(2)
雑木林の中、ハァハァと肩で息をする。
敵意と共に大量放たれた棘を突っ切ったはいいが、ギギッ、ギギッ、と耳障りな声で吼え立てながら前傾姿勢で追い掛けてくるモンスターの群れはどんどん数を増しているように見えた。
ずっと走り続けていた脚にぐっ、と力を入れて急ブレーキ。振り返り様、勢いよく風が渦を巻くイメージで背後に迫るモンスターに向かって拳を突き出す。その拳から生まれた細い竜巻は、支えるのも大変そうな重くて大きな爪でニコラシカに飛びかかってきた数匹を吹き飛ばした。
「キリが無いな……」
ギギッ、ギギッ。
距離を取りながら周りを取り囲む鳴き声は、ニコラシカを嘲笑う。
じりじりと棘の生えた輪が迫ってきていた。
ニコラシカの握り締めた手には汗が滲む。
「ミスティ……、頼むよ」
決意を固めたように一言呟く。するとニコラシカの体を忽ち淡いライムグリーンの色をした風が包み込んで、ふわり、旋風が消えると、そこに現れたのはニコラシカではなく彼と同い歳位の別の子供だった。
前髪の左側がツンツン跳ね上がり、右側に小さな三つ編みのある髪は、彼の瞳と同じくライムグリーン。服はまるでカーテンを着ているような真っ白の一枚布で、それに飾りの付いた鮮やかな布を何枚も重ねている。首や腕に何重にも付けている金の装飾品は、現在では殆ど使われなくなった古い文明の文字や模様が刻まれていた。
爽やかな髪色の少年は白い蔓を編んで作られたサンダルを履いた足で、トントンと爪先から地面を鳴らし、「おっけ~~!ニコル!」 と、自身の出現と同時に消えてしまったニコラシカに返事をする。
「ニコルの邪魔する子は、おしおきだよっ」
良く茂った大樹の間からキラキラと光が零れる空に両手を翳した。平らに開いた二つ手の間に、バチバチと電気が弾けた音と白熱灯よりずっと短く眩しい光が走る。
「電龍!」
雨乞いをするように天へ伸びた手から幾筋の放電――少年は激しく光る電気の龍を呼んだ。
その龍は空気中ですぐに消えてしまう筈の形を留め、電気の体をうねらせる。そして高電圧の口を開き、まさに意思を持っているかのように集まってきたモンスター達を一呑みにした。龍の通った後から次々吐き出されたモンスター達は一匹残らず感電してしまったようで、ぷすぷすと小煙をあげて火傷した体をぐったりと横たえている。
少年はふんふん鼻歌を歌いながら電龍を散歩させると、「終わったよ~~!」の一言を残し、ライムグリーンの風になって消えた。
「助かったよ。ありがとう」
まるで自分ではない自分と会話するように、入れ替わり風の中から現れたニコラシカは安堵の溜め息を吐く。と、そこへ。
「キミ…今、」
「あなたは今朝の…?あ…他の方も」
早朝からトラブルになりかけた面々が藪から姿を現し、ずらりとニコラシカの前に並ぶ。
「キミ、今使ったのは魔法だよね?」
と、蒼い不思議な色彩の瞳を持つ彼女はニコラシカに問いを投げ掛けた。
「え……?えぇ、まぁ……。あの……いつからご覧になってましたか?」
林に分け入って五分くらいで最初にモンスターと遭遇し、それを捲いたと思ったらまたモンスターが出て、四回程それを繰り返して今に至る訳だが。五回目にしてモンスターより面倒な物に会ってしまった。ラテの答え辛い質問にニコラシカは心の中で溜息を吐く。
「あんたがブツブツ独り言言って、変身したとっから。ていうか何よあんた。自分だって魔術師のくせして同族を売るなんてサイテーね」
気まずそうにはぐらかしたニコラシカに大分お冠の様子のベヴェルは、組んでいた手を腰に当て、分かりやすくガンを飛ばした。
