(2)
「なかなか美味かった! 誉めて遣わすぞ!」
王室が客人をもてなす際に使われるのと同じ銀製のナイフとフォークがカチャリと皿の端に揃えられる。
ツインテール(正確には側頭部からウニの刺が生えたような髪型)の少女は、ブレンダが運んできてくれた料理を全て食べ終え、
「しかし、デザートはないのか?」
と不躾な期待を寄せた。
「……なぁ、おい……連れて来んのはボルガだけにしろって……」
「だって……」
妙なガキ連れて来るなよ。俺達まで追い出されるぞ。
厄介になっている立場でさらに厄介者を運び込んできた三人に、エルディーは肩身の狭さを耳打ちした。
突然素っ裸で担ぎ込まれ、風呂に入れたり
服を着せたり、手厚く世話を焼かれる間も終始ぐうすか寝ていたと思ったら、「ご飯ですよー」の声で飛び起き、その後ひたすら大量の飯を食っている。
そんな様子をまざまざと見せつけられ、困惑するなという方が無理な話である。
明らかに異様な状態で少女を発見したラテ達でさえ、何か特別の事由があるのを差し引いても、見ているだけでゲップの出るような食べっぷりには驚きを隠せなかった。
そうするとやはり、部屋で待機していた四人の目に、この少女が恐ろしく無遠慮な人間に映るのは否めない事なのだ。
うわぁ……と引き気味な白い視線が自分に集中しているのにも気付かないで、少女は満足気に魚介たっぷりグラタンを食べた口元を拭った。
「おい、そこの」
「ワタシ?」
テーブルと向き合っていた少女が唐突にくるりと振り返った。
「そうお前達だ。赤いのと白いのと紫の」
どうやらボルガ、ラテ、シャンエリゼの事を言っているらしい。
「あてしを助けてくれて、ありがとうな」
実に奔放な少女は紫色の目を細め、ニカッと犬歯を見せて笑った。
「ところでお前達、この辺に洞窟はないか?」
「あ―……それなら城の東に……」
「おまっ、馬鹿ボルガ!」
余計な事しゃべんな、と慌ててエルディーは馬鹿正直者の口を塞いだ。
こんな嵐でもなければ、迷子などすぐ警察に預けに行けるのに。
何が目的か知らないが、課題を遂行する場まで付いてこられたら面倒くさい事になりそうだ。これ以上の厄介はご免被る。
「なぁあんでもないのよ!? そ、それよりあなたのお名前は?」
ベヴェルも同じ事を思ったのか、誤魔化すように話題を素早く切り変えた。
「そう言えば名を名乗っていなかったな。あてしはソノラ・アクアだ。お前達は?」
「僕はニコラシカ・メルキュールと言います」
「ラテ・アロマだよ」
窓際から順にニコラシカ、ラテ、シャンエリゼ、アドニス、エルディー、ボルガと続き、
「ベヴェル・ジ・アクアよ」
「ベヴェル!?」
彼女の名前を聞いた途端、ソノラは椅子を倒して飛び上がった。
「言え! “深海珠”は何処だ! 何処に隠した!」
「なっ、何!?」
突如ソノラは意味不明な事を叫び、最後に名乗ったベヴェルへ掴みかかった。
「どこだ! 神殿のどこに“深海珠”を隠したんだ!」
「しっ、知らないわよ!」
そんな物全く心当たりがない。何の事を言っているのやらさっぱりでベヴェルは困り果てるが、ソノラはかなり必死な様子でベヴェルを問質している。
話が噛み合わず二人が揉み合いになりかけた時、ラテが「あっ!」と気が付いた。
「もしかして、ベヴェル・アクアの事じゃないかな?」
「あ、あぁ……そっか。ソノラ・アクアだし、あんた初代の親戚……?」
「お前……ベヴェルじゃないのか……?」
ソノラの顔にハッとした表情が浮かぶと、ベヴェルの服を掴んでいた力は緩んだ。
「この子はベヴェル・“ジ”・アクア。アナタの知ってるベヴェル・アクアとは赤の他人だよ」
「なんだ……そうなのか……」
急にしおしおと大人しくなり、
「悪かったな……」
とソノラはベヴェルから離れて、椅子に座り直した。
「君もベヴェルを知っているんだね?」
ニコラシカがおっかなびっくり尋ねると、卓上の水を飲んで少し平静を取り戻したソノラは言う。
「――知ってるさ。あてしはベヴェルと同じ“深界人”だからな」
「深界人?」
「お前達人間が“人魚”と呼んでいるものだ」
平然と。当たり前のようにソノラは言った。
――人魚、だって?
