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【第11話】新たなる試練:上級薬師への道

 

 午後2時、コンビニのバックヤードで遅い昼食を取りながら、俺は一冊の雑誌に目を止めた。同僚の田中が休憩室のテーブルに置きっぱなしにしていた「健康生活マガジン」。表紙には「薬膳料理で体質改善!」という文字が踊っている。


「薬膳料理、か……」


 何気なくページをめくると、「薬食同源」という言葉が目に飛び込んできた。食べ物と薬の境界は本来曖昧で、古来から人々は食事そのものを治療の一環として捉えてきた、という内容だ。


「そうだよな……食べ物と薬の境界なんて、もともと曖昧なものなんだよな」


 現実の薬草採取でも、俺は常々そう感じていた。ヨモギは食材としても薬草としても使われるし、ショウガだって香辛料でありながら立派な薬効成分を持っている。この『アルネシア・オンライン』の世界でも、薬と料理の融合ができるのではないだろうか。


 俺は雑誌を閉じ、残りの休憩時間でVRログインの準備を整えた。今日こそ、薬師ギルドで新たなステップを踏み出したい。料理人として培ったスキルと、薬草への知識。この二つを本格的に融合させる時が来たのかもしれない。


 ---


 リーヴェンの薬師ギルドへ足を踏み入れると、いつものように薬草の香りが鼻腔をくすぐった。アウローラはカウンターで調合記録を整理している最中だった。白いローブの袖が、ペンを動かすたびに優雅に揺れる。


「アウローラ様、お疲れ様です」


 俺の声に、彼女は顔を上げて微笑んだ。


「あら、ケンイチさん。今日も熱心ね。最近の調合技術の向上ぶりには、本当に驚かされるわ」


 俺は先日製作した《上質な回復ポーション(R)品質:秀》のことを思い出した。確かに、基本的なポーション製作は完全にマスターしたと言えるだろう。レベルも8に到達し、薬師としての基礎は固まっている。


「ありがとうございます。実は、そろそろ次のステップに進みたいと思っているのですが……」


 アウローラの緑色の瞳が、一瞬鋭く光った。彼女は調合記録を閉じ、俺の方に向き直る。


「次のステップ、ね。実は、ケンイチさんにはお願いしたいことがあったの。あなたの薬草への深い理解と、独自の発想力を見ていると、きっと可能だと思うのよ」


 俺の胸が高鳴った。これまでの努力が認められ、新たな挑戦を任せてもらえるのだろうか。


「どのような内容でしょうか?」


 アウローラは立ち上がり、奥の書棚から古い羊皮紙を取り出した。それは、金色の文字で装飾された、格式の高い文書のようだった。


「上級薬師への転職試練よ。『三つの極意』と呼ばれる課題をクリアしてもらいたいの」


 彼女は羊皮紙を俺の前に広げた。そこには、美しい文字で三つの項目が記されている。


「一つ目は『薬効を3倍に高める抽出法の習得』」


 3倍。それは驚異的な数値だ。現在の俺の技術でも、せいぜい1.5倍程度の強化が限界だった。


「二つ目は『苦味を消す調味技術の確立』」


 調味、という言葉に俺の心が躍った。これはまさに、俺が料理人として培ったスキルと薬草知識の融合が試される分野だ。


「そして三つ目は『希少素材スカーレットルートの採取』」


 スカーレットルート。聞いたことのない名前だが、希少素材ということは、危険な場所での採取が必要なのだろう。


「この三つの試練をクリアできれば、あなたは正式に『上級薬師』として認められ、より高度な調合技術や、特別な研究室の利用権も得られるわ」


 俺は羊皮紙を見つめながら、一つ一つの課題について考えた。どれも一筋縄ではいかない難しさがある。しかし、現実世界で15年かけて培った薬草の知識があれば、必ず突破口は見つかるはずだ。


