【第13話】苦い薬を甘くする魔法(前編)
翌日、俺は薬師ギルドの調合研究室で、二つ目の試練「苦味を消す調味技術」に取り組んでいた。机の上には、昨日作った《上質な回復ポーション(SR)品質:極上》の試作品が並んでいる。確かに効果は抜群だが、一口飲んでみると、その苦味の強さに思わず顔をしかめてしまう。
「うぐっ……これは確かに飲みにくいな」
薬効が3倍になった分、苦味も濃縮されてしまったようだ。現実世界でも経験のある現象だ。有効成分の濃度が上がれば、当然ながら不快な味も濃縮される。長時間のダンジョン攻略で何十本もこれを飲むとなると、確かに苦痛だろう。
俺は現実世界の知識を思い返していた。「矯味剤」という技術がある。薬の不快な味を改善するために、ハチミツ、果汁、香辛料などを加える方法だ。ただし、薬効成分と化学反応を起こして効果を減少させてしまうリスクもある。
「まずは基本的なところから試してみるか」
リーヴェンの市場で入手できる基本的な調味料を並べてみた。ハチミツ、リンゴ酢、ミントの葉、レモン汁、そして各種果汁。これらを少量ずつ回復ポーションに加えて、味の変化と薬効への影響を調べてみる。
最初にハチミツを一滴加えてみる。スプーンで慎重にかき混ぜ、色の変化を観察する。液体が僅かに黄色がかったが、特に問題はなさそうだ。
恐る恐る一口飲んでみると、確かに甘みが増して飲みやすくなった。しかし、その直後にシステムメッセージが表示された。
《回復効果が20%減少しました》
「やはりな……」
甘味成分が薬効成分と反応して、効果を阻害してしまっている。現実の薬学でも、糖類は特定のアルカロイド系成分と結合して吸収を阻害することがある。
ハチミツの量を半分にしてみる。
《回復効果が12%減少しました》
量を減らしても根本的な解決にはならない。ハチミツそのものに問題があるようだ。
次にリンゴ酢を試してみる。酸味で苦味をマスキングする作戦だ。現実でも、レモン汁などの酸味は苦味を感じにくくする効果がある。
リンゴ酢を2滴加えて、よくかき混ぜる。確かに酸味が加わり、苦味が和らいだような気がする。
《回復効果が15%減少しました》
こちらも効果減少。酸性成分が薬草の塩基性成分と中和反応を起こしているのかもしれない。
レモン汁でも同様の結果だった。
《回復効果が18%減少しました》
現実の食品科学では、香りが味覚に大きな影響を与えることが知られている。ミントの香りで清涼感を演出し、苦味を感じにくくできないだろうか。
ミントの葉を細かく刻み、その抽出液を少量加えてみる。確かに爽やかな香りが立ち上り、飲みやすくなった気がする。
しかし、結果は……
《回復効果が22%減少しました》
むしろ悪化してしまった。ミントに含まれるメントールが、薬効成分の吸収を阻害している可能性がある。
もしかしたら、純粋に濃度を下げることで苦味を軽減できるかもしれない。純水で2倍に希釈してみる。
確かに苦味は半分程度になったが……
《回復効果が50%減少しました》
当然の結果だった。希釈すれば苦味は減るが、薬効も同じだけ減少してしまう。これでは本末転倒だ。
午前中の実験をすべて終えて、俺は頭を抱えた。どの方法も、味の改善と引き換えに薬効が損なわれてしまう。
「この世界の薬草成分は、現実以上に他の物質との相互作用が強いのかもしれないな……」
研究室の壁に貼られた「薬草相互作用表」を眺めてみる。確かに、多くの薬草成分が「糖類」「酸性物質」「香料成分」と反応することが記載されている。
俺は一度実験を中断し、薬師ギルドの図書室に向かった。古い文献の中に、何かヒントがあるかもしれない。
図書室で「味覚改良」「矯味技術」に関する文献を漁ってみる。しかし、そもそもこの分野の研究が少ないようだ。ほとんどの薬師は「薬は苦くて当然」という考えで、味の改良に取り組んでこなかったらしい。
ようやく見つけた一冊の古書「失われし調合技術」に、興味深い記述があった。
『古代の薬師たちは、薬効を損なわずに味を改良する技術を持っていたとされる。しかし、その技術は文明の衰退と共に失われ、現在では断片的な記録しか残っていない。』
古代技術、か。もしかしたら、現代の薬師が見落としている何かがあるのかもしれない。
単一の矯味剤では限界があるなら、複数の成分を組み合わせて相互作用を相殺できないだろうか。
ハチミツとレモン汁を同時に加えてみる。酸性と塩基性で中和できるかもしれない。
《回復効果が35%減少しました》
逆に悪化してしまった。複数の反応が同時に起こり、より複雑な阻害が発生したようだ。
今度は、ミントとリンゴ酢の組み合わせ。
《回復効果が28%減少しました》
やはりダメだ。
昨日習得した《植物共鳴》スキルを使って、薬草自身に「どうしたいか」を聞いてみることにした。
青い苔草を手に取り、目を閉じて集中する。薬草の「声」に耳を澄ませてみる。
すると、不思議な感覚が伝わってきた。「苦いのは仕方ない。でも、もっと自然な甘さなら……」そんな「声」が聞こえるような気がした。
「自然な甘さ?」
ハチミツも確かに自然の甘味だが、薬草が求めているのはもっと別の何かなのだろうか。
夕方まで実験を続けたが、根本的な解決策は見つからなかった。机の上には、失敗作のポーションが十数本並んでいる。どれも味は多少改善されているが、薬効の減少は避けられない。
俺は研究室の窓から外を眺めた。リーヴェンの街に夕日が差し込み、美しいオレンジ色に染まっている。
「明日は別のアプローチを試してみるか……」
そんな時、掲示板で見かけた投稿を思い出した。料理人らしき人物が「海洋素材の研究を始めた」という内容だった。陸上では手に入らない素材が海にはある……。
「海洋素材か。もしかしたら、陸上では手に入らない薬草が海にもあるかもしれないな」
明日は、リーヴェン近郊の海辺を探索してみよう。これまで陸地の薬草ばかりに注目していたが、海には全く異なる生態系の植物が存在するはずだ。
俺は失敗作のポーションを片付けながら、新たな可能性に思いを馳せていた。薬草との対話で感じた「自然な甘さ」。それが何を意味するのか、明日きっと答えが見つかるだろう。
研究室を出る前に、もう一度青い苔草を手に取った。「君たちが本当に求めている甘さって、何なんだ?」そう心の中で問いかけると、微かに潮の香りがするような気がした。
潮の香り……海。明日の探索が、きっと答えをくれるはずだ。
【アルネペディア】
・矯味剤: 薬の不快な味を改善するための添加物や技術の総称。ハチミツ、果汁、香辛料などが代表例だが、薬効成分との相互作用が問題となる。
・薬草相互作用: 薬草成分が他の物質と化学反応を起こし、薬効を変化させる現象。糖類、酸性物質、香料成分との反応が特に多い。
・失われし調合技術: 古代の薬師が持っていたとされる、薬効を損なわない味覚改良技術。現在では断片的な記録しか残っていない。
・自然な甘さ: 植物共鳴によって薬草から感じられた「声」。人工的な甘味料ではない、薬草と調和する甘味成分の存在を示唆する。