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エンド・ワールド

【銀の都3】

作者: 冴野一期

「桜庭さん」

 今、俺の目の前に、旧世界のヒトがいる。彼女の名前を、桜庭美紀といった。

 彼女は今日も変わらず『本』を読んでいた。ただ一人、街外れの図書館で、白い頁をめくっていく。その細い指先が定位置に戻るまえ、黒になびく長髪をそっと流した。

「桜庭さん」

 静寂なこの場でただ一人、紙の『本』を読み耽る。

「桜庭さん、聞いてますか?」

「…………」

 聞いちゃいねぇ。ただ、机に置いた本を一頁、めくるだけ。

「すみません」

 若干、申しわけないと思いつつ、紙の上に自分の手を置いた。それでやっと、彼女は顔をあげ、その両目に俺の姿を映してくれる。

「……あ、日坂クン? いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 しかも覚えてないと来た。

「俺、今日は午前中からここに居ましたよ」

「あれっ、そうだっけ?」

「えぇ。朝っぱらから、新しく回収した本の並び替えと、地下の書庫整理を、ひたすら延々とやってました。なんでか、覚えてますよね?」

 最後の一言だけ強調すると、さすがにのんびりした桜庭さんもやや怯んだ。

「あ、あははー。私が、キミを呼んだんだっけねー?」

「正解す。なのに桜庭さんは受付けに座って、仕事は俺に任せきりで、優雅に読書とはほんと良いご身分ですね?」

 ついでに、これ以上ない嫌味も刺しておいた。

「ごめん、読書はじめるとつい、ね。えへへへへ」 

 両手を合わせ、困ったように微笑される。なんてダメな大人だろう。

「あ、あのっ、本当にごめんね。私が悪かったですっ」

「二度も謝らないでください。んで、今はなに読んでたんです?」

「あっ、うん。これこれ!」

 一転、嬉しげな顔になる。自分が読んでいる本に興味を持ってくれたことが、よほど嬉しいと言わんばかりだ。

「二十世紀に発表された『心の概念』。著者はギルバード・ライル。そうだ、日坂クンは、ヴィトゲンシュタインを読んだことはあったっけ?」

「いえ、まだです」

 応えて、共有意識下に検索をかけた。

「なるほど、哲学者ですか」

「えぇ。この二人はそれぞれ、異なる思想で『心』を解き明かそうとしてるのよ。私はどっちかっていうと、ライル派なんだけど」

 すげぇどうでもいい。

「彼はこの時代、とても先進的な思考を持っていた哲学者の一人でね。この著作の中でも、人間の『心』とは、単純な傾向性、指向性によるシステムであり、なんら〝特別なものではない〟。そう見なすべきだと述べているの」

