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第一章 海綿状血管腫

 実は私は障害者だ。28才の時に頭部の手術をした。病名は『海綿状かいめんじょう血管腫けっかんしゅ』。生まれつきの血管の奇形で、余計な毛細血管が海綿状にゴチャゴチャと神経等にまとわり付いていた。結構ポピュラーな血管の奇形らしく、それ自体の症状は大した事無いのだが、場所が厄介だった。

 小脳の下に『きょう』と言って神経が集まっている場所があるのだが、(必殺○○人で針を刺す場所と言ったら分かりやすいだろうか?)私の場合、その『橋』にあったみたいだ。それが別の場所にあれば、ただのあざ黒子ほくろで済んだのだが、大事な神経にまとわり付いていたりすると『悪さ』をする。(宝クジで一等が当たるよりかなり低い確率の様だが、そんなもんに当たっても全然嬉しくない)

 その部分が出血してしまい、自律神経に障害が出た。最初は『脳腫瘍』と診断されたのだが(通常のCTとレントゲン撮影では血管が写らないらしい)脊椎から骨髄液を採取して検査をしても(これが結構つらい)『腫瘍』の形跡が無い。MRIの検査をして、やっと、『海綿状血管腫』だと分かった。(MRIには血管が写るらしい)

 まず、飲み込みが出来なくなった。(気管が食道と交わる場所に喉頭蓋こうとうがいという蓋が付いていて、食物や水分が食道を流れてくるとこの蓋が閉って気管に行かない様にしているのだが、この喉頭蓋こうとうがいが閉らなくなってしまい、飲んだものが気管を通り肺の方に行ってしまう様になった。(お年寄りがよく誤飲ごいんするが、これは機能的には正常だが反応が鈍くなっている為だそうだ)次に、眠ると呼吸が止まってしまう様になった。(起きている時は、大脳が肺や横隔膜おうかくまくに呼吸しろと指令するので問題ないが、眠ると大脳からの指令が止まってしまい、結果的に呼吸が止まってしまうという恐ろしい症状だ)

 主治医の医師せんせいは『オンディーヌの呪い』と言っていた。(ギリシャ神話だかにオンディーヌと言う水の精がいたのだが、このオンディーヌには本来『魂』がない。しかし、人間の男性と結婚すると『魂』が得られるのだが、これには大きなタブーがつきまとう。夫が不倫した場合、オンディーヌは夫を殺さねばならないのだ。ところが、イケメンだったみたいだは不倫してしまう。その時にオンディーヌが不倫した夫に『眠ると死に至る呪い』をかけた。オンディーヌと夫がまだラブラブだった頃、夫が「私は起きている間は君の事だけを考えよう」と言ったからだ。ここから『オンディーヌの呪い』と言われる様になったらしい。バレエやオペラの題材になっている『ロマンチック』なオンディーヌとはちょっと違うみたいだ)正式な病名は『先天性せんてんせい中枢性ちゅうすうせい肺胞はいほう低換気ていかんき症候群しょうこうぐん』又は『後天性こうてんせい脳機能のうきのう障害しょうがい』と言うらしいが、私の場合は後者だ。


 一度、呼吸が止まった事が有る。(この時は、たんが気管に詰まったのだが)

 夜中に目が覚めたら呼吸が止まっていた。(『偶然』なのか『必然』なのかは分からないが)

「呼吸が出来ない。ああ、私はこのまま死ぬんだな……まぁ、いいか」

 と思った。しかし、特に苦しくないし、不思議と怖くなかった…まるで他人事の様に感じた。

 その内、家族が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。そして、医師がペンライトの光を目に当てて、瞳孔が開くかどうかの検査をしているのが、とても眩しくて、とても不快だった。

 そして、とても眠くて、とても疲れていたので、

「頼むから、寝かしてくれ」

 と思ったが、返事をするまで止めてくれそうに無かったので

「うー」

 と返事をした。(唸った)

