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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第1章:静寂に沈む船出
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焦土の記憶 — ミナ・カリスの過去(後半)

 焼け落ちた瓦礫の中から救い出された夜、私はひとことも言葉を発しなかった。


「家族は?」「君の名前は?」「ここで何をしていたの?」


 何度も繰り返される問いかけが、耳を殴るように響いたけれど、私の唇は固く閉ざされていた。ただ、かすかに震える指先で胸の折り鶴をぎゅっと握りしめるだけだった。

 灰まみれの小さな紙片は、私の過去と今をつなぐ、唯一の灯火だった。


 やがて、私に「反応に異常あり」と記録がつけられ、首都にある難民整理局の一次収容施設へ送られた。

 建前は孤児の保護と教育を謳う国立の場所だったけれど、実際は国家が崩壊の淵で拾い集めた子どもたちを、予備戦力として分類し、選別する場所だった。


 年齢、血筋、能力、反応傾向、遺伝因子――私たちは数値化され、並べられ、番号を刻まれた。保護されているのではなく、ただ分析されているだけの空間だった。


「この子はFに分類されました」


 感情のない女官の声が、冷たい机の上に書類を滑らせた。その書類の隅には、F-283というコードが印刷されていた。


「医療技能の素養あり。医師の娘。応急処置、包帯処理、臨床環境への順応性確認済み。精神的負荷への反応、観察対象として注視」


 それが、私に与えられた価値のラベルだった。名前を剥ぎ取られ、ただの分類番号として存在する私。


 でも、私は名前を持っていた。


 ミナ・カリス――焼け焦げた病院の片隅から、生きてここに来た私。


 家族の声も、ぬくもりも、紅茶の香りさえも、すべて炎と煙にかき消されてもう届かない。なのに、人々は私の涙を症状と呼び、沈黙を異常と診断した。


 誰も私を癒そうとはしなかった。ただ記録し、観察し、項目を埋めていくだけだった。


 難民認定の手続きの列に並んでいると、ふと隣にいる子どもたちの目が見えた。


 虚ろに、怯えた光。


 泣く者もいたけれど、それすら許されぬ空気に包まれ、みんなが声なき沈黙を共有していた。名前を呼ばれるのを、ただ待つだけ。


 私が振り分けられたFは、ある意味で幸運だったのかもしれない。ほかの多くはDに分類され、技能も迎えもなく、運命にただ流されるだけだった。

 彼らは過酷な労働や、非人道的な実験に投げ込まれるという噂があった。


 Fには最低限の教育が保証されていた。でも、それは未来を選べるという意味ではなかった。あくまで使える人材としての育成、数字に基づく計画的注入だった。


「あなたは特別なの。だから、あの島に送られるのよ」


 女官の言葉は優しさを装っていたけれど、その瞳の奥には揺らぎはなかった。感情ではなく、ただ割り当てられた台詞を口にするだけの目。私はその無表情の奥にある空虚を見ていた。


 通称・8号島。地図にも載らないその場所は、子どもたちの間で禁句のように囁かれていた。


 私は頷いた。泣くことも、怒ることも許されない世界の中で、唯一、手放さなかったもの。それは妹から託された煤けた折り鶴だった。


 旅装の内ポケットにしまわれたそれは、今では翼が裂け、色も褪せかけている。それでも、捨てられなかった。あの時、誰かが私の笑顔を願ってくれた。その祈りだけは、裏切れなかった。


 輸送船の中で、見知らぬ子どもたちの気配と向き合った。


 目が合えば、すぐに逸らされる。声をかけても返事はない。みんなが自分に与えられた番号を必死に刻みつけ、その意味に怯えていた。


「F-283、前へ出ろ」


 低く乾いた声が響く。震える足を隠すように背筋を伸ばして立ち上がった。


 その先には一人の少年がいた。黒い髪、静かな瞳、そしてまるで影のようにそこに佇む気配。


 彼もまた、選ばれた子なのだと直感した。分類は知らない。ただ、その存在が何かを背負っていることだけはわかった。


 感情に呑まれないこと。けれど、誰かの痛みからは目を逸らさないこと。


 母の教えだった。どれほど傷つき、絶望しても、助ける側でありなさい、と。


 病院が燃える前、父は言っていた。


「ミナ、おまえがそこにいるだけで、人の心は救われる。それが医者の最初の仕事だよ」


 もう彼らはいない。


 けれど、私は覚えている。


 名も知らぬ子どもたちの群れの中で、胸の奥でそっと言葉を紡いだ。


 ――わたしがここにいる理由を、探し続ける。


 ――いつか、この手が誰かの心に触れる日を信じて。


 たとえ、その場所が、焦土の果てであったとしても。

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