 桜庭さんは微笑を湛えたまま、栞を挟んでいた頁を開いた。

「この一節、見て」

 本文の一行に、人差し指を添える。涼やかな声で朗読した。


『機械の中の幽霊、-Ghost in the Machine-』


「この一文、いかにも産業革命の背景ありきって感じで、素敵でしょ?」

 同意を向けられたが、イマイチ、俺にはピンと来ない。むしろ、はやく片付けを手伝って欲しいと思う気持ちの方が強かった。

「桜庭さん、書庫整理そろそろ再開しますよ。たまには働いてください」

「わ、私が普段から働いてないみたいに言わないでよぅ!」

「働いてるんですか? 本を読むこと以外の事、してるんですか?」

「う……」

 ふいと視線を逸らされた。まったく、このヒトは。ハッキリ言って美人で、いかにも聡明な感じなのだが、その中身は結構どころか、かなりダメな類のヒトだった。


 書庫整理という作業は、貴重な体力と時間を消耗するばかりで、なにも産みだしはしない。尊い一日が半分以上、無為に終わってしまう。

 今日も、夕暮れの空を見て、もったいなかったなと思う。だが同時に、悪くないな、とも思ってしまう。

「さて、帰るか」

 俺はドライビンググローブを嵌めつつ、図書館の玄関先に回っていた。

 木陰には、自前の『工場』で組み立てたバイクがある。キーを差し込み、エンジンを起動。 

 火が入り、ドッ、ドッ、ドッ、と、振動音が鳴る。

 二月の空。ハンドグリップを握ったところで、

「あっ、日坂クン。待って待って!」

 呼ばれた。振りかえると、館内から桜庭さんが姿を見せていた。

「どうしたんすか?」

「ごめんね。長井先生に貸出を頼まれてた本があるの、思いだして」

 その名前を聞いて、俺は若干、よくない感情を覚える。それが素直に顔に出ていたのか、桜庭さんもわざとらしく微笑んだ。

「ふふ~ん。大切なお姉ちゃんが、彼に取られちゃったのは分かるけどね」

「べつに、そんなんじゃないです」

 とっさに放った一言は、我ながら子供っぽくて嫌になる。ともあれ、ブックカバーに包まれた本を受け取り、シート下のスペースに格納した。

「あっ、あとこれも。お昼過ぎに話した、ヴィトゲンシュタインの本」

「論理哲学論考、ですか。っていうか、ギルバート・ライルの方じゃないんすね」

「うん。きっとこっちから入るのが良いと思うから。よかったら読んでみて」

 俺の都合とか、入る余地はないんだな。

「……現物の貸し出しはいいっすよ。〝共有層〟を探れば、どっかに同じデータが見つかるはずですから」

「ダメダメ、紙媒体なのがいいの! ねっ、遠慮せず借りてって。せっかくの図書館なんだから、なにか借りていってくれなきゃ、お姉さん仕事なくなっちゃう」

 桜庭さんが勝手にシートを開けて、さっきの本の上に重ねる。

「これでよしっ! あぁ。今日はお姉さん、すごい働いた。偉いなぁ!」

「俺の主記憶と、若干の致命的な誤差があるんすけど」

「お姉さんの方を優先しなさい」

「そうですか。じゃ、俺はもう帰るんで。また」

「うん。日坂クン。今日は本当にありがとうね」

 向けられた笑顔。彼女がなびく黒髪を片手でおさえ、綺麗に笑う。

 その笑顔を見て、

「また男手が必要だったら、呼んでください」

 言ってしまった。時間を無為にしてしまう約束を交わす俺自身に自己嫌悪する。

 アホなのか?

 俺はアホなのか?

「あっ、じゃあ、来週はこれる?」

「いえ、来週はちょっと無理なんで」

「あら。もう予定埋まっちゃってる?」

「すんません。来週は、俺の両親が〝消える〟日なんで」

「あ……」

 桜庭さんの表情が一変する。なんでだろう。

「そうだったのね。ごめんなさい」

「べつに謝る必要もないと思いますけど。まぁそういうわけで、今週は家族そろって過ごすことになるんで、その後でまた来ますよ」


 ※


 家に帰ると、来週、四十歳になる母親が庭仕事をしていた。

「おかえり、弘明」

「ただいま」

 応えながらヘルメットを脱ぐ。エンジンを切ったバイクのシート下から、本を二冊取りだして交換する。それから雨避けのシートを被せていると、続けて言われた。

「弘明、またそれに乗って、直接どこかへ行ってたの?」

「そうだけど?」

「時間がもったいないわよ。上書き型のオートマタを使えばいいじゃない」

「いいだろ、別に」

「そりゃあいいけどね。アンタの人生だもの。でもねぇ」

 来た。ねちっこく、説教が始まる。

「ほんと、アンタといい、お姉ちゃんといい、ウチの子は変わった子ばっかりだわ。どうして普通のことを、毛嫌いするかねぇ」

 露骨にため息なんかこぼされる。

「うっせーよ。放っといてくれよ」

「はいはい。わかってるわよ」

 そう。俺たちは意識を共有しているから、なぜ、俺がそういう行動を取るのか。お互い論理的に把握はしている。だというのに、母親というのは口うるさい。

「その手に持ってるの、新しい『本』?」

「そうだよ」

「せめて電子化したものを持てばいいじゃないの。効率悪いでしょうに」

「それに関しては同意見だ。けど、俺の勝手だろ」

「はいはい、わかってるわよ。でもねぇ」

 話が無限ループに入るまえに撤退を決め込む。玄関の扉に手をかけた時、

「弘明、待ちなさい」

「なんだよ」

 もうこれ以上、付き合わねぇぞ、と意志を込めて振り返る。

「来週、なに食べたい?」

「……ん?」

「最後だからね。なんでも作るわよ。ちなみにお姉ちゃんは、グラタンだって」

 母親が言う。いつもの調子だった。最後という言葉はこんなにも軽く、気安く使っていいのかと想えるような、そんな感じだった。

「俺は、カレーかな」

「はいはい。カレーね。お父さんは、おうどんらしいし。どうしようかしら」

「朝昼晩で、普通に三食に分ければいいんじゃねーの。ってか、親父もう帰ってんの?」

「帰ってるわよ。仕事の引き継ぎ、ぜんぶ終わったみたいだから」

「そっか」

 母さんの一つ上。今年で四十一歳になる親父は、他の住民、九割以上と同様に、この国の〝空白〟を埋めるべく働いてきた。

「今は部屋でのんびりしてるわ。庭仕事、手伝ってくれてもいいのにね」

 母親は、勝手に憤慨したように言って、プランターの一つに手を伸ばした。庭の一角には透明のゴミ袋がひとつあり、その中にはまだ色づいた花も見える。さらに周囲を見渡せば、気のせいでなく、整地されたような跡が目立った。