 声を出すだけなのにかなりの体力が要った。全身の力を振り絞って、やっとの思いで声を捻り出した。


 喉(気管)を切開して呼吸器を付けていたのだが、20年前の呼吸器は性能が悪く、ただ空気を送り出しているダケというカンジのシロモノで、人間(患者)の方で呼吸のタイミングを合わせなければならなかった。意識が朦朧もうろうとしている状態で呼吸のタイミングを合わせるのは至難の技だったりしたのだが、相手は融通の効かない機械だ、時々、呼吸のタイミングがズレてしまい、スゴク苦しかった。そして、音も大きかった。

 私は個室に入っていたのだが、

「やたらイビキの五月蝿うるさい人が隣で寝ているなぁ」

 と思ったくらいにやかましかった。

 今、思い返しても、

「あのやかましい機械の横で、よく眠れたよなぁ」

 と、自分でも感心してしまう。


 当時としてはたいへん難しい手術だったので、県内で一番大きな病院、F県立医科大学付属病院(この辺では医大いだい病院びょういんと呼ばれている)に入院した。

 私が入院する何年か前に新しく立て替えしたのだが、その費用(たぶん、数百億円)はT電力が出したらしい。もし、F原発が無かったら、私は20年前に死んでいただろう。

 そして、その何年か前に、県のお偉いさんが『脳梗塞のうこうそく』か何かで倒れて、その時に医大病院に『脳外科』という科が新設された。そして、日本中の大学病院から優秀な脳外科医を集めて、(その当時は)脳外科では国内で1、2を争うくらい優秀な病院だったらしい。


 最初は『神経内科』という科に入院した。確か、7階の西病棟だったと思う。

 この時、主治医になった医師せんせいは医科大学を卒業したての若い医師せんせいで、まだ、『志』に燃えていて、とても一生懸命に治療してくれた。(昼も夜もなかったので、病院に泊まり込みでやってくれていたんじゃないだろうか?)いきなり重傷患者の担当になって、医師せんせいも良い勉強になっただろうが、私もとても良くしてもらった……感謝の言葉も無いほどだ。


 検査等(CTとかレントゲンとか)で移動する時はベッドのまま移動したので、廊下の天井の景色しか憶えていない。車椅子に移って移動出来るほどの体力がなかったし、へたに体を起こすと患部から出血してしまう。(俗に言う『絶対安静』状態だった)CT等のベッドの脇に私が寝ているベッドを横付けして、医師せんせいと看護婦さんが4人でシーツの四隅を持って『せーの』で私をCT等のベッドに移した。(医師せんせいや看護婦さんも肉体労働だ)

 アンギオ(頭部とうぶ血管けっかん造影ぞうえい検査けんさ)という検査をしたのだが、簡単に説明すると、『腿の付け根の動脈からカテーテルを入れて、患部の近くに造影剤を注入して、患部の正確な写真を撮る』というモノで、『セルジンガー・カテーテル法』というらしい。

 その検査室アンギオルームの天井に黒っぽいシミがあるのだが、その検査をする時に噴き出した血の痕じゃないかと思う。(動脈の圧力はハンパ無いらしい……今風に言うと『ぱねぇ』だ)『カテーテルを抜いた後は止血のために15分くらい圧迫を続け、止血したら絆創膏で止めます。さらに、止血を確実にするために砂袋をのせ、約6時間ベッドで安静にします』というスゴイ検査を3回ほどやった。『止血を確実にするために砂袋をのせ、約6時間ベッドで安静にします』というのはかなり辛く、太ももが内出血して紫色になった。


 私は身長が約164cmなのだが、ひどい時には体重が30kgも無くて、骨と皮だけ……まるでミイラだった。体に余分な肉(ゼイ肉?)がないので、とても寒かったし、寝ているだけで(自分自身の重みで)関節という関節、体中が痛かった。

 天井はグルグル回っていたし、忍者屋敷の吊り天井みたいに迫ってくる様に見えたし、壁もこちらに倒れて来る様に見えてとても怖かった。(視力だけじゃなく、脳で感じるものがすべて変だったのだろう)

 よく、『寝ないと体力が回復しない』というが、『寝ない』じゃなくて『苦しくて眠れない』が正しいし、『寝て体力が回復した』じゃなくて『体力がある程度回復したから眠れた』が正しい。『苦しくて眠れない』状態になった事が無い人の無責任な言葉だと思う。