漁師が見たとか、その肉を食べると不老長寿を得るとかってやつか?
この広い世界、未確認生物だってそりゃあまだまだいるだろうけれど、そんなレア生物の名をポンと挙げられたってすんなり信じられっこない。
「さてはお主ら、信じてないな? いいか、ちゃんと見とくんだぞ」
全員の疑いに満ちた心はソノラに伝わったらしい。
ソノラは首から下げていたペンダントを握り締めたかと思うと、狭い額の真ん中にキュッと眉を寄せ、何かを念じるように目を瞑った。すると椅子に座ったソノラの腰から下がみるみる人間のものから魚類のものへと変化していくではないか。
「――――!」
全員が目を見張った。
赤子のように柔らかそうだった皮膚が徐々に硬質化し、整然と並ぶ三角形の鱗になっていく。
マジック……?――ではなさそうだ。
ソノラが自分で着ていたワンピースをぺろんと捲ると、その下には本物らしい鱗の波模様があるだけで、種も仕掛けも無かったのだから。
取れたての鮮魚のように活き活きと動く尾は継ぎ目もなく、しっかり人間の(ように見える)胴と繋がっている。脚だった部分はそっくり魚の尾鰭にすげ替えられ、銀色の鱗が虹色に光を反射させた――その姿は紛う事なき伝説にある人魚。
「あてしが人魚だって信じたか?」
さらりと。胸まで捲り上げたワンピースが降ろされる。
「……すっげ―!人魚だ、人魚!」
呆然とする一同。その中でただ一人、ボルガだけはサンタクロースに会った子供のように感動で目を輝かせていた。
「俺、ロスカから聞いた事ある! 人魚は嵐の夜に現れやすいんだって!」
テンションが急上昇したボルガは無邪気さを顔に浮かべ、人魚の滑沢な表皮に見入っている。
確かに妖艶な乙女のイメージとは程遠く、神秘的なベヴェルの面影とも重ならないが、嵐の晩に現れた少女は正真正銘の人魚だった。
しかし、怒涛のように高まったボルガの興奮とは対照的に、頓にソノラの表情は暗いものになる。
「この嵐は……あてしの上陸を妨害するためのものなんだ」
急に、潮が引いたような静かな口調。俯いた彼女の瞳からは、まるで沈没する船を目送するような寂寞とした絶望が感じられた。
「ベヴェルが果たせなかった地上侵略を、今“アイツ”が成し遂げようとしてる……。アイツは……地上と深界の王になるつもりなんだ」
「地上……侵略……?」
「何? 王様? えっ、え? 」
「話が壮大過ぎるな……」
「……最初から話そう。そもそもの始まりは、もう何千年も前に深界人が魔道具を手に入れた所からなんだ」
静々といった感じで、世紀を跨いだ真実がソノラの口から語られた……――
全ての発端は遥か歴史の彼方。
人間が古代と定めた時代において、星の環境を一変させるような巨大地震が発生した。
その地震により起こった津波は陸地を喰らい尽くし、古代に栄えていた地上の文明を丸々飲み込んで、文明の証である魔道具も殆どが波に奪い去られてしまったのである。
(地上に残っている魔道具の数が極めて少ない事が、構造的な解明が進まない一因となっている)
沈み、流れ、吸い込まれるように。魔道具は海流に乗って長い月日を彷徨った。
やがて、そんな使い手と逸れてしまった魔道具は深い海の底で新たなパートナーを見つける。
それが「深界人」――深海に住む人魚達だった。
深海人は魔道具の使い方を会得し、同時に彼らは“地上”と“人間”の存在を知る。
ちょうどその頃から平和だった深界にも争いが蔓延するようになり、便利な魔道具や強い力を求めた深界人達は、地上にも興味を示すのだった。そしてついに行動を起こす。
