26、仮初めの居場所(後半)
部屋は、いくつかの小さなスペースに仕切られていた。
壁ではなく、薄い金属板による隔たりだった。私たちはそれぞれに押し込まれ、同じ班として割り当てられた――ルーカン、イザベル、レオ、ニコラ、そして私。
けれど、倫の姿だけがなかった。
「やっぱり……あのとき、口答えしたから……」
私がつぶやくと、部屋の空気がすっと冷えた気がした。
彼はあの場で、はっきりと異議を唱えた。
――その直後、彼は別の方向へと連れていかれた。
「……だいじょうぶかな」
ニコラがぽつりと呟いた。言葉の端に、不安が滲んでいた。
イザベルは私の服の裾をぎゅっと掴んで、小さな手を震わせている。
「でも……」
そのとき、ルーカンが低い声で言った。
「倫なら、大丈夫だ」
全員が、彼のほうを見た。
「どんなときでも、自分の意思で立ってる。おまえらも見ただろ」
ルーカンの瞳は、灰青色の光のなかで揺るがなかった。
誰かを励ますようでもなく、ただ事実を告げるような声。けれどその言葉には、不思議な力があった。
私は、うなずいた。レオも、イザベルも、ニコラも。
それは、信じたいという気持ちではなく、信じるしかないという静かな決意だった。
「……倫なら早く戻ってくるよね」
レオがぽつんと呟く。
「きっと、戻ってくるよ」
私は心の中で言葉を重ねた。願いのように、祈りのように。
そして私たちは、壁に貼られた紙に目を向けた。
「……いっぱいあるね」
イザベルが小さな手を伸ばしながら言う。目を凝らせば、紙のほとんどは行動予定や規律事項。けれど、なかに一枚、ひときわ整然と並んだ表がある。
そこに、見慣れない分類記号と番号が記されていた。
「F-283……これ、私のだ」
私は、ふと声に出していた。記号の意味もわからないのに、そこに自分を見出してしまう不思議。
「オレは……F-310。ってことは、おまえと同じF分類か」
レオが私の隣に立ち、じっと表を見つめていた。その表情は、少し緊張しているけれど、どこか誇らしげでもあった。
「わたち……D、さんいちご」
イザベルが、私の腕をとんとんと叩きながら、数字を読んで見せる。数字を読み上げるその姿に、思わず私は微笑んでしまった。
「俺は……E-269。……ルーカン・モーヴェイン、って名前は、もう使えないってことか」
ルーカンの声は低くて、かすかに乾いていた。けれど、それは怒りでも絶望でもなく、もっと静かな諦念のようだった。
「ぼくは……D-327。ニコラ、っていうんだけど……もう、番号で呼ばれるんだよね?」
ニコラが言ったその言葉に、全員が一瞬、沈黙した。
番号で呼ばれることは、すでに倫から聞かされていた。Z-302――彼の識別番号も、耳に残っている。
「ねえ、このアルファベットって、なに? Fとか、Dとか、Zとか……」
レオが、手をひらひらさせながら訊いた。
「書いてないね、意味は」
私は貼り紙をもう一度見直した。分類の説明は、どこにもない。ただの記号。だけど、きっとそれには、何か意図がある。
「……俺たちは教育とか、一般とか、そういうふうに勝手に分けられてるんじゃないか?」
ルーカンがぼそりと言う。
「えっ、なんでわかるの?」
「倫が、言ってた。Zは特別な実験体で、他にも思想とか、身体とか……大人たちは、子どもを使い道で選んでるんだ」
ルーカンの言葉に、背筋がすっと冷えた。彼は冷静なだけじゃない。すでに、この場所の仕組みに気づいている。
「……使い道、か……」
レオが肩を落とし、小さく唸る。
「ぼくたちって、ひとじゃなくて、ものってこと……?」
誰が言ったのか、一瞬分からなかった。けれど、その声には不安と、どこかに残った希望がにじんでいた。
「向こうはそう思わせたいんだろうな、俺たちを」
ルーカンの返答は静かだった。でも、その沈黙の向こうに、確かな怒りがあった。
そのとき――
「……フェリックス」
壁の向こうから、かすかな少女の声が響いた。
すぐに、低くて短い返事が返される。
「……ああ」
それだけのやりとり。けれど、私たちには強く響いた。
名前で呼ぶということ。名前で応えるということ。
それが、この場所ではどれほどの意味を持つのか。
私は壁を見つめた。その向こうにいる、名も知らぬ誰かたちの声。交わされる名が、小さな光のように、暗闇のなかを照らしていた。
――名前は、心の中で、まだ生きている。
ルーカンがふと天井を見上げた。灰色の金属に埋め込まれた小さな黒い目──監視カメラが静かにこちらを見下ろしている。
あれが、ただの目ではないことを、ルーカンはすぐに悟ったようだった。
「行動が書かれていた紙、見たか?」
ルーカンの低い声が、そっと私の耳に届く。私は部屋の隅に貼られている行動予定表と規律事項を思い出す。
そこには、どの時間にどこにいるべきか、細かく書かれていた。
「規律通りに動かないと……多分、よくない。」
ルーカンは真剣な目をして、私たちに番号が振られた小さなスペースを指さした。そこへ移動しろ、という静かな合図。
私は支給された薄くて粗末なシーツを抱え、躊躇いながらそのスペースへと向かう。床の冷たさが素足に沁み、心細さが体の芯を凍らせた。
小さなスペースは、一人がかろうじて座れるほど。私は縮こまり、その隣にイザベルとニコラが小動物のようにすぐさま真似をしてきた。
イザベルは私の足元に寄り添い、二コラは不安げに壁に背を預ける。ルーカンも自分の指定スペースに静かに腰を下ろした。
私はそっと目を閉じて、心の中で繰り返す。
ミナ・カリス。F-283。
でも私は、ミナ。そう思えるうちは、きっと、まだ――




