【第7話】薬師ギルド試練:煙幕の知恵と、予期せぬ発見
アウローラから課せられた最後の試練は、「スライムボア」の「粘着性の毛皮」の入手。戦闘職ではない俺にとって、モンスター討伐はまさに未知の領域だ。だが、薬師ギルドの正式メンバーとなるためには、この壁を乗り越えるしかない。
俺はまず、正面から戦うのは愚策だと判断した。素手で殴っても、まともなダメージは与えられないだろう。相手は全身が粘液に覆われているという。接近戦は避けたい。攻略の糸口は、アウローラが言っていた「粘着性の毛皮は、通常の刃物ではなかなか剥がしにくい特性を持つわ」という言葉と、これまでの薬草知識を応用することにあるはずだ。
俺はまず、薬師ギルドの本棚に向かった。調合の専門書だけでなく、この世界の動植物に関する古い文献もいくつか見つかった。その中に、「魔物の生態と弱点」と題された古びた巻物があった。ページをめくると、スライムボアに関する記述が目に留まる。
《スライムボア:体表の粘液は極めて強力な粘着性を持つ。物理攻撃に弱いものの、粘液が刃物を絡め取り、攻撃を著しく阻害する。この粘液は「乾燥」を極端に嫌う性質がある。特定の煙に触れると一時的に粘性が著しく低下するが、完全に消滅するわけではない。また、高熱には弱い。素材としての粘着性の毛皮は、ポーションの粘度調整に用いられるが、素材自体が傷つくと品質が落ちるため、採取には細心の注意が必要。》
この情報で、俺の頭の中に一本の筋が通った。「乾燥を嫌う」「特定の煙で粘性が低下する」。これは、俺の薬草知識と直結する。現実の自然界にも、煙によって特定の効果を発揮する植物は存在する。例えば、樹脂を多く含む木は燃やすと独特の匂いの煙を出し、特定の虫を寄せ付けない忌避効果を持つものがある。また、タンニン系の成分は、特定の物質と結合して固化させる性質を持つ。
「これだ……」
俺はすぐに森へは向かわず、まずはその「特定の煙」を出す植物を探すことにした。リーヴェン近郊の森は、俺が幼い頃から慣れ親しんだ山とどこか似ている。湿度の高い場所には、独特の樹液を持つ植物や、葉にタンニンを多く含む植物が自生していることが多い。
森の入り口付近を探索し、いくつかの樹木の葉を採取スキルで鑑定していく。
《オークの葉:一般的な木材。燃やすと穏やかな煙が出る。》
《カエデの葉:食用にはならない。燃やしても特別な煙は出ない。》
違う。俺が求めているのは、もっと強い、刺激的な煙を出すものだ。頭の中で、現実で学んだ植物の特性と、目の前のVR世界の植物情報を照らし合わせる。粘液を乾燥させる、あるいは粘性を弱める煙……。それは、刺激成分や乾燥作用を持つ成分を含む煙であるはずだ。
さらに奥へと進むと、俺の目に留まったのは、幹からわずかに黒い樹液を滲ませている、独特の葉を持つ木だった。葉は深く切れ込み、少し厚みがある。
《ヤニの木:樹液に粘着性があり、燃やすと刺激性の煙を出す。一部の動物がこの煙を嫌う。》
「ヤニの木」。ゲーム内の名称だが、現実でいうところのウルシのような木に似ている。樹液が粘着性を持つ植物は、その性質を打ち消すような対抗策を持つことが多い。そして、燃やすと刺激性の煙。これだ! しかし、樹液自体が粘着性を持つということは、毛皮の粘液を逆に強化してしまう可能性もある。慎重に選ばなくてはならない。
次に目を付けたのは、広い葉を持つ、背の高い植物だ。その葉を一枚千切ってみると、青臭い匂いの中に、わずかな酸味が混じっている。
《バタフライリーフ:大型の葉を持つ植物。葉を乾燥させて燃やすと、酸味のある煙を出し、一部の粘性物質を変化させることがある。》
これだ! 「粘性物質を変化させる」という記述。現実でいうところのサイカチに似た葉だ。あれは燃やすと、石鹸のような泡を立てる成分を出し、粘性のある物質を洗い流す効果があったはずだ。もし、この煙がスライムボアの粘液の粘着性を弱めるのなら、まさにうってつけだ。
俺は「バタフライリーフ」を、焚き火用の小枝と共に大量に採取した。特に湿り気のあるものを選ぶ。燻煙効果を高めるためだ。
採取を続けていると、後ろから声がかかった。
「おじさん、何してるんですか?」
振り返ると、翔太……いや、レオンが立っていた。
「翔太か。ちょうどいい。お前、戦士だろう? 少し相談がある」
「相談ですか? 何でも聞きますよ!」
俺は、スライムボアの討伐試練について説明した。翔太は興味深そうに頷きながら聞いている。
「なるほど、粘液で攻撃を阻害してくる敵ですか。確かに、正面からの戦闘は厳しそうですね。でも、おじさんの煙作戦、面白いじゃないですか!」
「問題は、俺一人では戦闘力が足りないことだ。煙で弱らせても、止めを刺せない」
「それなら、僕が手伝いますよ! パーティ組みましょう」
翔太の提案に、俺は少し躊躇した。これは俺の試練だ。他人に頼っていいのだろうか。
「大丈夫ですよ。僕はサポートに回ります。メインはおじさんの作戦で。最後の攻撃だけ僕がやれば、おじさんの功績になるはずです」
翔太の言葉に、俺は頷いた。確かに、一人では限界がある。甥の協力を得るのも悪くない。
「分かった。頼む」
俺たちはパーティを組み、焚き火の準備も怠らない。初期支給の料理器具セットの中に入っていた「着火石」を取り出し、枯れ葉と小枝で小さな焚き火を作った。野山で焚き火をする時と同じように、火が消えにくいように工夫する。
「よし、これで準備は万端だ」
俺は、採取したバタフライリーフと着火石、調理ナイフを手に、翔太と共にスライムボアの生息域へと向かった。心臓の鼓動が、VRヘッドギア越しにも伝わってくる。戦闘職ではない俺が、知恵と知識、そして仲間の力でモンスターに挑む。この高揚感は、現実の薬草採取では味わえないものだ。
「おじさん、楽しそうですね」
「ああ、久しぶりに血が騒ぐ」
俺は笑いながら答えた。45歳にして、新しい冒険に挑む。こんな体験ができるとは思わなかった。
【アルネペディア】
・ヤニの木: 特定の環境に自生する樹木。樹液は粘性があり、燃やすと刺激性の煙を出す。ウルシのような木。
・バタフライリーフ: 大型で、燃やすと特定の成分を含む煙を出す植物の葉。粘性のある物質の性質を変化させる効果を持つとされる。サイカチに似た葉。
・サイカチ: 現実世界に存在する植物。燃やすと石鹸成分を含む煙を出し、洗浄効果がある。
・パーティシステム: 複数のプレイヤーが協力してクエストやモンスター討伐を行うシステム。経験値や報酬が分配される。