【第20話】迷子と代替素材の完成
月見の丘を後にして、俺たちはリーヴェンへと向かった。しかし、カレンヌと一緒の帰り道は、予想以上に困難を極めることになった。
「それでは、リーヴェンに帰ろうか。カレンヌさんも一緒に来てください」
「ありがとうございます!今度こそリーヴェンに到着できそうですわ」
カレンヌの言葉に、俺とレオンは安心していた。しかし、その安心は長くは続かなかった。
「あ、こちらの方が近道のような気がしますわ」
歩き始めて5分も経たないうちに、カレンヌが突然、全く違う方向に歩き出した。その動きは驚くほど素早く、あっという間に茂みの向こうに消えてしまう。
「ちょっと待てよ!そっちは北だ!」
レオンが慌てて追いかける。フェルーナの敏捷性で、間違った方向にどんどん進んでいくカレンヌを止めるのは至難の業だった。
「カレンヌさん、ストップ!」
「あら、どうかいたしましたの?」
追いついたレオンは息を切らしている。カレンヌは全く悪びれる様子もなく、むしろ不思議そうにレオンを見つめていた。
「リーヴェンは南東だって言ったでしょ!北に行ってどうするんですか!」
「あら、でもこちらの方が平坦で歩きやすそうですもの」
「道の歩きやすさと方向は関係ないでしょ!」
レオンの必死の説得により、何とか正しい方向に軌道修正する。しかし、10分後……。
「あら、あちらに綺麗な花が咲いていますわね」
今度は東の方向に逸れようとするカレンヌ。レオンが再び追いかける。
「花を見るのは後にして、まずはリーヴェンに着きましょう!」
「でも、夜に咲く花なんて珍しいじゃありませんの」
「珍しくても今は時間がないんです!」
こんなやり取りが、帰り道で5回も繰り返された。カレンヌが脇道に逸れようとするたび、レオンが必死に軌道修正する。俺も手伝おうとしたが、カレンヌの動きは予測不可能で、追いつくのがやっとだった。
「おじさん、僕一人でこの人をリーヴェンまで案内できるでしょうか……」
レオンが疲れ切った表情で呟いた。
「大丈夫だ、レオン。お前なら必ずやり遂げられる」
俺は励ましの言葉をかけたが、内心では同情していた。敏捷性の高い方向音痴ほど扱いにくいものはない。
「それにしても、カレンヌさんはなぜリーヴェンを?」
歩きながら、俺は改めて彼女の事情を尋ねてみた。
「実は、料理人の姉が薬草価格の高騰で困っておりまして……開店予定だった『ミレイ亭』も、必要な素材が手に入らず頓挫してしまって。薬師ギルドの技術顧問をされているケンイチさんという方にご相談すれば、代替案などを教えていただけるのではないかと思い……」
「え?」
レオンが驚いた声を上げた。
「おじさんがケンイチですよ」
「え、えええ!?」
カレンヌの目が大きく見開かれた。そして、突然立ち止まって深々と頭を下げた。
「あの、まさか……あなた様が薬師ギルドの技術顧問でいらっしゃるケンイチ様でしたの!?申し訳ございません、失礼をいたしました!」
「いや、そんなに改まらなくても……」
俺は苦笑いを浮かべた。
「お姉様のミレイから、お話は伺っておりました!薬草価格高騰で『ミレイ亭』の開店が頓挫してしまって……」
ああ、そういうことか。カレンヌはミレイの妹で、姉を助けるためにケンイチを探していたのだ。
「ミレイさんの妹さんでしたか。掲示板でお姉さんの投稿は拝見していました。素材の品質向上への理念に、深く共感しています」
「本当ですの?ケンイチ様にそう言っていただけるなんて、お姉様も喜びますわ」
カレンヌの表情が明るくなった。
「それで、薬草価格高騰の件ですが、実は今回のクエストで解決策を見つけることができました」
「本当ですの!?」
「ええ。3種類の代替素材を発見し、価格を大幅に下げることができるはずです。ミレイ亭の開店も、再開できるのではないでしょうか」
「お姉様、きっと喜ばれますわ!私、すぐにでもお伝えしたいです」
カレンヌが嬉しそうに飛び跳ねた。しかし、その勢いで再び間違った方向に歩き出してしまう。
「あ、ちょっと!また北に向かってますよ!」
レオンが再び追いかける羽目になった。
「あら、申し訳ございません。嬉しくて、つい……」
「気持ちは分かりますけど、まずはリーヴェンに着かないと!」
最終的に、通常1時間で到着するはずの道のりを3時間かけて、ようやくリーヴェンに到着した。レオンはぐったりと疲れ果てており、カレンヌは相変わらず元気いっぱいだった。
「やっと着きましたわね!リーヴェンって、意外と遠いのですのね」
「遠いんじゃなくて、寄り道が多すぎたんです……」
レオンがぐったりと呟いた。
「レオン、本当にお疲れ様。明日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます、おじさん……」
