29、朝の目覚めと影の縁(前半)
目を開けた瞬間、ここがどこなのかわからなかった。
灰色がかった石壁。鈍く冷たい空気。薄汚れた天井のひび割れ。
知らない、全部知らない。
あたたかな匂いも、やわらかな朝の陽ざしも、この部屋にはなかった。
そこにあるのは、ただ湿り気を帯びた、くすんだ空気。
身体に触れる毛布はごわついていて、安らぎなんてどこにも感じられない。
ここは、檻だ。
私たちが入れられた、檻の島。
喉が、ぎゅっと狭まる。息を吸い込むのが怖かった。
昨日、船に揺られて、連れてこられたこの場所――。
現実だと理解していても、どこか夢のようにぼんやりと遠い。
ベッドの端で、ルーカンが小さく身体を丸めているのが見えた。
黒く、しなやかな髪が頬にかかっていて、顔は見えない。
「……おはよう。」
声をかけてみたけれど、ルーカンは微かにうなずいただけで、こちらを見ようとしなかった。
隣のベッドで、イザベルが眠たそうに目をこすり、ニコラが欠伸を噛み殺しながらゆっくりと身体を起こした。
レオだけは、まだ毛布にくるまったまま、静かな寝息を立てている。
――ジリジリジリジリジリ。
唐突に、けたたましい音が部屋中に響き渡った。
耳をつんざく、刺すような、目覚まし時計のベルに似た音。
私は思わず両手で耳をふさいだ。
昨日、壁に貼られていた、あの規律事項を思い出す。
《音が鳴ったら、即座に起床し、整列し、食堂へ向かうこと。命令に従わぬ場合、罰が与えられる。》
あれが、合図――。
そう、これは、この島での朝の音。
監視官たちからの、命令の始まり。
レオだけが、まだ布団の中にうずくまっている。
彼は小さく震えながら、耳をふさいで、必死に目を閉じていた。
私は彼の肩に、そっと触れる。
「……起きて。行かなきゃ。」
「やだ。」
レオの声は、毛布の奥で小さくこもった。
「やだ、寒い、うるさい……。」
わかるよ。私だって、本当は行きたくない。
このまま毛布にくるまって、耳をふさいで、ずっと眠っていられたらいいのに。
でも――私たちは、行かなきゃいけない。
少しだけ、力を込めて、私はもう一度レオの肩をゆすった。
「お願い、行こう。」
しぶしぶ、レオは顔を出した。眠そうに目をこすり、ふてくされたように毛布を押しのける。
静かに支度を整え、私たちは言葉を交わさぬまま部屋を出た。
足音だけが、乾いた石の床に、かすかに響く。
昨日も通ったはずなのに、この場所のすべてが、まだ異物のように思える。
遠く、別の世界に迷い込んでしまったような感覚。
――これが、私たちの朝なんだ。
心の奥に、じわりと冷たいものが染み込んでいくのを感じながら、私たちは、重い足取りで廊下へ出る。
私たちが着ているのは、灰色がかった薄手の作業服。
どの子も、同じ色、同じ形。首元には番号が刻まれた金属のタグ。
私の名前も、ルーカンの名前も、レオの名前も――もう、誰の名前も呼ばれない。
だけど、まだ私は、ここにいるみんなの名前を忘れたくなかった。
食堂の入口に立っているのは、監視官たち。
黒の制服。無表情。腰には無骨なスタンロッド。
その目は、一見、何も感じていないように見える。
でも、私は気づいてしまった。
彼らは、ギラギラとした目でこちらを見ている。
私たちが間違える瞬間を。
私たちが声を出す瞬間を。
罰を与える口実を、じっと、じっと、虎視眈々と待っている。
彼らは、楽しんでいるのだ。
子どもたちを痛めつけられる時間を、心のどこかで心待ちにしている。
私の胸が、冷たくなった。
食堂に入ると、空気は湿っていて、どこか埃っぽい匂いがする。
壁際の配膳台に、昨日と同じような茶色い粥が並んでいた。
これを無言で取って、無言で食べるのが、この島での正しい朝なのだ。
私たちは、そっと目を合わせた。
ニコラが、ほんの少しだけ、私の方に寄ってきた。
「……ねえ。」
それは、ほんの呟きだった。
でも、その一瞬が、彼を――いや、私たち全員を危うくした。
監視官たちが、一斉に振り返る。
監視官の一人が歩み寄ってくる。
無表情で、静かで、だけどその目の奥には確かな愉悦があった。
私は、ニコラの袖を掴んだ。
声にならない声で、必死に彼を見た。
その時――。
静かに、食堂のドアが開いた。
彼が来た。
倫。
私たちと同じ灰色の作業服。
同じ、金属のタグ。
だけど――どこか違う。
光の角度によって七色にきらめく髪が、ふわりと肩にかかっている。
倫は、穏やかな微笑みをたたえたまま、ゆっくりと食堂に足を踏み入れた。
「おはようございます。」
その声は、やわらかく、どこか甘く響いた。
「朝は冷えますね。……あなたの手も、冷たいんでしょう?」
一番近い監視官に歩み寄り、そっと手を取る。
倫の指が、相手の指を優しく撫でた。
監視官の表情が、わずかに歪む。___喜びに。
子どもたちを罰するよりも、もっと都合のいい遊び道具がそこに現れたのだ。
倫は、彼らを巧みに誘導する。
甘い囁きと、艶やかな微笑みで、彼らの意識を自分に集中させる。
倫は彼を見上げながら、微笑む。
「よければ、僕と……どうですか?」
監視官たちは、ギラついた目で、口角を上げながら顔を見合わせ頷き合うと、倫を連れて食堂を出て行った。
扉が、静かに閉まる。
残された私たちは、静かに粥を口に運ぶ。
沈黙。食堂の空気が、いつも以上に冷たく、よそよそしい。
でも、私の胸は、もっと冷たくなっていた。