「そんな人聞きの悪い……」
ベヴェルの強い剣幕に、ニコラシカの声は完全に怯んでいた。
彼のふさふさした黄金の髪も、狐の尾が垂れ下がったようにだらんとなっている。
「えっと……僕にも色々と事情があるんです。それでは先を急ぎますので」
「待った待った。この辺モンスターが多いの知ってっか? 送ってってやるから行き先言いな」
ベヴェルの視線から逃げるようにその場を去ろうとしたニコラシカを、エルディーが止めた。
「お気持ちだけで結構です。周辺の情報も分かっていますし、それに――」
少しどもって、それから伏せ目がちにニコラシカは言った。
「……彼女の言う通り、僕は魔術師です。心配には及びません」
「けどなぁ……」
やっぱり危ねぇからさ、とエルディーが引き留めようとした時。
ガルルルルルル! と血走った咆哮が聞こえ地を揺るがす大きな足音がしたと思うと、先程の雑魚モンスターより上位と思われるモンスターが、木々をなぎ倒し一同の前に現れた。
「言わんこっちゃねぇ」
爪が大きくなり過ぎて支えきれなくなった為、四足歩行に転じたモンスターは、爪以外にも体全体が二回り以上は巨大化して背中の刺も増えている。体毛がやや派手な色になって、それから牙が口からはみ出す程成長していた。一度噛み付かれたら人間の骨なんか簡単に砕けてしまうだろう。
「おいお前、早くこっちに――」
「ミスティ、もう一度いいかい?」
エルディーが言い終わる前にライムグリーンの風がニコラシカの周囲に集まる。
「な~んかいでも! ぼくはおっけ~だよ~ん」
ポーイソプラノの声が風を裂いて、ぴょんっと軽やかに飛び跳ねた。
「いっけ―! 雷音!」
少年の手の中からまるで楽器のように賑々しく弾けた雷鳴は獅子の姿となり、モンスターの胴部へと突っ込んだ。
強烈なスパークと焦げた匂い。ドスン、と。気絶したモンスターはその場に倒れ、そのまま起き上がる気配はない。手足のぴくつきは起こすものの意識を取り戻しそうにもない様子を、どんなもんだい!と仁王立ちで見届けた少年は、残酷なまでに純真な瞳を閉じて風に巻かれていった。
「すっげ―! お前電気操れるんだな!? 超決まってたぜ今の」
あんなにすごい雷は初めて見た、とすかさずボルガはニコラシカに戻った途端に賛辞を贈る。
「あっ、ありがとうございます……。あのっ、とにかく僕は先を急ぎますんで」
ボルガを振り切り、黄金の髪を振り乱してニコラシカは逃げるように早足で歩き出した。が、
「何を急ぐ事があるの?だってそっちは壊れた風車小屋があるだけだよ」
――この町にはそれぞれが東西南北に分かれ、町の端に四つの風車小屋がある。
昔は灌漑に使われていたが今は使われぬその小屋は老朽化が進み、さらにこの先にある風車小屋まで行き着くにはモンスターの出る林を通らなければならないため、危険だからと地元の人間は近付かない。
そして人が近寄らないので余計にモンスターの数は増え、風車小屋の周囲はモンスターの根城にされているそうだ。
ニコラシカと出会った朝の出来事の後、ラテ達は手分けしてこれらの情報を集めた。それから四つあるうち三つの風車小屋を既に回り、残す最後がこの先の風車である。何を隠そう、この四つの風車が《総譜》を得るのに必要な鍵の在処と睨んだ場所なのだ。
『時の流れで四つの風を回せ』――その指示通り三つの風車を時計回りに回して、北、東、南と時計回りに進んでここまで来た。推測が正しければ四つ目の風車さえ回せば課題クリアとなる筈である。そういう訳で一行は進まねばならない。けれどこの少年には敢えて危険を冒してまで先に進むような動機は無いように思えた。
