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【第5話】薬師ギルド試練:青い苔草の探索

 

 薬師ギルドの重い扉を閉め、俺は深呼吸をした。アウローラから課せられた最初の試練は、「リーヴェン周辺に自生する青い苔草を十本、薬効を損なわない方法で採取する」こと。簡易調合器を手に、俺はリーヴェンの街を後にし、郊外へと足を進めた。


 地図には、リーヴェン近郊のマップが表示されている。街の東側には広大な森林地帯が広がり、南には小川が流れている。そして、西には城壁に沿って岩場が点在している。青い苔草、という名前からして、湿気のある場所を好むはずだ。現実世界での経験から、苔が生えやすい場所は、日当たりの悪い岩陰や、水辺の近くが多い。


 俺はまず、街の南側を流れる小川沿いを探索することにした。VR酔いはもうほとんど感じない。慣れてきたせいか、風の匂い、草木のざわめきを楽しみながら歩けるようになった。全てがリアルで、まるで本当に森の中を歩いているかのようだ。


 小川に沿って歩いていると、やがて視界が開けた。そこに広がっていたのは、澄んだ水を湛える小さな泉だった。泉の周囲には、豊かな緑色の苔が生い茂っている。そして、その中に混じって、確かに青みがかった苔を発見した。


「ここだ……」


 俺は直感的にそう確信した。現実でも、こういう場所には珍しい薬草が自生しているものだ。泉に近づき、しゃがみ込む。水辺の石には、鮮やかな青色をした苔がびっしりと張り付いていた。これが、青い苔草だろう。


 しかし、アウローラは「間違った方法で採取すると、薬効が失われる」と言っていた。ただ手当たり次第に引っこ抜けばいいというわけではない。俺は採取スキルを発動させる。すると、青い苔草の周囲に薄い光の輪が浮かび上がり、その光の輪が、わずかに色が濃い部分を示している。


「なるほど、これか……」


 その部分に意識を集中すると、指先に微かな振動が伝わった。この振動が、最適な採取ポイントを示しているのだろう。現実の薬草採取では、植物の根元や特定の茎の付け根など、薬効成分が集中している部分を傷つけずに採取することが重要だった。


 この青い苔草の採取感触は、まるで現実世界で湿気の多い場所の石に張り付いているゼニゴケを、薄い膜を破らずに剥がすような、あの繊細さに近い。ゼニゴケを採取する際は表面の薄い膜を傷つけないよう、慎重に石から剥がす必要がある。薬効を最大限に引き出すためには、植物の生命の呼吸を感じ取るような、微細な感覚が求められる。このゲームも、それを忠実に再現しているらしい。


 俺はゆっくりと、指先の感覚に集中しながら、光の輪が示す部分に触れた。ヌルリとした感触が指先に伝わり、抵抗なく青い苔草が剥がれていく。石の表面から、薄い膜のような組織ごと、丁寧に採取する。力を入れすぎると破れてしまいそうな、繊細な作業だ。


 採取に成功した青い苔草が、アイテムボックスへと自動で収納される。


「よし、一本目」


 手応えを感じ、俺は次々と青い苔草を採取していく。一枚一枚、丁寧に、薬効を損なわないように。時折、光の輪が示す場所が微妙に異なるものもあり、その都度、指先の感触で最適なポイントを探る。この感覚が、現実の薬草採取と酷似していて、俺は無意識のうちに没頭していた。まるで、時間を忘れて山中で薬草を採取している時のようだ。


 現実の薬草学では、青い色素を持つ植物は稀で、特に苔類でここまで鮮やかな青は珍しい。もし、この鮮やかな青が薬効成分由来なら、現実でいうところの、ブルーベリーの色素成分であるアントシアニンが持つ、高い抗酸化作用に近い性質を持っているのかもしれない。期待が膨らむ。


 採取を続けていると、遠くから足音が聞こえてきた。振り返ると、同じく初心者らしいプレイヤーが近づいてくる。戦士系の装備を身につけているが、その種族は……ノクターンか。珍しい組み合わせだ。ノクターンといえば魔法系に向いた種族なのに、重装備で剣を背負っている。


