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PuPPet  作者: PM
第五幕 3rd
18/32

(3)

 モンスターを一掃出来たのはかえって良かったのかもしれない。

 行きは低級モンスターに道を阻まれる場面が何度も続き皆辟易していたが、帰り道は小賢しい妨害に合う事もなく直ぐに町まで戻って来られた。

 ペット連れだと泊まれる宿も限られているので(ペットと言われるとアドニスは大層不満そうな表情を浮かべるが)、町の情報を集めるついでに予約した宿の食堂にニコラシカを招くと、自分達の他に客がいないのをいい事にある一角を占領し、この中で最も威圧感を与えないであろう柔らかい雰囲気を持つラテに進行が委ねられた。


「早速だけど、《総譜》をキミに譲った友達ってどんな人なの?」


「家族思いでとても穏やかな人ですよ。僕がもっと小さかった頃にすごく世話になったんです。彼の名前はハルキス。僕はルキと呼んでいました」


 友達の名を呼ぶニコラシカの声は真っ直ぐで優しい。

 敬語を貫き通し、間合いを計るかの如く距離を置いた態度で接してくる彼の顔が、少しだけ子供らしく見えた。


「ルキは僕と同じように魔術師で、普通の人間のお母さんと一緒に旅をしていたんです。旅というよりは難民として彷徨ってたという方が近いんですけどね……。クログフ人である彼ら親子は差別から逃げ続け、自分達の居場所を探していました。僕がルキと出会ったのは今から七年前で、僕が五歳の時でした。……ところで皆さん、どうしてこんな子供の僕がイジアールの支部長なのか疑問に思われませんでしたか?」


「そりゃあちょっと変だなぁとは……、けどお前お坊ちゃんっぽいし、親のコネかなんかだと思ったさ。イジアールっつってもそれなりに貴族なり議員なりとの付き合いも必要だろうし、お前もどっかのお貴族様なんだろ?」


「大体会ってますよ。でも僕が支部長なのは、社会的地位ある人の影響ではなく、現イジアール社長の一人息子だからなんです」


「じゃあキミは、御曹司ってこと?」


「はい……。御存知かと思いますが、イジアールは世界に根を張りあらゆる事業に関わる大企業です。商品ターゲットは老若男女、全ての人を対象としていますが、利率の高い高価な商品を買ってくれる顧客は大半が貴族や政府高官。株主は彼らで実質的な利益を支えるのも彼らなんです。だからイジアールも彼らの意向をとても気に掛けています。……なのに、いずれ社を引き継ぐべき僕は魔術師に生まれてしまいました」


「生まれてしまった、か……」


 国によって大きく差はあるが、三、四十年前から魔術師は社会的に認知されつつある。

 発展途上国、貧困に喘ぐ市街。衣食住の環境が整わずとても学問など力を入れられる状態じゃない地域でも、魔術師の存在そのものは受け入れられるようになってきていた。

 しかし貴族という種族はやたらに保守的で、歴史や伝統を重んじる傾向が強く、過去に「悪」「穢れ」「化け物」として扱われた物をわざわざ拾い上げるような真似はしない。

 今尚彼らにとって、魔術師達は取るに足らない忌まわしい存在なのだ。

 往々にして彼らは排他的である。

 権力や財の庇護の下、身体にも心にも痛みを経験しないまま育つ事に起因してか気に食わなければ即切り捨てる。

 跡取りはそういう連中と、嫌でも無理やりにでも付き合っていかねばならない。自分が魔術師である事を理由に関係を絶たれてしまってはいけないのだ。


「僕が魔術師と知ると、取引先の顔色はあからさまに悪くなりました……。でも僕の業績さえ優秀で、いつかイジアールを率いるトップの地位も備われば、実力で彼らの理解を得る事も可能だと、最初は僕の両親も考えていました。……だけど僕が生まれつき抱えている問題はこれだけじゃなかったんです」


 そこでニコラシカは余程言い難い事なのか、きっと信じてもらえないでしょうけれど。冗談だと笑ってしまうかもしれませんが。子供が周りの注意を引くための嘘のような話ですけれど、としつこい位前置きしてから、やっと消え入りそう小さな声で呟いた。


