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PuPPet  作者: PM
第三幕 影の依り処 
11/32

(3)

 背中が何となくヒヤリとした。けど多分気分の問題で、実際には何も感じられていないのだと思う。眠くて眠くて感覚を失いそうになる。

 でも寝たらいけない。吹雪の雪山で寝てはいけないのと同じ。砂漠の果てに見た街を目指すのと一緒。感情に招かれるままそれに従ってはいけないんだ。これは罠よ!とまだ侵されていない本能で思い、抵抗を試みた。


 後ろめたさを詰め込んだような真っ暗な世界に、カッと暴力的な光で抑え込まれる――だめだ…。

 手も足も首さえ動かせなくて、手術室のような初めてみるそこは歯医者さんより余程怖い感じがして覚悟が竦む。眠気にくっ付いてきただるさで目蓋を開けているのもつらい。過剰な光を放つ照明に照らされ、ピュウと中の空気が追い出されていつでも打てる状態になった注射器が左腕に近付いてくる。


(やめて やめて やめてったら!)


 どんなに強く祈っても声は出なくて、細い銀の光が肌を刺すのが半分だけ開いた目に映った。


(刺さないでよ どこも悪くないんだから!)


 ゆっくりとプランジャーが下がる。痛くない。何も感じないけれど、押し出された透明な液体が血に混じる心地悪さは確かにあった。


(やめてってば! あたしは あたしは病気じゃないの!)


 医師のように誇らしげに

 夢遊病者のように虚ろに

 子供のように残酷に

 科学者のように冷めた目で見下ろされる。


 注射器の中が空になると静かに針が引き抜かれて、少量の血が滲むも放置された。


 ギラギラした光。気持ち悪い…。瞼を閉じて唸った。

 船酔いしたみたいな吐き気が急に込み上げてきて、体も熱湯で湯がかれたように熱くて、溶けそうな程頭が思い。


(やめて やめて しにたくない)


 感じた事もない体の急激な異変にパニックになっていると、何人もいる手術着の連中がそれに呼応してざわめき出す。


(何よ! あたし今どうなっちゃってるのよ、ねえ!)


 心の声を発せぬ口からちろちろと鮮血が溢れた。たら―…と口の端に溜まって肌に蛞蝓が這ったような不快感を残して首を固定している台に落ちる。


(どうして どうして血が出るの!?)


 混乱と一緒にごぽりと赤を吐く。一度血の塊を撒き散らすとそれに連なるようにどばどば血が流れていく。ショックでショックで、減っていく血液と対称的に感覚がない事そのものへの恐怖で頭の中が一杯になった。涙腺も決壊。自分も世界もぐしゃぐしゃに歪んでいく。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)


 ふいに滲んだ視界が割れる。人と人の間から覗くのは、同じ様に吐血し、顔面の半分以上を真っ赤に染めた“何か”。皮膚が赤黒く腫れて、じわりじわり自分の体重を支えきれず潰れるように崩れていく。


 耳の後ろで緩く括った明るい色の長い髪。お気に入りのワンピース。見開かれた涙を称えた瞳――自分と、目が合った。



 半分溶けて潰れた上半身だけの自分。トルソーより不完全な形は更に崩壊を極め、最期を悟ったように歯茎が剥き出しになった頬をぐいと上げたら、その拍子に二つの目玉がべちゃっ、べちゃっと。熟れた果実が腐り落ちるような不気味。

 愛おしそうにしとしとと全身から血を滴らせる自分はこちらを見て、舌の消えた空洞から枯れた音で、



『        』







「ッハ…………!」



 白い天井。

 罅に添って現れた茶色シミ。古めかしい文机。その上に置かれたピンクの髪結いリボン。日焼けしたカーテンにも見覚えがあった――此処は教会の自分の部屋……。


「はぁっ……はぁ……っ……」


 髪の生え際に汗が溜まっている。生暖かい感触を残す涙越しに見た腕は、この教会で目が覚めた時から比べれば見違える程綺麗になっていた。

 アナフィラキシー……?だっけ。確かそれに近い何かだと診断されたのだ。ここに来てもう三年も経つんだなぁ……と、うっすらと思う。

 それにしても嫌な夢だった。…まぁ、三年間ほぼ毎日繰り返し見る日課なのだけれど。

 不快感を拭いながら体をシーツから剥がすと背中がぐっしょり湿っていて、朝の空気に触れた表面から寒さが伝わってきた。


(何て…言ってたのかな…)


