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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第2章:まなざしの檻
24/66

22、降り立つ地(後半)

 

 霧の濃さが、すこしだけ緩んだ気がした。

 それでも視界はまだ白く濁っている。浜辺の先に広がる森は、影のように朧な輪郭をまとい、まるで近づけば消えてしまいそうな幻のようだった。


 子どもたちは列を成して進む。

 言葉はなく、誰もがそれぞれの沈黙に包まれていた。

 足音だけが、砂の上を擦れるように連なっていく。


 そのときだった。霧の向こうから、ふいに音がした。


「やっと来たか。」


 声――だが、それは職員たちのものとは明らかに違っていた。

 若く、男の声。けれど低く、冷えた石のような質感を帯びている。


 思わず顔を上げた。

 霧が、その声に応じるように、静かにほどけていく。


 そして、現れた。


 最初に目に入ったのは、ひとりの青年だった。

 背は高く、肩幅も広い。その輪郭は霧の中にあってなお、はっきりと浮かび上がっている。

 だが何よりも印象的だったのは、彼の存在感だった――まるで、炎。


 赤銅色の髪。乾いた葉のような色が、白い霧の中で不思議と温かみを帯びて揺れている。

 瞳は琥珀色。こちらを見ているはずなのに、その眼差しはどこか遠く、言葉よりも重いものをたたえていた。


 私はこのとき、まだ彼の名を知らなかった。

 けれど、その沈黙が語っていた。

 この島で長く生きてきた者の重さを、彼は纏っていた。


「おーい、こっちこっち! こわい顔やめなってば!」


 明るい声が響いた。

 跳ねるような足取りで、女性が霧をかきわけて現れる。

 肩まである赤茶の髪が、霧の中で陽光のように揺れていた。

 その顔には屈託のない笑顔が浮かんでいる。だが、瞳の奥に張り詰めた光があった。


 無邪気なようで、どこか擦れた明るさ。

 明るいのに、どこか痛々しい――そんな印象を残す女性だった。


「ふふ、やっと来たね、新しい子たち。見た目はみんな子ウサギちゃんだけど……さて、中身はどうかな?」


 その言葉に、イザベルがぎゅっと私の手を握った。


「……誰?」


「さぁね。これからわかるんじゃない?」


 私はそう答えてみせたけれど、警戒は解けなかった。

 笑顔の奥にあるものが、気にかかっていた。


「落ち着いて。」


 やわらかな声が続いた。

 今度は、霧の奥から穏やかな気配が近づいてくる。


 その声の主は、先ほどの女性の背後から現れた。

 彼は先ほどの少年よりも年下に見えた。柔らかな暗めの茶髪が額にかかり、翡翠のような瞳が優しく光っていた。

 ほっそりとした体つきで、言葉を選ぶようにゆっくりと前に出る。


「こんにちは。怖がらないで。僕たちは同じだよ――ここで暮らしている子どもたち。」


 その声は静かで、でも芯がある。

 押しつけがましくないのに、奇妙な説得力があった。


「優しすぎ。警戒するのは当然よ」


 女性が肩をすくめると、さらに小さな影がその後ろから顔を出した。


 少女――年のころは十歳前後だろうか。

 栗色の髪がうなじで結ばれ、小動物のような敏感さでこちらを見つめている。

 目が合うと、すぐに視線をそらした。けれど、その頬がほんのり赤くなったのを、私は見逃さなかった。


「……挨拶して?」


 暗茶髪の少年に促されて、その少女は小さく首を縦に振った。


「……こんにちは」


 まるで葉擦れのような、かすかな声だった。

 けれど、それだけで充分だった。

 この子もまた、この島の目撃者なのだろう。


 私はそっとイザベルの背中を押した。

 彼女は私の手を握ったまま、小さな声で「こんにちは」と返した。


 ふと、視線を感じた。

 最初に現れた青年が、こちらをじっと見ている。


 ――いや、私を、見ている。


 その眼差しは、鋭いというより、深い。

 深くて、底なしのようだった。

 何も語らないのに、その沈黙が問いを投げかけてくる。


(おまえは、なにを見ている?)

(ここで、生きていく気があるのか?)


 そんな声が、言葉にせずとも胸の奥に響いた。


 私はその視線を受け止め、わずかにうなずいた。

 すると彼は、それに応えるように――ほんの一瞬だけ、目を細めた。


 微かな動き。

 けれど、それはまるで許可のようにも感じられた。


 そのとき、背後から職員の足音が近づいた。

 仮面の下に顔を隠したその姿は、霧の中からぬるりと現れる。


「これより、居住区に移動する。前の者の指示に従え。」


 命令だけを放ち、すぐにまた沈黙へと戻る。

 子どもたちは再び列を整え、ゆっくりと歩き出した。


 私は最後にもう一度、あの少年を見た。

 彼は一歩も動かず、霧の中に立ち尽くしていた。

 まるで――自分がこの場所そのものであるかのように。


 赤銅の髪が、霧のなかで小さく揺れた。

 それは、炎の残り火のように見えた。

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