「……僕は霊や悪魔が取り憑いてしまう、所謂“霊媒体質”なんです」


「れーばい……?」


「体質……?」


 ボルガとベヴェルが分かれて繰り返す。


「やっぱり信じて頂けませんよね、こんな話。でも本当なんですよ。僕は五歳の時、本当に悪魔に取り憑かれたんです」


「取り憑かれると……どうなるんだ?」


「突然大声を出して走り出したり周りの物を壊したり人を攻撃したり、とにかく凶暴で乱暴になって、意識があっても体が全然言うことを聞いてくれないんです。そして意識が無くなると、今度は動物の生肉を食べようとしたり、高い所から飛び降りようとしたり、他にも問題行動がエスカレートします。……そんな厄介者を家には置いておけず、僕は母と数人の使用人と共に田舎に移り住むよう父から命令され、それに従うしかありませんでした……」


 ニコラシカは悲しげに目を伏せる。


「田舎に住み始めてすぐ、僕は母が呼んだ聖職者からお祓いを受けました。家にいた時にも一度受けたんですが、それからは毎日、来る日も来る日も。時には夜通し。だけどどんなに手を尽くしても僕に憑いた悪魔は出て行かず、僕はベッドに拘束されたまま一生を終えるんだろうと諦めて、絶望に暮れていたんです。そんな僕を助けてくれたのがルキでした」


 当時村ではニコラシカが昼夜構わず叫ぶせいで、彼の家は“悪魔の住む家”と呼ばれていた。

 ニコラシカの奇行は度々村人に目撃され、イジアールの御曹司だという事もいつの間にか広まって噂の伝聞に一役かったのだ。

 自分で咬み千切った布団の中身が散乱した部屋は棺。鉄格子付きの窓から眺めた外の景色は冥界から見た現世のような存在だった。

 昼間、悪魔が少しだけ大人しい時間、部屋に縛りつけられたニコラシカに何より絶望感を齎したのは村の子供達が外で遊んでいるはしゃぎ声である。きゃっきゃと友達同士じゃれ合う姿が羨ましくて、外はとても楽しそうに見えた。

 でも光を嫌う悪魔のせいでどうせ出られはしない。それにまた動物を襲ったり何か仕出かしたら母に迷惑を掛けてしまう――そんなのはいけない。

 そこへ偶然村を通り掛かった親子が噂を聞き、部屋と自分の心に閉じ込もるようになったニコラシカの元を訪れた。そして聖職者が誰も成し遂げられなかった悪魔退治を見事に成功させたのである。


「ルキは魔術師の中でも特に強い力を持っていて、その力で僕の精神に救う悪魔を滅し、僕に正気を取り戻させくれたんです。おかげで僕は本家に戻る事を許され、今では支部長まで任せて貰える程、父からの信頼も回復しました」


「今彼はどうしてるの?」


「分かりません……。出会って少しの間は一緒に家で暮らしてたんですけど、ルキのお母さんがクログフ人の自分達といたら迷惑だろうからって、出て行ってしまって……。それからはずっと音沙汰が無かったんです。でも最近になって、突然ルキから手紙が届いたんです。この《総譜》と一緒に」


 胸に手を宛て、ニコラシカは思い詰めた顔をした。


「手紙の内容は不完全な《総譜》を完成させて欲しい旨と、簡単な使い方。そして僕の“封印”を解いたというものでした」


「封印って?」


「害ある悪魔は切り離して消し去りましたが、ルキのお母さんの提案で有害でないものは滅してしまうのは可哀想だから、暴走しないように僕の中に眠らせるだけにしていたんです。その封印が解けたので、今の僕は眠っていた二人の霊と精神を入れ替える事が出来ます」


「じゃあさっきの電気魔法の子は……」


「あれはミスティという男の子です。生前のミスティは雷を操る魔術師だったので、僕の能力を使って昔の自分の姿になっていたんです。僕には風を操る事と体の構造を多少変える事位しか出来ません」


 つまり電気魔法に関わる受容体はニコラシカ自身の構造変化とミスティのイメージにより生み出されており、どちらか一方が欠けては成り立たない。

 ニコラシカの中には確かに彼以外の意思、感覚を持った別人が存在している――“霊媒体質”を裏付ける何よりの証拠だった。


「ルキが《総譜》の完成を望むなら僕はそれを叶えてあげたい。だから課題を解くために旅を決意しました。でも……それ以上に僕はルキに会いたいんです! ルキのおかげで僕は今こうしていられるんだって!」


