(1)
ぬぅとした朝靄の中、ちりちりと何処からか小鳥の泣く声がしている。曇り空に早朝特有の湿気った空気。
変な時間に着いてしまったものだ。
どこもシャッターが下ろされている通りを歩きながら、ゴミ箱を漁っていた野良猫がにゃあんと挨拶するのを聞く。
さて朝食までは何をしよう。
初めての町をこのまま散策して《総譜》に関係のありそうな場所を探すか、それとも体力を温存し、どこか座れそうな場所を見つけるか。
迷っても困るのでなるべく表通りを中心に目的地を定めずに歩いていた。
「離せ! 嫌だっ! 行きたくない!」
当て所もなく周囲を見回したそんな折。ふいに路地裏から剣呑な声が聞こた。子供の声だ――それも何かに抵抗するような。
「俺ちょっと見てくる」
叫び声を聞きつけたボルガが制止する間もなく飛び出していってしまったので、やむを得ず皆ぞろぞろと表通りを外れ、声のした方へとボルガに続いた。
一本通りが変わると、そこは古い町工場の跡地といった感じのガランと広いだけの建物がいくつも並び、どうみても走行不可能な車体のひん曲がった自転車や、沢山積み上がった肥料、穴が空いたり取っ手の取れた金物など、この先使うのかどうかも分からない品々を保管する物置として利用されているようだった。
その錆びた景色の中にあると、そこそこ型の新しいピカピカに磨かれた車は目立つ。
「離せ! 離せよ!」
「大人しくしろ! 俺達はお前らを助けてやってんだろう、がっ!」
その黒い常用車の周りが騒がしく、注意して見てみるとスーツ姿の男二人が歳端もいかぬ少年を無理やり車に押し込めようとしているではないか。後部座席には三人、既に少年と同じように見窄らしい格好をした少年少女の姿があった。
「おいお前ら、何してんだ!」
これは見過ごせない。ボルガが叫ぶと此方に気付いた少年が「助けて!」と縋り付くような目で訴える。
「うぁあぁあ゛ッッ!」
刹那。バチバチ!と少年の体から放電現象が起こり、少年の首根っこを掴んでいた男は溜まらずその手を離した。男に隙が出来ると少年は一目散にボルガの方へと駆けてくる。
「コイツ! やりやがったな!」
感電を免れた男は少年の脚を狙い、腕に装着した機械から伸びたワイヤーが命中した。
「助けて! 助けてッッ!」
「おいやめろ! 嫌がってるだろ!」
脚にワイヤーが巻き付いて転んでしまった少年を助けようとボルガが駆け寄る。が、しかし
「これが俺達の仕事なんだよ。邪魔しようってんならお前も痛ぇ目に合わすぞ」
「上等じゃねぇか! ヒーローに勝てると思うなよ悪党!」
もう一人の男が懐から銃を抜きつつそう脅すとボルガも火花を散らし剣を抜いた。その時、
「あのっ、落ち着いて下さい」
耳が付いたような特徴的なデザインの帽子を被り、首の後ろで長い金髪を一つに結った少年(少女かもしれない)が、ボルガと男達の間に割って入ってきた。
「先に行って下さい。この場は僕が引き受けましょう」
「しかし、支部長……」
「構いません」
「――あぁっ! やだ! 離せ、離せ―――……」
アンダーシャツを一枚着ただけの貧しい身なりの少年は最後まで抵抗を続けたが、他の子供達と同様悪さをした鼠を捕まえておくが如く車の形をしたゲージに詰められ、それはどこかへと走り去ってしまった。
「――先程は部下が大変失礼しました」
車がいなくなった後。カジュアルな装いの割に“支部長”らしい振る舞いをする少年は深々とボルガに対して頭を下げた。
歳はベヴェルと同じ位だろうか。(ベヴェルはベヴェルで大人びているが、二人共、十二、三歳前後に見える)
薄いカーキー色の半ズボン。ハイソックスにオレンジ色のスニーカー。オレンジのラインが入った青いパーカーを羽織り、同じくギザギザのオレンジラインがアクセントになった帽子(端がチョンと尖っている)を被っている。