「母さん。それ、全部捨てちまうのか?」

「しょうがないでしょ。アンタ達みんな、庭のことなんて興味持たないんだから。お母さんたちが居なくなった後、枯れた庭を片付けるの、イヤでしょ」

「あー、そうかも」

 曖昧に頷いておく。

「もうすぐ、梅の花が咲くから。その一つだけ、鉢植え残しとくからね。それだけ、二人で片付けておいて頂戴」

「わかった」

 もう一度、今度はちゃんと頷いた。

「あ、そうだわ。さっきの、食べたいものの話だけど」

「ん?」

「いっそ、ぜんぶ混ぜて、闇鍋にするってのはどうかしら?」

「ねーよ」

 即答した。


 靴を脱ぎ、一階の廊下を通ると、姉ちゃんがいた。

「あっ、おかえり、ヒロ」

「ただいま」

「また図書館行ってたの?」

「そうだよ」

「ふぅん」

 意味ありげな視線を投げてくる。共有意識を覗かれると思ったが、そんなことも無く、自分の手のなかにある四角い物を弄っていた。

「姉ちゃん、それ、ケータイ?」

「そ。私もさっき先生と外出して、頼んで買ってもらっちゃった。えへへ」

「笑ってんじゃねーよ」

 手にした文庫本を投げつけてやる。

「ぶっ!?」

 俺の姉ちゃんは、単純で、直情的で、結構バカで、あと鈍い。

「ちょっとぉ! なにすんのよっ!」

「うっせー」

「うっせーじゃないわよ! バカヒロッ!」

 怒りつつ、俺が投げつけて落ちた本を拾いあげる。

「あっ、コレ、桜庭さんのとこで借りてきたんでしょ!」

「そーだよ」

「だったら、もっと大事に扱いなさいよねっ」

「いいんだよ。それ、アイツが探してた本らしいから。明日にでも渡しとけよ」

「ちょっとーっ! だったら、なおさら投げちゃダメじゃない! まったくもう、ヒロってば図体ばっか伸びて、中身は子供なんだからっ」

「姉ちゃん、母さんと口調が似てきたな」

「ぜんっぜん、似てないしっ! バカなこと言わないでよねっ」

「どっちが子供だか」

「双子だから似たようなもんでしょ! バカヒロッ!」

 十年以上も続く捨てゼリフを残して、階段を上がっていく。

「ったく」

 気分悪ぃ。思いながら俺も台所に向かった。


 テーブルの上に、借りてきた『論理哲学論考』を置いて、ひとまず冷蔵庫を開けた。炭酸水の入ったペットボトルを取り、一気に煽る。

「ふぅ」

 一息ついた時、居間に続く扉が開いた。

「おろ、おかえり」

「ただいま」

 どこかのんびりとした風情の、普通のおっさん。もといウチの親父。

「ヒロ、またお姉ちゃんとケンカかい? ケンカはいけないよ。というか、本当にケンカ好きだねぇ、ウチの子は」

「好きでやってんじゃねぇし。つーか、親父寝てたん?」

 もしかすると、さっきの言い争いで、親父の意識野にちょっとした警告でも表示されたのかと思ったが、

「いや、意識下の共有層に潜ってたんだ。引き継いだ仕事の関連で、後輩から相談があってね。ディスカッションしてたところ」

「悪ぃ。仕事中だった?」

「いいや、本題はちょっと前に終わってたからね。のんびり雑談交わしてたところ」

 親父はいつものように、ゆったりとした笑みを浮かべ、テーブルの上に置かれた本に気がついた。

「これは?」

「あぁ、それ、ちょっと知り合いから借りてきたやつでさ」

「【NO_BODY】のかい?」

「まぁ、そう」

「ふむ」

 なんとなく、桜庭さんのことは口にし難かった。

「手に取って見てもいいかな?」

「あぁ」

 親父は本を持ち、ぱら、と最初の頁をめくった。

 そして静かに朗読する。


「――おそらく本書は、ここに表されている思想――ないしそれに類似した思想――をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。――それゆえこれは教科書ではない。――理解してくれたひとりの読者を喜ばしえたならば、目的は果たされたことになる」


