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灯びの系譜ー静寂なる闇に芽吹くもの  作者: 武内れい
第1章:静寂に沈む船出
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13、静かな監獄(前半)


 船が、静かに揺れた。


 鈍く軋む鉄の音が、足元から腹の底へと沁みこんでくる。煙突から昇った白煙が、くすんだ空ににじむように溶けて、どこまでもちぎれながら消えていった。


「……いよいよ、行くんだね」


 自分でも驚くほど小さな声だった。けれど、そのすぐそばで、誰かが静かに頷いた気配がした。


 その瞬間だった。


 甲板に並んでいた子どもたちの背筋が、一斉に伸びた。空気が凍りつくのを、肌で感じる。足音ひとつ立てずに現れた監視官たちが、列を無言で睥睨する。視線の鋭さが、まるで鉄の矢のように胸を刺す。


「……番号を確認する」


 無機質な声が鉄板の床に吸い込まれていく。


 呼ばれるのは、名前じゃない。番号。番号だけが、その子の存在証明みたいに響く。まるで誰もが、どこかの倉庫に並べられた部品みたいだった。


「F-283」


「……はい」


 私の声が、自分のものとは思えないほど乾いていた。床を見つめたまま、ぴたりと直立する。胸の奥で脈が跳ねるのを感じながら、それを必死に表情の奥へ押し込めた。


「D-327」


 その声に、誰かの肩が小さく震えた。


 ニコラだ。


 すぐに気づいた。小柄な背中がぴくりと強張る。監視官が彼に向かって一歩、また一歩と近づく。ニコラは必死に耐えていた。唇をきつく結び、目を逸らさないようにして……けれど、まつげが震えていた。

 あの子の中で、泣き出しそうな何かが限界ぎりぎりで揺れているのがわかった。


(ばれるっ…)


 私は思わず足を一歩踏み出しそうになった。けれど、そのとき――


 ガシャアアアンッ!


 鋭い金属音が空気を切り裂いた。


 耳を塞ぎたくなるほどの音が甲板中に響き、みんなが一斉に肩をすくめた。私も思わず顔をしかめ、音のほうへ目をやった。


 そこに、倫がいた。


 倒れたワゴンの横に立ち、散らばった金属容器を見下ろしている。その背中はまっすぐに伸びていた。けれど、振り返る素振りはない。


「おい、おまえ――何をしている」


 鋭い声が飛び、監視官のひとりが倫に詰め寄った。


 倫は、ゆっくりと振り返った。その動きが、妙に滑らかで……まるで舞台の上の芝居を見ているようだった。目を伏せたままのその顔は、一見すると無垢で、罪の意識すらなさそうに見えた。


 けれど――


 その奥に宿る瞳の光。私は気づいた。艶やかで、計算された、静かな光。鳥が獲物を引き寄せるときのような、美しくも危うい眼差しだった。


「すみません、足が……滑って」


 甘く、曖昧に微笑むような声。その響きに、監視官のひとりが喉を鳴らした。目を細める者、鼻をすする者。その場の空気が、ぬるりと変わっていく。


(……わざとやってる)


 私の中で確信が走った。倫の視線、所作、言葉の抑揚。すべてが計算されていた。まるで罠を張る鳥のように、静けさと色気をまとっていた。


 監視官のひとりが倫の腕を荒々しくつかんだ。


「ついてこい」


 短く吐き捨てて、倫を引き連れて歩き出す。軋む金属の扉が開き、ふたりの姿は、奥の廊下へと溶けて消えていった。


 甲板には、沈黙だけが残された。


 誰もが、その場から動けなかった。風の音だけが甲板をかすめていく。まるでここが、遠い世界のはずれにある、誰にも見つからない檻の中であることを告げるようだった。


 私は動けないまま、倫が立っていた場所を見つめていた。


 あの目。あの声。そして、あの笑み。


 ――倫は、自分を餌にしたんだ。


「……あいつなら、大丈夫だ」


 静けさを破ったのは、ルーカンの声だった。


 振り返ると、彼は壁際に座っていた。けれど、その目は静かに確信を宿していた。


「倫は時々、監視官と一緒に行くんだ。物資をもらってくる。きっと、今回もそのつもりだろう」


「物資……?」


 思わず問い返すと、ルーカンは短く頷いた。


「何かあったとき、怖がらせないように、って。さっき、俺に言ってたんだ。……嫌われ役になるのを、あいつは平気で選ぶ」


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。


 その言葉と一緒に、記憶の底から浮かんでくる光景があった。


(……オレンジジュースじゃなきゃ、やだ)


 あのとき。誰もが諦めていた願いを、倫だけがあきらめなかった。監視官に笑いかけて、何かをささやいて……戻ってきたとき、手にしていたのは、紙パックのオレンジジュース。


(……また、あのときみたいに)


 私の視線は、自然とあの冷たい扉のほうへ向いていた。


 倫が今いるであろう、沈黙と監視の支配する場所へ。


 そこにあるのは、きっと屈辱。あるいは痛み。けれど――


 彼は、あえてそこへ足を踏み入れた。


 あの静かな笑顔の奥に、どれほどの覚悟を隠していたのだろう。

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