【超短編小説】咀嚼
大雨の中、スクール水着の上に制服を着た女子高生となった俺がトイレを探して走り回る夢から目が覚めた。
新聞配達すら動き出す前の真夜中だった。
ジョニーは戦場へ行ったんじゃない、便所に行ったのさ!!
どうにか寝床から立ち上がりソファに足をぶつけながら便所に辿り着くと、ションベンより先に昨晩訪れた居酒屋で食べたイワシの梅肉揚げとシメの焼きそばが出てきた。
白い便器に広がったイワシだとか野菜はまだ原型のままで、日頃の咀嚼が足りない事を実感させられる。
もっとよく噛んで食べるべきだな。
いつか餅を詰まらせて死ぬジジイと同じ道を辿る。
すでに同じ道を歩んでいるのかも知れない。なぜなら便器の周りを妖精たちが遊んでいるのが見えているからだ。
アローアロー、こちらヒューストン。
シャロン、そちらの調子は?
妖精たちの返事を待つ間、昨日は久しぶりに吐くほど飲んだのかと思ったけれど、単にあの店は酒が濃いだけなのだと考え直した。
薄くて敬遠される店は数あれど、濃くて常連に注意される店もそうあるまい。マスターは一杯で2,3杯分ぐらいだと言っていた。
「何杯も作り直すのが面倒なんだよ」
そうだ、おれはそんな話をしたんだ。
「手間のコスパと言うのもあるわな」
吐けば全部ナシになる。
便器の中で妖精たちが野菜屑を突いて遊んでいる。
返事はまだ無い。
そりゃそうだ、幻なんだもの。
俺は月曜日が嫌いなので水を流した。ゲロは流れた。野菜屑を掴んだ妖精たちも流されていく。
ざまぁみろ、俺を無視するからだ。
そう言えば昔、聞いたことがある。
下水道には陽に当たらずに生きたせいで白くなったワニが棲んでいるらしい。
だが実際には流された妖精たちだとか胎児だとかがいて、復讐を待っているのだと言う。
トイレに煙草を流したり、シンクに油を流すやつを殺すんだとさ。
「誰が言うのさ?」
便所の100Wが訊く。
「さぁな、俺の婆さんか、そのまた婆さんか」
つまり俺が答える。
いつだって一人だ。
だが一人だからこそ考える。
アルビノである事は太陽光とか下水道なんてのは関係が無かったはずだ。
でも真っ暗な下水道に白いワニが光っていたらそれは綺麗なのかも知れない。
真っ赤なラフレシアみたいな花が咲いていたら、もっと良いのに。
「じゃあ下水道で育った胎児も真っ白なのかな」
赤子は正義だと言う話か?
「白は悪の色だからそうなるだろう」
便所の100Wは返上できそうもない。会話になってないんだから仕方ない。
相手が言ったことをよく聞けよ。
そして咀嚼しろ。
咀嚼の曖昧さは人生の曖昧さそのものだ。
本を読んだり映画を観たりしても、それらに対する咀嚼が足りているのかは吐くまで分からない。
吐き出したそれを再び口にする事は無いのだが、ようやくそこで自分の咀嚼に対して弁明を始めたらする事になる。
一瞬だけ空になった便器の底に再び水が溜まる。
昨晩はどうにか駅まで歩く道すがら、やたら輝度の高いフォグランプのミニバンに轢かれたら病院くらいまでは連れていって貰えるだろうか、と考えていた。
それは覚えているし、ホームドアの設置が未だに済んでいない田舎駅に滑り込んでくる快速電車に轢かれるのも眠れそうだ、とも考えていた。
死ねば面白いなんてのはクソな考えはナシだ。そんなことより下水道のことを考えよう。
もしも下水道に白いワニだとか胎児が棲んでいて、咀嚼の足りなかった野菜屑を食べて育ちながら復讐をしようとしているのなら、それは今夜みたいな日に来るのかも知らない。
「だから便所の100Wなんだよ」
それもそうだな。二度寝しよう。