格好こそ少年のようだが、肌が白いのと瞳の大きく愛らしいところが少女のようでもあり、
「不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
と丁寧な口調で言う声も可憐だった。
「別にそんなの気にしてねぇよ。お前が謝る事でもねぇし。それより何であんな事してんだ」
「部下の非礼を詫びるのは上司として当然の事です。それにしても、失礼ながら貴方は何か勘違いをなさっているのではないですか?」
「勘違い?」
「えぇ。やり方は少々荒かったかもしれませんが、私達は彼ら魔術師に“魔術師登録”の手続きを行ってもらおうとしていただけです。決して誘拐ではないのですよ」
澄んだ緑の目がにこりと歪む。
「まじゅつしとーろくぅ?なんだそれ」
「御存知ありませんか?」
「もう、あんた魔術師のくせに知らないの?」
と、ここでベヴェルがよく覚えときなさいとボルガのマフラーを引っ張った。
「使える魔法の種類とか強さとか、親が魔術師かどうかとか、世界中の魔術師の個人情報を“管理局”が集めてるのよ」
「へぇ~。よく知ってんな」
「必要になりそうな事は前もってラテさんに聞いといたのよ」
当然でしょと呆れかえったベヴェルに
「えぇ、その通りです」
とパチパチ拍手を送った少年がにこやかに笑む。
「彼らはみんな魔術師ですが奴隷として密輸されてきた方々で、まだ登録していらっしゃらないんです。この国では人身売買は禁止ですので、警察にも私から連絡しておきました。近日中に問題は解決しますのでどうぞご安心を。それでは私はこれで失礼します」
「待って――」
ペコリと礼をして去って行こうと踵を返した少年を、鋭くラテが呼び止めた。
「キミみたいな子供がどうしてこんな仕事に関わってるの? 普通は各国の魔術研究機関がする仕事の筈だよ」
すると少年の表情がぐっと固くなる。しかしそれは一瞬の事で、ふいに吹いた風が顔を撫でると、すぐに爽やかな笑顔が戻っていた。
「申し遅れましたが、私はイジアール西部支部の支部長をしておりますニコラシカ・メルキュールという者です。弊社はかねてよりSP派遣の業務を致しておりましたが、それを拡大して、魔術師登録推進の行政代行サービスを開始致しました」
「イジアールだ!? 何でそんな大企業が国の手伝いなんか」
「ご登録をお願いする方は魔術師ですから、先程のように抵抗された場合、引率しようとした人に危険が及びます。私共はロキケール公国の要請を受けてこのような業務を行っているのですよ。言わばこれは公務なんです」
お分かり頂けましたよね? との確認に無言でラテが頷くと、もう一度失礼しますと言って少年は今度こそ行ってしまった。
「しっかりしたガキだなぁ。支部長だってよ?」
少年の後ろ姿を目で追いつつエルディーは腕を組み、傍らのアドニスの方を見遣る。
「あの年齢でイジアールの重役とは見上げたものだな。さっきの対応を見る限り支部長の仕事も務まっているのだろうし」
「なぁにが『言わばこれは公務なんです』よ! 魔術師が兵器利用されるようになればイジアールの武器の売れ行きが落ちる。儲かる上に儲けの障害を片付けられて一石二鳥って事じゃない」
「おっと、嬢ちゃんのがもひとつ賢いみてぇだな」
なかなかやりそうな奴だと褒める二人に対し、ベヴェルは少年に否定的だ。
何となく少年が周りに漂わせていたエリート臭は無条件で鼻に付くのだが、それを差し引いても公的権限を盾に道理を蔑ろにするのには腹が立った。
どうしてこう権力者ってやつは。
綺麗事を並べて偉そうに。本気で理想論を説いてるならまだしも、これっぽちの慈しみの情もないくせに善行を働いているように振る舞う所が大嫌いだ。
