2 真っ赤なお茶会
爆食いの初夜が明けて、寝室は爽やかな朝を迎えた。
……が。
ベッドから起き上がったミスティアは、びしょ濡れになっている。
洗顔用の器が膝の上でひっくり返ったのだ。
「あら……まぁ……」
起き抜けに冷水を浴びて驚くミスティアに、水を溢した侍女は大声を上げた。
「やっだぁ、ごめんなさい! 私ったら手が滑っちゃった!」
エルナという侍女だ。侍女にしては、やたらと大きなリボンを頭に着けている。
エルナはミスティアの反応を伺うように、上目遣いでコテンと首を傾げた。
ミスティアも同じように小首を傾げて、優しく微笑んだ。
「うふふ。おかげでスッキリと目が覚めましたわ」
エルナの後ろで傍観していた他の侍女たちは、ミスティアの呑気な返事に笑いを堪えた。王宮が手配した侍女たちは、あからさまにミスティアを冷遇するようだ。
エルナが主導する嫌がらせはその後も続いたが、いかに乱暴に髪を解こうが、朝食のパンを落とそうが、ミスティアは「まぁ」と優しく微笑むだけなので、侍女たちの驕りはエスカレートするようだった。
しかし、部屋を出てエルナと共に宮廷内を散歩してみれば、侍女の嫌がらせなど可愛く見えるくらい、令嬢たちのミスティアを見る目が厳しい。
(ほら、辺境の箱入り娘よ)
(あんな田舎者がどうして花嫁に選ばれたの?)
(初夜をすっぽかされたんですって。いい気味!)
コソコソ、クスクスと、いたる所でミスティアは好奇の目に晒された。アスラン王子にはよほど多くの令嬢が焦がれているようだ。婚約破棄をしまくった王子だから、婚姻も長くは続かないだろうと、誰もが花嫁を軽んじていた。
ミスティアが興味深く宮廷を散策していると、廊下の向こうに白銀に輝く後ろ姿を見つけた。アスラン王子だ。
昨晩あんな暴言を吐かれたのに、ミスティアは思わず駆け出して、王子の背に手を伸ばした。
それに気づいたアスラン王子はギョッとして大袈裟に飛び退くと、驚いた顔でミスティアを見下ろした。
「なっ!? ……か、勝手に触るな!」
「おはようございます、アスラン王子殿下」
取り乱すアスラン王子に、ミスティアは淑女の礼をして見せた。アスラン王子は片手で顔を隠すと、所在なく目を泳がせている。
やっぱり……。
ミスティアは昨晩の違和感を思い出した。
あの時、暴言を吐くアスラン王子は、両の拳を握り締めて震わせていた。まるで何かに耐えるように。
もしかして本当は、女性が苦手なのかもしれない……というミスティアの予想は、すぐに覆された。
「アスラン様! 早くお庭に行きましょう?」
アスラン王子の背後から、ドレス姿の美女が現れたのだ。王子の腕に触れているが、彼はそれを払わなかった。さらに何人もの美女が現れて、アスラン王子は連れ攫われてしまった。
ミスティアは唖然と立ち竦んだ。
女性が苦手どころか、まるでハーレム状態である。
そこへ息を切らせた侍女のエルナが追いつき、わざとらしく吠えた。
「アスラン様ったら酷い! いくら趣味じゃないからって、花嫁を放置して浮気三昧だなんて!」
無神経な義憤にミスティアが微笑みで返すと、エルナは楽しそうにリボンを揺らした。
「ミスティア様、ご安心ください! これからミスティア様を歓迎するお茶会を開きますから、独りでも寂しくないですよ!」
「まあ。嬉しい」
「ミスティア様にお会いしたい令嬢が沢山いるんです。めいっぱい、ドレスアップしましょうね!」
「うふふ……楽しみですわ」
* * *
明るい庭には不似合いな、苛立ちの顔が並んでいる。
着飾った令嬢たちがお茶会の席で、ミスティアを待ちわびていた。
「あの辺境の箱入り娘、何を言われてもニコニコして、気味が悪いったらないわ」
隣の令嬢は扇子の陰でフンと鼻を鳴らした。
「田舎者が強がってるのよ。アスラン様に相手にされず、どうせすぐに音を上げるわ」
令嬢たちが毒を吐くテーブルに、侍女のエルナが大きな盆を置いた。
「さぁ皆さん、真っ赤なお茶会のご用意ができましたよ!」
令嬢たちは盆を覗き込むと、愉しそうに唇を歪めた。
そこには花を煮出した真っ赤な紅茶と、チェリージャムをたっぷり掛けた真っ赤なケーキが山盛りで乗っている。
「ホホホ、本当に真っ赤ですわ!」
「まるで血糊みたい。粗野な辺境娘にはお似合いね!」
ホホホホと愉快な笑いの向こうから、主役のミスティアがやって来た。
メイドに連れられて、品の良い純白のドレスを着ている。まるで妖精のような可憐な姿に、令嬢たちは「うっ」と喉を詰まらせた。妖精姫に対抗して着飾ってきたが、返ってミスティアの清楚さが際立つようだった。
令嬢たちが妖精姫の存在に気圧される中、エルナは元気に計画を実行した。ミスティアの真っ白なドレスに真っ赤な紅茶とケーキをぶち撒けて、恥をかかせる作戦だ。
「ミスティア様〜! ご覧ください、このケーキ……あーっ!」
エルナは下手な演技でよろけて、着席したミスティアに向かって盆を投げ出した。
その瞬間、キンと空気が張り詰めて、見えない何かが豪速で盆を遮った。
ガシャーーン!!
衝撃音と共に「あっつぅ!!」と悲鳴が上がった。
悲鳴を上げて真っ赤に染まったのは、エルナと令嬢たちだった。
ミスティアをめがけて飛んだ盆は反対側に跳ね返り、紅茶とケーキが全方向にぶち撒けられたのだ。
「あら、まあ」
純白のミスティアは一滴も汚れずに、目前の阿鼻叫喚に微笑んだ。
「ひいっ、熱いですわ!!」
「いやあ! ドレスが真っ赤!!」
頭から飛沫を被った令嬢たちはパニックになった。
エルナは全身を真っ赤にしたまま呆然とし、鬼の形相で睨む令嬢たちに謝り倒すしかなかった。
そんな庭の一角の騒動を、離れた外廊下からアスラン王子が眺めていた。
「何だ? あの騒動は……。令嬢たちが血を被ったように真っ赤になっている」
「さあ〜。家格の低い方々はお下品ですわね」
王子を囲む高位の美女たちは、真っ赤な茶会を蔑むように笑っている。
アスラン王子はそっと、騒動の奥にいるミスティアに目をやった。
一人優雅に微笑んでいる姿に安堵すると同時に、その異様さに眉を顰めた。
あの盆はミスティアの目前で、大きな力で叩き返されたように跳ねた。
不自然な現象を見てしまったアスランは、ミスティアから目が離せなくなっていた。




