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パフェレイト城敷地内の大会議堂は、議員や国王によって政治討論が行われる一方、軍事会議が行われる場でもある。使用頻度は圧倒的に後者が少ないが、最近は以前に増して軍事会議がよく行われるようになってきていた。
平和そのものな暮らしが続くパフェレイト国内にいれば、ともすると忘れがちな事ではあるけれど、今世界情勢は非常に不安定なのだ。あちこちで戦争が多発し短期間で劇的に国境が変わっていく。
国力が充実したパフェレイトではあるが、吸収合併を繰り返しどんどん勢力を強めていく国が幾つも出現している事態に危機を募らせ、国内より国外に気を配らねばならない状態が続いていた。
そして今日も、大会議堂の分厚い扉が開かれたのである。
収容人数に対してやや広めの会議室の、その殆どを占める円卓を囲み、それぞれに官位のある軍人達が顔を突き合わせている。
禿げ上がったり白髪だったり初老の軍人が多い中、厳めしい空気にペースを乱される事無く、若年者のドロシーは機敏な動作で立ち上がった。
「報告致します。昨日未明、ザハルテットは新型銃器をイジアールから大量購入し、ザハルテットが現在抗争中のニーチュハロス戦にてそれを導入するとの情報を得ました」
全体へと向けていた意志の強そうな目を手元の資料へと落とす。武器の名称、概要、正確な購入数…。一言ずつ噛み切るような歯切れのよい声で、滞る事無く報告は淡々と続いた。
俗に言うパフェレイトとは、中枢であるパフェレイト王国と自らパフェレイト王国への帰依を望んだ周辺諸国(それらはパフェレイト保護区と呼ばれる)から成る世界最大の国家を指す。
世界一安全な国にして、世界一豊かな国。先代国王の時代より、大魔女・フロートの加護で常に世界の先端を走ってきた。現在は退役したフロートに代わって、彼女の孫であるラテが国壁となり、確かな血筋と力で周囲を威圧している。
そのラテを従え、いずれは正式に王位を継承される王女・アシュリーは、こと軍事関連に至ってはほぼ完全に指揮権を握っていた。今日この軍事会議に同席するのも、国王ではなく軍人達と同じ黒の軍服に身を包んだ王女、その人である。
「パフェレイトもその新型とやらの購入を検討すべきでは」と、ズレてもいない眼鏡を掛け直して、あちらの軍人。
「そうですなぁ。ザハルテットは我が国に次ぐ強国。新型の威力によっては重々警戒せねばなりませんじゃろ」と、これはまた別の軍人。
報告を受けて、会議室のあちこちから異口同音に新型銃器を取り入れる案が唱えられた。それもその筈。今パフェレイトの置かれている状況は芳しくない。
軍事国家・ザハルテットの台頭。これは平和ボケしているパフェレイトにも相当な緊迫感を与えた。ザハルテットは秘密主義で国家のあらゆる情報を公表したがらない為、情報を掴む事が難しくどの程度力を蓄えているのか予測がしづらいのだ。
本来ならばいかなる大国が相手でも、殆ど全ての分野で“世界一”を手に入れたパフェレイトは揺るぐ筈がなかった。
絶対安全。絶対幸福。それらは誇称であっても、そこまで言わしめるパフェレイトの国力、内政は非常に充実していたからだ。
それならば何故こうして王女を含めた全員が皆神妙にパフェレイトの懸念をしているかと言えば、それらは全てパフェレイトの“絶対”の礎であった≪人形使い≫・ラテの不在に起因する。そして、もしかすれば消失…
休暇という事でラテは半年以上もパフェレイトを離れているのだが、それがただのバカンスではないという事を知っているのは王族とほんの一握りの人間と限定的だ。仮にもしその情報が国外に流出していれば、今頃パフェレイトはザハルテットを始めとする軍国化した国々から攻撃の的にされていたであろう。
それだけ≪人形使い≫の名は他国にとって脅威なのだ。逆に言えばそれが失われた時の反動は大きく、それを補強する為に何らかの軍事アピールが必要だと意見する声も実は昔からあった。
その流れを踏まえて今回の件。当然、造兵に意見が傾くのだが、
「今でも必要最低限の兵器はあるのにさらに国費を割く訳には参りません。牽制ならばラテの存在だけで十分です。それに大魔女様やラテのお父上も魔術師として力を貸して下さると仰いました」
上座で立ち上がり、ざわつく室内で反対意見を述べるのは王女。
「しかしですな、万が一人形使い殿がいない時に攻め込まれでもしたら一体どうなさるおつもりです。もし既存の装備で太刀打ち出来なかったら」
「望まぬところではありますが、保護区の皆様にも御協力をお願い致します。試算ではありますけれど、人員、武器の蓄えは各国の上半期報告書を見る限りザハルテットを相手取っても十分だと思われます」
「それはザハルテットが周辺国と、例えばミスティラのような大国と手を結んだ場合にも言える事ですかな?」
「それは…ラテがいれば確実です。しかしラテを欠いた状態では少々不安が残ります…」
厳しい言及に王女は言い淀む。だが決して武装化する案に乗るつもりはなかった。
王女はラテが無事に帰還する事を信じていた。信じていたかった。その可能性が低かろうと高かろと、誰が信じていようと否定しようと。それが魔女を信じ、魔術師と共に歩む事で発展を遂げたこの国の王となる者の使命だと自負していたから。
「でしたらやはり、我々も新型の銃器とやらを早速導入しましょう」
「既にイジアールから見積もりは出ています。どうにか来年度予算の一部を回せば、ザハルテットの倍の数は都合がつきます」
「ほう、倍ですか。それは結構。ザハルテットもおいそれと手出し出来ないでしょうなぁ」
「これなら我々だけどもどうにかなりそうですね。それにいつまでも大魔女殿や人形使い殿にばかり負担を強いるというのに、以前から私は疑問を抱いておりました。これを機に、彼女等には象徴という立場に移って頂いたら如何でしょう?」
この発言を皮きりに室内のあちこちから次々と勝手な意見が飛び出した。そんな中、王女だけは決して自分の意見がぶれる事がなく、
「いいえ。新型銃器の導入は暫く見送ります。まずはニーチュハロスとの戦いを見届けた上で再度協議致しましょう」
この場に集まった大多数が軍備増強に賛成し、あわや押し切られそうな所で王女は「保留」を叩き付けた。
「何をおっしゃいます!標的とされる前に我がパフェレイトの財力を見せつけ、戦意を喪失させる方がより安全ではないですか」
静観は得策ではないとする見解が濃厚。状況的に見れば彼等のやろうとしている事こそが“正攻法”だ。
しかし違うのだ。それではパフェレイトの対応ではない。魔術師を、人を信じられなくなったら、それはもう…――
王女はふぅ、と一つ息を吐いて、改まった調子で言った。
「皆さんには公表しておりませんでしたが、今日ザハルテットのデュッセルドルフ卿の使者の方がお見えになります。直接その方にパフェレイトとどう関係を持つつもりなのか私が伺いましょう。ですから現時点での軍備増強は戦う意を示すのと同義であり、かえって逆効果です。よってこの件は見送ります。異論のある方はいらっしゃいませんね」
王女の強い剣幕に新たに異を唱える者はなく、本日の会議はこれにて終了した。