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PuPPet  作者: PM
第四幕 memento novus nihil ~記憶せよ 新たな無を~
14/32

(3)


「恐らく奴らがベヴェルにした実験は、ほぼ成功していたのだろう」


 ベヴェルの削れた肌から浸出液が染み出し、呼吸が漸く落ち着いてきた頃。黒い鳥――アドニスは深い声で静まる空気を微かに動かした。


「何らかの受容体を作られたベヴェルが、妹を殺害された事で極度に興奮し、そのせいで魔法が発現したと考えるのが妥当だ」


 一行はリベイグへと引き返すため、カタカタと揺れる行きと同じ馬車に再び収まっていた。運転手は馬車を降りていった時から様相の一変した(皆は飛んできた瓦礫で少々の怪我とヴェルは首からの出血)一行を見て驚いたが、ベヴェルが持病のてんかんを起こしたと言って切り抜け、最寄りの病院へ寄ってもらうよう頼んだ。

 ベヴェルは時間が勿体ないと断ったのだけれど、ガーゼをあてがっただけの応急処置では後で痕が残ってしまう。それにベヴェルの消耗は激しくもう日も暮れている。今晩は病院に寄ったその町で宿を取り、リベイグへは明日の朝出発しようという事で一段落した。


「リベイグに戻ってからはどうする?」


 アドニスが言い終わると、心配そうにベヴェルの様子を見守っていたエルディーが口を開く。


「そうだな……。組織の手掛かりは絶たれたままだし、組織の情報を売ったあの《終焉劇団》とかいう組織の男の行方を追うのも難しいだろうしな」


「そういえば私達も聖杯盗まれたままでしたね……」


 シャンエリゼはすっかり脱力して馬車が傾く度に大きく揺られているベヴェルを片側から支えているラテの顔色を窺った。


「《総譜(スコア)》がねぇんじゃ俺達も足止めかぁ…」


 ボルガもがっくりと肩を落とす。そこへ、


「つうかさ、《総譜》って一体どういうもんなの?」


 とエルディーがくたびれたように言うと、アドニスもそれに続いた。


「《終焉劇団》も《総譜》を欲しているような口振りだったが、奴の説明はどうにも要領を得なくてな。《終焉劇団》が組織について何か知っているのが確かな以上、俺達もそれを足掛かりとしたい。其方が情報をくれるというなら俺達もお前達が目的を果たす為に協力しよう。どうだろうか――《人形使い》?」


 確信を持ってアドニスはラテを《人形使い》と呼んだ。それは名のある魔女としてのラテを知っているという事を意味している。


「……うん、いいよ。教えてあげる」


「ラテ様、宜しいので?」


 シャンエリゼは複雑な表情を浮かべた。

こくりとラテが頷くと彼女は閉口したが、表情は変わらないままなので、ラテは彼女の手をやんわり握って優しく笑んでからアドニスに向き直った。


「今の時点で、《総譜》についてはどのくらい知ってる?」


「作曲家リバイバーが作った魔道具という事しか掴めなかった」


「じゃあ魔道具がどんなものかは?」


「受容体とエネルギーが一体になった魔法発現装置。使用者はイメージするだけで各々の魔道具に備わった力を引き出せる。魔術師が魔法を使う際の反応機構の殆どを代替したもの、と言えば語弊はないか?」


「うん、その通り。でも魔道具って口で言うよりずっと複雑で難解な機械なんだよ。だから普通は一つの魔道具で一種類の魔法しか使えないの。それに内蔵されてるエネルギーは魔法を使う度に減ってしまうから、使用回数に制限があるんだ。これが自分でエネルギーを作り出して、血液と一緒に循環させてる魔術師との大きな違いだね」