 印字された文字の言語フォーマットを、意識下にダウンロードし、不整合が無いかを確かめていた。

「なるほど。なかなか独創的だね」

 確認し終え、それからは黙って、一枚、さらに一枚と頁をめくる。

「気に入ったなら、先に読んでもいいぜ」

「そうだね。仕事も終わって余暇ができたし、こういうのも悪くないか」

 椅子に掛けて、じっくりと本を読む姿勢に入った。

 俺はもう一口水を含み、冷蔵庫の中に戻す。

「親父、俺はしばらく部屋で潜ってっから」

「うん? あの『会社』へ行くのかい?」

「あぁ。知人と、今後のこと、打ち合わせしてくる」

「そうか。頑張りなさい」

「おう」

 応えて、俺は台所を後にした。


 自分の部屋、私服に着替えた俺は、ベッドに横たわり、目を閉じた。


「Dive to SEGMENT 1.

 Show -> method common things of myself」


 意識を繋ぐ。

 表層上にある、日坂弘明の意識を更新。

 俺と他者、双方向の『外的認証』によって成り立つ世界から、シフトする。

 多数 対 多数。多次元で構成された立方体の蓋を開けると、複合的(複眼的)な視点を持つ、新しい世界へ踏み入ることになる。


【Hello Worlds】


 毛細血管の如き、網目模様の、集合世界。

 同一化された意識が等しく混じるその場所で、俺は前回保存しておいた、プライベート領域を展開させた。即座に理解可能な「共有言語」が、主記憶へ飛んでくる。


 ・世界情勢のトピックスを展開します。

 ・『工場』のデータを更新しました。

 ・「プライベート共有」に設定されたコモン【BODY】を再起動します。

 ・あなたの存在意識を、対象の【AUTO_BODY】に【UPDATE】します。

 ・〝本体〟の管理、安全には、十分気をつけてください。

 ・意識、移行します。


 再構成。再接続。

 目を開いた時、視点は変わっている。

 都心ビルのオフィス内。

 〝俺〟は、黒張りの椅子に掛け、ガラス張りの窓に、複数展開された情報素子を眺めていた。肘をつき、接続していなかった間の世界情勢と、工場のタスク管理を把握する。

「順調みたいだな」

 立ちあがり、窮屈な襟元のタイを緩めると、さっそく視界の端にコールサインが浮かんだ。

「よぉ、ヒロアキ。〝上書きしたか〟」

 プロフィール・ウインドウが開く。

 四角い半透明の枠内に映るのは、銀縁の眼鏡、ぼさぼさの髪、三白眼、咥えタバコ。

 いつ見ても、飢えた野生動物を思わせる相貌の相方だった。

「例の試作機、どうだった?」

「悪くないぜ」

「そりゃあ良かった。わざわざ手間かけて搬送した甲斐があったな」

 ははは、と快傑に笑い、有害物質の権化を、これ以上なく美味そうに漂わせた。

 粗野なやつだが、驚くべきことに性別は女で、しかもコレが〝本体〟だった。

 俺と同じ変わり者。

 旧世界の乗り物に心惹かれ、それを復刻させる作業をしている。

 名前を、赤城ツバキと言った。

「ヒロアキ、データの方確認したな?」

「あぁ。国内からの予約数は概ね予想通りだが、国外からのアクセスが予想以上に反響あるな」

「だな。アタシの意識体に降りた【UPDATER】の意見も概ね好評だ。日坂がよけりゃ、四月を目途に流通ラインを起動させるが、どうするよ?」

「やろう。工場の【AUTO_BODY】にも、伝達を共有化してくれ。コスト管理や日程などの情報もアンロックして構わない」

「了解。ところで海外の一部地域への輸出はどうする?」

「海外って、どこの?」

「いまだに【NO_BODY】達で、物理的に戦争やってるあたり、だよ」

「あー、なるほどな……」

 どうすっかね。

「単純に利益あげんなら、輸出しない手はないんだよなぁ」

「今回はやめとくか?」

「やめとこうぜ。『監視員』から余計な評価もらいたくないしな」

「了解。んじゃ、プロセス実行――ほい、完了。ところでよ、ヒロアキ」

「なんだ?」

「実時間で、今日の二時頃な。ウチの工場に直接アクセスして来た奴がいたわ」

「わざわざ?」

「あぁ。〝雑誌〟の編集者なんだとさ。【NO_BODY】だった」

「紙媒体の情報集積体か」

