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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第2章:まなざしの檻
31/66

29、朝の目覚めと影の縁(前半)

 

 目を開けた瞬間、ここがどこなのかわからなかった。


 灰色がかった石壁。鈍く冷たい空気。薄汚れた天井のひび割れ。

 知らない、全部知らない。


 あたたかな匂いも、やわらかな朝の陽ざしも、この部屋にはなかった。

 そこにあるのは、ただ湿り気を帯びた、くすんだ空気。


 身体に触れる毛布はごわついていて、安らぎなんてどこにも感じられない。


 ここは、檻だ。

 私たちが入れられた、檻の島。


 喉が、ぎゅっと狭まる。息を吸い込むのが怖かった。

 昨日、船に揺られて、連れてこられたこの場所――。

 現実だと理解していても、どこか夢のようにぼんやりと遠い。


 ベッドの端で、ルーカンが小さく身体を丸めているのが見えた。

 黒く、しなやかな髪が頬にかかっていて、顔は見えない。


「……おはよう。」


 声をかけてみたけれど、ルーカンは微かにうなずいただけで、こちらを見ようとしなかった。


 隣のベッドで、イザベルが眠たそうに目をこすり、ニコラが欠伸を噛み殺しながらゆっくりと身体を起こした。

 レオだけは、まだ毛布にくるまったまま、静かな寝息を立てている。


 ――ジリジリジリジリジリ。


 唐突に、けたたましい音が部屋中に響き渡った。


 耳をつんざく、刺すような、目覚まし時計のベルに似た音。


 私は思わず両手で耳をふさいだ。

 昨日、壁に貼られていた、あの規律事項を思い出す。


 《音が鳴ったら、即座に起床し、整列し、食堂へ向かうこと。命令に従わぬ場合、罰が与えられる。》


 あれが、合図――。


 そう、これは、この島での朝の音。

 監視官たちからの、命令の始まり。


 レオだけが、まだ布団の中にうずくまっている。

 彼は小さく震えながら、耳をふさいで、必死に目を閉じていた。


 私は彼の肩に、そっと触れる。


「……起きて。行かなきゃ。」


「やだ。」


 レオの声は、毛布の奥で小さくこもった。


「やだ、寒い、うるさい……。」


 わかるよ。私だって、本当は行きたくない。

 このまま毛布にくるまって、耳をふさいで、ずっと眠っていられたらいいのに。


 でも――私たちは、行かなきゃいけない。


 少しだけ、力を込めて、私はもう一度レオの肩をゆすった。


「お願い、行こう。」


 しぶしぶ、レオは顔を出した。眠そうに目をこすり、ふてくされたように毛布を押しのける。


 静かに支度を整え、私たちは言葉を交わさぬまま部屋を出た。



 足音だけが、乾いた石の床に、かすかに響く。


 昨日も通ったはずなのに、この場所のすべてが、まだ異物のように思える。

 遠く、別の世界に迷い込んでしまったような感覚。


 ――これが、私たちの朝なんだ。


 心の奥に、じわりと冷たいものが染み込んでいくのを感じながら、私たちは、重い足取りで廊下へ出る。


 私たちが着ているのは、灰色がかった薄手の作業服。

 どの子も、同じ色、同じ形。首元には番号が刻まれた金属のタグ。


 私の名前も、ルーカンの名前も、レオの名前も――もう、誰の名前も呼ばれない。


 だけど、まだ私は、ここにいるみんなの名前を忘れたくなかった。



 食堂の入口に立っているのは、監視官たち。


 黒の制服。無表情。腰には無骨なスタンロッド。


 その目は、一見、何も感じていないように見える。

 でも、私は気づいてしまった。


 彼らは、ギラギラとした目でこちらを見ている。

 私たちが間違える瞬間を。

 私たちが声を出す瞬間を。

 罰を与える口実を、じっと、じっと、虎視眈々と待っている。


 彼らは、楽しんでいるのだ。

 子どもたちを痛めつけられる時間を、心のどこかで心待ちにしている。


 私の胸が、冷たくなった。


 食堂に入ると、空気は湿っていて、どこか埃っぽい匂いがする。

 壁際の配膳台に、昨日と同じような茶色い粥が並んでいた。

 これを無言で取って、無言で食べるのが、この島での正しい朝なのだ。


 私たちは、そっと目を合わせた。


 ニコラが、ほんの少しだけ、私の方に寄ってきた。


「……ねえ。」


 それは、ほんの呟きだった。

 でも、その一瞬が、彼を――いや、私たち全員を危うくした。


 監視官たちが、一斉に振り返る。

 監視官の一人が歩み寄ってくる。

 無表情で、静かで、だけどその目の奥には確かな愉悦があった。


 私は、ニコラの袖を掴んだ。

 声にならない声で、必死に彼を見た。


 その時――。


 静かに、食堂のドアが開いた。


 彼が来た。


 倫。


 私たちと同じ灰色の作業服。

 同じ、金属のタグ。

 だけど――どこか違う。


 光の角度によって七色にきらめく髪が、ふわりと肩にかかっている。

 倫は、穏やかな微笑みをたたえたまま、ゆっくりと食堂に足を踏み入れた。


「おはようございます。」


 その声は、やわらかく、どこか甘く響いた。


「朝は冷えますね。……あなたの手も、冷たいんでしょう?」


 一番近い監視官に歩み寄り、そっと手を取る。

 倫の指が、相手の指を優しく撫でた。


 監視官の表情が、わずかに歪む。___喜びに。

 子どもたちを罰するよりも、もっと都合のいい遊び道具がそこに現れたのだ。


 倫は、彼らを巧みに誘導する。

 甘い囁きと、艶やかな微笑みで、彼らの意識を自分に集中させる。


 倫は彼を見上げながら、微笑む。


「よければ、僕と……どうですか?」


 監視官たちは、ギラついた目で、口角を上げながら顔を見合わせ頷き合うと、倫を連れて食堂を出て行った。


 扉が、静かに閉まる。


 残された私たちは、静かに粥を口に運ぶ。

 沈黙。食堂の空気が、いつも以上に冷たく、よそよそしい。


 でも、私の胸は、もっと冷たくなっていた。

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