見える男
地震を予知できる自信がある。その男は得意げにそう言った。ダジャレじゃあないぞ、と笑いながら付け加える。突然の告白に戸惑いながら、そうですか、としか答えられなかった。
たまたま立ち寄った狭いバーのカウンターで隣に座った男は、随分と使い古したスーツに身を包み、赤地に白の水玉模様が毒々しく映えるネクタイを付けていた。その顔立ちは三十歳前後に見えるが、服装のセンスからは六十歳とも見えて仕方がない。
「信じてないだろ」カクテルグラスをふらふら持ち上げて、男は笑いかける。親しくなってからの告白であれば信じると答えたかもしれないが、さして仲が深いわけではないため、曖昧よりもやや肯定的に答える。
「だろうな」自分の超能力か第六感かを否定された男は、さして落ち込んだ様子もなくグラスに入ったマティーニに口を付けた。
「まあ、こっちも万能ってわけじゃあない。何年後の何月の何日の何時何分なんて予言めいた物言いはできないからな。出来てせいぜい、五分以内だ」
男はそう言うと、バーテンダーに向かってグラスを持ち上げ、同じものをと声をかけた。
「もうそろそろ控えたほうが」グラスを磨いていたバーテンダーは少し渋った様子で男に言った。
男はむっとしたようにバーテンダーに噛み付く。「何を言ってるんだ。ここにきて、まだ二杯目だぞ。さらに三杯飲んで次の店に行っても、まだ飲める」
男はバーテンダーを急かすようにグラスを突き出し、バーテンダーは尚も渋ったが、とうとう最後には黙って頷いた。男はやや機嫌を損ねたように舌打ちをして、カウンターを指で何度も叩く。
そんな時、男の後ろにずっと立っていた二十歳過ぎほどの青年が、他人に聞かれたくない話でもするように男の耳元に顔を寄せた。途端に男の顔が綻ぶ。
「さっきの話、本当だということを証明しようじゃあないか」
男の言葉にわざと惚けたふりをすると、地震の話だよと念を押してくる。男は心して聞くようにといった様子で咳払いをすると、周りを気にするように見回した後、自信あり気に口にする。
「今から三分後、いや、もう少し早いかもしれないが、とにかく地震が起こる。場所は少し離れているが、ここにいても分からないことはない」
バーテンダーが作ったばかりのマティーニを男の前に置くと、どうぞと言って再びグラスを磨く作業に戻る。男は満足気に一口飲むと、一息吐くかのように深く息を吐いた。
男が黙ると、バーも本来の姿を取り戻してゆったりとした空気に包まれた。男が何もかもを急かし、時間をより速く進めていたような気配さえあった。
ほどなくして、ガラスのぶつかり合う音がバー全体を包み込む。カウンターに置かれたグラスも小刻みに動き出した。地震だ。
直ぐに収まったためグラスが割れるようなことはなかったが、余震を警戒してかバーテンダーは両手を広げて、瓶が落ちないように待ち構えていた。
「ほらな」男は嬉しそうに顔を向ける。どうだと言わんばかりだ。
すごいですね、と言った後、鎌をかけるように、後ろの人はと付け加えた。男は驚いたように目を見開き、そして恥ずかしそうに笑う。
「あんたも見えていたのか」そして男はバーテンダーに聞こえないように声を潜めて語りだした。
「私は所謂見える人でね。彼は半年ほど前に事故で亡くなったらしいのだが、その場所を通りがかった私に憑いて来てしまったんだ」グラスを持ち上げ、中の液体を揺らす。
「彼は死んでから地震を予知できるようになったらしい。生前にその様なことはなかったようだが、幽霊が存在するんだ、何が起こっても不思議じゃあない。そこで彼に、地震を予知できればその都度教えてほしいと頼んだんだ」
地震以外は分からないのかと聞こうとしたが、知ったところでどうなるわけでもない。喉まで出かかった言葉を飲み込むと、代わりにそうですかと言う。
「なんにせよ、貴方も同じだったというわけだ」男は仲間ができたかのように無邪気な笑みを浮かべた。そうですねと言い、男の後ろに立つ青年をちらりと見る。無感情と哀れみの入り混じった眼をこちらに向け、その後男の背中に視線を向けた。当然、背後にいるために男にはその様子が伝わらず、当人はと言えば上機嫌に独り言を言いながら酒を飲んでいる。
もういいだろうと、彼と男の間をすり抜けて出口へと向かう。青年に対して僅かに目礼すると、彼も同じように返してきた。お互い大変だなとでも言うかのように。そのまま何事もなかったかのように扉をすり抜けると、そのまま夜の闇に姿を消した。
では、幽霊同士は見えるのだろうか。会話できるのか、はたまた他人なのだから小さく挨拶する程度なのか。会話していると人間と見分けがつかないだろうから、きっと言葉を交わすことはないんじゃあないか。
お互いが見えていれば、の話だが。