だが意外にも少年から返ってきた答えは、ラテの予想しないものだった。
「僕はその風車小屋に用事があるんです」
「風車小屋に……?どんな用があると言うんだ」
「そこまで教えないと行かせてもらえないんですか?」
問うアドニスにニコラシカは苦笑する。
「俺達も用があって今からそこに行くんだ。さっきの雷はすごかったけどやっぱ危ねぇし、軽い用なら代わりに俺達が済ましてきてやるからさ」
なっ!と裏表の無い笑顔でボルガはニコラシカの肩に手を置いた。
「あなた方も風車小屋へ行くんですか?」
「あぁ!ついでだから遠慮なんかしなくていいぜ!」
「お気持ちは有り難いですけど……――でも、僕じゃないと駄目なんです。僕が行かないと……」
「……?」
「僕は、行きます」
朝に見たような邪な被膜に覆われていない澄んだ目でボルガを見つめ返すと、ニコラシカは自らの意志を伝えた。
「ん~……じゃあさ、せめてワタシ達と一緒に行かない?」
「えっ?」
「キミがどうしても自分でそこに行きたいのは分かったよ。だからワタシ達と一緒に行こう。自分が行ければ誰かと一緒でもいいんでしょ?」
「まぁ……それは構いませんけど」
「よ―し、じゃあ行こうぜ」
「わ、っ!?」
ラテの誘いに応じたニコラシカは、早速やる気の入ったボルガにぐんと手を引かれ、先へ先へと引っ張られていった。
その時は先頭を切る彼らを眺めるだけだったが、後になってシャンエリゼは声を潜め、
「ラテ様、何故あの少年を同行させたのですか?」
と突然の決定について尋ねると、シャンエリゼの隣を歩くラテは「ん~?」と小首を傾げた。
今朝の事。
気取られるようなヘマはしないだろうが、ラテを除いた全員が魔術師として未登録である事も重なり、魔術師の敵のようなイジアールの所業をシャンエリゼは一応懸念していた。
ラテが魔術師に対して異様に甘い事は分かっているし、非難しようとは思わない。自分もその甘さに救われた一人だ。
確かにここは子供が一人歩きするには不向きな場所で、心配するのは当然だろう。
けれどニコラシカは魔術師であっても魔術師にとって害を成す者でもある。その点を彼女はどう見極めているのか。
「なんだかあの子、気になっちゃって」
「気になる?」
「さっき魔法使った時だけ違う子になってたでしょ」
「はい」
「あれ、何なのかな~って……ちょっと気になったんだ」
一定空間の中に電位差を生じさせたり、自分の体を電池のようにしたり、電気を生み出す方法は幾らかある。
ニコラシカがどんな方法で雷を操ったのかは分からないけれど、彼の描いた想像と、想像による信号を受け取る受容体と、それを具現化する動力があれば、自然の摂理に逆らいそこに雷は生まれる。
逆に想像、受容体、動力の三条件さえ満たしてしまえば魔法は発動するのだ。
あの時彼は具体的なイメージを思い描き、生まれながらに雷を操る受容体を持ち、魔術師の特徴でもある高い酵素活性により、不活化エネルギーを活性化させ十分なエネルギーを得られる状態にあった。だからモンスターを一撃で気絶させる程凄まじい雷が生まれた。しかし、
――何故彼は擬態したのか。
電気を作るのに擬態する必要はない。電気の他に擬態の能力も持ち合わせていたとして、だからといって何故あの場で擬態するのかその理由が見つからなかった。
別に自分本来の姿のまま雷を起こしたっていいではないか。問題はない。なのに何故?
