【第6話】薬師ギルド試練:調合の壁と、閃きの抽出法
アウローラから第二の試練が告げられた。青い苔草と純水を使って、最低限の回復ポーションを一つ製作すること。作業台には、昨日アウローラから受け取った簡易調合器と、透明な瓶に入った純水が置かれている。
簡易調合器は、現実で俺が薬草を煎じる際に使う土瓶や、チンキを作るための密閉容器が複雑に組み合わさったような見た目をしている。マニュアルを開くと、ホログラムのような形で基本的な調合の手順が表示された。
「青い苔草を粉砕し、純水と混ぜ合わせ、加熱……」
ふむ。基本的な抽出法だ。だが、それだけでは「最低限の回復ポーション」しか作れないだろう。アウローラは「ケンイチさんのその薬草への愛が、どんなポーションを生み出すのか、楽しみにしているわ」と言っていた。ただマニュアル通りに作るだけでは、俺の薬草知識は活かせない。
俺はまず、青い苔草を手に取った。採取したばかりの青い苔草は、未だ鮮やかな青色を保ち、触れると微かに湿り気を帯びている。粉砕、とあるが、どう粉砕する? 簡易調合器には、乳鉢のような部分がある。現実なら、薬草の繊維を断ち切るように、丁寧にすり潰すのだが。
俺は慎重に青い苔草を乳鉢のような窪みに入れ、備え付けの棒で押し潰してみる。ゴリゴリ、と石と苔が擦れ合う音がVR空間に響く。しかし、ただ潰すだけでは、植物の細胞壁が十分に壊れない。それでは有効成分が効率よく抽出されないだろう。
「くそ……」
一度、簡易調合器のガイドを無視して、自分のやり方で試してみる。青い苔草を細かくちぎり、純水に浸してみた。現実の「冷浸法」だ。しかし、システムはそれを認識せず、何も起こらない。やはり、ある程度はゲームのルールに従う必要がある。
改めてガイドを見る。「粉砕」「混合」「加熱」。やはり、これら三つの工程は必須らしい。だが、問題は「どの程度」か、だ。
俺は青い苔草を再び手に取り、匂いを嗅いでみる。少し土っぽいが、爽やかな、どこか薬品のような匂いがする。湿気た場所に生えるセキショウの根を洗う時のような、独特の青臭さにも似ている。あの植物は、葉を潰すと清涼感のある香りがするが、根を煎じると胃腸の調子を整える薬効があったはずだ。この青い苔草も、見えない部分に隠された薬効があるのかもしれない。
俺は、青い苔草の細胞壁を破壊し、有効成分を最大限に引き出す方法を考えた。ただ粉砕するだけでなく、どのくらいの粒子にするか、という点が重要だ。現実なら、薬効成分によって粉砕の度合いを変える。例えば、タンニン系の成分なら粗く、アルカロイド系なら細かく、といった具合に。
俺は試しに、乳鉢で青い苔草を細かく、しかしドロドロになる手前で止めてみた。ガイドが表示する最適な粉砕ゲージの、ほんの少し上のラインだ。次に、加熱の工程。ガイドでは「弱火で数分」とあるが、これも、有効成分が熱に弱いものなら、短時間で済ませるべきだし、熱に強いものなら時間をかけて煎じた方がいい。
俺は、青い苔草の鮮やかな青色に着目した。昨日の推測が正しければ、ブルーベリーの色素成分であるアントシアニンのように、色素が薬効成分と深く関係している可能性がある。アントシアニンは熱に比較的弱く、長時間加熱すると分解してしまう性質がある。
「ならば、短時間で、かつ高熱で一気に抽出する……?」
いや、それだと焦げ付くリスクがある。まるで、ゲンノショウコを煎じる時のようだ。ゲンノショウコは、熱を加えすぎると薬効が飛んでしまうことがある。
俺は、ガイドの「加熱」ゲージを、最低限の回復ポーションを作るための推奨値よりもやや低めに設定した。そして、時間を短縮し、一気に温度を上げてから、素早く冷ます「フラッシュ抽出」のようなイメージで操作してみた。
簡易調合器がゴウンと低い音を立て、内部の液体が沸騰し始める。青い苔草の鮮やかな青色が、液中に溶け出していくのが見えた。普段ならもう少し時間をかけるところだが、俺はすぐに加熱を停止した。