「あん? 検索かけるまでもなく知ってたか?」

「俺の知り合いにも、【NO_BODY】がいるんだ」

「そうか。んじゃ、コレも見たことあるか?」

 画面の向こう、二本の指で挟んだ紙片を見せてくる。

「いや、知らないな。なんだそれ?」

「メイシ、っていうらしいぜ。ここに簡単なプロフがわざわざ印字されてんだけど、見てみろよ。純度百パーの紙だぜコレ。電子化すら施されてねぇ」

 くくく。と品のない声をあげる相方。

 元の顔素材は悪くないのに、もったいない奴だった。

「ま、仕方ねぇよ。連中には共有化できる領域が無いんだ。音声通信を模したアクションですら、外部ツールに頼らないとできねぇし」

「すげぇ面倒くさいよな、つか、やけに詳しいなオイ」

「だから。そういう知り合いがいるんだよ」

「ほぉーん。ヒロアキの恋人か?」

「……や」

 一瞬、口を開けて、言葉を探ってしまった。

「違う。俺たちの学校の教師だよ。一人、データ構造じゃない、生身の奴がいて、そいつが【NO_BODY】なんだ」

 とっさに、桜庭さんのことを隠すように、アイツの事を口にしていた。

「へぇ。珍しいな。で、女か?」

「男だよ」

「なんだつまんねぇの」

 なんでだよ。つか、なにがだよ。

「んで、さっき言ってた雑誌の編集者ってやつは、なんの用でウチに来てたんだ?」

 強引に話を戻す。

「そりゃ、内部を取材して、【NO_BODY】に向けた雑誌を作りたいんだろ。これに関しては、アタシは受けてもいんじゃねーかって思ってるけどな」

「確かに他の情報媒体と協力しておくのは悪くないけどな。元の【NO_BODY】の絶対数が少ないから、影響に大差ないぞ」

「いいじゃねぇか。ほとんど元手もかかってねーし、純粋に欲しがってるヤツの元に届けてやろうぜ」

 ツバキは躊躇わず、そう言った。

 たぶんこの女は、俺よりも変わってる。


 経営者の消失した、過去の建物の権利をタダ当然で手にいれて。手間暇をかけて造った乗り物。

 大型二輪自動車。あるいは「バイク」と呼ばれる乗り物は、ハッキリ言って自己満足だ。

 俺たち【UPDATER】は、オートマタと呼ばれる、ヒト型のクローン生命体に、瞬時に意識を〝上書き〟することができる。

 なのにわざわざ、どこかで不都合な自分を求めていた。

「バイクに乗ってっとさ、風がよー、気持ちいいんだよなー」

「まーな」

 反面、危険だし、時間も無駄に浪費する。

「なぁ、ツバキ。無意味な感情から、なんか見つかると思うか?」

「見つけるのさ。思ってるだけじゃ何も見つからないぜ」

 共有通信モニターの向こうに映る顔は、どこまでも自信にあふれていた。

「つーか、さっきからどうしたんだよ。なんか元気ねーぜ、ヒロアキ」

「気になるなら、共有層でも覗いとけ」

「ヤだね、面倒くさい。きちんとテメェで説明しやがれ」

 そっちの方が面倒くさいだろうと思ったが、素直に言う通りにした。

「両親が今週末に〝消える〟んだ。それで、ちょっと不安定なのかもしれない」

「そうか」

 モニターの向こうでツバキが言った。タバコの火を消して、

「ツラいよな」

 てっきり、わかりきったことだろ。ぐらい言われると思ったが、予想に反して、真摯な声が届いた。

「アタシは、二年前に経験した。今でも時々、夢に見る」

 夢。そんなものを見る【UPDATER】は、俺の知る限りこの女だけだった。

 両親が消えれば。俺も「夢」を見る様になるのだろうか。



 /断章


 新しいヒトビトについて。著:桜庭美紀。

 先進国、あるいはこの世界、そのすべて。生物ピラミッドの頂点に坐してきた、ヒトと呼ばれる生き物は、今や【MANA】と呼ばれる、超微細のナノアプリの監視下にあった。

 あの日。

 二月十四日に行われたアンケートは、ヒトの構造社会を大きく変えた。

 当時、四十歳以上であった人間は一斉に【DELETE】され、世界を支えていたあらゆるシステムは、ほんの一瞬だけ、その機能を停止した。

 しかし即座に、完全共有化済みのバックアップシステムが用いられ、ソフトウェアは同時に一新される。電力を始めとする、あらゆるライフライン、インフラストラクチャは、全自動で機能を再開した。