「魔術師……」


「ベヴェルには後で一から教えるから、まだ何も考えなくていいよ」


 しゃがれた声でベヴェルが呟いた。

 初めて知る魔術師や魔道具の仕組みに、絵本に出て来る魔女も現実の魔術師も同じだと思っていた彼女は混乱しているのだろう。

 エルディーとアドニスが頷き返すのを朧気に見ては、ラテに凭れ掛かって小さくなった。疲れとショックから体中が痛み、吐き出しそうになる心地悪さを堪えているようである。

 弱々しく倒れ込んできた頭をそっと撫でると、心底同情するような表情をした後、ラテはまた話出した。


「さてここで《総譜》なんだけど、これが他の魔道具と決定的に違うのは、使える魔法の種類。《総譜》はたった一つで、たくさんの受容体の代わりを果たしてるんだ」


 それこそ出来ない事などない。全ての法則に逆らい、支配する。

 与えられた《エネルギー》が尽きるまで。 与えられる《想い(イメージ)》がそこにある限り。


「へぇ……なるほどね」


 《終焉劇団》が体を元に戻せると言っていたのはそういう意味か……と、エルディーは胸の内で男の言った言葉を思い起こした。


「でね、それってとっても便利だと思うでしょ? だけどよく考えてみて? 望む事は何でも叶う本当に魔法みたいな魔道具があって、もしそれに無尽蔵にエネルギーを与え続ける事が出来たとしたら……」


 場の空気が、キンと張り詰める。


「万物の理を越えて《総譜》は祈りに応えるんだよ。……たとえそれが呪いだとしてもね」


 夜空の蒼と曇りガラスの淡青色の目が憂いを帯び、梔子の唇からは苦々しい思いが紡がれた。


「考えたくもない話だな…」


「でもエネルギーを無限にって無理あんだろ。実際使えるエネルギーは魔術師しか持ってな……っあ!」


「――そのための魔術師製造か!」


 今の技術では魔術師の血液を直接利用する以外に活性化したエネルギーを得る方法はない。《終焉劇団》が人工的に魔術師を生み出そうとしている組織と接触しようとしていたなら、その目的は十中八九、無限のエネルギーだ。


「《総譜》を持ってる《終焉劇団》とこんな人体実験を繰り返している組織が手を組んじまったら大変じゃねぇか!」


「あの、ちょっと思ったのですが……《終焉劇団》と組織の中に、それぞれ犯人か三人目がいて、両方《総譜》を持ってたらかなり不味い状況ですよね……?」


「そっか、確かに……。そうだね、その可能性もあるよ」


「どういう事だ?」


 一層深刻な表情になったラテにアドニスが尋ねる。


「ごめん、まだ説明の途中だったね。《総譜》は全部で三つあるんだけど、そのうちの一つがワタシが持ってるこれ」


ラテが指した自分の左手首には、手首を一周するネームタグのようなブレスレット。

 全体は銀製だが縁の周りに蒼い紋様が細密に描かれ、艶々となめらかな光沢を放っている。

 ラテがブレスレットの表面を撫でると何も無かった空間に蛍光色の五線譜が輪になって現れ、その線の中に音符がずらりと整列した。キュイともう一度指を滑らせれば、今度は音符が『聖ナル杯デ歌姫ノ生誕ヲ祝エ』という文字へと置き換わり、背景も五線譜から地図に変化する。

 蒼い光で構成されたそれらにラテが指先で触れると、地図は拡大され、大まかな地名と、それから一点を白く明滅させた。


「ここ……リベイグか……?」


 チカチカと光っているのは、これから戻ろうとしているリベイグ、その街だった。


「総譜がどれだけすごい魔道具かはこれで分かったでしょ? 三つの《総譜》はそれぞれリバイバーの手によって配られたんだけど、貰う方だってそんな物いきなり押し付けられたら困っちゃうよね。だからリバイバーはわざと鍵を掛けた状態で渡す事にしたんだ」


「鍵?」


「《総譜》はね、鍵を外さないとそのままでは使えないんだよ。この地図と文章を頼りに課題を解いたら《総譜》を起動させるのに必要な楽譜が手に入るんだ。今回は聖杯が必要だったんだけど……」


「つまり俺らは自分で自分の首を絞めてたってことかよっ!ア゛―――!あんな胡散臭ぇ奴の依頼なんか受けなきゃよかったぜ!」


 後悔に揉まれているエルディーを


「結果論だ。今更仕方がない」


 と窘めたアドニスは、


「それにしても犯人や三人目というのが分からないな」


 と先を促した。


「始めは三つの楽譜のうち、一つをワタシが、もう一つをロスカ・ウォッカが持ってたの」


「ロスカ・ウォッカって言やぁ、ウォッカ家出身のピアニストか?」


「あぁ。そんで俺の兄貴だ」


「あ゛ぁ!? 兄貴!? それじゃお前もエリート音楽家な訳!?」


 とてもそんな風には見えない、とエルディーが目を見張ったのも当然だ。

 ウォッカ家は代々優秀な音楽家を輩出している音楽の名門一族で、幼少の頃から音楽の英才教育を施され、コンクールの優勝に名を連ねてはオーケストラでも大活躍。一般の家柄でありながら貴族のように扱われている特別な家系だったからだ。


