8、誰かの所為にするのなら2
終わった。全て終わった。街から若い女が消えた。みんな俺と同じ。大切な人を失って、不条理に突然奪われて、悲しみと苦しみに囚われて、息をする事すら苦しいだろう。
それで良い。
これから残された若い女の身内の者達を見に行こう。俺の様に嘆き悲しんでいるのを見れば、俺の心は晴れるだろうか。
そう思いながら、俺は逸る心を抱えて街へと向かう。
市の主道の裏側は、薄暗くて人気がない。そんな中背後から足音が聞こえた。
何かと思い振り返ると、そこには今人買いに引き渡したばかりの女がいた。
驚く間もなかった。
女は俺に飛び掛かって来る。そのまま俺の首にしがみ付き、両足も絡めつけてきて、強い力で捻り上げられた。
俺は呻きながら、堪らずその場に倒れ込んでしまった。
倒れた俺の首をグッと締め上げる女。女とは思えない凄い力だった。苦しみながら俺は、その女の腕に爪を立て、そして反対の手を女の頭に伸ばして力一杯髪の毛を引っ張った。
痛がって力を緩めてくれ。
祈る様にそう思った途端に、女の髪がズルっとズレた。頭の皮が剥けたのかと思いビクッとなる。だがしかしそうでは無かった。
カツラだったのだ。
こいつ、男か。
変装・・・、では、女はまだ街に・・・!
何という事だ。まだ1人、残っている!
攫わなくては。攫って苦痛を与えなくては!
カッとなってカツラを取って投げ捨てた。そしてカツラの下の地毛を両手で掴んで強く引っ張る。
痛いのだろう。男が一刻でも早く気絶させようとして、首を絞める力を強くしてきた。
俺の呼吸が浅く早くなって行く。苦痛に顔を歪めながら、俺はより強い力で男の髪を引っ張った。
その時、後ろの方から声が聞こえて来た。
先程の人買いの護衛達の物だった。
買い取ったはずの女が逃げたのだ。捕まえなければ大損害である。慌てた様子でこちらに向かって駆け付けようとする気配を感じた。
その気配に反応して、俺の首を絞める男の腕の力が弱まり、外れる。そして男の髪を引っ張る俺の手を、強くつねり上げるように掴んできた。あまりの痛みに、俺は声を上げて手を離してしまった。
男、というかまだ若い。少年だった。
少年が俺から離れる。そして屈んでスカートの中から、なんと剣を取り出した。隠し持っていたのだ。
俺は少年から距離を取った。飛び退いた先で漸く呼吸する事を思い出す。酸素を求める肺が膨らみ、急に開かれた喉の中に一気に空気が流れ込んだ。ヒューっと音を立てる喉。許容量を超えて苦しくなり咳き込んでしまう。
時間を止めなければ。斬られてしまう。
目で少年を捉えながら、そう思って俺は時を止めた。
世界が静まり返り、全てが止まる。
けれども、少年は止まらなかった。
なんで・・・?