 正常に【UPDATE】されたヒトもまた、恐怖や不安は〝取り除かれて〟おり、内から聞こえる〝声〟に従い、同じ方角を見ゆる。

 自他の〝思考〟を、あるいは〝指方向性〟を一致させたヒトビト。

 自分たちを〝わたし〟として共有化し、生きる手段を会得した【UPDATER】は、全員が超高度な演算システムを格納した『スーパーコンピューター』のような存在だった。

 彼らは、上位存在である【MANA】の意志に正しく従い、新しい世界のルールを、ごく当たり前のものとして享受した。

 四十余年の生を正しく、貴重であると実感し、生きていく。さらにその子供たち、あらゆる病気、事故から救済された子供たちもまた、両親が共に四十歳を超えたとき、この世界から消えることを、正しい自然の摂理として捉えている。

 正直、素晴らしいことだと思う。

 旧世界の私たちが。数多の技術を得てから数千年が経とうとも。〝死〟というものに真っ向から相対できず。怖れ、嘆き、泣き叫び、代償し、縋って、頼って来た、その愚かで浅ましい過程を、いともたやすく乗り越えたのだ。

 細胞の一片まで刻まれてしまった、死【DEAD】という人間独自の造語から。

 消失【DELETE】という、正しい理解の変換によって。超越した。

 だから、おそらく【UPDATER】にとって、カミサマはいない。

 あるのは純粋な論理的思考だけ。両親が〝消える〟その日もまた。

 彼等は家族そろって、ささやかなパーティーを始める。

 そう。旧世界と変わらない【Birthday party】だ。

 ただし、その【Birthday party】は、前述の理由によって。

 【Birthday party】=【Birthday】ー(マイナス)1 の日に行われるのが常だった。


 ./


 大方の父親がそうであるように。

 俺の親父もまた、国家観測者としての職務を得て、働いていた。


 現在の先進国家。生活基盤となるシステムは、今はすべてナノアプリによって統合されている。しかし〝アンケートの日〟以降、空白の領土となってしまった地域が数多く生みだされてしまったのも事実だった。

 企業のビル、市役所、空港、国会議事堂、軍隊基地。

 旧世界からなんらかのセキュリティが施されていた場所は、むしろナノアプリの統治下に置かれ、より堅牢さを増していたが、反面、単なる民家や山奥など、単純に監視システムの範疇になかった場所が問題だった。この空白となった部分を、俺たちは意識を共有化して以降、埋めていく必要があったのだ。