争い好きだった時の海王は、地上を統治下に置く事を欲し、大勢いた娘達の中から一人、地上へスパイを送り出したのだ。
「――その娘こそ、ベヴェル・アクアだ」
「じゃあ、ベヴェルは地上侵略の為にこの辺りを嗅ぎ回ってたっていうのか?」
「最初はそうだった。それは間違いない」
深界人として初めて陸へ上がったベヴェルだったが、その時点で地上の事は何も分かっていなかった為、侵略の第一歩として最初にベヴェルが行ったのは地上の調査だった。
歌手として王に仕えながら、知り得た地上の情報を深界へと伝達していたのである。
人間は戦争ばかりしている事。もう魔道具は持っていないが、それに代わる武器を有している事。食べ物が美味しい事。綺麗な服や建物、草花がたくさんあって、美しい物で溢れているという事――良い所も悪い所も、気付いた事は全て…――
それらの報告は専ら外に出る人間が少ない雨の日の夜に、海と繋がった洞窟の奥で行われた。
報告役の深界人がベヴェルから聞いた情報を持ち帰り、それを元に侵略の準備が進められる事数年。
ベヴェルに二つ目の魔道具――深海珠が渡されたのだった。
「先程お前が口走ったのが、その深海珠か?」
「うん。ワタシはベヴェルが隠した深海珠を探し出す為に来たんだ」
「隠した……?」
「深海珠には水を自在に操る力があって、計画では陸を水攻めにして人間達を制圧する事になってたんだ。けど、ベヴェルはそうはしなかった」
「はぁん、読めたぜ。人魚姫は王子様に恋して人間側に寝返ったんだ!」
「……まぁ、そういう事だろうな」
ソノラは縦に首を振った。
「ベヴェルが深界との連絡に使ってた洞窟は深界と繋がるトンネルみたいな構造になってるんだけど、深界珠を受け取った後ベヴェルはトンネルの深界側を塞いで、それきり連絡を絶ち、深界へも帰って来なかった。たぶん深界珠はトンネルの途中にある神殿に隠されてるはずだ」
「どうしてそこだって言い切れるの? 地上にも隠せる場所は幾らでもあるのに?」
「地上に隠して、もし人間に見つかったら確実に戦争の道具にされるだろ。ベヴェルは人間達が傷つくのをとても嫌がっていたらしい。でも神殿がある深さまで人間は潜れないから見つかる心配はない。それにわざわざトンネルを塞いだのは深界人にも渡さないためだろうから、きっとそこにある――って、父上がおっしゃってた」
「なんだ受け売りかよ」
そんな不確実な情報で宝探ししようなんて……という呆れがエルディーの顔にはハッキリと出ていた。
「というか片側だけ塞いだ所で、完全に神殿への侵入を防ぐには不十分なんじゃない? あんたみたいに魔道具使って、深界人が地上経由で奪いに来るかもよ?」
「人間になれる魔道具は最近あてしが見つけたこれ一つだけだし、そうそう見つかるもんじゃない。もし深界人が海王珠を奪いに来たら逆に海王珠を使って追い返す為に、自分しか使えないルートを残して置いたのかも? ……今ちょうど似たような状況になってるし」
「貴方達はまだ地上を狙っているんですか?」
敵対心を込めた目でシャンエリゼがソノラを見やると、ソノラは紫色の目をキッと吊り上げて噛み付くように言った。
「今の海王は平和主義者だからそんな事考えてない! 第一、あてし達深界人は陸じゃ生活出来ないのに侵略なんかする意味がないだろ。侵略なんかしたがってるのは、権力と名声に執着してる“アイツ”みたいな奴だけだ!」
「そういやアイツ、アイツって……一体誰なんだ?」