驚きながらそう思っているうちに、少年は剣を構えて俺に向かって踏み込んで来た。
少年と俺の距離が一気に縮まる。
早過ぎて、見えなかった・・・。
目で追えない速さの中で2度の衝撃と鈍い痛みを感じる。
斬られた!そう思った。
けれども、俺の体からは血が流れ出ていなかった。
そして気付いた。少年の持っている剣が、あまり見ない片刃の剣だという事に。片刃の剣の、刃の無い方で俺を打ったのだ。
斬られてはいなかったが痛みはあった。立っていられなくなって俺は地面に崩れ落ちる。
気付いたらすぐ横に少年がいた。
瞬間、首の裏側に衝撃を受けた。
俺はそのまま、意識を失った。
捕らえた男達は国境警備兵に引き渡した。兵屯所でそれぞれに取り調べを行い、主に主犯と思われる『時を止める』事の出来る男から聞き出した事の経緯を、俺とトールと、そしてノワの3人で聞く。
白い女、赤毛の男・・・。気になる事は沢山あった。
けれども、と俺は思う。
「最初に被害にあったその主犯の男の彼女、どうして亡くなったのか、調べてないの?」
トールに訳して貰い、説明をする兵に聞いてもらう。
「被害にあった女性の家族から、特に頼まれていないので何もしていないそうです」
何で調べないんだよ。そこが1番肝心な所だろうが。
俺は、呆れて何も言えなくなってしまった。
呆れが顔に出ていたのか、言い訳の様に兵が何かを必死に伝えて来る。それをトールが俺に訳す。
「ニルさん、あ、その男性の名前です。ニルさんは、無銭飲食と盗みを繰り返すどうしょうもない男の息子で、ロクな育て方をされていない。だから若い女性を襲って用水路に投げ捨てたのだろうと、その時はみんながそう思って誰も調べる必要があるとは思わなかったらしいです」
親がだらしないから子供もそうだろうという偏見、そういうのが平然とまかり通ってしまう社会。俺から見たら最悪だ。
「あのさ、そこをしっかり調べてればこんなに沢山の女性が攫われることもなかったんじゃ無いのかな。そういう所を適当に済ませるから先の事件を防げないんだと思うよ。と言うか、今からでも調べてハッキリさせなよ」
呆れながら俺はそう言った。
「自分達は日頃街中には居ないので、街側から依頼がない限りは介入しない。街中で起こった事件は街民で解決するのが常、だそうです」
そう言う兵は、自分の説明が言い訳じみている事を自覚しているのだろう。言いながらも段々と声が小さくなって行く。そんな様子に腹立たしくなって来てしまい、俺は声を荒げてしまった。
「街民解決出来てないじゃん?解決出来なかったら適当に済ませる訳?」
その言葉を、トールは訳さなかった。代わりに俺に向かって諭す様に言う。
「アキラ、各領内の自治は領主に一任されています。どの様な統治をするかは領によって違いますし、そもそも彼等は国境警備兵です。管轄は国なので、領内の事件に口を挟んではいけないのです。助力を求められてもいないのに勝手に介入する事は出来ません。なので彼等にその様な言い方をするのは間違いです」
そんなの知るかよ。ルール違反だからって悪い事でも見て見ぬ振りをするのが正しいのか?
そう思って気持ちの収まらない俺の肩を、反対側からノワが軽く叩いて言った。
「まぁ、面倒くさいよね。日本人のアキラからしたら何まどろっこしい事言ってんだって感じ?分かるよーそう言うの。でもね、それがこの国のあり方なんだよ。そこに部外者は文句を言えない。召喚者のアキラなら変革する事は可能だと思うけど、生半可にやる事じゃ無いよね?アキラにはそんな時間無いでしょ?」
語尾を上げて首を傾げる、あざとくてふざけた感じの喋り方。それが柔らかく親身になった雰囲気だと感じられるのは、ノワの特性なのかも知れない。頭の中に直接響いてくるその声が、スッと胸の中に浸透する。
「・・・時間・・・」
「そう、時間。まずアキラがやるべき事は、魔物の活性化を起こさなくする事。でしょ?政治家してる場合じゃ無いよね?」
ノワがそう言った時、兵が何かを言った。その目は俺を真っ直ぐ俺を見ていて、さっきみたいな気弱な小声では無く、自信に満ちた大きな声だった。