そして、冷却。器が冷えると、濃い青色の液体が残った。見た目は、決して美味しそうとは言えない。だが、不思議と力強い生命力を感じる。
「できた……のか?」
ポーションの瓶に液体を移す。メッセージウィンドウがポップアップした。
《最低限の回復ポーション(N)を製作しました。品質:優》
「優」? ガイドには品質の項目はなかった。これは、通常よりも良いものができたということだろうか。俺は思わず小さくガッツポーズをした。試行錯誤の結果、ゲームのシステムを超えた、俺なりの「最適解」を見つけられたのかもしれない。
成功体験を得られたことで、俺は興奮を抑えきれずにアウローラのもとへ向かった。
「アウローラ様、第二の試練、クリアしました!」
俺はポーションを差し出した。アウローラはそれを受け取り、光に透かしてじっと見つめる。
「これは……」
彼女の目が、わずかに見開かれた。驚きと、喜びのような感情が交錯しているように見えた。
「これは、ただの『最低限の回復ポーション』ではないわね。見た目も、漂う気も、一般的なものとは一線を画している。この青い輝き……まさか、抽出時に特別な工程を挟んだのかしら?」
俺は控えめに答えた。
「ええ、その通りです。私なりの方法で、薬効成分が最大限に引き出せるよう試行錯誤しました」
「ふふ、さすがね。ケンイチさん。このポーションは、見た目も効果も、まさしく『優』よ。これで第二の試練も合格ね。おめでとう」
アウローラの優しい声が、薬師ギルドの中に響いた。俺の心は、再び達成感で満たされた。現実の知識が、このVR世界でも通用する。それどころか、マニュアル以上の結果を生み出せる。この事実は、俺の「薬草オタク」としての探求心に、さらなる火をつけた。
「では、ケンイチさん。残るは最後の試練よ」
アウローラの表情が、少しだけ真剣なものに変わった。
「第三の試練は、『リーヴェン近郊』に出現する特定のモンスターが持っている素材の入手。具体的には、スライムボアというモンスターの『粘着性の毛皮』を一つ、持ってきてほしいわ」
スライムボア……名前からして、厄介そうなモンスターだ。戦闘職ではない俺にとって、モンスターの討伐は大きな壁となるだろう。
「スライムボアは、普段は大人しいけれど、一度襲われると粘着性の体で動きを封じ、その粘着性の毛皮は、通常の刃物ではなかなか剥がしにくい特性を持つわ。危険を伴う試練になるけれど、この素材はポーションの粘度調整に不可欠なの。どうかしら? この試練も受けてくれる?」
アウローラの言葉に、俺は少しの緊張と、それ以上の決意を固めた。
「はい、お受けします。必ず、クリアしてみせます」
俺は力強く頷いた。薬草の知識を活かすためならば、危険を冒すことも厭わない。それが、俺の「薬草オタク」としての矜持だ。
しかし、戦闘職ではない俺が、どうやってモンスターと戦えばいいのだろうか。まずは情報収集から始める必要がある。薬草の知識だけでは、この試練は乗り越えられそうにない。
【アルネペディア】
・セキショウ: 日本の湿地に自生する多年草。根茎には鎮静作用や胃腸薬としての薬効がある。
・ブルーベリー: ツツジ科の低木になる果実。アントシアニンという色素成分が豊富に含まれ、強い抗酸化作用を持つことで知られる。
・スライムボア: リーヴェン近郊に生息するモンスター。見た目はイノシシに近いが、体表が粘着性の体液で覆われている。攻撃されると動きを封じられる特性を持つ。
・粘着性の毛皮: スライムボアから得られる素材。ポーションの粘度調整など、特定の調合に利用される。通常の刃物では剥がしにくい。
・品質: ポーション製作における隠しパラメータ。通常のポーションよりも優れた効果をもたらす。段階があり、健一の作ったポーションは「優」の品質を持つ。