「俺は落ちこぼれだから楽器は全然弾けねぇよ。でもロスカはすげーピアニストで、《奇跡の指》って呼ばれてたんだ。ガキの頃からスゴいスゴいって色んな音楽家から褒められて、リバイバーからも可愛がられてた」


「気難し屋で有名なリバイバーから好かれていたとは、大した実力だったのだろうな。それで《総譜》を託されたと?」


「あぁ」


「ラテはリバイバーと何か接点あったのか?」


「ワタシの実家喫茶店やってるんだけど、リバイバーはその常連さんなんだ。マスターのおじいちゃんとリバイバーは気が合うみたいで。アタシは殆ど家を開けてたし彼の事は良く知らないけど、絵本とかプレゼントはよくもらったよ。……でもまさか《総譜》を贈られるとは思わなかったけどね」


 と、ラテは苦笑する。

 風変わりな人物だとは幼い日から人の噂で聞かされていたが、ラテから見たリバイバーは至って普通の好々爺だったのだ。天才作曲家と呼ばれようと飾る事なく、寧ろ音楽以外の事には頓着しない素朴で敦厚な人という印象を抱いていた。記憶にあるリバイバーはいつもブレンド珈琲を飲みながら祖父と重めかしく哲学のように音楽を語り、柱時計がゴォンゴォンと五つ笑う頃、土産にマフィンを買って薄く白い月が顔を出した夕暮れの街に消えていく。祖父の冗談にもよく笑い、矍鑠としているがどことなく寂しい後ろ姿のそんな老人であった。


「ちなみにロスカが《総譜》を貰ったのは今から三年前。パフェレイトの宮廷音楽家として働いてた頃だ。ラテに《総譜》が届いたのも同じ頃なんだよな?」


「うん。リバイバーが失踪した後、すぐの頃」


 失踪するまでの晩年、リバイバーはミスティラの音楽院にあった。

 あちこちの国を転々としながら作曲を続けた彼が終の住処として選んだのは音楽都市ミスティラであり、そこはいみじくもウォッカ家の領地がある国であったのだ。

 余生を過ごす彼の目に《奇跡の指》が奏でる未来の音色はさぞ輝いて見えた事だろうが、今となってはそれは推測の意味しか持たない。

 人気絶頂の作曲家が失踪して三年余り《奇跡の指》と《支配の指》に《総譜》を託し消えた彼の所在は現在も蓉として知れない。夙に変わり者と思われていた彼の事。世間では死に場所を探してひっそり一人旅にでも出たのだろうという事になっていた。


「リバイバーからの手紙には《総譜》本体と説明書が入っててね、持ち主までは書いていなかったけど、三つの《総譜》を誰かに渡した事はそれで知ったんだ。もっとも、《総譜》の危険性に気付いたおじいちゃんが手紙ごと隠しちゃったから、こうしてワタシの手元に《総譜》がきたのは最近の事なんだけど。……でも、ロスカは違った」


 ――違った。


《奇跡の指》と《支配の指》とでは違っていたのだ。《総譜》に対する認識も、思い入れも。

 悲しげに兄の名を呼んだラテが黙るとボルガがその後を語った。


「ロスカは……ただ嬉しかったんだ。尊敬してたリバイバーから特別にプレゼントを貰えて。いつも大事に持ち歩いてたけど《総譜》を使う気なんか全然なかったんだ。……なのに《総譜》の存在をどこかで知った誰かが、ロスカを殺して、それを奪った」


「事件が起きたのはパフェレイト城敷地内にある寮。半年前、そこでロスカは何者かに殺されたの」


 その夜に浮かんだ月がどんなだったかラテは覚えていない。その時の彼女の記憶の始まりは音――緊急事態を告げるサイレンであったからだ……――





***



 ジリリリリリリとけたたましく鳴り響いた不安を煽る音に眠っていた意識を引っ剥がされる。あまりの大音量にベッドから飛び起きるや否や、ラテは反射的に愛用の魔道具を掴んで部屋を出た。

 つつかれた蜂の巣から一斉に針を向けた蜂が飛び出してくるように軍の宿舎から慌ただしく駆けていくのは武装した同僚達。ラテはその厳つい群集から外れ、王族の住居となっている壱号館へと一人向かった。

 緊急事態におけるラテの最優先事項は王女の保護――今時分だと彼女もきっと自室で眠っていたに違いない。ネグリジェのまま部屋履きにしているサンダルを突っかけて、物々しい闇に掻き回される城内を走り抜けた。

 空気が騒いでいる。ザワザワと夜が小さく囁くのだ。

 緞帳が開く前の舞台のような静かな興奮がこの暗闇には満ちている。まるでこれから何かが始まろうとしているかのような――


(一体何が……?)


