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PuPPet  作者: PM
第六幕 歴史は深海より深く ~沈め、沈め。二度と浮きあがる事のない果てまで~
19/32

(1)


 ――海洋都市、エクアレ。


 人魚伝説の発祥の地とされ、美しい人形がその身を休めるのに相応しい立派な珊瑚礁が自慢の観光地である。

 砂時計にも用いられる特別に白い白砂。エメラルドブルーの海。太陽を近くに感じるビーチはいつも海水浴客で賑わっている……筈なのだが。


「嵐……止まないなぁ~」


 この地方では滅多に起こらないという嵐の特大クラスの物に大当たりしてしまい、一向はエクアレに着いて早々屋内退避を余儀無くされた。

 夜になっても雨脚は強まるばかり。明るい色のカーテンを捲った先で、黒灰色のビーチに立つ椰子の木は雨風に絶えず殴り掛かられている。せっかく旅に光明が差し始めた所だったのに、また思わぬ足留めを食らってしまうとはつくづく運がない。


「お客様、せっかくいらっしゃったのに残念でしたね」


 ゆったりと落ち着いた温もりのする声と共に、壮年の女性がお茶の用意を持ってやって来た。エクアレ城の侍女だというこの女性こそ、突然の暴風雨に困っていた一行を城へと招待してくれた人である。

 雨風が凌げれば使用人室でも十分だったのだが、わざわざ客間に通してくれた上、シャワーや食事の用意までしてくれた。

 侍女の招待でただの民間人を受け入れてくれるエクアレ王の懐の深さにも感謝したが、それはたぶんラテが《人形使い》だと名乗り出てくれたのが良かったのだろう。おかげで暫くは至れり尽くせりだ。



「お嬢さん、キャンディはいかがかしら?」


「わぁあ!頂きます!」


 老女はベヴェルにキャンディを手渡すと孫を見るような目でにこにこと笑い、長年の笑顔の蓄積を示す皺を深くした。


「私はブレンダっていうの。お嬢さんのお名前は?」


「あたしはベヴェル・ジ・アクアっていいます」


「ベヴェル?まぁまぁまぁ!歌姫様とよく似たお名前ですこと」


「ブレンダさん、ベヴェル・アクアを知ってるんですか?」


「えぇ。私はここに勤めて長いからよぉく知っていますよ。お嬢さんもご存知なのね?」


 そちらのお嬢さん達もお一ついかが?とラテにも、その隣のシャンエリゼにもキャンディを勧めてくれた。


「歌姫様はね、一代前の王様がまだ王子様の頃からずっと歌って下さっていたの。お妃を迎えた結婚式でも、王に御即位成された時も、今の王様がお生まれになった時も。まるで人魚のようにお美しい方でね、お年を召されてもずっとお若いままだったのよ。けどやっぱりどこかお体が悪くなったのかしら。王様がお亡くなりになった後、歌姫様もお仕事をお辞めになった上この国を離れて行かれたんです。その時に歌姫様の長年の功労を讃えて送られた記念グラスがそれはそれは立派な物でしてね。歌姫様の水色の髪と紫の瞳の色にそっくりな美しいグラスだったんですよ」


「そうなんですか。あたしの名前、実はベヴェル・アクアに肖って付けられたんです」


「まぁ、やっぱり!」


「あの、ところでこの辺に“人魚の宝”が隠されてるって話とか知ませんか?」


「そうねぇ~…ここは人魚に纏わる噂の多い土地だけど……あぁ!そうだわ。そういえば歌姫様がよくお一人で出かけてらっしゃった洞窟へ、私こっそり付いて行ったことがあるの」


 あれは私の娘時代だったわ――ブレンダはある晩の事を細波が海藻を揺らすようなゆったりとした速さで語ってくれた。

 当時からブレンダは美しく淑やかなベヴェルに憧れており、事ある毎に彼女の後ろをついて回っていたらしい。

 そして彼女を観察する内に、彼女が夜頻繁に出歩いている事に気付いたのだ。


 ベヴェルが出掛けるのは決まって雨の夜。誰もいない。潮の香りの中雨が地を叩く晩だった。

 灯りのない夜道を傘もささずに城からずっと東へ…――行き先はとある洞窟。

 ブレンダはもう何度も洞窟内に消えるベヴェルの姿を見て知っていた。

 ふうっと洞窟の入口に入っていったと思うと何分かして直ぐにまた入口から現れ、城に帰ってくる。何をしに行っているのかと本人に訪ねても、散歩だと言ってそれ以上は教えてくれず、ブレンダはベヴェルが洞窟でしている事を確かめようと、その日、跡を付けたのだ。


 そろそろと。ブレンダはカンテラの灯りを弱め、砂浜の上についた波と雨が掻き消してしまいそうな小さな足跡を追い掛けて洞窟までやって来た。

 初めて入る洞窟の中は存外に広くて暗く、ごつごつした足場を照らしながら歩くがそれでも不安で、見つかってしまうのを覚悟で灯りを大きくした位だ。

 うっかり水溜まりに突っ込んだ足がぺちゃっ、ぺちゃっと生ぬるい音を鳴らし、冷えた空気が雨で濡れた肩を撫でていく。洞窟内には冷気が充満していた。

 歌姫様は何処だろう?

