(5)
***
四人の影を見送った後も、崖下から聞こえてくる大きな炸裂音や呻き声はひどくなっている。
こんな危険の渦中にいるニコラシカは無事なんだろうか。戦況が傾けば殺されてしまうのではないか。もしかしたら今頃皆は怪我をしているかもしれない。
生々しい残響が不安を煽られ、次から次へ嫌な想像が沸いてくる。
ベヴェルはそんな考えを必死に頭から追い出し、ぎゅっと自分の膝を抱え込んだ。
「……すまない。君の連れを巻き込んでしまって」
木の根元にしゃがみ込んでいたベヴェルは、ふと顔を上げる。
共に仲間の帰還を待っていたMr.アンナローロの顔はとても険しく、眼下で繰り広げられている攻防を監視していた。
緊張感を纏う彼から発せられた言葉に、ベヴェルは首を横に振る。
「いいえ、貴方のせいじゃありません。悪いのは全部マフィアだし……それに、ニコルが捕まったのは……あたしのせいなんです」
あんなに冷静だったニコラシカの調子を狂わせたのは自分だ。自分が足を引っ張ってしまった。その自覚さえなかったなんて、本当に目も当てられない。
自分の方がMr.アンナローロを巻き込んでしまっているのに、そんなに申し訳なさそうな顔をされてはかえって居たたまれなくなった。
ベヴェルは頼りない己の拳を睨み付ける。
「……こんな時にこんな事を聞くのもなんだが、君はどうして旅をしてるんだい?」
「えっ?」
「君の保護者、エルディーとアドニスは裏社会ではちょっとは知れた名だよ。それに人形使いや御曹司くんは言うまでもなく世界への影響力がある人間だ。そんな人間に混じって旅をしているからには、君にも何かあるんだと思っていたが……、しかし、ここに残されたって事は、君は見ての通り“普通の女の子”なんだろう?」
ビクッとベヴェルの肩が跳ねる。
「悪い事は言わない。君は旅なんかやめてどこかの町で暮らすといい。“ああいう”人間達といれば、少なからず危険な目に遭うよ。身寄りがないなら俺が里親を紹介するんでもいい」
細められた緑色の目には、道場も憐れみも含まれていなかった。彼はきっと、この“持てる者達”と共に行くには、おう弱な子供は相応しくないと。そういう類の事を言っているのだ。
あまりに突然だったので、ベヴェルは口ごもるが、しかし反感は沸かなかった。
初めからベヴェルには自分が場にそぐわない自覚があったし、今だってくどくどと意味のない悔悟をするばかりで何の役にも立っていない。
Mr.アンナローロが言っているのは正論だ。大人として、社会人として、世界の秩序を守る者として。それは至極真っ当な意見に違いないと思う。
「……嫌です」
だが、それでも。頷くという選択肢はベヴェルにはなかった。
ここで頷くが程度の覚悟で、付いてきた訳ではない。
今更、理不尽奪われた平凡な毎日を埋め合わせる事など不可能だ。
どこでどう暮らそうと、新しいスタートを切ろうと。それがどんなに幸せだって、屈辱的な日々でしかない。だから気の良いシスター達と和気藹々と過ごす未来だって捨てた。
全ては、“組織”に必ずこの手で鉄槌を下す為。
なりふり構ってはいられない。自分は何が何でもここで踏ん張らねばならないのだ。
「あたしが無力なのは自覚しています。社長さんにお守りされているのも申し訳なく思っています。だけど、あたしは旅を続けます」
「もし、今回捕まったのが御曹司くんでなく君なら、どうなっていたかな」
「それは、」
「みんなは、特にボルガはとても悲しんだろう。――前にも似たような事件があったんだよ。とても……後味の悪いね」
どんな不幸の瞬間を垣間見たというのだろうか。そう話すMr.アンナローロはやけに冷たい目をしていた。
彼が浮かべた複雑な表情に、ベヴェルはつい反論を引っ込めて尋ねてしまう。
「何が、あったんですか……?」
「それを今話したら、旅をやめると約束出来る?」
すると、Mr.アンナローロは一転。ニヤリと口角をつり上げた。
「やっぱり、結構です」