 しかし何が起きようとも自分がすべき事は変わらない。

 蜘蛛が糸を渡して葉から葉へ飛び移るそれをラテもして、中庭より屋根へと上がる。

 敷地内で一番高い城の屋根だ。そこからは建物全てが見渡せる。異常がないかと見てみれば、案の定幾つか並んで建つ公務員寮の一棟から火の手が上がっていて、風の吹いた時だけ灰の靄を切って放水活動の様子が伺えた――そうか、この警報は火事によるものか。


(でも……なんだか……)


 何かが違うような気がした。それは鼠に甘噛みされたか犬に爪を立てられたかでもしたような些細な違和感。特に理由はなく、根拠足り得る能力や経験もない。

 けれど予感めいたものを感じて、そこでラテはふと気付く――しまった。通信機を忘れてきた!

 だが今は引き返している時ではない。距離や風向きから考えて壱号館にすぐ燃え移る心配はなさそうだけれど、早くに王女の無事を確保して自分も消化活動に加わった方がいい。

 気を引き締め、また屋根を走る。傾斜の大きい屋根は動きづらいが、直線的な移動が可能で壱号館まではすぐだ。そこまで来るとラテは外付けの非常階段に降りてそこから屋内に入る。


「キャァアアアアア」


 屋内外を繋ぐ扉を開いたその直後。ガラスが割れて飛び散る音がして、王女の悲鳴が廊下伝いにラテの耳に飛び込んできた。


「アシェリー!」


 宝石を収めた宝箱のような王女の部屋の飾り戸を開く。部屋から流れる摘みたての花の香は夜とは言えど変わる事なく、此処を訪れる度いつもラテを出迎えてくれる嗅ぎ慣れた匂いだった。

 しかし部屋のから明かりは消えている。見れば天井から床に咲く場所を変え、さらに粉々の破片になったシャンデリア。王女は壁際に身を寄せ突然ガラスが割れた事に驚いているようだが、「ラテ…!?ラテなのっ…?」とキョロキョロしているので、彼女の目はまだ闇の中にあるものを捉えられないでいるみたいだ。


「アシェリー、こっちだよ」


「――ラテっ!」


 光る糸を巻き付けた腕を振るラテの姿を認めるや否や、王女はラテに抱き付いた。


「さっきいきなりシャンデリアが割れたの。この警報と何か関係あるのかし」


「シッ。静かに」


「えっ!?」


「アシェリー…下がって」


 ――割れていたのはシャンデリアだけではない。

 漆黒のローブを纏う金の仮面を付けた不審な人物が、部屋中に散らした窓ガラスの破片を無言で踏みつけ夜風が揺らめかせるレースカーテンの向こうからじっと此方伺っていた。

 仮面をした上に頭からフードを目深に被り、爪先をも隠す長いローブ。背はラテよりも低く、男とも女とも子供とも大人とも取れた。

 人型は影のように動かない。ただ、見ている。ラテを、王女を、見ていた。

 向かい合った瞬間、ラテは直感的にその者から強い狂気の気配を感じ取り、形状記憶錬金を槍状に変形させる。

 仮面の下はどんな恐ろしい事になっているのか。その者の全身からは隠し切れない程の異様な殺気が洩れだし、非現実的なまでの狂気を宿していた。ちらりとも見えぬ瞳と目が合ってしまえば、悪魔に乗り移られてしまうような錯乱の相。異端とも言うべき影を睨み、ラテは槍を構える。

 言葉は無かった。

 けれど分かるのだ。この者が何か唯ならぬ野望を叶えようとしているが。そして次の瞬間、それは明らかになる。


 手を隠したローブ袖から黒い稲光がバチバチと好戦的に放たれ、螺旋になり、球になり。野球ボール程の赤褐色の球体が出現した。その赤と黒の邪悪は熟れ過ぎた林檎を啄む鴉。腐った心臓に群がる悪魔のように蜷局を巻く――怨念に色があるとしたらきっとこんな色だ。