 ナノアプリも【MANA】を通じ、俺たちに高いプライオリティ、国家観測者の一員になって、この国を護ろうという使命感を与えていた。

 だが俺は、素直に受け入れ難かった。

 完成されたシステムによって、決まった道順を進ませられることに、どうしようもない抵抗を覚えたのだ。

 どこかで〝自分〟を確かめられる道を、踏み出したいと願った。

 願うだけで。なにを、どうすればいいのか分からず。

 そんな時。俺は旧世界から生きる【NO_BODY】の車に乗った。

 目と耳で感じたのは、後ろに流れていく景色と、振音。

 音速でも、高速でも、量子速度でもない。〝時速百〟の速度だ。

 計算上はあまりにも遅すぎる速度。なのに後ろへ流れて行く景色は、実体を伴う俺の目には、一瞬で流れていくように思えた。

 さらに低く唸る振音は、俺の『踏み出したい』と願う気持ちを、煽るようで。

 不意に。風を浴びたくなって、窓を開けた。

 二月だった。

 助手席に乗っていた姉ちゃんは「寒い閉めろ」と怒って。

 運転席に座っていた【NO_BODY】は、ハンドルを握ったまま言ってきた。

「帰り、運転してみるか?」

 思い返せば腹立たしいが、決断させられたのは、その一言だった。


 仮想世界から、旧世界の『普通免許ガイド』をダウンロードし、現実の一時間と引き替えに、俺は普通免許を取得した。初めてハンドルを握り、アクセルを踏んだ。

 実在する旧世界の道のりを、シンプルな速度の公式を用いて、進む。

 空が青かった。風が気持ちよかった。

 一点、一点、連続した道のりを〝時速百〟で移動した。

 風は気持ちよかったが、まだ足りないと思った。

 もっと、風を感じられるものに乗りたい。

 今、乗る物がなければ、自分で作ればいいんじゃないか。

 たとえ、それが正しい流れでなくとも、その時の俺は、そうしたかった。

 もしかすると、俺はあの瞬間に、なんらかの夢を見たのかもしれない。


 週末。

 夜の八時。

「ごっそさん」

 家族そろっての、最後の食事。カレーライス。最初に食べきったのは俺で、自分の皿を片付けようと立ちあがった時だ。

「あ、弘明」

「ん?」

 親父がなんか、途切れ途切れ、言いだした。

「うん、なんだろ、その、もう少し、座っておけばどうだい?」

「いや、皿だけ片したら戻ってくるけど」

「あぁそうか。じゃあ、いいかな」

 はぐ、と残ったカレーを口に運ぶ。なんなんだ一体。

「弘明、おかわりは?」

「いやもう十分」

「そう。アンタ食べるのはやくなったわね」

「ん? あぁ」

 曖昧に答えてから、すこし両親の共有化領域を覗いてみようと思ったが、まぁいいかと思いなおし、俺は居間を出て台所に立った。


 洗剤を出し、スポンジを手にする。

 皿を洗っていると、親父が同じように、皿を持って居間を出てきた。

「手伝おうか」

「おう、んじゃ洗ったやつ、ゆすいでってくれ」

「よしきた」

 なにか妙な言葉づかいだった。ともあれ親父は水道の蛇口をひねり、湯が出るのを確かめるように手を当てつつ「なぁ、弘明」と口にした。

「あれ、読んだよ。ヴィトゲンシュタイン」

「あぁ、論理哲学論考だっけ?」

「弘明はまだ読んでないのかい」

「最初の障りだけ。ここんとこ、別の【BODY】が忙しくてさ。内容どうだった?」

「うん。中々良かったよ。疑問が残る点も少なくなかったけれど、自らの感覚や感情を、なんとか文章の公式に当てはめて、理解を得ようとしている点は、おそらく僕らの感覚とも共通してるね。それにしても、昔の彼らはなんていうか、その」

「不便だよな」

 言うと、親父も小さく頷いた。

「そう。父さんも同じことを想った。彼らはひどく不便に出来ていたのだなと。自分に流れる電気信号や、情報の配列が見えないから。なんとかして、自他に見える形で表現し、共有したいと願っていたのだろうね」