ふん、とベヴェルは悪態をつく。
しかし実際、少年の言葉を額面通りに受け取るよりベヴェルの主張の方が真実味を帯びていた。
世界の物流を取り仕切る大企業――イジアール。
「理想」という意の社名の通り、衣食住、娯楽、サービス。ありとあらゆる方面から人々の理想を叶え、成長を続けている企業の世界に対する影響力は一国家を凌ぐと言われている。
本社は中央大陸のニーブラウにあるが、大陸ごとに支部を持ち支店も世界全土あちこちにあるため、イジアールの提供する“商品”はそこに暮らす人々の生活と密接に結び付いているのだ。
そんなトップ企業のイジアールだが、売り上げの多くを占める主力商品と言えば銃火器や戦車などの軍事関連品である。
何十年か前から鉱山の多いグドランシャに製鉄所を置いて独自に武器開発に取り組むようになってからは、作った商品の売れる事売れる事。性能の良さから支持を集め、そのシェアは圧倒的。さらに“平等に”どの国とも取り引きを行うという姿勢を貫くイジアールは、代金さえ払えるならば自慢の商品を幾らでもどんな国にでも売った。
この事は世界に戦争が蔓延した要因の一つとも言われているが、イジアールとしては“全ての人の「理想」を叶えた”に過ぎず、軍需産業における利益の独占を今尚保っている。
しかし近年、イジアールの利潤を脅かすかもしれないとして魔術師の存在が急浮上したのだった。
以前は戦争に魔術師を登用する動きもあったが、マニャーナの一件でそれは一気に魔術師排除へと変わり、イジアールとしても武器を売るビジネスチャンスが増えて業界での今の立場がある。けれど最近になってフロートやラテの活躍を受け、また魔術師を使おうという国が現れた。
今はまだ闇でこそこそ取り引きされる魔術師達も、そのうち“商品”として当たり前に認識されるようになれば、確実にそれはイジアールの売り上げに響く。
どうにかして魔術師の兵器利用を避けたい。何か良い手はないものか。イジアールは対策を考え、そして目を付けたのが《魔術師登録制度》だった。
登録した魔術師には管理局からの監視の目が強くなり、一年毎に登録情報の更新もある。もし軍事利用などすれば直ぐに管理局に伝わるし、無理やり戦争に駆り出そうものなら立ちどころに管理局から厳罰隊が差し向けられるシステムになっていた。
《魔術師登録制度》は阿漕な商売をする側からすれば非常に厄介な制度であり、逆にイジアールのようにあくまで正規の方法で商売をする者にとっては有益だった。イジアールが魔術師の登録推進活動を続ける意義は大いにある。
しかも本来国が進めなければならない業務を引き受けるので、委託料分ちゃっかり儲けられる――なんとも抜け目のない効率的な商売だ。
まぁ、その効率の良さがベヴェルの癇に障ったのだが。 イジアールのしている事の全部は自分達の為なのに、それをさも魔術師の為であるかのように謳っているのが気に食わない。
こっちの事情など考えもしない連中の出汁にされるのなんか真っ向御免だ。そんな強い反発心がベヴェルの言動には溢れていた。
「とにかく今は《総譜》です。『時の流れで四つの風を回せ』……この課題を解き、楽譜を得る為に我々は来たのでしょう?」
今まで不愉快そうに黙していたシャンエリゼが言う。
彼女もまた権力に半生を縛られ生きてきた人間だ。たとえ仕事だろうと子供達を連れ去った彼らを快く思ってはいない。
けれどやるべき事がある以上、其方を優先すべきだとするのは、責任感と、それからラテを思っての事だった。
時間は無限ではない。
自分の時間も、彼女の時間も。命を賭しても止める事は出来ない……。
「メージュの言う通りだね。さっきの事は気になるけど……今は《総譜》に集中しよう」
そうラテが締め括り、一行は再び不透明な朝靄の中を散策し始めた。




