4 宮廷のコソ泥
ミスティアが宮廷に嫁いでから、一週間が経った。
あの初夜からアスラン王子は変わらず寝室に寄り付かず、新婚夫婦は宮廷内別居が続いていた。
「あ、あのっ、本日から奥様のお世話をさせていただきます、メイドのメグと申します!」
素朴な三つ編み姿のメイドは、強張った顔を深々と下げた。
ドレッサーから振り返ったミスティアは、優しい笑みを向けた。
「まあ、新入りさん。よろしくね」
エルナと他の侍女たちはすっかり大人しくなって、後ろに下がって並んでいる。みんな顔や体を擦りむいて、ボロボロの状態になっていた。
あれからどんな嫌がらせをしても自分に跳ね返ってくるので、今やミスティアに誰も近寄ろうとしなかった。
髪を梳かすのも、手下のメイドに押し付けたようだ。
メグに手入れをされながら、ミスティアはドレッサーの引き出しを開けた。
「あら。お気に入りの髪飾りがないわ。今日のドレスに合うと思ったのだけど」
「えっ、で、では、こちらのリボンは如何でしょう!」
メグが慌てて差し出すと、ミスティアは素直に頷いた。
後ろで見ていたエルナは侍女たちに目配せをすると、前に出た。
「さあ、ミスティア様! お散歩にお出かけしましょ!」
エルナは王子妃付きの侍女という地位を手放したくないようで、当然のように散歩に同行した。
宮廷内では、今日も彼方此方で貴族たちの囁きが渦巻いている。
ミスティアが前を歩くと、誰もが真顔で見入った。
「辺境の箱入り娘」と貶んだ悪口は、恐れを含んだ噂に変わっていた。「魔獣の肉を喰うなんて、妖精姫どころか魔獣姫だ」と。
そんな声をよそに、ミスティアは開放的な気分で散歩を楽しんでいたが……。
アスラン王子は違うようだ。
自分を囲む美女たちを邪険に振り払うと、遠目でミスティアを見つめて歯軋りをした。宮廷に広まる“人喰い王子と化け物の夫婦”という噂に、苛立ちが隠せなかった。
「なぜ逃げ出さない……。婚姻を破棄する権利はお前の側にあるというのに」
* * *
宮廷散歩から部屋に戻ったミスティアは戸惑った。
読みかけの本がなくなっている。
辺境の生家から持ってきた魔獣の図鑑だが、侍女たちは誰も知らないと言う。
それだけではない。愛用している指輪やブローチも、宝石箱から紛失していた。
「まあ。困りましたね。どこへ行ってしまったのかしら」
探し回るミスティアに、メイドのメグは慌てて話題を逸した。
「お、奥様、ドレスのフィッティングのお時間です!」
ミスティアとエルナが部屋を出て行くと、メグは息を吐いた。
そして掃除をするふりをしながら、室内の物色を始めた。
高価そうな本、真珠のブレスレット、綺麗な刺繍のハンカチ……。
エプロンに次々と押し込みながら、ドレッサーの鍵を開けた。
「ミスティア様が一番大切にしているのは、お母様から貰ったペンダントだって……」
侍女エルナの情報通り、そこには水色の宝石が輝く、美しいペンダントがあった。
メグは緊張と罪悪感で震えながら、ペンダントに手をかけた。
……が。
カツン、と宙で爪が当たるばかりで、ペンダントに触れることができない。まるで透明のガラスケースに守られているように、外界から遮断されていた。
「変だわ、叩いても割れないし、どうやって盗るの!?」
メグがドレッサーにしがみついて夢中でペンダントを引き剥がそうとしている間に、ふと、後ろに冷ややかな気配を感じた。
背中をゾッとさせたメグは、急いで後ろを振り返った。
そこには、部屋を出て行ったはずのミスティアが、笑みを浮かべて立っていた。
「あらあらあら。泥棒さんですわ」
「きゃあ!!」
メグは驚きの余り腰を抜かして、ガタガタとドレッサーの前に崩れた。
と同時に、キン、と音が鳴り、メグの体はあのペンダントと同じように、透明な檻に閉じ込められた。
「ひっ!?」
視界は何も変わらないのに、体は見えない壁に阻まれて身動きが取れない。呼吸はできるが、妙な閉塞感で息が詰まるようだった。自分を囲う光の輪郭は、魔力の「檻」なのだと理解した瞬間に、メグは恐怖で取り乱した。
「だ、出してください! ここから出して!」
「うふふ。取り引きをしましょう」
「と、取り引き??」
檻の中で真っ青になって狼狽するメグに、ミスティアは優しく微笑んだ。
「あなたを支配している主を、私に変えなさい」
「え……?」
「主に指示をされて、私の物を盗んでいたのでしょう?」
混乱するメグの頭には、あの意地悪なエルナの顔が浮かんでいた。
涙目で首を振るメグに、ミスティアは溜息を吐いた。
「あなたの主は酷いわ。平民のメイドが王族の私物を盗んだら、処刑ですもの。あなたを捨て駒にしてまで私に嫌がらせをするなんて……」
「しょ、処刑!?」
「まあ。王国の法律をご存知なかったのね」
メグはショックで戦慄くと、号泣した。
そしてすべてをミスティアに吐露した。
メグの父は平民で、エルナの家が仕切る倉庫で雇われていること。「いつでもクビにする」と脅され、弟妹が飢える恐怖に逆らえなかったこと。
「まあ。そんなことで苦しんでいたのね、可哀想に。あなたのお父様は辺境伯が管理する倉庫で働けばいいわ」
「え?」
「辺境で穫れる薬草や食料を卸しているのよ。優良運営だから安心してちょうだい」
エルナによる脅迫の枷があっさりと外されて、メグは拍子抜けした。
同時に、自分を捕らえていた透明な檻が消えて、体が自由になっていた。
床からミスティアを見上げると、肩の上に蜂が飛んでいる。ミスティアに懐いて、猫のように頬擦りをしていた。
「そ、それは毒蜂……」
「そうよ。あなたの指の腫れは、この子に刺されたのでしょう」
メグは赤く爛れた左手を思わず隠した。エルナに指示をされて、毒蜂を中庭に放った時に負った怪我だった。
申し訳なさそうに俯くメグに、ミスティアは笑顔で後ろのクローゼットを指した。
「あの扉の鍵は、エルナも持っていなかったでしょう? 誰かが開けてしまったら、きっと驚かせてしまうと思って」
ミスティアがポケットから取り出した鍵でクローゼットを開けると、突然、暗闇から巨大なトカゲが現れた。
「きゃーー!?」
メグは叫んだが、よく見るとトカゲは標本のように、透明の檻の中にいた。チロチロと舌を出しているので、生きているようだ。さらに隣の檻には、大蛇が蟠を巻いている。
「うふふ。可愛いでしょう? 王都にもいろんな生物がいますの。檻に入れて可愛がってあげれば、みんな懐いてくれますわ」
檻の中のトカゲも蛇も、ミスティアに近寄ろうと檻にへばりついている。
「メグ。あなたのことも可愛がってあげましてよ」
ミスティアの菫色の瞳が一瞬、獣のように光ったように見えて、メグは震えた。
中庭で盗み聞きをした、"竜の王子"の恐ろしい逸話を思い出した。
ミスティアは己を喰らおうとする竜さえも、檻に閉じ込めて愛でる気なのだ。
なんて頑強で、なんて支配的な愛だろうか。
だが、その愛は紛れもなく本物であると……メグは確信を抱いていた。
「ミスティア様……いえ、主様。私はあなた様に忠誠を誓います」




