(1)
染み一つなくまっさらなテーブルクロス。
その上に華麗にアレンジメントされた燭台や花瓶、名のある窯元が作った芸術的なまでに美しい食器。
鏡のように磨かれたナイフやフォークで食べる盛り付けも味も一流の料理。
そして会話を邪魔しない程度にほっそり流れる優雅なクラシック。
――あぁ。懐かしいなぁ。
こういったレストランで食事したのも随分昔の記憶だ。
「どうだ、美味いだろ?」
「美味しいです。とっても」
「そうだろそうだろ! 全部チュスロ産の肉や野菜を使ってるんだとさ」
「綺麗な色だな。それに味もいい」
「そのスープは、この町でよく食される家庭料理らしいぞ」
しかし懐かしさを感ずれど、顔を揃えたメンバーが最近知り合った者達である状況はちぐはぐで、ボルガはとても奇妙な感覚を覚えた。
「僕達までご馳走してくださって、有難う御座います」
「いやいや、遠慮なんかいらないぞ。ボルガの友人ならば大歓迎さ。好きなだけ食ってけよ! さっ、ボルガ。お前もじゃんじゃん食え!」
ギルドの統括者――Mr.アンナローロことエルモ・アンナローロとの再会は、ほんの数十分前の事だった。
***
「おや? おやおやおやぁ!? そこにいるのはボルガじゃないか!」
チュスロの街に到着して早々、陽気に声を掛けてきた赤茶のオールバックの見慣れない男――。
遠い親戚か旅先で会った奴か?
ひとまず親類の顔を思い出そうとした所で、はたと気付く。
男の背後には見るからに頑強な男が二人、完全武装で周囲の警戒にあたっていた。
がっしりした体幹に生えた丸太のような太い手足は、如何にも傭兵といった感がある。白髪の量や顔から察するに壮年を過ぎてたであろう男性だが、ベテランの風格も相まって現役の悪党など余裕で蹴散らせそうな雰囲気。
白昼、町の玄関口とも言える広場でそんな物々しく浮いてしまっている彼らを見てボルガはピンと来た。
「お前……、エルモ……?」
「社長に向かって呼び捨てはないだろぉ~! ははは、ま、いいけどよ」
社長。即ち、世界中の全ギルドの統括者――
Mr.アンナローロ。
エルモ・アンナローロ。
以前一度だけ会った事があるが、どちらかと言うとその時に一緒にいた屈強な護衛の方が印象深い。
ギルドを引退したエージェントを護衛として再雇用しているという話をその際聞いたのだが、肝心の彼の顔はというと記憶の彼方でピンボケしてしまっていた。そういえばこんな顔をしていた気もする。
「久っしぶりだなぁ、おい! 元気だったか?」
頼りなげな記憶を参照している時にそう親しげに肩を叩かれると何となくばつが悪い。
「ジョット、お前憧れのボルガだぞ。生ボルガだぞ!」
Mr.アンナローロが背中に向かって声を掛ける。すると巨木のような男二人の隙間からひょこっと恥ずかしそうに小さな子供が顔を覗かせた。
「……?」
ニコラシカやベヴェルより幼いように見えるその少年には、小枝のように細い体と不似合いな、深い頬の傷があった。
「サインもらうか? あぁ! せっかくだから握手してもらえよ!」
Mr.アンナローロはおいでおいでと手招きするが、少年はもじもじと人見知りしているかのように視線をさまよわせ、ボルガと目が合うと屈強な木の影に引っ込んでしまった。
「あの子、お前の子?」
「ちがうちがう。将来のうちのエージェントさ。お前の後輩になるんだよぉ~ん」
「終身雇用だけじゃなくてエージェントの育成まで始めんだ?」
「そ。何事も挑~戦。そうだお前達、飯はもう済ませたか?」
「えっ。いや、まだだけど。ちょっと前に着いたばっかだから」
「じゃあこれから一緒にどうだ? 連れのみんなにもご馳走するよ」
――と。このような流れで食卓を囲むに至る。
「それにしても珍しいな、ボルガがこんな大勢と団体行動なんて。お前、仕事の時は大抵一人なんだろ?」
「俺特攻してく癖あるから、そういうのコンビ組む奴からしたら困るだろうし。それに今は仕事じゃなくて友達の手伝いで一緒にいるんだ」
「へぇ~。そういや、差し支えなければ皆さんはボルガとどういうご関係?」
