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「総督、例の件ですが調べがつきました」
書斎にやって来るなり、ドロシー・バークレーは「国際地学フォーラム資金提供者見込み」と表紙のついた書類の束を、アシェリーのデスクの端に乗せた。
「組織に関わっている可能性がある人間を抽出しました。出来る限り人物プロフィールも集めましたが、決め手に欠けます。資料はこちらに」
総資産、学歴職歴、コネクション等、あらゆる情報を総合して、魔術師を造り出す実験を行える条件を満たす者を四十カ国以上の中からドロシーは調べ上げた。
ダミーの表紙を捲ると、名前、国籍、連絡先が記載され、その人物のプロフィールとドロシーなりの評価項目に沿った点数が割り振られている。
アシェリーは書類にサインしていたペンを置くと、食い入るようにその資料を見つめた。
「随分しっかり調べてくれたのね。えぇと……ギギ・エアリー、スヴェン・ヨンソン、バニッサ・ブフナー、スペール・トスカーナ、コドニー・ランド、ハイダ・ビンニッチ、レダノア・ミリッツ、ケイ・シャロン、スタウト・ブラックマン……」
「該当者は三百名以上もいます」
「地道に調べるしかなさそうね……。週明けにミスティラで会談の予定が入ってるから、何人か当たってみましょう」
「恐れながら、リストには政界、財界、経済界の人間がごろごろしていますよ。本当にお一人で調査なさるおつもりですか? 指令さえ与えて頂ければ情報局からも人員を回します。何も総督ご自身がお調べにならくても……」
「いいえ。これは公にすべきではないわ」
「しかし……」
「帝王戦争の時の事を思い出して」
アシェリーはピシャリと言い放った。
「貴方に話したのは情報統制のためでもあるのよ。確かな事が分かるまで、決して誰にも知られないようにして」
「承知致しました」
「ところで、マキアベリ元隊長の件は何か進展したのかしら?」
「そちらは行き詰まったままです。力及ばず申し訳御座いません」
「そう。……あ! ねぇ、マキアさんから頂いた珈琲があるの。ちょっとお茶していかない?」
「ご馳走になりたいのは山々なのですが、一応まだ勤務中ですので……」
「それなら極秘の案件についての話し合いと言う事にしましょう。珈琲を飲みながら話し合っちゃいけないなんて規則はないもの」
「ははぁ、そういう事でしたら喜んで」
悪戯っぽくドロシーが笑うと、アシェリーは嬉しそうに来客用のマグカップを用意し始めた。
「新作タルトも一緒に差し入れてもらったのよ。アンヘラも誘ったんだけど、毒味しただけでお茶は断られちゃったの」
「ははは、彼女はまだ携帯食料しか食べないんですか?」
「そうなのよ。この国にはせっかく美味しいものが沢山あるのに。もしかして異国のものには抵抗があるのかしら?」
「どうでしょうね。しかし安易に人から貰った物を口にしないというのは軍人として実に正しい姿だ」
「そうだ、今度プライベートで食事に誘ってみましょう! ドロシー、口説き落としていらっしゃい」
貴方そういうの得意でしょう? とアシェリーは期待に満ちた目でドロシーを見て、芳しい香りを並々注いだマグカップを手渡した。
「総督、それもうパワハラですよ……」
「えぇ~……アンヘラはそんな風に言わないわよ」
「いや、俺に対してです」
「何言ってるの。私とドロシーの仲じゃない」
ふふふ、とまるで汚れのない少女のようにアシェリーは笑う。
「それに貴方、人に振り回されるの実は結構好きでしょう?」
「総督は大変な誤解をしていらっしゃるみたいですね。もう何年もの付き合いなのに」
「あら、フィズやラテ程じゃないにしろ結構知っているつもりよ? それにしても、最初に会った時からすると、貴方すっごく変わったわよね」
「そうですか? 前にマッフィーにも同じ事を言われたんですが……。自分ではどこが変わったのやらさっぱり」
ドロシーは肩を竦める。
「あら、マッフィーが人の変化に気付くなんて、それはそれで驚きね。でも、前から比べて貴方が人間らしくなったってのは本当よ。感情とか言動とか、貴方らしいリズムがちゃんと出てきたもの」
「昔だってそんなに酷くはなかったでしょう? 私自身コミュニケーションが不得手だと感じた事はないし、同僚達に男女問わず人気もありました」
「そういう事じゃないのよ。なんていうのかしら……。ラテが言ってたんだけど、『好奇心をなくして人野に下ったマッフィー』?」
「あいつそんな事言ってたんですか……。そんなのただの堕落した奇人でしょ」
「えぇ、まさにそんな感じね!」
にこにこと笑みを絶やさず答えたアシェリーに、ドロシーは頭を抱えた。
「ドロシーを変えたのは、フィズなんですってね?」
目を細めて、懐かしい過去を撫でるように言う。
「ラテが言ってるんなら、きっとそうなんでしょう。……――俺はよく分かりません」
「ふふふ。でも前より大変そうだし楽しそうに見えるわ。ねぇドロシー、今度は貴方がアンヘラを変えてみない?」
「はぁ……。けど彼女にしてみれば余計な世話なんじゃないですか?」
洋梨タルトを口に運びながら応えたドロシーは気乗りしないようである。
「愛情を形にしようとすれば得手してそんなものよ」
シャク、とアシェリーは柔らかな洋梨にフォークに突き立てた。
***
「……此方ナンバー01、アンヘラ・ドラード。コール、アーベント。応答願います」
いつもの時刻。
柱時計の鐘が時を三つ叩く頃、番犬は姿無き主人の前に跪いていた。
『……アーベント。私だ』
イヤホンの奥から届くノイズ混じりの掠れた声は、王室護衛官の詰め所で一人佇む彼女に先を促した。
「アンヘラ・ドラード、報告致します。王女と個人的に親しい情報局の者が、我々に関する何らかの情報をキャッチしたようです。その者が王女に渡した対象者リストの中にボスも含まれています」
『ふぅむ……なかなか、腰抜けばかりと聞いていたパフェレイト軍にしては優秀な奴もいるようだな』
「王女は週明けにミスティラを訪問し、対象者と接触するつもりです。なお対象者の誰と接触するかは現時点では未定」
『分かった。お前は王女に同行し目を離すな。私はその日国外に出る。その間の連絡はいい』
「了解」
『他に報告はあるか?』
「いいえ、以上です」
『うむ……。革命の剣に栄光あれ』
「革命の剣に栄光あれ」