 《総譜》はハルキスと再会する為の唯一の手掛かり。しかしニコラシカは《総譜》について殆ど知らないに等しかった。

 何でもいい。今は少しでも情報が欲しかった。


「キミの事情は分かったよ。今度はワタシがキミの知りたい事を教える番だね。だけどキミはキミの知りたくない事も知っておくべきだと思うよ。《総譜》を完成に導くなら、《総譜》を持つ者の覚悟として」


「知りたいです! どんな事でも、ルキに繋がるかも知れないなら、僕は全てを知りたい!」


「心の準備はいいみたいだね」


 ニコラシカの真っ直ぐな目を見て、うんと頷くと、ラテは糸車が糸を紡ぐように、複雑な出来事を拠って一つの流れにして語ってみせた。


 《総譜》とは、作曲家コープス・リバイバーが作った魔道具。魔道具とは今は失われた古の英知であり、想像によって創造する力を得る為の機器。

 そこには人や魔術師の別もなく、ただ強い想い(イメージ)さえあれば魔道具に込められた力を引き出せるのである。

 リバイバーが何ゆえ魔道具を作る術を得ていたのかは明らかでないが、《総譜》は使い手の意志イメージを限りなく現実に反映させる究極の魔道具。

 世界に三つ存在する《総譜》を巡り、今大変な事が起きようとしていた。


 《総譜》の所有者だったボルガの兄、ロスカは殺され、恐らく犯人は《終焉劇団》と名乗る組織に《総譜》を持ち込んでいる――それが一つ目。

 二つ目はラテが所持し、現在進行形で完成を急いでる。そして三つ目は、ニコラシカがハルキスから預かったというそれだ。


「三番目の所有者がキミで良かったよ」


「だが油断するな。《終焉劇団》も“組織”もまだ動いている」


 世界の裏では町を襲って人を攫い、無理やり魔術師にする為の実験を繰り返す凶悪な組織が暗躍している。

 アドニス、エルディー、ベヴェルはその被害者であり、《終焉劇団》が“組織”の情報を握っている可能性が強い事から《総譜》を持ったラテの旅に加わった。

 《総譜》をより完全にし、願い(イメージ)を百パーセント忠実に叶えるに、はエネルギーの供給が必須である。

 《終焉劇団》は魔術師の血液から採れるエネルギーを狙い、組織に接触しようと試みていると考えられた。

 互いに黒い野望を渦巻かせる二つの組織がもしも出逢ってしまったなら、《総譜》を使い何をするかなど分かった物ではない。一つ確かなのは、彼らが《総譜》を完成させたその時、世界は著しくその姿を変えるという事だ。

 全智を欠いた全能は人の手には余りある。神の悪戯で両者が巡り会ってしまうのを、誰かがどうにかして止めなければならなかった。

 何人も踏み越えてはならない境界は気付かぬ内にすぐ側まで迫っているのかもしれない……――


「そんな事が起きてるなんて……」


 世界の驚異を思いもよらぬタイミングで知らされ、ニコラシカは絶句する。

 自分なりに世界情勢を見極めようと日頃から分析を絶やさないでやってきたのに、そんな異変は片鱗すら見えていなかった。

 しかしそれにしても、こんなとんでもない事が誰にも予見されずに通り過ぎて行っているなんて有り得るのだろうか。俄には信じがたい。

 だが虚言にしては出来過ぎているし、実際にラテが《総譜》を所持している事からも、ニコラシカは本当の事としてそれらを飲み込んだ。


「はっきり言って《総譜》は持ってるだけでも危険だよ。下手をすればロスカのように殺されてしまうかもしれない」


 ロスカを殺害し《総譜》奪った犯人が三人目の《総譜》を狙わないという保証はどこにもない。《総譜》を独占したい強欲さが第二の被害者を生む事は十分に考えられた。

 どんな意図でニコラシカに《総譜》を送ったにせよ、《総譜》を手放してしまったのはハルキスにとっての幸いだ。このまま何も知らずに危険に曝されていたかもしれないのだから。


