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第二章 四葉のクローバー

 午前9時に行動を開始した。(2週間前には計画していたが)とりあえず、医大病院に行こうと思う。

 服装は、ちょっと前に通販で買った黒のスウェットパンツ、グレーのトレーナー、紺色の帽子、黒の手袋、チャコールグレーの靴下、黒のウォーキング用のズック、若い時に買ったアメリカ空軍のパイロットのジャンバー(MA-1)のレプリカを着た。

 持ち物は、財布(3千円くらい入っていた)、メモ帳、タッチペン機能の付いたボールペン、郵便配達の人に貰ったポケットティッシュ、LED懐中電灯、グーグルマップで調べた医大病院の周りの地図をプリントアウトしたA4の紙をセカンドバッグに入れて、スマホとオーテクのカナルタイプのイヤホンをジャンバーのポケットに入れて、電子ブックリーダーとセカンドバッグを車椅子の背もたれのポケットに入れて、いざ出発。


 トイレに入ってから、車椅子を玄関の外に出して、玄関の戸を閉めた。家の敷地から道路に出るところが階段(2段)になっているのだが、大きな音が出ない様に車椅子を下(道路)に降ろさなくてはならない。とりあえず、車椅子を後ろ向きにして、後輪ゴムのタイヤから道路に降ろした。ここまでは上手く行ったが、ここで手を離すと車椅子が後ろの方に移動してしまい、小さな前輪が(道路に)ガチャンと落ちてしまう。

「ちょっと困ったゾ……さて、どうしたものか」

 と、途方に暮れていたら、側溝の蓋を開ける時に手を引っかけるへこみにちょうど後輪がはまってブレーキみたいになった。体制を立て直して車椅子を静かに道路に降ろす事が出来た。

 階段の端に置いてあったプランターを横にずらし、車椅子の後輪のブレーキを掛けて車椅子が動かない様にして、階段の手すりにつかまり車椅子に乗った。一番の難関だと思っていたが拍子抜けするくらいスムーズにいった。

 近所の人に見つからない様に急いで車椅子を動かして曲り角を左に曲がった。ここまで来ればもう大丈夫だ。


 曲り角を曲がると一本道になっていて私が少年時代に通っていた小学校が見えた。昔はもっと大きく思えたのだが今見ると少し小さく見えた。

 今日は天気が良い。天気が良いと気分も良い。気分が良いと体が軽い……風が吹くと桶屋が儲かるらしいが『体が軽い』とどういう得があるのだろうか?

 道路の左側(南側)に家が一列に並んで建っている。この辺は分譲されて30年以上になるので、立て替えた家(二世帯住宅とか)も多く昔の面影がほとんど無い。初めて通る道みたいだ。家が並んで建っている南側に歩行者専用の遊歩道があったのだが今もあるのだろうか?小学生時代、夏休みにラジオ体操をやった記憶がある。


 右側は土手になっていてその上に県営のアパートが並んでいる。このアパートも地震や原発事故で非難している人の借り上げ住宅になっている。昔は一面にクローバーが植えてあったが、今は丈の低い名前の分からない草が植えてある。


 最初は左側(家側)を進んだが、途中で右側(土手側)に移り土手の草等を見ながら進んだ。

 ところどころにタンポポの黄色い花が咲いている。これはわざわざ植えたんじゃなく、どこからか種が飛んできて自生したのだろう。

 よく見ると結構キレイだなと思った。たぶん、タンポポを真面目に観察したのは生まれて初めてだろう。(普段はタンポポが咲いていても、『何だ、タンポポか』で終わってしまう)


 私が小学校に通っていた頃は、道の横の土手に植えてあるクローバーの中に四葉のクローバーを探しながら登校していた。この歳になると四葉のクローバーを見つけても嬉しくも何とも無いが小学生の頃は結構嬉しかった様な気がする。(押し花みたいにしてお守り代わりに持っていた様な……)

 四葉のクローバー探しには『コツ』があって、四葉のクローバーがあった周りに別の四葉のクローバーがある事が多かった。たぶん、四葉に成り易い同じ『株』から生えているのだろう。有るところには有るが、無いところには無いというカンジか。

 昔は雨が降った時の補強の為か、この辺の土手はみんなクローバーが植えてあった様に思える。当時は空き地も沢山あり、そこにもクローバーが植えてあった。そして、そこにはバッタやカエルがウジャウジャ居た。


 途中でクロネコヤマトのトラックとすれ違った。あのドライバーはいつもウチに配達に来てくれるお兄さんだなと分かった。

 玄関に『子供駆け込み所』のステッカーが張ってある家が何件かあった。『オッサンの駆け込み所』は無いのか?と思った。(普通に考えてあるわけ無い)


 小学校の入り口の前の道は坂道になっていて丁度T字路になっている。左に曲がると下り坂でバス通りに繋がっている。右は上り坂になっているが、小学校の入り口のスグ横に左に曲がる下りの坂道があり、その坂を下ると市営のアパートがある。その角を曲がらずに坂道を上ると大きく右にカーブして土手の上の県営のアパートへと繋がっている。

 門の内側、アスファルトで舗装された敷地に入り右手の奥に児童用の玄関があったハズだが現在はどうなっているのだろうか?

 中庭に体育館があり震災後には避難所になっていた。ウエットティッシュと紙オムツ(姪が赤ちゃんだった頃のヤツ)と携帯用ラジオ(乾電池)を寄付した。学校が始まる頃にちょうど避難者の人数が減り(後述の)生涯学習センターに移った様だ。


 この団地は山を削って作られたので私がこの小学校に通っていた頃はマムシがそこらじゅうにいた。周りに田んぼがあり餌になるカエルが沢山いた為だと考えられるが、別にマムシじゃなくても(毒の無いヘビでも)良いだろうにと思ってしまう。

 雨が降った後には側溝や道路にも出てきて、よく、自動車にひかれてペシャンコになって死んでいた。たまに、小学校の玄関にも出たが噛まれる児童はいなかった。今だったら大騒ぎになるだろうが、当時は騒ぐ人はいなかった。

 小学生の頃は15分くらいの道のりだったが車椅子だと1時間も掛かってしまった。自動車で前を通る事はあったが私も外にいる状態で母校(小学校)を見ると、ちょっと懐かしかった。


 左へ曲りバス通りに向かって坂を下り横断歩道を渡った。この一帯の案内板(地図)がある。あちこちにサビが出て陽に焼けて色が薄くなっているが見え無い事は無い。父親が亡くなって30年近くなるのでさすがに母親の名前になっていた。

 この横断歩道には信号があるのだが、私がこの小学校に通っていた時には付いてなかった信号だ。たぶん、保護者が『子供が危ないから』とか言い出して付けたのだろう。どう考えるかだが『危ないならその様に躾ければ良い』という考え方は古いのだろうか?信号機が設置される前はその横断歩道で事故は無かった。(信号機が設置されてから何度か事故があったみたいだが)


 ここに『小学校前』というバス停がある。私が高校生の時に(バス通をしていた時に)利用していたバス停だ。

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