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第二話

|美酒が毒に変わる時


ウェーバー家の初期の崇高な理想は、二代目、三代目と継がれるうちに次第に色褪せていく。


三代目アルグリムは最初の実行者だった。

まず交易路を封鎖し、次にトナカイを奪い、最後に食糧と領土を貪り尽くす ──


── 彼の統治下で、騎士団は民を守る盾から権力者の剣へと変貌を遂げた。


ところが、彼の治世初期 民衆の多くは彼を支持していた。なぜか。


アルグリムは隣領──ヴェルムランド家──への侵攻を「我が領民を飢餓から救う聖戦」と位置づけた。

そして実際、度重なる凶作に苦しんでいた民衆にとって、彼の略奪は「救済」として映ることになる。奪われた食糧が自分たちの子供の口に入る時、それは「正義」であった。


──


一方、ヴェルムランド家の目線ではどうだったのか。


空が燃えるように迫り、ウェーバー家の騎士団が全てを奪い去っていく。

自分たちがすでに絶望に打ちひしがれているのにも関わらず、彼らは止まらない。

トナカイを焼き払い、貯蔵庫を破壊し、子供たちが恐怖で泣き叫ぶ声を聞きながら


「神の使者が我々に豊穣を約束した」


と、高らかに謳う。


その光景は想像もつかないほどの地獄であったのだろう。


──


アルグリムは自身を善人だと信じていた。そして彼の領民もまた、彼を善人だと信じていた。


アルグリムの日記:

[ 我が心に迷いはない。民を救うためならば、神は全てを許し給うであろう。]


このように残酷さは常に正義の仮面を被って現れる。


だが蜜の味を知る者ほどその終焉は速い。


──


|氷の眼を持つ男


アルバートの祖父ガリバルトの代で、その影はさらに濃くなる。

彼は氷のように冷徹で、人の命を駒として扱うことに何の躊躇もなかった。


「神がお前を捌くであろう」


これはある冬、彼が反乱を企てた騎士を裸で雪原に縛り付け、更にはその男が凍死する姿を一晩中眺め続けた時の言葉である。

この瞬間彼の瞳には、人が死んでいく様を観察する冷酷な探究心のみを宿していた。


──


ガリバルトについて語る時、団員たちの表情は複雑に歪む。恐怖と尊敬、憎悪と感謝——相反する感情が同居していた。


ある団員の証言:

「あの方は……戦略の天才でした。」

「冷酷でしたが、それで我々は勝ち続けた。多くの仲間が生きて帰れたのも、あの方の判断があったからです。」

「でも同時に、あの方は悪魔でもありました。」


──


ガリバルトの日記より抜粋:

[慈悲は弱さだ。だが計算された慈悲は支配の武器となる。敵を絶望に沈め、光を神と崇めさせよ]


この一節を読む時、我々は彼の「冷酷さ」をどう理解すべきだろうか。彼が仲間を見殺しにしたのは、彼が本質的に残酷だったからか。それとも、組織の規律維持という「大義」のためだったのか。


どちらであろうと、彼の指揮の下、ウェーバー家の勢力は最盛期を迎えたことは確かだ。


…彼にとって死という悲劇は、一定の人数を超えると統計にしかならないのかもしれない。


──


|継承者の重圧


しかし、息子クロードアルトの代になると、風向きは一変する。


彼は生まれながらにして権力の頂点に立っていたが故に、騎士団に依存した。その庇護に依存した。


彼にできたのは、『ウェーバー家の当主』という役割を演じることだけであった。


祖父の残した戦略書を何度読み返してもその内容を理解することができず、かといって新しい戦略を生み出す才能もない。

その事実に苛立ちを募らせ、夜毎 彼は書斎で慟哭した。


「なぜ父にできたことが私にはできないのだ」


彼はこうやって焦れば焦るほど視界が狭まり、プレッシャーに押し潰されそうになる。


皮肉なことに、クロードアルトを最も苦しめたのは騎士団員たちの「期待」だった。彼らは彼に「祖父のような冷酷さ」を求めた。そしてその期待こそが、彼を歪ませていく。


騎士団内部文書:

[当主の優柔不断により、作戦の決定が遅れている。団員の士気に影響が出始めた。ガリバルト様なら、とっくに決断を下していたはずだ。]


──


|復讐の炎


1641年のある夜、凍土を切り裂く風が静まり返った時、ヴェルムランド家は長年の屈辱を糧に復讐の火を燃やす。


過去幾度もウェーバー家の略奪に苦しんだ彼らは、貧しさの中でも火薬の交易路を築き、三十年戦争の余波を巧みに利用して力を蓄えていた。

だが彼らが今立ち上がったのは、それだけの理由ではない。クロードアルトの「弱さ」を見抜いたからだ。


蜂起軍指導者ラルス・ヴェルムランドの檄文:

[お前らは光にまとわりつく闇でしかない」──長年我々を苦しめたウェーバー家に、今こそ正義の鉄槌を下す時が来た。]



またしても、残酷さは正義の仮面を被って現れた。


武装した騎馬隊がウェーバー家の前哨基地に襲いかかる。トナカイの焦げる臭いが凍土に立ち込め、彼らはまるで地獄の業火が地上に降り立ったかのような凄惨さを見せつけていく。


ウェーバー領の民衆の多くは、この蜂起を「侵略」と受け取っていた。自分たちの「保護者」が攻撃されているのだから、当然の反応と言える。



そんな突然の反撃に、クロードアルトは騎士団を統べきれず、当時の団長──ニノ・フォーグラー──も迂闊に動けなかった。

戦いは、予想を超えた泥沼と化してしまう。


──


ニノが動けなかったのは、ウェーバー家の横暴な支配ゆえである。

命令を逸脱すれば「罰」が待つ。その罰は時として死よりも恐ろしいものだった。



かつて ある騎士団員がクロードアルトを激昂させた時のことを、古参団員は今でも語り継いでいる。


クロードアルトはその男を衆人環視の中で鞭打ちにした。


「神を知りたくはないのか!」


男の背中は皮が裂け、肉が露出し、骨が見えるまで打たれ続けた。


──


古参団員の証言:

[あの鞭打ちの件以降、我々は皆黙り込みました。助けに入れば次は自分が同じ目に遭う。だが見殺しにした罪悪感が、今でも私を苦しめています。]


この団員は、自分の行為(見殺しにしたこと)を「悪」だと認識している。だが同時に、他の選択肢がなかったことも理解している。


これが関係性の罠の本質である。個人の内なる道徳心と、関係性の中での立場が矛盾する時、人は苦悩する。そして多くの場合、関係性の要請が道徳心を上回る。


──


そんな危機の中、クロードアルトから「なんとか押し返せ」との曖昧な命令が下りた。

皮肉にもその曖昧さがニノに判断を許し、彼は長年の経験と直感を頼りにヴェルムランド家を辛うじて押し返すことになる。


しかしそれでも完全な勝利には程遠く、騎士団は深い傷を負った。


「この一族で本当にいいのか?」


内部に、不信の芽が育ち始める。氷の風に乗せられた呟きが、騎士団全体に広がっていく。

かつては絶対的だったウェーバー家への忠誠が、徐々に疑問符に変わっていった瞬間であった。


──


『なぜ彼らは「ただの子供」にこれほど縋らなければならなかったのか』


ここまで読んで君たちは、その理由を理解したのではないだろうか。

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