 今は体が利かなくて、不自由で大変だが、あの頃と比べると天国の様なものだ。


 口からは食べ物を摂取出来無いので、点滴で栄養を摂取する事にしたのだが、腕の血管では細くて、高カロリーの点滴は出来ないみたいで、鎖骨の下の辺りのちょっと太い静脈に高カロリーの点滴用の針を刺す手術をした。(この手術は静脈に点滴用の針がちゃんと刺さっているかをレントゲンを撮って確認するので、鎖骨の下の辺りにだけ麻酔を射って(部分麻酔で)立ったままでレントゲンを撮りながら手術をした)

 食事の代わりの高カロリーな点滴は、ベースになる『生理用せいりよう食塩水しょくえんすい』という濃度が人間の体液と同じ0・9%の食塩水(看護婦さんは『生食なましょく』と呼んでいた)に、患者に合わせて、ビタミン、栄養、薬等をブレンドする。いわば、『オーダーメイド』の点滴だ。

 点滴で栄養を摂取すると、胃や腸の活動が止まってしまうみたいで、点滴をしていた半年間は空腹を感じた事はなかった。抗生物質の点滴用の小さなビンがあったが、抗生物質は2日に1ビンしか使えなかった。『体内で処理するのに2日かかる』とかだったのかな?


 半年経って、鼻から胃に管を通して、流動食(缶に入った液体のカロリーメイトみたいなヤツ)に代えたら、みるみる体力が付いた。やはり口(胃)から摂取すると栄養の吸収も違うみたいだ。よく『医者にかかった』時に

「食欲は有りますか?」

 と聞かれるが、実は大事な事なんだなと思った。


 体力が付いて手術が出来る様になると『脳外科』に移った。移ったといっても隣の部屋に移ったのと、主治医の医師せんせいは変わったが、看護婦さんは同じだった。今までも何度か主治医の医師せんせいが変わる事があったので、主治医の医師せんせいと部屋が同時に変わった様なカンジだった。丁度この頃、『振り返ればヤツがいる』という病院を舞台にしたTVドラマ(再放送)をやっていた。


 そして、海綿状の血管を取り除く手術をしたのだが、1回の手術ではすべての余計な血管を取り除く事が出来ず、結局、手術を2回した。その時に神経を4、5本切られてしまったみたいで、その手術の後遺症で私は手足が不自由になってしまった。

 それでも、脳外科の医師せんせいに言わせると、手術は『大成功』だったらしい。

 ずいぶん後に母に聞いた話では、

「手術の成功する確率は非常に低いです。上手く行って手術が成功しても、寝たきりになるでしょう。最悪の場合、植物人間ですよ」

 と『脅されて』いたみたいだ。(点検商法ですか?)

 なので、手足が不自由でも『寝たきり』じゃないというのは、『奇跡』みたいな事らしい。

 そう言えば、手術の前の日の夜に若い看護婦さんが何人か合いに来てくれたのだが、実はこういう理由だったのね。


 看護婦さんには『本看護師』と『准看護師』と2種類ある様だ。簡単に説明すると、『本看護師』は国家資格で『准看護師』は都道府県の資格だ。もっと解りやすく例えると、『本看護師』はエリートの幹部候補で『准看護師』は一般職と言ったところだろうか。資格試験の難易度がかなり違う様で、もちろん、給料も違うらしい。

 今は女子も男子も『看護師』と呼ぶが、昔は女子を『看護婦』、男子を『看護士』と呼んだ。『師』と『士』、読みはどちらも同じ『し』だが、意味はかなり違う様だ。(患者からしたらどっちでも良い事なのだが、『お偉いさん』には大事な事らしい)

 エッチなビデオの看護婦さんは、皆、スタイル抜群で若くてキレイな人ばかりだが、現実では『肝っ玉母さん』みたいな人が多かった。このお母さん達も若い時は痩せてて美人だったのだろうと思う事にした……ってゆうか、思いたい。(私だけでは無いハズだ)