「あ、こんにちは! おじさん、こんなところにいたんですね!」


 聞き覚えのある声に、俺は驚いて顔を上げた。


「お前……まさか、翔太か?」


「そうです! ゲーム内名はレオンにしました。おじさんがログインしてるの見つけたので、追いかけてきたんです」


 甥の翔太、いやレオンが人懐っこい笑顔で話しかけてきた。確かに、βテストを勧めてきた張本人だったな。


「しかし、お前、ノクターンで戦士とは変わった選択をしたな」


「あはは、みんなにそう言われます。でも、光に弱いって設定が面白そうで。それに、意外性があっていいじゃないですか!」


 相変わらず、翔太のコミュニケーション能力は高い。現実でも社交的だったが、ゲーム内でも変わらないようだ。


「それより、おじさん、何してるんですか? 薬草採取?」


「ああ、薬師ギルドの試練でな。青い苔草を集めている」


「薬師ギルド!? そんなギルドがあったんですか。さすがおじさん、マニアックなところを見つけましたね」


「まだ修行中だが、いずれは作れるようになる予定だ」


「それは頼もしい! 実は僕も回復薬の消費が激しくて。戦士なのに打たれ弱いんですよね、ノクターンって」


 翔太は苦笑いを浮かべた。確かに、ノクターンは体力が低い種族だったはずだ。


「もしよろしければ、今度回復薬ができたら、お分けしよう」


「本当ですか!? さすがおじさん、頼りになります!」


 翔太は喜んで、フレンド申請を送ってきた。俺も快く承諾する。甥とはいえ、VRMMOでの最初のフレンドができたことは嬉しい。


「そういえば、おじさんの薬草知識、本当にゲームでも使えるんですね。すごいなあ」


「まあ、多少は応用が利くようだ」


 俺は謙遜しながら答えたが、内心では嬉しかった。現実の知識がこの世界でも価値を持つということを、身近な人に認めてもらえるのは励みになる。


 翔太が「それじゃあ、僕はレベル上げに行ってきます! 頑張ってくださいね、おじさん!」と手を振って去った後、俺は再び採取に集中した。泉の周囲を丁寧に回り、青い苔草を探す。石の隙間、水際の湿った場所、日陰の岩陰。現実での経験を活かし、苔が好む環境を予測しながら探索を続ける。


 十本採取し終える頃には、陽も傾き始めていた。泉の水面が夕焼けに染まり、幻想的な光景が広がっている。俺はアイテムボックスを確認し、青い苔草が十本揃っていることを確かめた。


「これで、第一の試練はクリアか……」


 達成感と同時に、妙な疲労感が体を襲った。VR酔いとは違う、集中したことによる疲労だ。しかし、この心地よい疲労感は、現実で薬草を採取し終えた時と全く同じ感覚だった。ゲームなのに、ここまでリアルに再現されていることに驚きを隠せない。


 俺は一度街に戻ることにした。泉のほとりを離れ、来た道を辿る。帰り道では、すれ違うプレイヤーの姿もまばらになり、時折、遠くでモンスターの咆哮のようなものが聞こえてくる。戦闘職ではない俺にとって、夜間のフィールドは危険だと直感した。


 街の門をくぐり、リーヴェンの賑やかな通りに戻ると、ようやく安堵のため息が出た。夕暮れ時のリーヴェンは、昼間とはまた違った活気に満ちている。露店には明かりが灯り、冒険者たちが酒場で今日の成果を語り合っているのだろう。


 俺は宿屋で一泊し、翌日、再び薬師ギルドへと向かった。重い扉を開けると、昨日と同じように、アウローラが本を読んでいた。


「アウローラ様、ただいま戻りました」


 俺が声をかけると、アウローラはゆっくりと顔を上げた。


「あら、ケンイチさん。もう戻ったの? 早かったわね。青い苔草の採取は終わったのかしら?」


 俺はアイテムボックスを開き、青い苔草を十本、彼女の目の前に差し出した。その苔草は、朝露に濡れたかのように瑞々しく、生命力に満ち溢れている。


 アウローラは一本の青い苔草を手に取り、じっと見つめた。その瞳には、鑑定するような鋭い光が宿っている。


「……素晴らしいわ、ケンイチさん。これほど完璧に採取された青い苔草は、滅多にお目にかかれない。薬効成分が全く損なわれていないわね。あなたの知識と技術は、本物だわ」


 アウローラは満足そうに微笑んだ。その言葉に、俺は安堵と喜びを感じた。努力が報われた瞬間だ。


「これで、第一の試練は合格よ。おめでとう」


 アウローラの言葉に、俺の胸は高鳴った。第一歩を踏み出せた。次は、ポーション製作の試練だ。現実の知識が通用することを証明できた今、このVR世界で、俺の薬草への情熱がさらに花開く予感がした。

【アルネペディア】

・青い苔草: リーヴェン周辺の湿った石に自生する薬草。ゼニゴケのような薄い膜状の組織を持ち、採取には繊細な技術が必要。鮮やかな青色が特徴で、薬効成分が豊富。


・ゼニゴケ: 現実世界で石垣や湿った場所に生える苔の一種。薄い膜を破らずに採取する技術が必要で、肝臓などに薬効があるとされる。


・アントシアニン: ブルーベリーなどに含まれる青紫色の色素成分。高い抗酸化作用を持つことで知られる。


・レオン(翔太): 健一の甥。ゲーム内ではノクターン戦士という珍しい組み合わせを選択。コミュニケーション能力が高く、健一にVRMMOを勧めた張本人。

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>>「もしよろしければ、今度回復薬ができたら、お分けしよう」 少し前まではフランクな話し方だったのが、一転他人行儀な話し方で驚いた
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