 ブレンダはほんの少し脇目を振らせた隙にベヴェルを見失ってしまったのだ。

 自分の灯り以外に光を放つ物はそこからは見えない。

 いつの間にベヴェルは洞窟の奥まで行ってしまったのだろう?一度見失ってしまうと再び見つけ出すのは困難に思われた。

 けれどがむしゃらに進めば入口まで戻れなくなってしまうかもしれない…。

 寒いし、諦めて今日は引き返そうか。そんな考えが頭を過ぎった時、サァサァと岸に打ち寄せる波とは違う、何やら人の話し声のような音がするのだ。

 怖かったけれど、子供ゆえの好奇心から、ブレンダは勇気を振り絞り声のする方へ再び歩き出した。


 奥に進めば進む程、徐々に声は鮮明になってくる。

 優麗な透き通る海みたいな声はベヴェルで、もう一つの声は誰のものだろうか。


「歌姫様~?」


 後少しではっきり言葉まで聞き取れそうな所まできて、ブレンダはベヴェルを呼んだ。すると――ピタッ、と声が止んだ。


「歌姫様?私、ブレンダです。どちらにいらっしゃいますか?」


 静寂。急に人の気配のようなものも消え、ブレンダの声だけが空しく反響する――まるで一人きりになってしまったような錯覚に襲われた。

 絶対近くにいた筈なのに、一体どこへ…


「――……ひ……っ……!」


 突然、冷たい何かが頬に触れた。


「ブレンダ、私よ」


「歌姫……様……?」


 ――ベヴェルだった。


 驚いたブレンダがしゃっくりのような声を上げたせいか、カンテラに照らし出されたベヴェルはクスクスと笑っている。


「びっくりした?」


「え……えぇ。とても」


 まるで心臓に冷水を掛けられたみたいにびっくりした。

 触れたのはベヴェルの手だったらしい。真珠のようにすべすべしたひんやりした指でブレンダの頬を包み込む。


「歌姫様、どなたとお話していらっしゃったのですか?」


 辺りを照らしてみるが、暗闇が鎮座するばかりで可笑しな事にブレンダとベヴェル他には誰もいないようである。


「……聞き違いじゃないかしら?」


「えっ、でも」


「それよりブレンダ、此処へは……もう来ては駄目よ」


「どうしてですか?」


「人魚がやって来るから」


「人魚……?」


「そう、人魚。此処には人魚の宝物があるの。もし近付けば、人魚達は貴方が宝を奪いに来たと思って、貴方を食べてしまうかもしれないわ」


 ――だからもう来てはいけない。洞窟へは決して近付かないようにとベヴェルは言った。それからその晩の事も、誰にも秘密にすると堅く約束させられたのだ。



***



「――今にして思うと、雨の晩に出歩く人はいないし、あの洞窟の中じゃ何かあっても助けなんか来ないじゃない?歌姫様はまだ幼かった私を心配してそんな事をおっしゃったんだと思うわ」


「そうですね、きっと」


「うふふふ、そうよね。人魚なんている訳ないわよね。ごめんなさい、懐かしい名前聞いたものだからつい長話しちゃって」


「いえ、貴重なお話ありがとう御座いました」


 ベヴェルが言うと、うふふふとブレンダはまた楽しそうに笑った。


「じゃあ私はこれで。何か御座いましたら遠慮なさらずにお申し付けください」


 白髪の頭を深く下げると、カラカラと配膳台を押してブレンダは部屋を後にした。


「――……聞いた?」


「あぁ、ばっちり聞いてたぜ」


 パタン、とドアが閉まると、皆の視線は部屋の中央、ラテの《総譜》に集まった。


『泡沫の輝きから人魚の声を聞け。光の導きのままに海を治めよ』


 これで《総譜》が下す課題の目星は付いた。


「嵐が止んだら早速洞窟に向かいましょう」


「うん。……ちょっとボルガ、聞いてるの?」


 全員が首肯する中、一人だけ上の空で窓の向こうばかり眺めていたボルガに、ベヴェルが注意っぼく言った。


「……聞こえる」


「あっそ。ならいいわ」


「……聞こえるんだ」


 ――バンッ!