「薬効を3倍に……現実の抽出技術なら、水蒸気蒸留という方法があります。特定の成分だけを効率よく分離・濃縮できるんです」


 俺の言葉に、アウローラは興味深そうに眉を上げた。


「水蒸気蒸留? それは初耳ね。詳しく聞かせてもらえる?」


「薬草を水と一緒に加熱し、発生した蒸気を冷却して液体に戻す方法です。この過程で、水に溶けやすい成分と油性の成分を分離し、特定の薬効成分だけを高濃度で抽出できるんです」


 アウローラの目が、キラキラと輝いた。


「素晴らしい知識ね。それなら、一つ目の試練はクリアできそうだわ。二つ目の調味技術はどうかしら?」


「現実の世界では『矯味剤』という技術があります。薬の苦味や不快な味を、別の成分で中和したり、マスキングしたりする方法です。ハチミツや果汁、香辛料などを使って……」


 俺が説明を続けると、アウローラは深く頷いた。


「やはり、あなたには現実世界の豊富な知識がある。その知識と、この世界の薬草を組み合わせれば、きっと革新的な技術が生まれるはずよ」


 彼女は羊皮紙を丸め、俺に手渡した。


「それでは、ケンイチさん。この『三つの極意』に挑戦してくれる? 期限は特に設けないわ。あなたのペースで、じっくりと取り組んでほしいの」


 俺は羊皮紙を受け取り、力強く頷いた。


「はい、必ずクリアしてみせます」


「期待しているわ。でも、無理は禁物よ。特に三つ目のスカーレットルート採取は、危険を伴う可能性が高いの。一人では難しいかもしれないから、信頼できる仲間と共に挑戦することをお勧めするわ」


 仲間、か。レオンの顔が頭に浮かんだ。あのノクターン戦士なら、きっと力になってくれるだろう。


 俺は薬師ギルドを後にし、まずは一つ目の試練「薬効3倍化」に取り組むため、特別研究室へと向かった。水蒸気蒸留法をこの世界で再現するには、どのような設備が必要だろうか。温度管理、圧力調整、冷却システム……現実の知識を、この仮想世界の技術で表現する。それが、俺の新たな挑戦の始まりだった。


 歩きながら、俺は掲示板で見かけた興味深い投稿を思い出していた。ミレイという料理人が投稿していた「血抜き熟成法」への感想。「素材の真の価値を引き出すという理念に、深く感銘を受けました」という上品な文章に、俺も深く共感していた。素材の品質を向上させる、という考え方は、薬草の抽出技術にも通じるものがある。


 もしかしたら、この世界には俺と同じように、素材と真摯に向き合っている職人がたくさんいるのかもしれない。そう思うと、これからの挑戦がより一層楽しみになってきた。


 特別研究室の扉の前で、俺は深く息を吸い込んだ。現実で培った15年の薬草知識と、この世界での新たな技術。その融合から生まれる可能性を、今こそ証明する時だ。

【アルネペディア】

・上級薬師転職試練: 薬師ギルドが設定する、より高度な薬師になるための三つの課題。「薬効3倍化」「調味技術」「希少素材採取」で構成される。


・水蒸気蒸留法: 現実世界の薬草抽出技術。水と薬草を加熱し、発生した蒸気を冷却することで特定成分を分離・濃縮する方法。


・矯味剤: 薬の苦味や不快な味を改善するための添加物や技術。ハチミツ、果汁、香辛料などを用いて味をマスキングまたは中和する。


・スカーレットルート: 上級薬師試練で採取が求められる希少薬草。血のように赤い色をしており、危険な場所に自生するとされる。


・薬食同源: 食べ物と薬の境界は本来曖昧で、食事そのものが治療の一環であるという考え方。東洋医学の基本理念の一つ。

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水蒸気蒸溜法……ラベンダーの精油抽出で見たことあります。 山盛りのラベンダーからチョロッとしか採れない = アロマオイルの中でラベンダーだけ妙に高いお値段の理由に納得でしたね~
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