「ははは、強情だな。彼らと離れ離れは辛いか」
「そんなんじゃありません。あたしには、果たさなきゃならない目的があるんです」
「ふーん……そう。けどさ、子供がこんな危ない場所を行き来するのは感心しない」
「貴方が連れてるエージェント見習いの子だって、子供じゃないですか!」
しまった。言ってしまった直後、生意気な発言だったとベヴェルは反省する。しかし、やはり納得がいかなかった。
からかっているのか、試しているのか。何にせよ、子供と分かっている相手に対して随分と大人気ない対応をしてくれる。
「ジョットくんかぁ……。そうだね、彼も色々あって俺が育ててるからね」
「あたしにだって事情は色々あります!……言えませんけど」
これ以上の問答は無意味だ。
口論になる前にベヴェルはそれだけ言うと、膝に顔を埋めて小さくなった。
Mr.アンナローロはそれを認めたが、さらに言葉を重ねる。
「戦場は甘くないぞ。やってる事はたかが喧嘩だが、そんな下らんもんでも渦中に飛び込むには命賭けだ。俺達ギルドだって、仲裁なんて甘っちょろい事はしない。――法からはみ出した奴らは、みんな殲滅だ」
殲滅――。
正義の味方とはかけ離れた響きをもった言葉だったが、現在攻防が繰り広げられている方より漂う硝煙から、ベヴェルはそれが真実だと嗅ぎ取った。
「もし君が戦場で生き残りたいなら、最低でもそれくらいの覚悟と技術が必要になるが、果たして君にそれがあるかな」
「なければ死ぬだけです。……覚悟だけはしてきました」
顔を伏せたまま、ベヴェルはそう答えた。
「やれやれ。そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。子供に簡単に死ぬとか言われると、俺も傷付くよ」
Mr.アンナローロは非難めいた調子で言う。
しかし、ではどうしろというのだ。
自分の行く手を阻もうとする彼の意図が掴めず、ベヴェルはホトホトうんざりする。
ニコラシカの失言を誘発した罰にしては軽過ぎる位だが、それにしてもこうまで“構われてしまう”とは。
安全な場所から俯瞰しているような罪悪感も相俟って、何もしていないのにすごく疲れを感じた。
***
「うぉおおりゃあぁああ!」
磨いたばかりの刀身は、振れば振っただけ悪を切り裂いた。
抜き身の剣を振り回し、自分の進路上にいる者をとにかく斬るが、マフィアの数は一向に減らない――飛び散る赤に比例してボルガの焦燥は募っていった。
「……っはぁ、はぁ……ニコル、どこにいるんだ……」
血と汗の混じった滴をぼたぼた落としながら、ボルガは辺りに目を凝らして、ニコラシカの姿を必死に探った。
人の群を崩し、何度も彼の名を叫ぶ。 ゼーハーと肩で息をしながら、ボルガは一旦、人の密集した場所を離れる事にした。
土地が平坦な上、人が人を隠すように集まっていては探しにくい。
どこか近くに高い場所はないかと、群集の外縁に沿うように移動する。
辺り一帯を焼き払ってしまえれば楽だったが、近くに水源はなく、最悪、ニコラシカまでも巻き込んでしまうかもしれない。だから炎を使うのはMr.アンナローロに禁じられた。今頼れるのは自分のこの剣だけ。
「“今度は”、絶対助けるんだ……!」
ガサッ。
頭上で、何かが動く気配がした。崖の上の雑木林だ。
ボルガは咄嗟にその場で身を伏せ、動く物の正体を窺う。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
何かは確実に移動していた。それも一つではない。
月を覆っていた雲が晴れていき、影の濃かった木の根元まで光が射す。影の中を動いていたものがゆっくり、ゆっくり闇から浮かび上がっていく。
人間だ。
数人が真ん中の人物を取り囲むように隊列を組んでどこかへと向かっている。
一人、二人、三人、四人、五人……。いや、六人だ。
人と人の隙間から、一瞬だけれど確かに見えた小さな体。それは紛れもなく――