 毒々しく赤黒い球が二人の恐れを吸い上げたかのように膨張し、人の頭位の大きさになった時。ついに仮面の人物はその狂気を解き放ち、此方を目掛けて悪意を投げ付けた。


「――ッ!伏せて!」


 咄嗟にラテは最小の範囲に糸で防御壁を作る。その分密度を上げ、あらゆる攻撃を相殺するべく物理的強度は勿論、化学反応を止める処理を施した多重の層を形成した。

 …ヤバい。想像以上の相手だ。

 何とか攻撃を受け流したものの、部屋の壁どころか今ので最上階の半分が吹き飛んでしまった。

 防御に全力を尽くしたのなんてラテは初めてだった。気付かぬ間に手にはびっしょりと汗をかいている。殆ど反射的にした事だが、体は命の危機を敏感に感じ取っていた。


(こいつ……)


 ――強い。それもこれまで出会ったどの魔術師よりも。

 魔法の威力が半端じゃない。それにどんな魔法を使った?何をどうやってあの威力を生み出したのか分からないだけに、防ぐのだって易くはなかった。

 多数の受容体を持ち数多の魔法を使いこなすラテだから、金属板を用いた物理的な防御に加工を重ね力業でどうにかなったが、もし単一の魔法で今の爆発の威力を下回ったらアウト――命はない。

 邪悪を吐く赤い唇がニィと裂け、その間から覗いた白い歯が鮮血を浴びた骨のようで、しんと体の奥が冷えるのをラテは感じた。


 力で押せない訳じゃない。だがアシェリーを巻き込まずに戦うのは難しい。それに階下にいる人だって。

 避難はもう済んだだろうか――…いや、王女の部屋を誰も訪れていないのだ。きっとまだだ。もしかしたら消火に人員を割いているせいで、此方にまで手が回らないのかもしれない。

 というかこの状況に気付いてすらいなかった可能性の方が高い。流石に屋根が無くなった今は軍に連絡がいっているだろうが…。

 しかし応援が来るまでにこれ以上暴れられれば建物自体崩れてしまう。どうする…!

 判断を渋っている間にも仮面の人物の手の中の光は大きくなる。此方も相当な力で挑まねば倒せまい。だが…


「王女!ご無事ですか!?」


 そんな時、やっと応援が駆け付けた。


「早くアシェリーを安全な所へ!」


 今にもガラガラと倒壊してしまいそうな崩れかけの階段を降りようとした王女や兵を光が襲う。指示を送りながらラテは彼らの前にシールドを張った。

 爆発がさっきよりも小さい。層の組成を変えてみたのが成功だったようだ。

 仮面は驚き、王女の方を見ていて今ラテを向いていない。


(――今だ!)


 走って一気に間合いを詰め、飛びかかる。

 仮面がラテに気付いた。またあの技が打ち出される。体表面に沿うように糸で壁を。爆発は更に小規模化する。

 爆風を切って手を伸ばし、仮面の首を掴んだ。

 飛び出した勢いのまま。ラテはがっちり掴んだ相手の首を床に押し付け、ズザザザザッと床に亀裂を作りながら部屋の端まで引き摺った。

 床との摩擦や壁にぶつかって勢いが落ちた時には、既に首に糸が巻き付き、いつでも頭と胴を切り離すことが出来る状態。

 観念したのか、仮面の人物はピクリともしない。死体のように動かない。

 良かった。これで避難がしやすくなる。だがそう思ったのも束の間。


 仮面がゆらりと右手を持ち上げる。するとダボダボと長さを余らせていた袖が滑り落ちて、今まで隠れていた腕が露わになった。


「――!?」


 肩から指先まですっぽり隠されていた腕が月光に照らされる。細く華奢な手首を飾っているのは、見覚えのあるブレスレットだった。

 友であるロスカが大切に持っていたもの。何故それをこの者が――?

 しかしそれについて考えている暇などなかった。

 指揮を振るうように厳格に天を差す指の先には、これまでとは違う黒い光が灯っていた。

 この光は聞いた事がある。見た事もある。使ってはならない。葬られねばならない。忌避すべき力。

 長年魔女を苦しめ続けた力。同胞に災厄を渡す力。ラテ自身、持ってしまった力――


 それは、真っ直ぐに。標的へと向けられた。


(まさか、まさか、まさか……っ!)