 しかし、体を支えてもらったりするのである程度ガッシリしている方が安心出来る。(やはり看護婦さんは肉体労働だ)それに、ヨロっとした時にしがみつくにも、年配の看護婦さんの方が恥ずかしくない。


 今となっては大した事無い手術なのだが、20年前はスゴク難しい手術だったらしい。そのちょっと前までは手術の出来ない場所だったが、私が手術する少し前に、その場所を手術する特殊な器具(メスに顕微鏡が付いてる様なヤツ)がアメリカで開発され、国内で2例目の手術で、まだ成功例は無かったのだとか。(外科医ってヤツは難しい手術をやってみたい様だ)私が手術した少し後に、同じ様な手術をした人がいたが、その人は『寝たきり』になってしまったらしい。


 手術の前日、一階にある床屋さんで頭をツルツルに剃って貰うのだが、髪の毛が無いとちょっとした事でスグ頭皮が切れて出血してしまう。髪の毛は『見た目の為』もあるが、『保護の面』でも重要な働きをしているのだと感心した。

 手術をするというのは、実は『大変』な事らしく、手術前には色んな『科』の色んな『検査』をした。(それだけ『大手術』だったのだろうと思う)中でも『麻酔』はとても重要みたいで麻酔科の医師せんせいが何度も病室に来たし、何度も念入りに検査した。(元気な人はさほど気にする必要はないのだが、私は体力がかなり落ちていたので、麻酔の量を間違うと手術中にそのまま死んでしまう……なんて事もあるそうだ)


 手術は15時間くらい掛かった。TVのニュースとかで、芸能人が病気とかで手術をした時に『7時間にも及ぶ大手術』とかいうのがあるが、ヘソが茶を沸かしてしまいそうだ。


 一回目の手術では足に刺した点滴から麻酔の薬を投与した。強い薬の為か、足が燃える様に熱くなったのを憶えている。しかし、記憶があったのは1秒も無かったと思う。そして、手術室の隣の部屋で気がついた。それからICU(集中治療室)にベッドごと運ばれた。

 成功率の低い手術をした人や手術後に意識が戻らない人などがここ(ICU)に入るらしい。入り口の壁(下の方)がへこんでいて、看護婦さんがそこに足を入れると(かざすと)入り口の自動ドアが開く。この部屋に入る看護婦さんは両手が塞がっているのでこの様になったのだろう。(手を消毒し直す手間も省けるし、一石二鳥だ)

 中はかなり広くとても明るい。手術の後なのか(たぶん)意識の無い患者さんが数人寝ている。この部屋の中で意識のある患者は私だけだ。(意識のある患者が意識があるまま運ばれて来るのは非常に珍しい事だとか)私の場合、(何故か)手術が成功してしまって意識もハッキリで割と元気なので『場違い』というカンジだった。

 家族が面会する時も一回に一人しか入れなくて(それも5分)バイキンが入らない様に給食当番みたいな白衣を着て、白い帽子を被り、マスクをして、警察の鑑識の人みたいに足にシャワーキャップを履いて、部屋に入る前にエアーシャワーを浴びるという徹底ぶりだ。

 普通はここに運ばれて来る患者は、皆、意識不明で一週間はここに居るそうだが、私は一日で一般の病室に移された……『追い出された』と言った方が正しいかも知れない。(たぶん、難しい手術だったので『予約』していたが、こんなに元気だとは思わなかったんだと思う)ちなみに、ここの看護婦さんは『超』が付くくらい優秀らしい。

 二回目の手術では、麻酔の薬を口(鼻)から吸引した。酸素マスクを口の部分にあてがったのだが、新品なのかゴム臭かったのを憶えている。今回も記憶があったのは1秒も無かったと思う。気がついたら、今度はリカバリー室というナースステーション(看護婦さんの詰め所)の脇の部屋だった。

 部屋の造りは一般の病室と変わりなく、ベッドは2つだった。(二人部屋の病室といったカンジだ)2つの内1つは私が寝ていたが1つは空いていた。すべての科から患者が集まるICUと違ってこの部屋には脳外科の患者しか来ないので、ベッドが2つで足りるのだろう。