「わ……っ、ちょ、開けないでよ! 雨入ってきちゃうじゃない」


 吹き込んできた雨の冷たさにベヴェルは思わず悲鳴を上げた。

 ヒュウウウゴォオオオオオ。何を思ったかボルガが突然窓を開いたせいで、強い冷気と風が部屋に雪崩れ込む。


「ボルガ早く閉めてくれ!」


「閉・め・ろ・よ!」


 アドニスもエルディーも音の妨害に合いながら必死にと発したつもりなのだが、その思いはボルガに届かない。鳥が羽ばたくようにばたばたと閉じたり閉まったりを繰り返す窓の前で彼はただ静かに瞳を閉じていた。

 ゴォォオオ。ドォォオオ。

 風の流れる音。針のような雨粒と夜の匂いのする冷たい外気。皆が感じたのはそれだけだったが――


「―――! おい、聞こえたか今の!?」


「何が」


「聞こえただろ、“助けて”って!」


「はあ? あんた何言って、」


「俺、少し出て来る!」


 自分が開けた窓を閉めるのも忘れ、ボルガは身一つで部屋を飛び出していった。


「どうしますか? ボルガさん本当に行っちゃいましたよ!?」


 ニコラシカはボルガの代わりに窓を閉め、心配そうに言う。


「ワタシ、呼び戻してくるよ。みんなは此処で待ってて」


「では私もご一緒に」


「ほっとけよ。すぐ帰ってくるって」


 ソファーから立ち上がったラテとシャンエリゼを引き留める。


「うん、でもボルガに聞こえた声も気になるし」


「空耳じゃないんですか? 声なんか聞こえませんでしたよ?」


「ワタシも聞こえなかったけど、ボルガはとっても耳がいいから本当に何か聞こえたのかもしれない」


「腐っても音楽家か? 一応あいつにも音楽家らしい所があるんだなぁ。んじゃ俺達は留守番してるよ」


「そうして下さい。ラテ様、参りましょう」


「うん」




***




(聞こえる……! やっぱり聞こえる!)


 燃え盛る炎が闇を駆ける。

 吹き荒ぶ雨風と機嫌悪く唸る波。音の嵐の中から逃れ、微かにその声はボルガの耳に届いた。

 波は鋸のように引いては押し寄せ、その度にビーチの砂を削り取っていく。海はひどく荒れていた。

 風速毎秒三十メートル以上はあろうかという大嵐の中、荒れ狂った波に今にも攫われそうな声をボルガは必死で探す。


「ボルガ――!どうしたの――?」


 と、防波堤の上からボルガに追い付いてきたラテに呼ばれた。隣には嵐からラテを守ろうと傘を開いた(あまり意味が無さそうだ……)シャンエリゼの姿もある。


「この辺で誰かが助けを呼んでるんだ―!お前達も探してくれ―!」


「わかった――!」


 間違いない。声の主はこの近くにいる。

 助けて……、助けて……。

 ボルガにはまだその声が聞こえていた。

 声の主は諦めていない。絶対に見つけてやる!

 大きく息を吸ってボルガは嵐に向かって駆け出した。

 そして、暫くすると


「ラテ様、ボルガ! 大変です!」


「見つけたのかっ!?」


 早く来て下さい! とシャンエリゼが血相を変えて叫ぶ場所へ駆け付けると、岩陰に十歳前後と思しき少女が倒れていた。

 首から二枚貝を模した銀色のペンダントをぶら下げているが、その下は素肌で、下着を含めた衣類を一切身に付けていない。

 まさかとは思うがこの嵐の中海に飛び込んだのだろうか。

 すっかり全身が濡れ、ビーチに打ち上げられたような姿だった。


「どうしましょう……溺れてしまったのでしょうか……?」


 まるで海水に溶けていたような水色の髪の少女はぐったりとして動かない。

 最初は死んでいるのかと思ったが、一定感覚で胸が上下しているので、一応呼吸はしているみたいだ。しかし溺れたのだとすれば危険な状態に変わりはない。


「もしもし、聞こえる? 大丈夫?」


 ラテが呼び掛ける。

 ボルガが海に浸かったままの体を抱き起こすと、少女はうっすらと紫色の目を開き、闇夜に灯った聖火を見つめるようにボルガの顔を仰いだ。


「……たす……け、て……」


 幼く弱々しい声。

 大嵐に耐えて助けを待ち続けたこの子は、今までどんなに不安で心細かっただろう。一人ぼっちの夜の海。おまけに動けなくなってしまうなんて、怖くて怖くて溜まらなかった筈だ。

 辛かったろうな…。

 年端もいかぬ少女の心中を慮ると、ボルガは胸が詰まるような思いがした。

 虚ろな表情で「た……す……け……て………」と少女がもう一度言う。

 だらんとして、指先まで力の入らなくなった少女の手を強く握ると、ボルガは力の限り励ました。


「あぁ、助けてやる! だからしっかりしろ!」


「お……おなか……」


「腹!? 腹が痛いのか!?」


「おなか……空いた……」


「………え……?」



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