 黒い光の先には、崩れた階段から救助されている光。国民の、世界の、ラテの。大切な光が、黒い光に呑まれようとしていた。

 ラテの一瞬の動揺を衝いて、黒い光は光を嫌った影のように伸びる。


「アシェリー…っ!」


 ――………。



***



「それで、どうなったんだ!?」


「……王女は無事だよ。犯人は取り逃がしちゃったけど。それと後から分かったんだけど、やっぱり火事の原因は放火だった」


 ベンジンが寮の周りに撒かれていた。と、火が漸く消し止められた翌日の調査で分かった。

 幸いその火事による死傷者はゼロ。しかし焼け跡からはロスカ・ウォッカの遺体が見つかった。

 この結果は互いに矛盾しない――どういう事かといえば、彼の死因は焼死ではなく銃殺だったのだ。司法解剖で腑分けにするまでもなく、彼の頭には生きていた時には存在しなかった穴が空き、空の薬莢も折れたり溶けたりして変形した建材の中から発見されたのだった。


 犯人の目的の一つは、《総譜》でまず間違いない。

 ロスカの上着のポケットからは《総譜》が消え、現場周辺からも発見出来なかったし、何よりラテ自身、はっきりとその目で犯人の手首に《総譜》が輝いていたのを見ているのだ。

 そして二つ目の目的は王女・アシェリー。

 火事で警備の目を逸らし、王女へ“人形ノ呪イ”を掛けようとするなんて、なかなか用意周到である。


「それにしても《支配の指》を持った奴が犯人とは厄介だな…」


 魔女狩り激化の原因となった魔女・マニャーナが起こした事件以降、“人形ノ呪イ”が使える魔術師は俗に《支配の指》と呼ばれていた。


 “人形ノ呪イ”。

 それは国家独裁を目論むマニャーナが用いた禁忌の魔法だ。

 この魔法が使える魔術師は滅多におらず、魔術管理局に保管されている情報もマニャーナとラテの二例だけだが(マニャーナは管理局が誕生する以前の人物なので、回収出来た情報は極めて少ない)、二人は共に複数の魔法を使える。

 もっとも、故人であるマニャーナは使えた、と過去形にするのが正しいが。


 それはさて置き、《総譜》を奪った犯人も《支配の指》を持つ以上、複数の魔法を扱える可能性が強まった。

 残虐で大胆不敵。強力な殺傷能力のある魔法を使う魔術師が、未だ世界を自由に歩き回り《総譜》を完成へ導かんとしているなら、これはパフェレイトだけの問題ではない。


「この事は伏せられてて、情報局が徹底して情報の管理をしてる。だからロスカの家族にも、漏電で起きた火事で亡くなったとしか伝えられてないんだ」


「まぁ、普通そうだろうなぁ」


 逆賊を取り逃がした単なる不始末の隠蔽なら良心からも恨まれようが、世界に最も影響力を持つ国の姫が賊の手に落ち掛けたのだ。パフェレイトに隙があると思われ、野心に燃える国々が次々にパフェレイト獲得に名乗りを上げ、三つ巴、四つ巴の泥沼化……なんて収拾のつかない事態に陥ってしまうかもしれない。

 今は武力により辛うじて保たれているが、世界の均衡などトランプタワーよりあっさりと崩れ去るものだ。

 たった一人の将の死をきっかけに巻き起こった“帝王戦争”の例もある。

 情報流出が元で再び大事件が引き起こされるなど、パフェレイトが是とする筈がなかった。

 情報は慎重に管理され統制が敷かれた。ロスカの本当の死因や一連の犯人の行動を知る者は、現場検証に立ち会った監察官や軍上層の特権階級のみ。けれどその事実さえ真相と呼ぶにはまだ不十分。


――あの夜、更に何が起こったのか。


 裏の真相を知るのは、さらに限られた人間だけだった。


「とどのつまり、今《総譜》を持っているのはワタシと犯人。そして残る三つ目を持った誰かって事になるでしょ」


「メージュがヤベぇって思ったのは、もし三人目が人体実験してる組織の連中で、犯人が《終焉劇団》にいたらって事だよな?」


「なるほど。またはその逆で、三人目が《終焉劇団》、犯人が組織側にいる場合も同様に危険……という事か」


 アドニスは渋い顔をした。


「おーい、お客さん。病院に着きましたよ」


 再び暗雲低迷した時、馬車が止まった。

 いつの間にか馬車は山道を抜け、休憩の際立ち寄った町に着いていたようだ。

 馬車を降り、夕日の射す町を下るように歩く背は皆一様に草臥れ、細く長い影を作っていた。




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