 普通はICUから出て来た患者がこの部屋に2、3日いるのだが、私はこの部屋も半日で追い出された。手術した場所は痛いのだが、意識がハッキリしているのでヒマでヒマで仕様がない。看護婦さんも仕事があるので私の相手ばかりはしていられないのだ。話し相手は家族に任せてといったところか。


 病院のベッドは床が2つに分かれていて、背上げ機能や膝上げ機能が付いている。手術後の事だが、頭部を手術したという事で、頭に血が上らない様に背を上げて座る様な格好で寝るのでぐっすりと眠れないし、痛み止めの薬にも睡眠薬が入っているのだと思うが、夢と現実の違いがハッキリとは分からない。

 何故か頭が3つあり痛いのは1つだけなのでそれを取っちゃえば痛くなくなる……なんて事を本気で考えてしまい、医師せんせいや看護婦さんに真面目に相談したりした。(相談された方はいい迷惑だ)

 麻酔が覚める時にも、見えないハズのものが見えたし、聞こえないハズのものが聞こえた。『幻覚』や『幻聴』は『目』や『耳』じゃなく『脳』が感じさせているんだなぁと思った。


 国内で初の成功例という事で、病院の方でも経過を見続けて行きたい様だ。3ヶ月ごとの通院(何か病名が無いと通院させられないみたいで『四肢麻痺ししまひ』という病名を無理矢理付けた)と1年おきにMRIの検査をしている。体をあまり使わないので、小脳が徐々に小さくなっている様だが、普通に生活する分には問題無いみたいだ。

 薬も出さないといけないみたいで、『アドナ錠』という血管の壁を強くする薬を飲んでいる。外来の医師せんせい曰く、

「この薬は長い期間飲む薬じゃないんですよ。というより、長い期間飲んでも意味が無いって言うか……害が無いのでとりあえず飲んでて下さい」

 との事だ。(ここは突っ込んだ方が良いのだろうか?)


 小泉総理の時に医療に関する法律(保険の制度?)が変わってしまった為、普通はスグ出される(別の病院を紹介される)のだが、私の場合は出されずに済んでいる。大きな総合病院にかかっていられるのは有り難い事だ。


 車椅子の生活も20年以上になるが、さすがに飽きた。(具合が悪くなるのはスグだが、良くなるのは非常に遅い。5年前、10年前と比べると確かに良くなっているが、半年前、1年前と比べてもほとんど変わっていない様に思える)家の中では尻もちをついた状態で手と足と尻を交互に動かして移動する。

 お風呂は、すべったら危ないので湯船には入らず、冬でもシャワーだ。元々、お風呂はあまり好きじゃなかったので(いわゆる『カラスの行水』ってヤツだ)別に不満は無い。洗髪したり体を洗ったりする為にお風呂に入るので(厳密には『入る』とは言えないが)『湯船に入って温まる』という考えは全く無い。

 トイレは、右の壁にL字の手摺が逆さに付いていて、それとは別に、天井から1メートルぐらいの左右の壁にも手摺を通してある。ウチのトイレは狭いので、ヨロけてもスグに壁に手が付ける。狭くて良かった……何が幸いするか分からない。

 玄関の中と玄関から道路まで手摺が付いているのだが、玄関の外に付いてる手摺は伯母夫婦(母の妹とその旦那さん)に付けてもらったのだが、玄関から道路までの移動がとても楽になった。

 この手摺は雨ざらしなので数年おきに塗り直さなくてはいけない。陽に当たって熱くならない様に『ウレタン塗料』という特殊な塗料で塗るのだが、夏はヤケドするぐらい熱くなるし、冬は触れないくらい冷たくなる。

 そして、通院の時にいつも伯母に自動車で送り迎いしてもらっているのだが、伯母夫婦には子供の頃から可愛がってもらっている。私もいいオッサンなんだが、叔父や伯母から見ると子供の時の私と変わらないのだろう。『遠くの親戚より、近くの他人』ということわざがあるが、『近くの親戚』なので、最強だ。

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