「ワタシはボルガのお兄さんと友達で、それが縁でボルガと知り合いました。彼が力を貸してくれているのは、ワタシの仕事です。こっちは私の従者で、彼女もボルガ同様手を貸してくれています」
ラテは柔らかい声でハキハキと話し、紹介されたシャンエリゼもMr.アンナローロへにこやかに会釈した。
「俺とこの間抜け面とこっちの娘は目的地が一緒なんで連れ合いになっている」
続いてアドニスがベヴェルとエルディーを指すと、
「うぉお!? その鳥喋んのか!」
とMr.アンナローロは感嘆と驚愕の目でアドニスを見やる。
「青年、なかなかいいペット飼ってんじゃねぇか」
「あ……いや……そのぉ……」
「ミスター、丁重に修正させてもらうが俺はこいつのペットではなく主人だ」
「えっ……そうなの、青年?」
「……そうっス」
やりきれない表情で言ったエルディーの声には、自分自身を言い聞かせるかのような含みがあった。
「じゃあ最後は君だけど――」
と。Mr.アンナローロの目がニコラシカへと向けられる。
「実は会った時から気になってたんだが……、そこの君はもしかしてもしかするとイジアールの……」
じぃ、と端正な顔を歪ませ、まるで鑑定士か職人かのような難しい表情になった彼がニコラシカを見つめたまま言葉に詰まっていると、先にニコラシカが口を開いた。
「イジアール南部支部・支部長をしておりますニコラシカ・メルキュールです。お目にかかれて光栄です。Mr.アンナローロ」
「そうそう、御曹司君だ! いや~よろしくよろしくぅ!」
スッと立ち上がったMr.アンナローロが右手を差し出すと、ニコラシカも立ち上がり二人は堅く握手を交わす。そして名刺交換が済めば、和やかに他愛ない世間話が始まった。
「最近のイジアールすごいよね~。ますます精力的っつぅか、発展途上国にもどんどん算入してるし」
「いえいえ、何を仰います。歴史あるギルギルドには各地に立派なネットワークがあるじゃありませんか」
現在世界規模で活動する組織は僅か三つ。うち二つがギルドとイジアールであり、両者は互いを認め合う関係にあった。
ごく最近管理局もこれに加わったが、「官営」という点で二つの民間企業と大きく性質の異なる管理局は、浮いた存在と言える。
それに引き換え、業界は違えどそれぞれの理念に従って激動の世界へ果敢に挑む者同士、ギルドとイジアールは互いの将来に大いに期待を寄せていた。
「弊社は流通会社からの転向ですので、多少地域に拠点はあるのですが、まだまだ地元の方に認められた存在ではありません。地域に必要な存在になっていくのが今後の課題なんです」
「うちは元々あったギルドを統合したから地元には馴染んでるけど、逆にご当地ルールが固すぎて手を焼いてるよ? 一応一つの会社の形にはなってるが、実際ギルマスに仕切られちゃってるし、それで依頼主と揉める事も結構あるんだわ」
各地に点在していたギルド(のようなもの)を一つの組織に纏めようと試みたのがギルドの初代取締役で、その後何度か代替わりしながら各地のギルドとの交渉を繰り返し、調整が続けられて今日のギルドに至る。
広大な地域の数多のギルドは少しずつギルド本部を中心に纏まりつつあるように見えたが、実態は未だ金銭のやり取りのみで、本部と現場との情報のやり取りは思うようにいっていない。
書類仕事に慣れないギルドマスターの多くが気が狂ったようにそれらを破り捨て、現場から問題点の吸い出しが出来ない本部は現場の支援に手を付けられなかったのだ。それでも依頼者(国)からのクレームの手紙は本部へどさどさ押し寄せるのだから、本部勤めの人間は溜まったものではない。
だがさらに憂慮すべきは、業務内容が地域に特化し過ぎており、地域との契約もケースバイケースの非常に雑な物であるという事だ。
現在もギルドマスターが勝手に設けた昔からのルールに従い、何でも屋のような仕事までしているギルドも少ない。
そもそもギルド一元化が推し進められた背景には、現行制度や法の枠からはみ出してしまった部分を補完する必要の急速な高まりがあった――。
依然、世界から戦火が消える事はなく、隣国でさえ争い合い、国交が殆どない場所も屡々存在する。