それと、もう一つ。
擬態した後のニコラシカが、まるで別人のようだったから。
ラテには姿を変えたニコラシカではなく、本当に他のニコラシカではない誰かに見えたのだ。
そんな事はあり得ない。理屈では分かっていても自分の目で見た不思議な光景に惹き付けられ、気になった――単純な好奇心である。
「イジアールと揉め事起こす気はないから、安心して」
自分の立場は弁えている。何かする訳じゃない。いつもと変わらぬ温和な表情で語られた言葉に、シャンエリゼははい、と頷いた。
暫く歩くと道が拓けてきて、前方に小屋らしき物が見えてくる。しかし羽根車は軸受けから外れ地面に落下していて、風車小屋とは呼べないただの小屋になってしまっていた。
「ここが一番壊れてんなぁ」
さて修理すっか…と、面倒臭そうにエルディーは落ちている羽根車に近付いてチェックを始める。
錆びてしまっているがまだ風を受ける事は出来そうだった。曲がったり歪んだりした所を町工場の跡地から頂いてきた部品や工具で修繕して(無論持ち主の許可を得ている)、大体の錆を落としたら軸に戻す。作業に関わるのは主にエルディーだ。
「ニコラシカ、お前用事は?」
修理は力仕事のように見えて丁寧さも必要なので、戦力外と見なされ作業に関わらせて貰えないボルガは、同じく立って作業を見守るだけのニコラシカに聞いてみた。
「大した用じゃないんですけど……ここの風車を回したかったんです。あの、僕にもお手伝いさせて下さい」
「しつこく聞くようで悪いが、この風車を回す事にお前にとってどんな意味があるんだ?」
危ない目に遭ってまで風車を回したいだなんて、妙な事を言う。
羽根の歪みを矯正していくエルディーと共に錆落としをするアドニスの耳はしっかりと周囲に向けられていた。命令調でこそないがその問いには明らかな不信が込められている。
ニコラシカも自分の言動の異常性についての自覚はあり、皆が見せる反応は至極当然だとも思っていた。しかし行きずりの人間に言っていいものか……。なるべくなら伏せておきたい感情と、この場を丸く納めたい感情の間でニコラシカの心は揺れ、慎重な脳内会議の末ついに結論が出た。
「実は――」
意を決し、Tシャツの内側に仕舞い込んでいたネックレスを外側に出す。すると、
「総譜っ!?」
ネックレスの先端に付いている物を認めた途端、皆が一斉に叫んだ。
「えっ? えっ……と?」
銀のプレートを縁取るような蒼い曲線。万物を支配する可能性を秘めた艶麗な模様。ニコラシカの首から長いチェーンで繋がったネックレストップには、ラテのブレスレットに付いているのと同じプレートが強い力を隠すかの如き優美さで胸を飾っていた。
「皆さんこれを御存知なんですか?」
「お前っ、《総譜》はどこで手に入れた!?」
ニコラシカの質問に被せてボルガが疑問を爆発させる。
「友達から預かってるんです。これを完成させて欲しいって頼まれて」
「友達……では三人目はその友達という事なのでしょうか?」
「どうだろう?」
「あの……――あれ?僕のと同じ……?」
何が何だか状況が掴めないニコラシカも、ラテのブレスレットが自分のネックレスによく似ている事に気が付いた。
皆の凄まじいリアクションの理由が分からず疑問に埋め尽くされそうなニコラシカに
「キミ、《総譜》は友達のだったんだよね?」
とラテは質問を重ねると、困惑しつつ彼ははい、と小さく頷いた。
「アタシも《総譜》の完成を目指してみんなで旅をしてるの。ニコラシカ、キミは友達からどう聞いているか分からないけど、これはとても扱いが難しいものなんだよ。出来ればゆっくり、その友達や《総譜》を貰った経緯について教えてくれないかな?」
差し出された右手首には、やはり瓜二つの繊細な煌めき。贋物かどうか見定めようとしているのか、ニコラシカは線対称に刻まれた「RevivR」の文字を食い入るように見つめ、やがて
「……分かりました」
と静かに言った。
「だけどその代わり、僕に《総譜》の事で知っている事を教えて下さい。僕は本当は……《総譜》の鍵じゃなくて友達を探しているんです!」
イジアール支部長という肩書きとは関係ないニコラシカ本人の純粋な思い。
だが彼の心からの必死の訴えは、再び辺りに轟いた獣達の互いを鼓舞するような力強い咆哮に引き裂かれる事になった。
「また出やがった……!」