 自分が残した最後の言葉。いつも聞き取れずに終わる吐息から逃れるように、ぜぇぜぇと死に際の犬を走らせたみたいな乱れた息で飛び起きる。その繰り返し…――


 枕元の置き時計を見ると午前六時であった。いつもと同じ起床時間が余計に現実感を失わせる。これが大寝坊だったり夜中の三時くらいだったりすれば少しは夢らしくもあるのだが、大抵時間通りにピタリ起きてしまうので、すっきりしない頭をリセットする事も出来ない。

 呼吸を整えるべくもう一つ溜め息を吐くと、ベヴェル・アクアは共同の洗面所へ向かう為ベッドから腰を浮かせた。


「あ…っ!」


 力の入れ方がまずかったのか、両脚に体重を預けた途端よろめく。壁に手を付いてすんでのところで転ばずには済んだが、念のためその場で軽く足踏みをしてから二歩目を踏み出した。まだ現実に脚が着かない感じだ。


(働き過ぎかな……)


 日頃のオーバーワークに加えて昨日なんか全力で坂道を駆け下りなければならなかったし。 でも客人を預かってるのだからシャンとしなければ。憎きコソ泥も制裁してやるのだ。

 居候のベヴェルがシスター以上に執念を燃やすのもおかしな話だが、これは人に混じって働くうちにどんどん人間、特に大人に対して不信感を抱き不満を持った彼女の半ば当て擦りのような感情なのだ。

 大人に頼れないと思えばこそ処世術や生活力も身について、子供だからと軽んじられたり騙されたりする事もない。(むしろ子供である事を利用して上手く立ち回っている)

 しかしながら窃盗や暴力、平気で他人を貶めるは陥れるは、なんと陰口噂話の絶えない事か……。それらの現実は徐々に学んでいくものだが彼女の場合それを一気に知る事となった。

 反発心と自己防衛とが強く働いた結果。記憶を失い初めて見た世界のせいで大概大人だと信用出来ないと、それはベヴェルの胸によくよく刷り込まれたのだった。

 だからこそ親身になって面倒を見てくれるシスター達がとても有り難い存在だと理解し、聖杯を盗まれて彼女達が悲しむのも許せなかった。

 今まで世話になった恩返しに犯人は必ず捕まえてやるとベヴェルは改めて胸に誓う。


 もう少しで貯金も目標額を超える。そしたら教会を出て、どこか別の街で暮らしながら自分の過去を探すつもりでいた。

 この街は悪くないけれどここで得られる手掛かりは何も無いし、過去を捨てて生きるにしても、もっと色んな世界を見て選択肢を増やしてから決めたいのだ。だけどその前に……



 身支度が済むと今日の食事当番の用意を手伝う為に、ベヴェルは食堂へ向かった。

 七時半には僅かに眠た気なラテとシャンエリゼ、そのままラジオ体操に突入しそうな勢いのボルガもやって来て、清き食に感謝しての食事が始まる。といっても、メニューは普段と同じトーストとベーコンエッグ、野菜サラダと日替わりスープなのだが。

 礼拝や慈善活動があるシスター達は十五分程で退席したが、しかしベヴェル達が出かけるにはまだ早い。

 食後のコーヒーでも飲んで時間をつぶそう、と。扉を叩く音が聞こえたのはそんな頃合だった。


「はいはーい」


 礼拝堂ではなく宿舎を訪ねてくるとは珍しい。そう思いながらも「ごめんくださーい」との声に呼ばれ、すぐにベヴェルはすっかり癖になってしまった素よりオクターブ高めの愛想と共に扉を開けた。


