番外編:金色の陽だまり(前半)
レオ・モルフォは、光の子だった。
――そう、母はいつも言ってくれた。
「レオはね、お日さまみたいに、そこにいるだけで明るくなるのよ」
家の裏手に広がる小さな庭で、レオはよく母の膝の上に座り、花を編む母の手元を見つめていた。金色の髪が陽に透け、笑うたびに青い瞳がきらきらと輝いた。父は商人で、世界を旅する忙しい人だったが、家に戻ってくるとレオを高く抱き上げ、こう言った。
「レオ、今日はどんな面白いことがあった?」
「えっとね! カラスがごはん持ってった! お母さんのおやつ、ぴょーんって!」
「ははは、それは面白いな!」
父の笑顔は、どこまでも優しくて大きかった。
父のいない日は、母と二人で町の広場を歩いた。市場の喧騒、果物の甘い香り、店先で笑う人々。レオは人が好きだった。すれ違う見知らぬ大人にまで、にこにこと手を振った。
「知らない人に声をかけたらだめ」と言われても、どうしても止められなかった。
「だって、あの人、悲しそうだったもん」
そう言って、レオはパンを半分に割って渡した。
レオは、誰かの悲しみを見つけるのがとても得意だった。
そのたびに、自分の小さな手でどうにかしたいと思った。
母はそんなレオを、時々困ったように、それでもどこか嬉しそうに見ていた。
家は裕福ではなかったけれど、温かかった。
ときどき、父が買ってきてくれるオレンジジュースは、レオにとって特別だった。
「旅先で見つけたんだ、これはいい香りだぞ」
父が笑ってグラスに注ぐと、甘くて、少しだけ苦くて――けれど、あたたかい味がした。
「おいしい! ねえ、また飲みたい!」
「もちろんさ。次も、レオのために探してくる」
その約束は、レオの小さな胸に、ずっと残っている。
だが、その「普通の幸せ」は突然、あっけなく崩れた。
父が、帰ってこなくなったのだ。
最初は母も笑っていた。
「少し遅くなってるだけよ、レオ。次に帰ってきたら、きっとお土産いっぱいね」
けれど、季節がひとつ過ぎ、ふたつ過ぎても、父は戻らなかった。
代わりに届いたのは、一通の紙切れだけだった。
母がそれを読んだ夜、台所の隅で静かに泣いていたことを、レオは知っている。
レオは小さな手で母の肩を必死にさすった。
何もできない自分を責めながら、ただ、母の背を温めようとした。
父がいなくなってから、家には次第に借金取りが訪れるようになった。母は必死に働いたが、商会は冷たかった。父の失踪は事故とされ、支援は打ち切られた。
レオは、母が日に日にやせ細っていくのを見た。
ある夜、母はレオの小さな肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「レオ、大きくなってね。誰かを、いっぱい助けてあげて。レオなら、きっとできる」
その言葉を、レオはずっと胸にしまっている。
母が病に倒れたのは、それからすぐだった。
家はとうとう差し押さえられ、レオは町の孤児院に引き取られた。
「お母さんは?」
「すぐによくなるって」
そう信じて、孤児院での日々を耐えた。
レオはそこで、はじめて世界の冷たさを知った。
孤児院の子どもたちは、生きることに必死で、時に他人を蹴落とした。レオはそこでも笑顔を絶やさなかったが、時にそれは疎まれ、標的にもされた。
「なんでお前、そんなにヘラヘラしてんだよ」
「だって……」
だって、泣いたら、母さんも悲しむ。
でも、その笑顔はだんだんと「仮面」になっていった。
ある日、レオは孤児院で、年上の少年に囲まれた。
「お前の母ちゃん、死んだんだってな」
「……うそだ」
「ほんとだよ。聞いた。もう戻ってこないってさ」
レオは、その場で相手に飛びかかった。
振り上げた拳は震えていて、言葉も出なかった。泣きたくないのに、涙が止まらなかった。
誰かがレオを引きはがした。誰かが笑った。
その日、レオはひとつ知った。
優しさは、ただ差し出せば届くものじゃない。
強さも、ただ拳を振れば得られるものじゃない。
孤児院を出る時、レオは「買われた」。
商人が連れてきた男たちは、柔らかな笑みを浮かべ、契約書にサインするよう言った。レオは何もわからぬまま、連れて行かれた。
その船の中で、レオは自分が「売られた」ことを知った。
どこに行くのかも、何をされるのかも、誰も教えてくれなかった。
けれど――
甲板に座り込み、海を見つめながら、レオはふと思い出す。
オレンジジュースの味。
甘くて、少し苦くて、どこかあたたかい、あの味。
「……また、飲みたいな」
ぽつりと漏れたその願いは、誰にも届かなかった。
でも、きっと。
いつかまた、笑顔で飲める日がくる。
レオは、そう信じた。
「だいじょうぶ。……きっと、だいじょうぶだ」
震える声を、無理やり笑顔で包んで、レオは青く広がる波間に願いを放った。