「《総譜》は大多数の生命に対して危険物なんだよ」


 確かにその通りだ。誰か一人に扱い切れる代物じゃないのは本当にその通りで、ましてろくに使い方も知らなかった自分が持つのはふさわしくはないだろう


「………でも、」


「――でもキミは、《総譜》を手放したくないよね。きっと」


 語らずともラテには表情で読まれていたらしい。


「……ごめんなさい。だけど、たとえこれがどんなに危ない物でも、僕はルキへ繋がる手掛かりを失いたくありません」


 全て真実を受け入れてもハルキスへ会いたいという情熱は褪せなかった。

 《総譜》を完成するよう頼んだからには完成後に再び連絡する事が前提にある。

 たった一本、彼へと伸びる糸を誰にも渡したくなかった――たとえ目の前の相手が《人形使い》でも。


「ふふっ、そう言うと思った。あのね、キミも一緒にワタシ達の旅に加わらない?」


「えっ?」


「キミが仲間になってくれたら同時に二つ楽譜が集められるし、《終焉劇団》や他の《総譜》の存在を知った人からキミの《総譜》を奪われるのを未然に防げる。キミだって得られる友達の情報が増えるかもよ?」


「それいいな! ニコラシカ、お前も来いよ」


「あっ、あの……でも、僕なんかが本当に同行してもいいんですか……?」


 てっきり《総譜》を渡せと要求されるものと思っていたので、ニコラシカは拍子抜けする。


「見えるとこに《総譜》があった方が安心ってだけよ。みすみす盗られでもしたら事だもの」


 険のある言い方だが一応ベヴェルも賛成しているようだ。


「俺も名案だと思う」


「俺も」


「私はラテ様のご意志を尊重するまでです」


「だって。どうする、ニコラシカ?」


 会話が一周して、一層穏やかな口調でラテが再び問う。

 自分よりラテの方が《総譜》に詳しいし、ラテは自分とは違うネットワークを築いている。クログフ人ゆえなかなか表に出て来られないルキを探すには、《人形使い》の彼女の力が役立つかもしれない。

 こっちから断る道理はどこにもなかった。


「ぜひ宜しくお願いします」


「あぁ、よろしくな! 俺はボルガ・ウォッカだ」


「改めて、ニコラシカ・メルキュールです。ニコルで構いません」


 傷や皮の剥けた痕の多い戦士の手と硬い握手を交わす。何だか友達に慣れたような気がしてニコラシカは嬉しかった。

 周りの人間は大人ばかりで、実のところニコラシカの友達と呼べる人物はこれまでハルキスしかいない。

 なんだかこそばゆい気もするが、大切な人が出来る喜びで今彼はとてもわくわくしていた。しかし、


「ベヴェルよ。ベヴェル・ジ・アクア」


「よっ……よろしく……」


 ボルガの隣で無愛想に名乗った彼女だけはどうも苦手だ。

 抱いた不信感を本人を前にしても隠そうとしない強気な態度や、胸に引っ掛かる嫌な言い方。それに、焦げた料理に口を付けず、じっと店員が気付いて詫びを入れてくるまでを洞察するような、そんな類の意地悪さと尋常じゃない圧力に、ニコラシカはすっかり怯んでいた。