「今度は結構、数が多いな…」
チッ、とエルディーが舌打ちする。
大型のモンスターの数も多ければ下級モンスターの数はその倍はあるだろう。この辺りのモンスターが一斉に集結して、風車小屋の周りを取り囲んだ。
ガオー、ギシャァアと絶え間なく続く威嚇の声は、縄張りから出ていけという人間への最終警告に他ならない。
けれど此方とて課題をクリアするまで退く訳にはいかないのだ。顔を歪める皆にラテからの指示が下る。
「エルディー、アドニスは修理を続行、ボルガとメージュはモンスターを撃退。アタシも戦闘に加わる。ベヴェルはアドニス達の側で待機。ニコラシカ、キミもベヴェルと一緒に……」
「僕も戦います!」
「あんた何言ってんの、いいから来なさい! 何の為に一緒に来たと思ってんのよ!」
「そんな、ちょっ、引っ張らないで!」
皆了解の合図を送る中ニコラシカだけは采配に異議を唱えたが、問答無用でベヴェルに腕を掴まれアドニス達の側まで引き摺っていかれた。
ベヴェルに任せておけば安心だ、とラテは首飾りの姿を取っていた形状記憶錬金に、新たなイメージを与える。純白の槍へと創造されたそれで、荒々しく地均しをして駆け出した牙を迎え撃った。
「うぉおりやぁああああ!」
いち早く剣を振りかざし群に突入していったのはボルガ。体格の違いもモンスターのレベルも彼の前では意味を成さず、ただその剣の届く範囲にあるものを斬って斬って斬り進んだ。
ボルガの通った場所だけが道になり、剣を振るう度に斬られたモンスターの骸を残して道は延伸する。
自分も負けちゃいられないとシャンエリゼも、大鎌から暗紫色の光線を放ち大軍勢の一角を薙ぎ倒した。
円が縮まるようにモンスター達は攻めてくるが三人はそれぞれ分担して攻撃を食い止め、多勢に無勢の輪の圧力をある場所で押し止める。しかし押し寄せる壁のようだったモンスターの数が減ると、当たりが小さくなって一体一体を仕留める労が少々増す。
「不死鳥ノ軌跡!」
いかに機敏なボルガと言えど野山に暮らすモンスターの俊敏さには適わず、斬撃の遥か遠くに退いてヒットアンドランを繰り返す彼らには追い付けない。面倒になったボルガは攻撃範囲の狭い剣から遠距離に対応した魔法への攻撃に転じた。
地殻をぶち破って湧き出したマグマのような炎の杭が、幾つも地面からせり上がる。だがしかし、
「クソッ……!」
モンスターは発達した後脚で炎柱を交わし、まるでドッグレースで障害物を避ける犬のように柱の間をジグザグに縫って、ボルガへと鋼鉄の爪で一撃を浴びせんと突進した。
その時、一陣の風がモンスターの前を吹き抜ける。すると炎柱は忽ち燃え広がり、柱と柱の間を繋いで壁になり、勇む強靭な歩みを一瞬にして止めた。
(――今だ!)
この隙を逃さず、高く跳躍して壁を飛び越えると、ボルガはモンスターの頭部へ骨をも砕かんばかりに刀身を突き立てる。位置と運動の両エネルギーを加速の付いた体で急所に深く刻めば、声を上げる間もなく目から光を奪われたモンスターがボルガの下に跪いた。
「……ふぅ」
赤く染まった剣を引き抜き露を払いがてら、ふと小屋の方へ目をやると、急に吹き付けた強い風の正体は直ぐに分かった。
「僕もここからサポートします。頑張って下さい」
「お―!サンキュー!」
電気だけでなく風もニコラシカは従えている。頼もしい能力とは裏腹に、はにかみながら会釈した彼に手を振って応えると、意気込みも新たにボルガはモンスター討伐に精を出した。
――僅かにその数分後、三人は助っ人の力もあり驚異を退け、やや遅れて風車の小屋の壁への取り付けも完了した。
「アドニス、よろしく」
「あぁ」
普段は鳩程の大きさであるアドニスが怪鳥とも呼ぶべき姿に巨大化し、闇が羽ばたたくように黒々した翼を揺すると、風車は眠りから覚めたばかりのようにゆっくりとゆっくりと鈍く軋む。ギィ、ググ―という音が聞こえなくなればしめたもの。粘り強い送風で風車が問題なく回転するようになると、風車の真ん中から楽譜がするすると流れ出て来て、ラテの《総譜》に新しい課題と音符が追加された。
一方、楽譜取得の条件を満たしていないニコラシカは後三つ風車を回さなければ目的は達成出来ない。だが彼の目は今、《総譜》を見ていなかった。《総譜》の先にあるもっともっと大切な何かを求め、もう一つの《総譜》をじっと見つめていた。