「ニコっ……――」
叫ぼうとして、ボルガは口を噤む。
ニコラシカが両手で口を覆い、右一回、左一回、顔の向きを変えて二度咳払いし、まるで「喋らないで」と訴えるような仕草をしたからだ。
ボルガが地面に張り付いたまま様子を窺っていると、一団はせり出た崖の先まで行き、持っていた松明にライターで火を点けた。
「聞け――ぇえ!レオーネの若造!」
隊列の中心にいた男が大声を張り上げる。
戦いの真っ最中だったマフィア達の視線が一斉に男へと向いた。
「俺達は此処にいるイジアールの幹部と契約した!テメェらに勝機はねぇ!その青いケツに銃弾ぶち込まれたくなきゃとっとと降参しやがれ!」
男の影に隠れていたニコラシカが、ずい、と押し出されると、彼にもマフィア達の視線が注がれ、どよめきが大きくなった。
「ぼっ、僕はイジアール南部支部長、ニコラシカ・メルキュールです!ガンビーノファミリーから拳銃百丁以上、発注完了しています!」
上擦った声で、ニコラシカは叫ぶ。
「どっから連れてきたガキだか知らねぇが、そんなはったりが通用するか!」
「そーだ、そーだ!ガンビーノのはったりだ!」
「んなガキがイジアールなわけねぇだろ!俺達レオーネをなめんじゃねぇぞ!」
「ほっ、本当です!証拠もあります!」
ニコラシカは懐から名刺入れを取り出すと、手品で鳩でも出すように、中身を一気にぶちまけた。彼の名刺は、飛び出した鳩の羽のようにはらはらと中空を舞う。
「イジアールの印鑑……!?このガキ……マジでイジアールの……」
偽造困難な細工が施された名刺に嘘は付けない。
名刺を手にしたマフィア達は、これまでの威勢の良さから急に顔色が変わった。
ニコラシカはさらにもう一枚、発注伝票を投げ捨てて言う。
「レオーネファミリーの皆さん、すぐに投降して下さい!これ以上の戦いは無意味です!」
レオーネもガンビーノも動きを止め、嘘みたいに場が静まり返った。しかし、
「フハハハハハ!」
急に吼えるような笑い声が上がった。
獅子の鬣に似た金髪の男――レオーネの首領は、豪快に笑いながら人垣を割ってニコラシカの前へと進み出た。
「おい小僧、俺にも銃を売れ。ただし百じゃねぇ。二百だ」
「お断りします」
「ぁあ?」
「一般の商品と違って、武器の売買はイジアール幹部にのみ許された特権です。限られた規格、限られた数までは、幹部である僕個人の判断で契約を結べます。しかし僕はあなたをお客様として認める事が出来ません。なぜならこんなひどい負け戦をされれば、商品の性能自体、他のお客様に疑われてしまうからです。勝機のない相手に、僕はたとえ一丁たりとも売るつもりはありません」
「……チッ」
レオーネの首領は歯噛みし、ニコラシカを睨みつけるが、ニコラシカも全く譲ろうとしない。
その間。
慎重にニコラシカの後を付けていたアドニスとエルディーは、彼の周りを囲んでいるマフィア達の後方へと接近し、ボルガにのみ聞こえる声で待機完了を告げた。
ボルガも体勢に入る。
「フンッ。なら、勝機がありゃいいんだな?」
「えっ……?」
パチーン
沈黙を打ち破って、小気味良い音が弾けた。
レオーネの首領が指を鳴らすと、手下達が何処からか持ってきたタンクで何か液体を撒き始める。
ツンと鼻をつく匂い――これは、石油!?
「うわぁあっ!」
匂いとほぼ同時に熱気が押し寄せ、突如視界が真っ赤に燃えだした。
崖下からはゴォォオと炎が立ち上っている。
「アイツら、お構いなしかよ!」
草むらから飛び出したエルディ―は炎に驚いて陣形を崩したガンビーノのマフィアへ向けてダガーナイフを打ち込んだ。
尻餅をついたまま呆然としているニコラシカを抱き起こすと、彼を抱えてすぐさま逃走を開始する。
「ちょっ、エルディーさん駄目です!待って!」
「また捕まりてぇのか!マフィア共はボルガに任せて、お前は逃げんだよ」
「そうじゃなくて…………あぁああピノ、お願い!」
(承知……!)
