15、行き先の名前(前半)
夜の船室には、どこか張り詰めたような静けさがあった。
床下で軋む音が、まるで小さな虫が這うように、耳の奥で響いていた。船の揺れはさほど強くはないけれど、その音だけが不自然に鋭く感じられる。
誰も、ちゃんとは眠れていない。
毛布にくるまり、呼吸をひそめながら、それぞれの不安と向き合っている。
誰かが寝返りを打つたび、誰かが小さく咳き込むたび、そのたびに空気が波立つ。けれど誰も、それを言葉にはしなかった。まるで、声を出すこと自体が罪のようで。
私は目を閉じたまま、隣に寝転ぶ倫の気配を感じていた。
彼の呼吸は浅くて、でも整っていて。眠っているふりをしているのが、なんとなくわかる。
そういうところだけは、妙にわかるのだ。
理由もなく、少しだけ安心する。誰かが起きている、それだけで、夜の冷たさが和らぐ気がした。
私は小さく声を落とした。
「ねえ……私たち、やっぱり8号島に向かってるんだよね」
息を飲む気配がすぐそばで揺れた。毛布がそっと動き、数人の子がこちらを見ているのがわかる。
「……はちごう、じま?」
ニコラの声がした。かすかに震えている。
「うん……」私はゆっくりうなずいた。
「私も詳しくは知らないけど、そんな名前の島があるって、前にちょっとだけ聞いたことがあって……」
「しま……そっか……」ニコラは黙りこんで、それからぽつんとつぶやいた。
「なんか……きいちゃだめなことかなって、おもってた。だれも……いわないから……」
「わかる、それ」
レオがぼそっと割って入った。
「オレも……どこかで聞いた気がするんだけど、いつだったか……思い出せない。たぶん、ずっと前に……」
「……あの、8号島か」
呟いたのはルーカンだった。壁にもたれて座ったまま、目を伏せて拳を握っている。
「知ってるの?」私は声を潜める。
「……ああ。小さい頃、大人たちが言ってたのを聞いた。あそこは……誰も帰ってこない島だって」
ルーカンの声は静かだったけれど、その奥に、鋭い棘のような何かが潜んでいた。
「かえってこない……って、なに……?」
ニコラがさらに声を細める。
「――施設だよ」
今度は倫が口を開いた。寝転んだまま、毛布の中でそっと言葉を選ぶようにして。
「ふつうの施設とは違う。試験、訓練、それに……選別が行われてる。連れていかれた子どもたちは、検査されて、分けられて……そのあと、戻ってこない」
「それって……!」レオが小さく叫び、毛布をぎゅっと握った。
「でも……全員がそうなるわけじゃない」倫はすぐに補足するように言った。
「何も知らないままでいるのが、一番危ない。ちゃんと知っていれば、備えられる。生き延びる道が見つかるかもしれない」
外から、波の音がかすかに聞こえた。夜の海が、重く、どこまでも冷たく広がっている。
「……じゃあ、本当に……8号島に行くの?」私はそっと問いかけた。
けれど、もう答えはわかっていた。監視官の冷たい目。煤けた折り鶴。何もかもが、あの島を指していた。
倫は、こくりとうなずいた。
「でもね、何も考えずに運ばれるだけじゃ……だめなんだ」
彼の声は静かだったけれど、確かな力があった。
「考えて、動いて、協力する。そうすれば、助かる確率は高くなる」
「でもさ……ぼくたち、なにもないよ?」
ニコラが心細げに言った。
「ぶきもないし、つよくもないし……だいじんに、さからえない……」
「それでも、僕たちは話せる」倫ははっきりと言った。
「考えて、行動して、小さなことを重ねることができる。物を隠す、気づかれないように伝える。――工夫が、命を守る」
彼の目は、暗がりの中でも驚くほどまっすぐで、光を宿していた。
悲しみも、不安も、ぜんぶ抱えて、それでも、前を見ている目だった。
「僕は、準備したい。誰かが消える前に、ちゃんと話して、みんなで可能性を上げたい」
「……オレもやる」
レオが拳を握りしめた。
「なにかできるなら、やるよ」
「私も……」私も、しっかりと答えた。
「何も知らずに怯えてるより、動いたほうがいい」
「ぼくも……やる」
ニコラも小さな声で言った。ぎゅっと毛布を握ったまま、でも、確かに前を向いていた。
ルーカンは、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……情報があれば、動ける。それは……正しい」
それぞれの言葉が、かすかな光となって、夜の闇に浮かび上がっていく。
霧の夜、船室の灯りがほのかに揺れ、毛布の下の顔をやさしく照らしていた。
未来はまだ見えない。それでも、私たちは、前を向こうとしていた。




