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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第2章:まなざしの檻
26/66

24、沈黙の迎え手(後半)

 

 施設の扉が重たく閉じたとき、外の霧の気配さえも遠ざかっていった。

 そこは外界とはまったく違う、白く、平坦で、冷たく光る空間だった。

 壁も床も、すべてが人工的で、何ひとつ感情を持っていない。


 子どもたちは、床に引かれたラインに従って配置された。

 格子状の目印の上に、私たちは無言で立たされた。前を見ろとも言われない。ただ「動くな」と命じられただけ。


 その静寂を破るように、数名の大人が現れた。

 白衣に身を包み、それぞれ異なる雰囲気をまとっていた。


 先頭に立った女が、冷たい声で言う。


「私はマダム・ノワレンヌ。ここでの初期指導を担当します」


 無機質な声。表情は動かず、瞳の奥に熱はなかった。

 彼女は続けた。


「本日をもって、あなたたちの個人名は廃止されます。今後、名前で呼ばれることはありません。各人には識別番号と記号が割り当てられ、それが唯一の呼称となります」


(名前を……、やっぱり、でもそんな……)


 頭の中でそう思っても、声にはならなかった。喉がかすかに震える。

 すぐそばにいるルーカンも、無表情のままだが、指先に微かな緊張が走っているのがわかった。


 ノワレンヌの横に立っていた男が一歩進み出た。背は高く、痩せていて、神経質そうな印象。


「アルベロス・ニクトヴァルトです。観察と評価の統括を任されています。あなたたちの行動、反応、すべてを見ます。それが我々の仕事であり、あなたたちの意義を見出す鍵となる」


 アルベロスは、笑っていた。けれどそれは口元だけで、目には光がない。

 気持ちの悪い笑みだった。感情ではなく、様式としての笑み。

 私は思わず目を逸らした。


 その後ろにいた男が、端末をいじりながら小さく名乗る。


「ラウル・アイゼンヴァルト。データ管理と記録を担当する」


 目を合わせようとしないまま、ラウルは素早く子どもたちを順番に見ては何かを記録している。まるで在庫でも数えているかのように。


 三人だけじゃなかった。さらに数名の職員が控えていた。

 端正な顔立ちの女がやや遅れて前に出て、柔らかく言う。


「私はマリセラ・ノクティス。薬理と適応試験を受け持ちます。よろしくね」


 声の調子こそ優しげだったが、目は笑っていなかった。

 その視線は、私たちの身体をなめるように見ていた。

 彼女の唇に浮かぶ笑みは、どこか獲物を見る目に似ていた。


 そして、最後に現れたのが、緋色の唇とくすんだ灰色の瞳をもつ女性――


「ロザヴェル・ノクテイン。施設全体の設計監理と、教育指導の監修を担います」


 冷ややかな声でそう言ったあと、彼女はスカートのすそを払い、後方へと下がった。

 その足取りは一分の迷いもなかった。


 名を告げる者たち。

 名を失う私たち。

 その断絶が、まざまざと浮かびあがる。


「以上が、主要スタッフです。呼称を記憶し、混乱なく従うこと。

 また、名を持つのは我々だけであることを、決して忘れないように」


 ノワレンヌの言葉が冷たい水のように降ってくる。


 番号を呼ばれる。


「F-283」


 それが、私だった。

 足が勝手に前へ出る。まるで糸で操られているみたいに。


 でも、心のどこかが、叫んでいた。


(私は、ミナ。F-283なんかじゃない。忘れたくない……絶対に)


 すぐ近くで、赤銅色の髪の青年が無言で立っている。

 眼差しが鋭く光り、何かを押し殺していた。

 あれは、怒り……そう思った。だけど、表情には出さない。

 まるで、静かに燃える炎のようだった。


(あの人も、きっと――)


 私は唇を引き結んだ。

 震える指先を、自分の服の端にそっと握る。


 この番号が私のすべてになるなんて、絶対に思わせない。

 名前を呼ばれなくても、私は私だ。


 そのとき、背後で誰かが小さく言った。


「……でも、わすれない」


 幼い声だった。イザベラの声かもしれない。

 誰にも聞こえないほどの、小さなつぶやき。


 それでも、その響きは、胸に確かに届いた。

 名を失っても、心までは渡さない――その思いが、私たちの間に、そっと灯った。

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