朱色の風が吹き荒れ、思わずエルディーは目を瞑る。
その一瞬に、ニコラシカは犬型の獣のような姿へと変わり、エルディーの腕からするりと抜け出した。
炎を纏う尾、凛とした眼差し。颯爽と野を駆け抜けていく神秘的な姿に思わずエルディーが見とれていると、
「ボサッとするな。ニコラシカを追うんだ」
と、アドニスが喝をいれる。
「お、おう」
確かに、ニコラシカの“霊媒体質”は人間の霊に限ったものではない。
魔法の感覚さえ掴めていればいいのだから、動物だって魔物だって構わないのだ。むしろ野生の感の強い生き物の方が魔法を使うのは得意かもしれない。
それでも、やはり驚いた。突然見たこともない獣に化けるなんて。
「人以外にもなれるんだな……」
「お前はそんなに驚く事じゃないだろ」
「あぁ……――けど、“見慣れ過ぎてる”と逆に、な」
ニコラシカが残した獣の足跡を追いかけて行くと、エルディーが討ち損じた部下が血を流して倒れているのを見つけた。
爪で切り裂かれたような深い傷が背中に三本残っている。
一緒に逃げていったガンビーノのボスは、部下に重傷を負わせた獣に踏みつけられ蛙の鳴き声を上げていた。
「汝、ニコラシカを傷つけた。報いを受けよ」
喉の奥から深い憎しみの声を漏らし、獣はさらにグリグリと骨を砕くような力で男を押し潰す。
カハッ……。と空気を吐いて男が失神すると、獣は男の上着をズタズタに引き裂いて、《総譜》を食いちぎった。
「ニコル、もう良いか?……――ん」
朱色の竜巻が獣を取り巻き、凄まじい風圧が周囲に吹き荒れる。
しかし一瞬で風の渦はシュルシュルと萎み、
「ありがとう、ピノ」
と《総譜》を握り締めたニコラシカが顔を出した。
「お―い、ニコル!」
「あっ、エルディーさん。アドニスさん」
「《総譜》、奪い返せたのか?」
「はい、この通りです――……あの、説明不足ですみません。せっかく助けにきてくれたのに」
「無事で何よりだ。さて、今度こそ撤退しよう。ベヴェルにも早く元気な姿を見せてやってくれ」
「……はい」
***
「フハハハハハ!これで売る気になって貰えたかぁ?ハハハハハハ!」
まるでサーカスの火の輪潜りのライオンのように、レオーネのボスは炎に囲まれて、浮かれ調子でいつまでも吼えている。
草も死体もニコラシカの名刺も、みんな真っ赤に燃え出して、辺りは火の海だ。
「っんの野郎!」
ボルガはそんなレオーネの横っ面を殴りつけ、倒れた所をさらにボディーブロー。 流石に不良の世界にいただけ痛みには耐性があるようで、一発ではまだ意識が残っている。
しかし立ち上がる隙は与えない。
ボルガはとどめのアッパーを見舞うと、レオーネのボスは完全に沈黙した。
あまりに一方的な様子に、レオーネの部下達は自分達とゴールドエージェントの差が見えたのか、爆薬も気絶したボスも放置してすごすごと退散していく。
「ボルガ!」
彼らと入れ替わるように、焦った顔でシャンエリゼもやってきた。
開口一番、シャンエリゼは信じられないという声を上げる。
「大火事じゃないですか! 貴方魔法は禁じられていたのでは!?」
「俺じゃねぇよ! レオーネがやりやがった。っつうかこれどうにかしてくれ! 俺は火は点けられても消せないんだから!」
「は、はい……えぇと、でもどうすれば……」
「とりあえず土かけるぞ、土! ほらメージュも」
「はい!」
がむしゃらに土を掘り返しては投げを繰り返す。しかし――
「…………ねぇボルガ、あんまり消えないですよ……?」
「くっそ~~!ヤバいな。町が風下になってる」
「火の回りも早いです。一体どうすれば……」
燃え盛る町の様子が頭に浮かんだ、その時。
「メージュ、ボルガ! 下向いて!」
突如生じた激流が、一瞬にしてその想像を押し流す。
川の中に突き落とされたと錯覚するような大量の水。
シャンエリゼとボルガが溺れているうちに、それは瞬く間に炎を掻き消した。
「……っぷはぁ……はぁ……。ラテ様……?」
思い切り息を吸い込むと、シャンエリゼはまた驚いた顔をする。
「助かったぁ……。マジさんきゅ」
「後は任せたよ。二人で徹底的に“火種”の始末を」
「了解」
「……仰せのままに」
「戦闘区域がベヴェルとMr.アンナローロの方に移ってるみたい。ワタシはアドニス達と合流して、二人を保護してから先に撤退してるね」
「分かった。気をつけてな。いくぞ、メージュ」
「はい」




