52、秘密の継ぎ目(後半)
教室の冷たい空気が私の肌を撫でる。窓際で揺れる光の粒は、まるで私たちの知らぬ秘密をそっと照らすかのように、静かに揺れていた。マリセラが私たちに教えていたのは、神経経路の改変とその心理的影響についての講義だった。
彼女の声は滑らかで、まるで蜜のように甘いが、その奥に潜む氷の鋭さは、誰もが感じ取っていた。
その時だった。マリセラが私の隣を通り過ぎる際に、そっと小さな紙を倫に渡すのを見た。彼女の瞳は冷たく光り、唇には薄い微笑が浮かんでいた。
倫はその紙を開き、何も言わずに目を細めた。その様子に私は思わず声をかけた。
「倫、あの紙……なに?」
彼は一瞬迷うように、けれどすぐに静かな声で答えた。
「マリセラからの呼び出しだ。研究所に来いと書いてあるよ。」
彼の瞳には、言葉にしきれない重さが滲んでいた。
私は息を呑んだ。知らせてくれたのに、なぜか胸の奥がざわつく。知らせてくれたからこそ、不安が増すのかもしれない。彼の言葉の向こうに、見えない影がちらついた。
「君たちはここにいてほしい」と倫は続けた。その言葉に、私たちは言葉を失った。だが、レオもフィリックスも、そして私も、ただ黙って従う気にはなれなかった。倫の背中に潜む不穏な空気が、私たちを動かしたのだ。
薄暗い廊下を一歩ずつ進む倫の後ろ姿を、私たちは音を立てないように距離を取りながら追った。彼の動きは、普段の冷静な彼とは違い、どこか緊張に満ちていて、肩の力が張り詰めているのが分かる。
森で紡いだ細い糸のように、繊細で切れそうな糸を、彼は背負っているのだろうか。
やがて、私たちは研究所の奥深くへと辿り着いた。冷えた石の床に響く私たちの息遣いが、薄暗い空間に鋭く反響する。そこに待っていたのは、予想以上に冷酷で冷徹なマリセラの笑みだった。
「あなたたちがあの森で何をしているか、私は知っているわ。もし、これがみんなに知られたらどうなるか、わかっているでしょう?」
彼女の目は、まるで獲物を狙う猛禽のように冷たく光っていた。さらにその視線は倫に絡みつき、彼の首に腕を絡め、細く長い指が彼の首筋を滑る。唇は薄く開かれ、濡れた音と甲高い囁き声が室内に低く響き始めた。
「私はあなたに、ここで協力してもらいたい。さもなくば……」彼女の声は甘くも冷たく、脅迫の刃が隠れているのがわかった。
倫の瞳が欲望に濡れ、微かに震えたその瞬間、彼は低く呟いた。
「わかった。君の望むことを、やろう。」
その言葉に、私の身体は凍りつきそうになった。
レオが眉をひそめ、かつんと響いた音に気づいたフィリックスがすぐさまこちらに鋭く目配せした。
「ここはまずい、離れよう。」
彼の声は低く確かで、私たちは慌ててその場を離れた。廊下の角を曲がると、背後から足音が近づき、マリセラの冷笑が遠く響く。
逃げる途中、研究所の重厚な扉の向こうに、ゴツい体格で無精髭を蓄えた男が入っていくのが目に入った。彼の鋭い青い目は暗闇に光り、傷跡が刻まれた顔に皮手袋が似合っている。
「バラカンだ……」
彼はマリセラのいる部屋に足早に向かっていた。
私たちは胸の中に燃える怒りと憤りを抱えながらも、今は逃げるしかないと理性に従い、静かに距離を取った。
それぞれ次の目的地へ向かいながら、小さく約束を交わす。
「次の食材調達のときに、また森で会おう。」
私の胸は重く、しかしわずかながら未来の光を感じていた。
森の木漏れ日が私たちの影を淡く揺らす中、私は静かに決意した。
この島の闇に抗い、いつか自由を紡ぐその日まで、私たちは手を取り合って生きていくのだと。