「あんた何歳?」


 やや高い位置にあるベヴェルの目を直視する事が出来ず、彼女より身長の低いニコラシカはさらに身を小さくして「十二歳……です」と怯えながら答えた。


「そっ。あたし十三だけど呼び捨てでいいわ」


「は、はい……」


 そう言われても物凄く呼び辛い……。実際話し掛けたら嫌な顔されそう……と、後ろ向きな予感で一杯になった頭に、ポンと優しく手が置かれた。


「俺はエルディー・レムシスってんだ。お前とは十歳差の二十二歳。よろしく頼むぜ」


 声を聞いた女性を片っ端から酔わせそうな甘い声はワインレッドの長髪の彼から発せられた。

 色気のあり過ぎる目元と華美な服装のせいで遊び人風に見えるが、どうやら悪い人ではなさそうだ。少なくともベヴェルよりは話し易いだろう。


「こちらこそ、宜しくお願いします」


「アドニスだ。宜しく」


「宜しくお願いします」


「私はシャンエリゼ・メージュラグナです。どうぞメージュとお呼びください。宜しく、ニコラシカ」


「はい。どうぞ宜しく」


「ラテ・アロマだよ」


「宜しくお願いします」


 みんなもっとピリピリした感じの厳しい人を想像していたが、案外握った手から感じる人柄は穏やかで優しいものだった。特にラテの手に触れた時は、その温かさに驚かされた。

 これが幾億の首を跳ねてきた指なのか…。

 白雪の色をして尚温かく、マネキンのように理想的な指と丸みを帯びながらも長い爪。“帝王戦争”をたった一日で強制終了させた、途轍もない魔法を生み出す手。

 信じられなかった。こんな人形みたいに綺麗な手に沢山の命が奪われてきたなんて。


(これが人形使いの手……。夢幻の支配の指……)


 実際に見える事があったとしても、彼女と握手を交わすのは自分が出世してパフェレイト担当者になってからの、もっとずっと先の話だと思っていた。

 大国との交渉が基準価格になると攻めの姿勢を崩さなかった父が、「パフェレイトには逆らうな」と方針を改め、取り引きで融通するようになったのもあの戦争以後。

 父だけではなく、経済、社会、環境、色々な物が帝王戦争を期に変わった。

 戦争があったのはニコラシカが幽閉されていた時期と重なり、外の情報はリアルタイムで彼に伝わる事はなかったが、これまでに学んだ中で、いかに《人形使い》という存在が世界に影響を及ぼしうるものかは知っている。

 パフェレイトが望めば、星に亀裂を生じさせ、神をも殺し、地獄を召喚せしめる魔術人形。

 儚い自我を自らの力に呑まれた哀れな魔女。しかし彼女の純白の糸が黄昏に染まる時、この世に災厄が齎される。――美しきおとぎの怪物だと人は言った。


 一瞬見ただけでも輝きが脳裏に焼き付くラテの蒼い瞳は、オーロラのように色が移り変わる。

 まるで意思と運命の狭間で揺れるかのように。ラテの左目に宿った幻想は、何だか《総譜》に似ている気がした。


「そうだ、ニコル。《総譜》出して?」


「えっ、あ、はい」


 ぼんやりと思考の世界に旅立っていたニコラシカは、はたと目を覚ました。


調律チューニング


 《総譜》同士を近付け、ラテは唱える。すると互いの《総譜》から蒼い旋律が飛び出して、作曲者の意思が編まれた記号達が二つに分裂し溢れ返った。


「わ―!きれ―!」


 音の粒が列を成して、小さな天の川のように広がった。それらは少しの間皆の間を浮遊し神秘の光景を見せつけた後、それぞれの《総譜》に同時に吸い込まれた。


「これでニコルの《総譜》とワタシの《総譜》の中身が同じになったよ。この機能使う機会ないと思ってたけど、あると便利だね」


「こんな機能あったんだ……。ルキは課題を解くのに必要な操作法しか教えてくれなかったから初めて知りました」


 試しに譜面を開いて見ると、ニコラシカの《総譜》にはパッと見ても分かるくらい小節が増えていた。


「え~っと……次はエクアレ王国か。ニコルは?」


「マロンカです。ちょっと遠いですね」


「よし、じゃあ次の目的地はエクアレからだな。出発は明日だ」


「んじゃ、行き先も決まったし飯にしよ―ぜ!」


 メニュー表取ってくれ、と腹を空かせたボルガは食べる事で頭が一杯のようだ。


「待って、こんだけの人数なんだから大皿料理の方が安上がりよ。全額で六千ルッツ以内に収まるようにね」


「え~、俺肉食いたい」


「じゃあこっから好きな肉料理選んで。みんなは? 他にリクエストない?」


「私は何でもいいのでラテ様に食後のパフェを」


「揚げ物でなんか上手そうなのない?」


「もっと栄養価を考えろ。サラダでも頼んだらどうだ?」


 サラダBにフレンチドレッシング、スープが五つにコーラと烏龍茶。大盛パスタと特大ステーキ……。次々思い付いた順に注文する品を叫ぶ皆の声を聞き取り、予算に近付いて行く値段とベヴェルは格闘する。


「ふふっ、家計はね、ベヴェルに任せてるんだ。遣り繰り上手そうでしょ?」


「はい……すごいですね…」


 やっぱりライス(中)じゃなくてライス(大)のような変更にも滞りなく対応するベヴェルの処理能力は大変優れてたものだった。行商人でもあのスピードて即断即決即変更されたら見積もりが追い付かなくなっても不思議じゃない。