「……それは、」
「しっ! 静かに!」
言いかけたソノラをボルガが強く遮った。
「――!? なんだ……この声!?」
「どうしたボルガ?」
「また……声がする。それから嵐の音も前よりデカくなってる」
「また誰かお腹空かせてるのかな?」
ラテが冗談半分に言うと、そういう感じじゃない、とボルガは耳を澄ませながら答えた。その声からは切迫感すら読み取れる。
何か、何かがおかしい。
ソノラの時とは違う、何か異常な気配を感じ取っているようだった。
「……ん、……ダメだ聞こえにくい」
「窓開けろ、窓」
「はい!」
窓に近かったニコラシカが急いで窓を開くと、ビュンビュン風が荒れ狂う音を連れて部屋へと入ってきた。
「……ソ…ノ、ラ…? ソノラって言ってるのか?」
「えっ!?」
『……ノラ…、…ソ…ノ…ラ……』
遠く囁くような声。
微かだが風の音の中に人の声らしき揺らぎが聞こえた。
「おい、あれを見ろ!」
窓の正面。海上では異様な現象が起こっていた。
「なに……あれ……」
全員が言葉を失った。
海面に沿うように低く連なっていた暗い雲の塊が、まるで生き物のように団子状に固まって蠢いている。
不気味に姿を変えるそれはやがて人の顔のようになっていき、ついには魂を得たが如く大口を開いた姿へと変貌した。
『…ソ……ノ…ラ……』
「エーギル……ッ!」
人を海底に引き擦り込もうとする魔物ような声が、もうはっきりと誰の耳にも聞こえる大きさで低く低く唸る。
『ソノラよ……よく聞け。我が軍は国王を拘束した。海王珠は諦めて投降しろ。海王になるのは、この私だ』
神経を舐るような不快な残響を後に、それだけ告げると雲は風に流されるようにして消えていった。
「……そんな……どうしよう……。父上が捕まったなんて……」
口元を抑え、真っ青な顔でソノラはひきつりを起こしたように震えた。
「ソノラ、もしかして今のが…?」
「あぁ、アイツだ…」
「おいおい、海王拉致られるとか周りの奴は何やってたんだよ……。やべーじゃん」
「……今深界では国軍とアイツの率いる軍とが戦ってて、国軍は敗戦ギリギリなんだ。一発逆転を狙ってあてしは海王珠を探しに来たけど、アイツだって馬鹿じゃない。岩を退かして神殿への道を開く間、あてしを妨害する為にこの嵐を起こした。……でもそれだけじゃ間に合わないと思ったんだろう……。だから……、だからこんな事を……ッ!」
「急いで助けに行けよ! お前の父親なんだろ!」
「けど海王珠がなきゃアイツの暴走は止められないッ! 奴を海王に出来るか! あてしは姫として深界人みんなを守らなきゃいけないんだ! 父上もそう仰った!」
八つ当たりのように叫んだソノラの瞳からは今にも涙が溢れ出しそうだった。
今深界に戻ってもエーギルには太刀打ち出来ない。かと言って海王珠を探し出す間に海王にもしもの事があったら……。
深界の様子が分からぬ状況で決断を迫られ、明らかにソノラは動揺していた。そんな時、鶴の一声ならぬ黒鳥の一声が。
「こうなっては仕方がない。海王救出と魔道具探索を同時に行うぞ」
アドニスが口火を切った。
「……やるっきゃねぇな」
「はい、やりましょう!」
「お前達……協力してくれるのか……?」
「なに、こちらもそうするだけの理由があっての事だ。ところでソノラ、お前の魔道具で俺達を深界に行けるようにするのは可能か?」
「う、うん……。まだエネルギーの残量はかなりある」
「よし。では早速作戦を立てよう」