「どちら様です、か……」


 こいつは良くない手合いの奴だ――出合い頭にベヴェルはそう判断する。

 怒った山嵐のようなツンツン頭にサラリと長いワインレッドの髪。尻尾のような長い後ろ髪を一つに束ねる髪留めは金色の王冠モチーフ。――格好からしてめちゃくちゃ怪しい。

 そしていかにも大人の色をした金色の目を見るや、ベヴェルは胸の内で舌打ちした。


「おはようお嬢ちゃん。お兄さんはここに住んでるっていう女の子に用事があって来たんだけど、もしかして君がそうかな?」


 男はベヴェルの目の高さまで屈むと、丁寧だが胡散臭い笑顔を浮かべて、タレがちな目をますます不自然に下げるのだ。


「教会にいる子供はあたしだけですけど」


 反してベヴェルの眉はキリリと吊り上がる。警戒のスイッチが入ったのだ。


「あのね、ちょっとお兄さんのお話聞いてもらえないかな?」


「新聞もセールスも宗教も児童保護施設の案内も間に合ってます。客人と食事中ですので失礼します」


 取り付く島など与えてなるものか。近寄ってきた男の言葉を一蹴してベヴェルはすぐさま扉を閉める。


「ちょっ、待って!」


 しかし僅かの隙に扉の間に靴を挟まれ、両手で扉を閉じようとしたベヴェルの健闘空しく男によって扉は全開した。

 なによコイツ!とムキになりつつも、強引なやり口に感じる恐怖感は否めず、開けられてしまった扉からベヴェルは室内の方へと後退りする。と、 


「うん?ベヴェル、どうしたんだ?」


 ドタバタしているのを気に掛け様子を見にきたらしいボルガにぶつかった。振り返れば、ラテもベヴェルも「どうしたの?」と不思議そうにこちらを見つめている。


 ――4対1。勝った…!


「暴漢です!セールス断っただけで教会に押し入ろうと」


「ぇえッ!?違う違う!誤解だって!」


「閉めたドアに足突っ込んで無理やりこじ開けたんですっ!そりゃもうドア壊れるんじゃないかって位思いっきり!話があるだなんて気持ち悪い嘘までついて、こいつ絶対怪しいです!」


「だから誤解なんだって…っ!」


「全く……お前には任せておけんな」


 うんざりしたような声色。

 どこからか飛んできた黒い鳥は、口達者なベヴェルのせいでどんどん立場が悪くなり冷や汗をたらす男の肩口にちょこんと留まって、ほとほと呆れ果てたという顔をする。


「子供一人説得できないとはとんだダメ秘書だな」


「だってよぉ~……」


「わぁああ!鳥が、喋った!おい、なぁ、聞いたか!?この鳥喋ったぞ!」


「動物園にもあんまりいないよね、ワタシも初めて見た……」


「だけどそんな珍しい動物を連れているなんて……やっぱり……」


 ぞろぞろとやってきて疑いの眼差しを光らせている連中を見下ろすと鳥は溜め息吐き、彼らを無視して続けてベヴェルへ言った。


「少しの間でいい。話を聞いて欲しい。これは重要な事なんだ」


「悪いけどあたしにとってはあんたの話を聞くより、これから出掛ける事の方が重要なの。盗難にあった聖杯を取り戻して、盗んだ犯人をボッコボコにしてやる大事な仕事があるんだから」


「そうか、では良いことを教えてやろう」


 ピンと張った艶やかな翼が男を指す。


「その聖杯を盗んだのはこいつだ」


「はぁぁああああああああ!?」


 幸福の青い鳥でも見つけたように自らの救済を確信し喜びで溢れていた男の目は一瞬で点になった。


「アドニス、てめっ!俺だけ悪者扱いする気かよ――こら、なにしやがんだテメェは!?」


「犯人捕獲―ッ!」


 それを聞いてすかさずボルガは男に飛びかかった。完璧に羽交い締めにすると素早く巻いていたマフラーで縛り上げた上関節技を決める。

 おぉおお~~!なんてその場のノリで盛り上がるラテとシャンエリゼの声援に応えるボルガと、彼に情けなくも押さえ込まれている男を見下ろし、黒鳥はこうなると分かりきっていたような冷めた声で言った。


「さぁ好きなだけボコボコにするといい。それで用事は済むな」


「こらぁあああああああ゛!い゛いだだだ!マジいたい!やめて、ほんと、お願い!」


「聖杯がまだよ。さっさと返して」


 まるでプロレス技に屈した終末の獣の如き呻き声を聞き流し、ベヴェルは不満気に片手を突きだした。しかし。


「残念だがそれは無理だ」


「……まさか壊したんじゃ」


「そうではない。とにかくその辺の事情も含めて話がしたい」


 睨み合い。

 策略的な台詞に腹は立ったが、犯人自ら出向いてきたのを取り逃がすのも馬鹿らしい。こんな小鳥の言いなりになるのは癪だけれど、聖杯に関わる話なら聞いて損になるものでもないだろう。

 ベヴェルは理性で渋々自分を納得させた。


「……本当に、盗んだのあんた達なんでしょうね?」


「無論だ」


「じゃあ、入んなさいよ。ただしそっちの如何わしい男は人質よ」


「い、如何わしい…?」


「何故ショックを受けたような顔をする。当然だろう」


「ちくしょう…アドニス覚えてろよ……」


 招かれざる客が連行されていく間、さながら一ラウンド終了を告げるかのように教会の鐘が鳴った。



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