(2)
「あ……れ……?なんかすっげー眩しかったけど……?」
ぱちくりとした瞳が暗闇を探る。夜から真昼に転じた世界は、言葉通り瞬く間に夜に戻っていた。
まだ目がチカチカする。暗いのか明るいのか、シャボンの泡みたいなグラデーションが邪魔をしてよく見えない。
何となく先程と同じ場所にいる事は分かるが目が機能を回復するにはもう暫し時間が掛かりそうだ。もどかしくなったボルガはごしごしと目を擦る。
「なぁ、おい。何が起こったんだ?」
同じくぱちぱち目を瞬かせて暗闇に目を慣らそうとしているラテに問い掛けると、細やかに造り上げられた人形のような顔が複雑に歪んだ。
「さぁ……?泥棒が引っ掛かった罠にワタシ達も引っ掛かったとしか……ん?あの時計……」
鏡が光る直前開けた部屋の正面にはずり落ちた壁掛け時計。
気のせいか文字盤が反転しているように見える。部屋に入って近くで確認するもやはり見間違えなどではなく、当然だろう?と得意顔な時計の針は反転した文字盤の上を悠々逆回転していた。
「『反転世界を越えた先』……ってこういう事……?」
薄紅の唇がやや確信めいた疑問を唱える。ラテの呟きを裏打ちするように、ドアや廊下の造りなど光に包まれる前に見ていた景色は、見事に左右対称――鏡写しになっていた。
「お、雨止んだみたいだぞ」
罅が入るだけで辛うじて割れていなかったガラス窓に駆け寄ると、確かに雨は降り止んでいた。
「なぁ、あそこって墓地じゃねぇか?」
「どこ?」
ボルガが指さす方を見れば、まるでドミノのように石が幾つも並ぶ丘があった。
「雨も止んだし、もしかしたら墓泥棒もあそこに向かったかもしれないね」
「っしゃあ!早速捕まえに行こうぜ!王家の宝が盗まれる前にさ!」
「そうだね。……でも、たぶん王家の宝はあそこにはないと思うよ」
「え?なんで?」
「ほんとに一瞬だったけど、部屋の中が見えたんだ。鏡写しでない“本物”のこの部屋には、装飾品とか美術品みたいなのがたくさんあって、王家の宝ってたぶんそれじゃないかと思うんだよね」
「鏡写し?」
「他の部屋のドアは内開きなのに、この部屋だけ外開きでドアに鏡が貼られてたでしょ?それと、廊下の突き当たりの壁も鏡になってて、誰かがこの部屋に入ろうとしたら自動的に合わせ鏡になるように出来てたんだよ。これはただの鏡じゃない。魔道具、もしくは――……まぁ、どっちにしろ術者がいる訳なんだけど。とにかく宝を狙う人はみーんな鏡送りにされちゃうって事だね」
「だけどなんでわざわざここに宝を隠したりしたんだ?普通に墓に埋めりゃあいいじゃん」
さらっとと言ってのけるラテに、いまいち納得のいかない顔のボルガはうんと首を捻る。
「考えてもご覧よ。もし外に宝を埋めたりしたら水害の時に流されちゃうかもしれないでしょ。あくまで墓石だけで、宝はここに納められたんだよ」
「おー、そっか」
「宝を狙って行方不明になった泥棒達がここにはわんさか集まってる筈だよ。鏡に映った時の姿でいるかは、分からないけどね……」
ラテの声は意味深な雰囲気と共に湿っぽい空気に吸い込まれた。
「んじゃあさ、ここは鏡の世界で、どうやったら元の世界に戻れるんだ?」
「そこまではワタシも検討がつかないなぁ。死鏡に聞いてみないと」
「しにかがみか……。よし、とにかく墓地に行ってみようぜ」
バン、と勢いよく窓が開かれ、湿気を含んだ夜風がすいと流れ込んできた。
澱んだ水の匂いに、やはりラテは不快感を覚える。まるで死臭のような胸を重たくする匂い。
王族の怨霊が巣くう城の墓地にいい雰囲気なんて期待してはいないが、ずっと感じているこの不快感はたぶんそういう類の物ではない。それに、鬱陶しいのは降り出しそうな気配を見せる雲の塊だ。
ラテの中に静かに憂鬱が込み上げる。
雲が夜空を飲み込んでしまった黒色の中、二人は錆び付いたベランダへと出た。
根腐れでもしているのかすっかり元気のなくなっている枝に飛び移って地上へと降りる。
墓地に近付く程雨の匂い濃くなって、じわりじわりと積み重なっていくような感覚。それは覚えのある感覚だった。
雨の運んでくる墓土の匂いが心まで浚っていく、そんな嫌な感じ。
もしかしたらこんなに嫌な感じがするのはあの日を思い出すからなのかもしれない…――
「なぁ、そういや鏡ん中に入る前に何か言いかけてたけど、何だ―?」
記憶の黒い雨がぽつと一滴落ちた時、ボルガから声を掛けられラテは顔を上げる。
「どうかしたのか?」
どうやらその顔には憂鬱が残っていたようで、ぶっきらぼうに尋ねられる。
。
「……ううん。なんでもないよ」
冷たい心の雨音を聞き分ける痛いくらい眩しく強い赤。その明るい声は、一瞬で夢現の気配を凪いだ。
前を行く背中は剣を背負っているだけで全くの無防備だが、その背中には、頼もしく感じさせる何かが確実にある。
どんなに奥深い内側でも、心が叫んだ音を必ず聞き付けて助けてくれる――そんな事を語られた時は、まるで伝説の勇者の偉業みたいだと思っていたが、不思議とボルガを前にすると、“彼”の言っていた事が素直に信じられた。
「あのね、ボルガ」
だからこそ、伝えようと思った。
いつか、必ず伝えなければと思っていた事を今。
「ワタシはアナタに伝えておきたい事があるんだよ!」
「なんだよ?改まって」
「大事な事だから……。ワタシ以上に、アナタにとって」
「やっぱり俺、お前と知り合いだったか……?」
「ううん、会うのは初めてだよ。でもワタシはアナタの――」
ギャァァアアアアア!!!
墓から上がった断末魔のような奇声が夜闇を震わせて、ラテが紡ごうとする意思をまたしても打ち砕く。
「……しょうがない。全部終わってから聞いてちょうだい」
只ならぬ事態を察した二人は、後少しのところまで来ていた墓地まで急ぎ走った。