翌日、俺は薬師ギルドでアウローラに報告を行った。マルクスも同席し、3種類の代替素材について詳しく説明した。
「3種類の代替素材、すべて確保いたしました。シトラグラス、ライムモス、そしてムーンブルーム」
アウローラは俺が持参したサンプルを詳しく調べ、驚いたような表情を見せた。
「これは……期待以上の成果ね。特にこのムーンブルームは、シトラスハーブを上回る品質を持っている」
彼女は各サンプルを光にかざし、香りを確かめながら分析を続けた。
「シトラグラスは森林地帯で安定供給が可能、ライムモスは海辺で比較的容易に採取できる、そしてムーンブルームは最高品質だが夜間採取が必要……素晴らしいバランスね」
《緊急クエスト『薬草市場安定化プロジェクト』が完了しました》
《報酬:代替素材研究 Lv.2、特別研究予算2000G、薬師ギルド貢献ポイント+500》
クエスト完了のメッセージと共に、新たな通知が表示された。
《新規クエスト『美味しいポーション技術普及プロジェクト・第二段階』が解放されました》
「次の段階のクエストですか?」
「ええ。代替素材の発見により、いよいよ美味しいポーション技術の本格普及が可能になったわ。第二段階では、より多くの薬師への技術指導と、品質管理システムの構築が目標になるの」
俺は新たなクエストの詳細を確認した。月例講習会の拡大、他の街での技術指導、そして最も重要な「品質保証システムの開発」が含まれている。
《クエスト目標》
・月例講習会を3回開催し、計50名以上の薬師に技術指導
・他の街で出張講習会を2回実施
・品質保証システムのプロトタイプを開発
・偽物対策技術の研究
「品質保証システム……これは重要ですね」
「そうよ。技術が普及すればするほど、偽物や粗悪品が出回るリスクも高まる。本物と偽物を見分ける方法を確立しなければならないわ」
アウローラの言葉に、俺は技術普及の光と影を感じた。多くの人を助けることができる一方で、悪用されるリスクも常に存在する。
「承知いたしました。第二段階のクエストもお受けします」
《クエスト『美味しいポーション技術普及プロジェクト・第二段階』を受諾しました》
夕方、俺は研究室で一人、今後の展開について考えていた。3種類の代替素材の発見により、薬草価格高騰問題は解決に向かうだろう。しかし、新たな課題も見えてきた。
技術の普及と品質管理。これは技術者にとって永遠のテーマだ。現実世界でも、新技術の普及には常にこうした問題が付きまとう。
レオンとカレンヌのおかげで、困難なクエストを達成できた。ノクターンの夜間視覚とフェルーナの俊敏性は、夜間戦闘で見事な連携を見せた。ただし、カレンヌの方向音痴は予想以上に深刻だったが……。
そして、カレンヌを通じてミレイさんとの接点も生まれた。技術者同士の協力関係が、今後さらに重要になってくるかもしれない。薬師の技術と料理人の技術、そして他の職人たちとの連携。それが、この世界の技術をさらに発展させる鍵になるだろう。
しかし、第二段階のクエストは、これまで以上に困難になりそうだ。特に品質保証システムの開発は、俺一人の力では限界がある。
保存技術、密閉技術……そういえば、掲示板で「密閉技術にお詳しい方」という投稿を見かけたことがあった。もしかしたら、そうした技術者との協力が、品質保証システムの鍵になるかもしれない。
窓の外では、リーヴェンの街に夜の静寂が降りている。多くの冒険者たちが、明日への準備を整えているだろう。俺の美味しいポーション技術が、そんな冒険者たちの助けになる日も近い。
代替素材の発見により、第一段階は完了した。しかし、本当の挑戦は、これから始まる第二段階にある。技術の普及と品質管理、そして偽物対策。これらすべてを成し遂げることで、薬師業界全体の発展に貢献できるはずだ。
技術顧問として、薬草賢者として、そして一人の探求者として。俺の新たな挑戦が、今始まろうとしていた。
【アルネペディア】
・美味しいポーション技術普及プロジェクト・第二段階: 代替素材発見を受けて開始される大規模な技術普及クエスト。月例講習会拡大、出張指導、品質保証システム開発が目標。
・品質保証システム: 技術普及に伴い必要となる、本物と偽物を見分けるためのシステム。偽物や粗悪品の流通を防ぐ重要な技術。
・シトラグラス: 森林地帯に自生するシトラスハーブの代替素材。安定供給が可能で効果は7割程度。
・ライムモス: 海辺の岩場に自生する苔。海洋性成分を含み、比較的容易に採取できる代替素材。
・ムーンブルーム: 夜間にのみ花を咲かせる最高品質の代替素材。シトラスハーブを上回る効果を持つが、採取が困難。
・ミレイ亭: ミレイが開店予定だった料理店。薬草価格高騰により頓挫していたが、代替素材発見により再開の見込み。