 彼女ならイジアールの採用試験も難無くパス出来るだろうなぁと考え、瞬く間に出世して自分の上司になった彼女の姿が浮かんだ所で、ニコラシカは思考を断ち切った。


「ところでニコル、蒸し返すようで何だけど、今朝のあれキミの力でどうにかならないかな」


「あぁ、魔術師登録の件ですか? 残念ですけど支部長の僕の立場じゃちょっと……。本部クラスの人間でないと、たとえ実の父でも社長に意見するのは難しいんです」


「そっか……」


 今朝から色々あったが、ラテはずっと気にしていたのだろうか。

 無理もない。対象が子供だったし、SPとしては問題なくともあの職員は登録推進業務を行う者として現場に出すには教育不足だった。残酷さが際立ち、乱暴しているように思われても仕方がない。


「でも悪い事ばっかりじゃないんですよ。登録しておけば未成年は管理局から保護して貰えますし、間違っても人身売買なんかの被害には遭わない」


「って言っても、あの子達は売られてきた子なのよ。登録して、自由になって、それでその後どこ行きゃいいのよ」


 魔術師だと知って受け入れてくれる施設や職場なんか見つからないに決まってる。引き取り手がなくて自由を持て余すだけじゃないのか。行政の目が行き届いているとは限らない、とベヴェルは射殺すような目でまたしてもニコラシカに食ってかかった。


「あんたの友達だってクログフ人なんでしょ。おまけに魔術師なんて……相当酷い目にあってるかもしれないけど、あんたそれで平気なの?」


 冷たい声がグサリとニコラシカの深い部分に刺さる。あぁ……やっぱり彼女は苦手だ。


「……その可能性はゼロではありません。だけどルキは強い。逃げ切っていると信じています」


「逃げ切ってる? なんだ、ニコルも本当はそんな仕事嫌なんじゃん?」


「あっ!……う、……はい…。そうかも……しれません」


 無意識に出てしまった言葉をボルガに拾われ、ニコラシカは渋々頷いた。


「僕、今は支部の仕事は全て部下に任せて、代行業の監督をやってるんです。今朝もこの町で仕事が入ったからそれで」


「その仕事に就けば未登録魔術師を捕まえる現場に行ける。もしかしたらそこで友達に会えるかもってこと?」


「素敵な再開の場ではないので、会いたいような会いたくないような複雑な気持ちなんですけどね……。でもあれこれ言っても始まらないし、世界中どこにでも行けるいい口実かと思ったんです」


「御曹司が給料泥棒ね。ふぅん、結構じゃな――んむ゛っ」


「あ~~ごめんな? こいつ僻みっぽいから」


 ベヴェルが口を開く度目に見えて元気をなくしていくニコラシカを気付かい、エルディーはペラペラ嫌みが出てくる元凶をパンで塞いだ。


「――っぷはぁ……労働者を馬鹿にしてんのか! 畜生このボンボンめ!」


「はいはい、お小遣いやるから怒んないの」


「うっさい! あんたなんかただの無職じゃない! このヒモ男!」


「ヒっ……!? おい、俺何でも屋さんやってるって! 無職違う!」


「雇い主の俺がクビと言ったらその瞬間無職だがな」


「エルディー、俺がギルド紹介してやるから無職になっても心配いらねぇぜ!」


「もしや私もヒモなのでしょうか……」


「メージュは違うよ! ワタシの部下として立派にお勤めしてくれてるもん」


「“は”って何!? メージュ“は”って!今日俺一番働いてだろうが! 地味にだけど!」


 やいのやいのと言い合いでどんどん賑やかになっていくテーブルで、ニコラシカは一人別の事を考えていた。ハルキスは、ハルキスの母親は無事でいるだろうか、と。それから《総譜》を完成させて、ハルキスは一体何をするつもりだったのだろう。

 《総譜》だけじゃない。自分は彼についても何も知らなかった。けれどハルキスを想う気持ちに嘘はない。今でもハルキスの事は本当に大切で大切で……


(早く僕達もこの人達みたいになれたらいいね……)


 また笑って食卓を囲めるそんな日が…――



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