24、沈黙の迎え手(後半)
施設の扉が重たく閉じたとき、外の霧の気配さえも遠ざかっていった。
そこは外界とはまったく違う、白く、平坦で、冷たく光る空間だった。
壁も床も、すべてが人工的で、何ひとつ感情を持っていない。
子どもたちは、床に引かれたラインに従って配置された。
格子状の目印の上に、私たちは無言で立たされた。前を見ろとも言われない。ただ「動くな」と命じられただけ。
その静寂を破るように、数名の大人が現れた。
白衣に身を包み、それぞれ異なる雰囲気をまとっていた。
先頭に立った女が、冷たい声で言う。
「私はマダム・ノワレンヌ。ここでの初期指導を担当します」
無機質な声。表情は動かず、瞳の奥に熱はなかった。
彼女は続けた。
「本日をもって、あなたたちの個人名は廃止されます。今後、名前で呼ばれることはありません。各人には識別番号と記号が割り当てられ、それが唯一の呼称となります」
(名前を……、やっぱり、でもそんな……)
頭の中でそう思っても、声にはならなかった。喉がかすかに震える。
すぐそばにいるルーカンも、無表情のままだが、指先に微かな緊張が走っているのがわかった。
ノワレンヌの横に立っていた男が一歩進み出た。背は高く、痩せていて、神経質そうな印象。
「アルベロス・ニクトヴァルトです。観察と評価の統括を任されています。あなたたちの行動、反応、すべてを見ます。それが我々の仕事であり、あなたたちの意義を見出す鍵となる」
アルベロスは、笑っていた。けれどそれは口元だけで、目には光がない。
気持ちの悪い笑みだった。感情ではなく、様式としての笑み。
私は思わず目を逸らした。
その後ろにいた男が、端末をいじりながら小さく名乗る。
「ラウル・アイゼンヴァルト。データ管理と記録を担当する」
目を合わせようとしないまま、ラウルは素早く子どもたちを順番に見ては何かを記録している。まるで在庫でも数えているかのように。
三人だけじゃなかった。さらに数名の職員が控えていた。
端正な顔立ちの女がやや遅れて前に出て、柔らかく言う。
「私はマリセラ・ノクティス。薬理と適応試験を受け持ちます。よろしくね」
声の調子こそ優しげだったが、目は笑っていなかった。
その視線は、私たちの身体をなめるように見ていた。
彼女の唇に浮かぶ笑みは、どこか獲物を見る目に似ていた。
そして、最後に現れたのが、緋色の唇とくすんだ灰色の瞳をもつ女性――
「ロザヴェル・ノクテイン。施設全体の設計監理と、教育指導の監修を担います」
冷ややかな声でそう言ったあと、彼女はスカートのすそを払い、後方へと下がった。
その足取りは一分の迷いもなかった。
名を告げる者たち。
名を失う私たち。
その断絶が、まざまざと浮かびあがる。
「以上が、主要スタッフです。呼称を記憶し、混乱なく従うこと。
また、名を持つのは我々だけであることを、決して忘れないように」
ノワレンヌの言葉が冷たい水のように降ってくる。
番号を呼ばれる。
「F-283」
それが、私だった。
足が勝手に前へ出る。まるで糸で操られているみたいに。
でも、心のどこかが、叫んでいた。
(私は、ミナ。F-283なんかじゃない。忘れたくない……絶対に)
すぐ近くで、赤銅色の髪の青年が無言で立っている。
眼差しが鋭く光り、何かを押し殺していた。
あれは、怒り……そう思った。だけど、表情には出さない。
まるで、静かに燃える炎のようだった。
(あの人も、きっと――)
私は唇を引き結んだ。
震える指先を、自分の服の端にそっと握る。
この番号が私のすべてになるなんて、絶対に思わせない。
名前を呼ばれなくても、私は私だ。
そのとき、背後で誰かが小さく言った。
「……でも、わすれない」
幼い声だった。イザベラの声かもしれない。
誰にも聞こえないほどの、小さなつぶやき。
それでも、その響きは、胸に確かに届いた。
名を失っても、心までは渡さない――その思いが、私たちの間に、そっと灯った。