国交がない。交流がない。協力がない。 国境を一歩でも踏み越えればそこを支配する法律も変わるのに、その間を橋渡しする条約もそれを支える機関も抜け落ちた状態。
それはつまり、犯罪者にとってはこれ以上なくいい土壌である事を意味していた。
法を犯す者には民族も土地柄も関係ない。ただ奪って殺して逃げる彼らには、「国境」という強固な壁は丁度いい隠れ蓑にすらなった。
国の境は法の境であり、悪人を取り締まる警察も、他国に侵入してまで捜査は出来ない。被害者は泣き寝入りするばかりだ。
しかしそれでは余りに理不尽だと立ち上がったのが、今のギルドの原型となる組織なのである。
どこにも属さず、報酬を得る代わりに国の依頼でエージェントに犯罪者を追わせ、犯罪者が逃げ込んだ先の国との交渉も行う。
場所によって多少差はあるが、大体の成り立ちはどこもこんな所だ。
組織は成果を納め、民衆からも歓迎された。だが相手にする国の数や強さが増せば増す程、小さな組織では対応し辛くなる。個々の組織の力には限界があった。
これ以上活動の幅を広げる為には、散らばった組織をまとめ上げ、国相手にも通用する一定の権力を持たせない事には立ち行かない。そう判断した者達によって組織を統合する活動は進められ、今のギルドが出来上がったのだ。
このようにギルド一元化は社会正義を実現する為に打ち立てられた計画と言っても過言ではない。
なのにその事を理解せず、「困ってる人は助ける」と言って譲らず、猫の子を探したり家出少年を探したり、探偵にでも回してしまえというような仕事でもほいほい引き受けている現状を、若き社長エルモ・アンナローロは憂いている訳だ。
「最近ずっとあっちこっち契約更新して回ってるんだよね~。も~いい加減、仕事仕事で疲れちゃうよ」
Mr.アンナローロはじめ職員が尽力したおかげで、ギルドの経営は当初から比べると大分スマート化された。
ギルドを置く国から要請があれば即座に最寄りの支店へ連絡が行き、エージェントが手配される。エージェントが無事依頼を達成した時点で掛かった費用と報酬を国へ請求。
国際的な取り決めとして、ギルドを設置する事はギルドを利用出来る権利を得る代わりに、自国内でのエージェントの活動を許可するという事なのだ。しかし逆を言えば、ギルドを設置していない国ではいくら他国から要請があってもエージェントを派遣出来ないという事でもある。
だから少しでも多くの国にギルドを設置し、対象地域を拡大するのがギルドの目標であり使命だった。
ただ世界地図は刻々と姿を変え、国が滅びたり乗っ取られたりしている度に契約を結ばなくてはならないので、いたちごっこと言えなくもないが……。
ぐったりと疲労を顔に浮かべてMr.アンナローロは愚痴を零す。
「今日もこちらへは交渉の為に?」
「あぁ。実はこの町周辺を根城にしてるレオーネファミリーとガンビーノファミリーの間で抗争があってな。もしかしたらそろそろウチへ依頼が来るんじゃ? と思って。急に治安が悪くなった場所へは俺が直接交渉に行ってるんだ」
「俺達はこの町は初めてでよく知らないけど、そんなに治安が悪いのか?」
「この辺は大丈夫だ。ただ町の東側はしょっちゅうドンパチやってるから、住民は避難しようにも外に出られないって話だぜ」
「それはお気の毒ですね……」
「念の為お前達も無闇に出歩くのは控えた方がいいぞ。ま、ウチの“ナンバーワン”エージェントが付いてればもしもの時は安心だけど」
「ナンバーワンか…それは凄い。俺もシルバーライセンスを所持しているエージェントには会ったことがあるが、ゴールドライセンスの取得はかなり困難だと言っていた」
「ゴールドの中でもボルガは特別さ。なっ!」
「……俺、社長と一回しか会ったことねぇじゃん」
そんなに買い被られても困る。というか統括者から“ナンバーワン”と太鼓判を押される程、話題性のある事件を請け負った事はない。
――ただ一度。忘れられない一件を除いて。
「一回でもあんな仕事見せ付けられたら贔屓にするって~! あの時は本当に助かったんだぜ?」