「だろうな。曖昧だったことを理解して安心するのは、今の俺たちも一緒だ」

 一方的な双方向であるのか、多次元面での共有一点であるかの違い。

 今のやりとりは、旧世界と同じく前者かなと思った時、

「ところで話は変わるけど」

「ん?」

「父さんは。なんの疑問もなく、十八で学園を卒業して、国家観測者になったわけだけどね」

 珍しく、親父が自分のことを語っていた。

 俺たちはそういうことをあまりしない。見ようと思えば、見れるからだ。

「僕の適正が、事務系に相応しいと言われてからは、毎日役所で【BODY】を起動して、机に座って、『空白』になった建物の観測と、移譲に関する報告をまとめてた」

「しってる」

 共有化すれば、知り得る情報。

 親父はそこで母さんと出会い、二十二歳で結婚。

 翌年に俺と姉ちゃんが生まれた。極めて珍しいことに、双子だった。

「弘明も来年、卒業かぁ」

「そうだよ」

 会話の流れに一貫性が無い。

 ただ、漠然と、喋っている感じ。

「来年は、弘明も社会人だね」

「あぁ」

 大学生というシステムは、この世界から失われていた。

 俺たちは、満十九歳になると、基本的に社会に出る。理由としては、その頃にはもう、大抵の両親が〝消えて〟いるからだ。

「父さん、去年な」

「ん?」

「弘明に、空白になった旧世界の企業、その権利のいくつかを移譲して欲しいんだって言われた時、驚いたよ」

「あぁ、驚いてたな。なんでそんなことするんだって、俺の有限意識のぞいたろ」

「うん。いや、それは、あー、父さんな。弘明はもしかしたら、観測者の中でも物理的な交戦のありえる、特務の方に行くのかなぁと予測してたんだけど」

「俺も、第一候補はそこに考えてたよ」

「だよね。弘明はちょっと、なんというか、反社会的と言うか」

「親父が模範的すぎんだよ」

「それもあるねぇ」

 呑気に笑う。ざーっと、水が流れ落ちる。食器を洗って片付けていく。

「ただ。積み重ねていた意志が、たった一日で大きく変わり、選択を決めてしまうこともあるんだなと思ったよ。そうか。そういうこともあるんだな、と」

 独り言のように呟く。

 最後だから、いいかな、という感じに。

「あの翌日。父さん、いつものように役所で仕事してて、考えさせられたよ」

「なにをだよ?」

「弘明も大人になったんだな。ということさ」

「……なんでだよ?」

 大人の条件。

 それは両親が〝消えて〟いて。独り立ちしていることが条件だ。

「俺はまだ大人じゃないぜ」

「そうだよ。君は僕の子だ」

 食器が、カチャリと音を立てて乾燥棚に並ぶ。

「それでも、君がやりたい仕事、自分の道を決めて動き出したのを見た時に。思ったんだよ。大人になったんだなって。それとさっきも言ったけど、父さんは今まで素直に【MANA】の忠告に従って生きてきた。そんな記憶しかない。そして自分の息子が大人になったと思った瞬間、なんとなく、もったいないな、と思ってしまった」

「俺のせいか」

 冗談めかして言うと、親父も呑気に、いつもの感じで言う。

「僕にも、なにかべつの〝可能性〟があったのかもしれない。そう考えると、不思議なことに、その日は憂鬱で仕方なかったね」

「悪かったな」

 俺もわざとらしく苦笑して、最後の洗った皿を手渡した。

 洗剤の泡が、排水溝に流れ落ちていく。

「でもね。悪くはなかったよ。憂鬱になった後、まぁそういう生き方をしてきたからこそ、必然的に結婚して、こんな感じの息子を得たのかなと思えばね」

 俺は黙って聞いていた。

「過程を、ひとつずつ振り返って見れば。総合的に、僕の生き方も悪くなかった。十分に良いものだったんだ」

「よかったな」

「よかったよ。まったく僕は。四十一年間、正しく、幸福に在った」

 その言葉は重かった。

 今の俺には、まだまだ口にはできないと思い知らされる。

「……なぁ、親父」

「なんだい」

「俺も、なんつーか……、親父は立派だったって思う。さっき親父が言った可能性だけど。俺にその可能性をくれたのは、親父だろ。だから、ありがとよ」

「よろしい。じゃあ息子。あとは任せた」

 言って。

 濡れた手をタオルで拭いてから、俺の背を強めに叩いた。

「弘明、お姉ちゃんと仲良くな」

 言って。

「おまえの可能性が、この先に続く世界を変えるかもしれない。父さんは、その引き継ぎを立派に果たした。そんな風に、思っていいかい?」

「あぁ、あとは任せとけ」

「よしよし」

 満足げに言って。俺の頭を、若干照れくさそうに撫でて、笑った。

「僕の息子が。弘明が。この先、幸福に在りますように」


 そして。他愛のない、

 いつもとあまり変わらない時間は過ぎた。


「おやすみ」と言って、両親はそろって寝室に入り。

 俺と姉ちゃんも「おやすみ」と言って、それぞれ自分の部屋に戻った。

 眠った。

 起きた。

 目を覚ませば、当たり前に、次の朝が来ていた。

「おはよう、ヒロ」

「おはよう、姉ちゃん」

 挨拶をした。

 俺たちは揃って、両親の寝室の扉を開いた。

 そして、予定どおり〝消えて〟いるのを確認した。

「部屋、片付けないとね」

「わかってる」

 俺たちは寝室に入り、二人が日頃から使っていた寝具を片付けた。

 二十四時から、七時間が経過しており、布団にはもう、温かさは残ってない。

 あるいは、元から何者も存在していなかったように、冷たかった。

 静かな朝の冷たさのなかで、俺たちは黙々と布団を片し、一階へ降りた。

 今日の朝食=昨日の残り。

 一晩経過したカレーライスは、美味い。

「おいしいね」

「うまいな」

 何度食べても、美味くて。

 ただ、もう、四人でこれを食べることは、ないのだな、と思って。

「来週、卒業式だね。ヒロ」

「そうだな」

「お母さんね、昨日言ってた。あと一週間、自分が生まれるのが遅かったら、良かったのになーって」

「それは、しょうがないよな」

「うん、しょうがないね」

 姉ちゃんと二人、最初の朝食を食べる。

 水を飲んだ。喉を通る。

 冷たい。甘さも、辛さも、なにもかも。中和して、消えていく。

 ただ、部屋の隅に。

 ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考と、

 小さな鉢植えの中で咲いた、梅の花が、ならんでいた。


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