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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第2章:まなざしの檻
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45、小さな訓練(前半)

 

 昼過ぎの森は、やわらかな陽射しに包まれていた。木々の葉が、さらさらと風に揺れて、ところどころ光が斑に地面へ落ちている。踏みしめるたび、土はふかりと沈み、乾いた葉が、静かにざらりと音を立てた。


 私は細く息を吐く。心がほんの少し、軽くなる。

 この森の匂いが好きだ。湿った土と、青い葉の匂い。乾いた枝が陽に温められて、微かに甘い香りさえ感じる。


 目を向ければ、倫が軽やかに前を走っている。木々の間を、するりとすり抜けていくその背中を、私は静かに追いかけた。


「もっと膝を柔らかくしろ、ミナ。」


 ルーカンの低い声が、すぐ傍で響く。

 その瞬間、私は立ち止まって、彼の方を振り返った。


 ルーカンは、ひと言だけで的確に指摘する。言葉は足りないのに、なぜかちゃんと伝わる。彼は無言のまま私に近づき、膝の角度をそっと直した。少しひんやりとした指先が、私の膝に触れ、瞬きの間に離れる。


「……こう、ですか?」


 私は問いかけながら、ほんの少し、鼓動が早くなった。

 ルーカンは静かに頷き、淡々とした声で「悪くない」とだけ言う。彼の瞳は灰青色で、いつも遠くを見るような静けさをたたえている。


 彼は、影のようだ。

 そばにいるのに、どこか掴めない。けれど、私は――この静けさが、嫌いじゃない。


「倫、次はジグザグで。障害物を意識しろ。」


 ルーカンの声に、倫が元気よく応じる。

 倫は疲れを知らないように、細い体で木々の間を駆け抜けた。後ろをレオとイザベル、ニコラが追いかけていく。


 ざらり、ざらり。

 靴音が森に優しく溶けていく。私はこの音が好きだ。みんながここにいる、そんな確かな気配が、音になって私の胸に届く。


 レオの笑い声が跳ねて、イザベルが「待って!」と小さく叫ぶ。

 ニコラは無言で走りながら、必死に倫の後を追っている。


 倫は、走りながらふと立ち止まり、振り返った。


「次は、鬼ごっこにしよう。」


 彼はふわりと微笑む。

 でも、その笑顔の裏にあるものを、私は知っている。

 倫は、私たちが飽きてしまわないように、静かに遊びを混ぜている。無理に押し付けることはしない。ただ、自然に、気づかせるように。


「ただの鬼ごっこじゃないよ。色鬼にするんだ。素早く色を探して、隠れる。見つからないように、静かにね。」


「面白そう!」

 レオが楽しげに声を上げる。イザベルも「それ、やりたい!」と笑顔で手を挙げる。

 ニコラは少し戸惑ったように私を見たが、すぐに「色の名前を言ったら、すぐ動けばいいんだね」と小さく頷いた。


 倫は、皆が楽しんでいるように見せかけて――本当は、生きる力を教えている。

 遊びながら、素早く、静かに動くこと。色を探し、周囲を観察すること。

 それは、ここで生き抜くための、倫なりの教え方だ。


 彼は、きっと感情ではなく、理屈で動いている。

 それでも――私は、倫が楽しいと笑うたびに、胸の奥がやわらかくなる。

 その笑顔が、たとえ計算だとしても――私は、どうしようもなく惹かれてしまう。


「それとね。」

 倫が小さく指を唇に当て、声を落とす。


「スパイごっこもしよう。声を出さずに、手の合図だけで伝えるんだ。」


「わあ、難しそう!」


 レオが目を輝かせ、イザベルが楽しげに倫の手の動きを真似する。

 ニコラは真剣な表情で、黙って倫の手の動きを見つめている。


 倫は、楽しそうに見せながら、私たちに静かに動くこと、視線を読むこと、気配を消すことを教えている。

 彼の教え方は、不思議だ。

 優しく見えるのに、どこか冷たい。冷たく見えるのに、どこか優しい。


 気が付けば、ルーカンが黙って子どもたちを見守っていた。

 彼はいつもと変わらない、冷ややかな表情のまま。でも、その瞳は、ほんの少しだけ柔らかかった気がする。


 森の奥で、風が梢を揺らす音がした。

 遠くで鳥が、鋭くひと鳴きする。私は、そんな景色を胸に焼き付けながら、この時間が、どうか少しでも長く続けばいいと願った。


 生きるための訓練。

 でも、私は――このひとときを、心から愛しいと思った。


「準備はいい? じゃあ、始めよう。」


 倫の声が、森に溶けていく。

 私たちはざらり、と音を立てて、再び駆け出した。

 光と影が交差する森の中を、誰にも見つからないように、静かに、でも確かに、私たちは生きていた。

 小さな訓練は、遊びと学びの境目を曖昧にしながら、静かに続いていった。


 その影の中で、倫はまた一つ、誰かの感情を覚えた。


 ——それは、たとえ彼が実感できないとしても。

 たとえ、彼が楽しさを知覚できないとしても。


 彼は、確かに——美しく、それを演じていた。


 そして、それは、彼自身の存在理由だった。

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