。
町を一望すると、ヨシタカは無性に叫びたい気持ちになった。
「バッキャロ―――!」
すると意に反してタクミが叫びだした。
海が見える。
町の足し引きなしの現状が一望できる。
「おいおい、坊さんがそんなこと叫んでいいのかよ」
ヨシタカを尻目に、幼馴染はもう一度、大きく息を吸い込んだ。
「バッッッキャローーー!!!」
そしてもう一度、さらに声を大にしてタクミは叫んだのだった。
墓地だった。閑静という言葉がふさわしい、静かな。二人はその墓石の前で、線香もあげずにただただ立っていた。
墓石の横の霊標に、ヨシタカは目を向ける。
「どれがどれだかわからん」
そう言ってタクミに助けを求める。
彼はその石板に刻まれた名前を指でゆっくりとなぞる。
「ここにいるんだな」
訊かれたタクミはしっかりと頷いた。そして、ここにいれることがどれだけ幸せか、とだけ呟いた。
恋をしていた。
炎は燃え上がり、身を焦がし、そして静かに、でも温かく、二人を照らした。大学を卒業したら結婚するのだと常々言っていた。疑う余地すらなかった。大きなケンカをした時でさえ、その気持ちは揺るがなかった。揺るぎない大切がそこにあったのだ。でも、それは唐突に奪われた。誰も責めることができなかった。やり場のない想いだけが狂おしく、自分の身を焼いた。そしてヨシタカは、この地を逃げるように去ったのだった。
帰り道、自動車の中は静まり帰っていた。タクミは気を遣って黙ってくれている。
「なあ、俺、この町に戻ってきていいか」
車が海岸線を行く段になって、意を決してヨシタカは口を開く。数年前に植林されたであろう防風林のクロマツが、少しだけ育った姿でそこにあった。
「一度出てった奴が何をいまさら」
意に反してタクミは冷たい声を浴びせる。
「そう言う奴もいるかもしれない。でも、少なくとも俺は歓迎するよ」
だが彼はそう言って横顔だけで笑ってみせた。
「でも住まいは? さすがにずっと俺んちで居候とはいかないぞ」
「わかってる」
「仕事だって」
「シュウヘイんところでボランティアしながら探すよ。この地に根を張って働くのが復興の一番の貢献だしな」
ヨシタカは何年前に植えられたかもわからないその木を見ながらそう告げる。
「なあ、ここに植えられている木って何年前のなの?」
そして何の気なしそんな質問をした。
「たしか、震災のごたごたが落ち着いてすぐだったと思う」
たぶん四年は経ってる、と幼馴染は大して考える間も無くそう応える。その答えにヨシタカは思わずもう一度その幼い木々たちに目を向けた。
四年前に植林が行われたとしても、木々はこれほどまでにしか育たないのか。身の丈を辛うじて超えるくらいまでしか成長していない並木を見やりながらヨシタカはそう思う。
瓦礫は片付けられたが、町はまだ平野が広がっている。建物のすべてが計画通りに建てられている訳ではない。まだ、復興は始まったばかりなのだ。五年の月日が経ち、人々の多くは日常を取り戻している。でも、それに隠れて苦しんでいる人たちも多くいるのだ。
今、自分にできることはなんなのか。
植えられた順にどんどん背が縮んでいく植林の並木を見ながらヨシタカは改めて考える。
復興とは何か、自分ができることは何かと。