「……あれは、別に……。……それに俺より稼いでる奴何人かいただろ?」
「チッチッチッ。お前の売りは報酬額なんかじゃねぇよ。潔いまでに小細工の一切ない特攻スタイル。そのくせ成功率は百パーと来りゃ立派なヒーローだよ。今時珍しいぜ、お前みたいなの?それにこいつだって、お前に憧れてエージェントやりたいって志願してきたんだぞ」
Mr.アンナローロがつんつんと小突くと、彼の隣でお行儀よく窓に銃を構えていたジョットは、朱に染まった顔を隠すように俯いてしまった。
と、そこへ。
「失礼します」
短く二回ノックがあり、護衛の老兵がドアから現れた。
「Mr.アンナローロ、取り急ぎの仕事です」
「え~……デザートまだ全然食ってないんだけどぉ……」
ねぇ駄目? と、Mr.アンナローロはカラメル色に装飾された手付かずのパフェを見せて食い下がるが、老兵の硬い表情は変わらず。遂には渋い顔でううんと首を横に振られてしまった。
「はぁ……しゃあないな。勘定しとくからお前らは最後まで味わってけな。御曹司くん、良かったらこれも食べて」
「ありがとうございます。お勤め頑張って下さい」
「おう。じゃあなボルガ。お前もたまには本部に顔出してくれよ」
ポンとボルガの肩を叩きMr.アンナローロが席を立つと、ジョットもスプーンを置いて、ぺこりと一同に可愛らしくおじぎをして彼に付き従った。
せっかくの厚意だし、ゆっくりしていこう。
Mr.アンナローロの退室後も皆しばらくは談笑しながらデザートを食べ、食後のハーブティーまでじっくり堪能した。
心行くまで一流の持て成しを受け、もう思い残す事はないと頷き合ってからやっと席を離れた一同だったが、店を出ようとした時ボーイに呼び留められ、さらなる贅沢を知る事になる。
予想外のプレゼント――Mr.アンナローロから預かったという封筒には、臨時ボーナスとしては多すぎる位の紙幣が入っていたのだ。
今日を含めても二回しか会った事のない相手からこんな大金貰ってしまっていいのだろうか……。ボルガも皆も最初は躊躇ったが、最終的に受け取りを拒否すれば困るのはレストランのスタッフだという所に落ち着き、今夜は一番いい宿で美味しいシャンパンで乾杯しようと決まった。
***
高級な部屋は香りからして違う。
部屋を入った瞬間に広がる果実のような爽やかな匂い。
淡いグリーンとホワイトを基調にした広々とした空間を見て、一目でこの宿にして正解だったと感じた。
それにディナーがバイキング形式だった事もポイントが高い。半日歩き回った後の夕食はとびきり格別なのである。
三手に分かれて課題の手掛かりを得るべく町の探索を続け、有力な情報を捕まえてきたのはニコラシカとベヴェルだった。
アドニス達は空振り。
ボルガにも収穫はなかったが、代わりにMr.アンナローロが言っていたマフィア同士の小競り合いについての情報は幾らか集まった。
今滞在しているチュスロの町は、近々隣町と合併する予定がある。それによって土地の区画が変わるので、これまで町同士が共有していた土地を巡って、チュスロのレオーネファミリーと隣町のガンビーノファミリーが揉めているのだという。――どこにでもよくある島争いだ。
しかし、帰属未定地域を挟んでの争いという点。それはボルガに暗鬱な過去の事件を想起させた。
(……似てんなぁ。あの時と……――)
ロスカの死を知らされてから畳み掛けるように起こってしまった出来事――今でも時々新聞で目にする《リーリア事件》という文字から、ボルガはつい顔を背けてしまっていた。
出来ればその時の事は思い出したくない。
だが考えていかなければいけないのだろう。――ヒーローでいる為には、忘れてはいけない。
分かってはいるが、それでも気が塞いでしまうのは、迷ったその時の答えをまだ見つけられずにいるせいだろうか……――
鑢を掛ける手を止め鈍く光る剣を見ると、そこに写っているのは、自分のとても情けない表情。
「……………」
ボルガは剣を置き立ち上がると、そのまま部屋から出て、隣の部屋の戸を叩いた。
「おーい、ラテ―」
――なんだか、無性にロスカの話がしたくなった。