「自分もおかしいと思う。勇者様に言われて後ろめたい気持ちになるのが恥ずかしい。変えて行きたい。声を上げて今の状態を変革していく。時間が掛かっても必ず。・・・えっと、すいません、西部訛りが段々酷くなって・・・」
トールがそれを訳してくれるが、兵の勢いについていけず訳し切れないみたいだった。
兵は言葉を発する度に身を乗り出して俺に迫って来る。俺の手を取り握り締め顔を近付けて、唾を飛ばしながら熱く語る。
凄い熱量だ。俺に伝えたい事がある。その意思が伝わって来る。
直接聞き取る事ができれば良いのにな。
漠然とそう思った。
すると・・・。
知らない言葉。でも、言っている事が分かった。それが相手の熱意の所為なのか、はたまた俺の中で何らかの変化が起こったのか、どちらかなのかは分からなかった。
ただ、懸命に訴えかけてくるその言葉を、直接理解したいと思ったのだ。
「私がやります」
ノワの声が頭の中に響くみたいに、その兵の声が頭の中で響いた。
「勇者様が、我々の為に世の中を変えようとなさってくれている事が痛い程伝わりました。私も同感です。ですが勇者様は魔王を倒すのが使命。世の中を変える事は私が、いえ我々が致します。まずはこの辺境の領主の目の届かない地において、街民任せの犯罪への対処法を改善する様領主に訴えましょう。勇者様、どうぞご安心下さい」
俺を見る目が真剣で、熱く潤んでいた。
「・・・任せた」
俺はそう答えた。もう、トールに訳してもらわなくても伝わった。
何が起こったのか分からない。兵は力強く俺の手を握り、トールは横で呆然としていた。
「あれー?なんか、僕みたいに喋ったり聞いたり、出来る様になっちゃった?」
ノワは楽しそうに笑った。
結局、攫われた女の子達の行方は分からないままだ。だが手掛かりが全く無いわけでは無い。ニルが言っていた話の中に出て来た人買い達の特徴。身を隠す黒いマントから覗いていたブーツ。
『東の国境近くにあるセーライ神殿の神官達が履いている物に似ていた』
そう言っていた。ならば、その神殿に行ってみよう。
「ニルさんは王都へ送られる事になりました。彼の『時を止める力』は危険ですから放置する訳には行きません。王都にいる『時の加護』を持つ者の管理下に置かれるでしょう」
トールがそう説明してくれた。こちらの世界の言葉で。
もう、通訳は要らない。
頷きながら俺は馬に乗った。見送る兵達に挨拶をして、ノワとトールと、3人でセーライ神殿へと向かう。
と、その時。
馬に乗る俺達の横に、カランと音を立てて何かが落ちた。
目を向けると、軽く砂埃が立っている。
何事かと思いしばらく見ていると、再びそこに何かが降ってくる。いや、投げられた。
子供の拳位の石だった。
「結局帰ってこないじゃないか!」
背後から叫ぶ様な声が響いた。振り返るとそこには、街民が何人か佇んでいた。そのうちの1人が俺達に向かって石を投げて、そして叫んだみたいだった。
「来るのが遅いんだよ!」
違う声でそう聞こえる。
「みんな消えたじゃないか!役立たず!」
また違う声が響いた。そしてまた石が投げられる。
「返して!うちの子を返してよ!」
そう言うのは、俺達が来て最後に攫われた女の子の母親だった。
「やめないか!悪いのはこの方々じゃ無いだろう!」
兵が叫んだ。叫んで兵の何人かが槍を街民に向けて足を向ける。
「待って」
俺は兵達に向かってそう言った。
俺に止められた事に戸惑って、こちらを見上げる兵達。
「ですが」
そう言う兵を無視して、俺は今乗ったばかりの馬から降りた。そして、並ぶ街民に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。結局何も出来なかった」
大切な人を突然失ったんだ。街の人々の心は、失った悲しみ、攫った者への怒り、守れなかった自分への後悔、その他にも色んな感情が渦巻いている筈だ。
「アキラが悪い訳では無いです。頭を下げる必要は・・・」
トールが馬を降りて、俺の隣に立ってそう言った。言いながら両手で俺の肩を引き上げて俺が頭を下げるのをやめさせようとするが、俺はそれを拒絶する。トールの手を振り払って再び深く頭を下げた。
行き場の無い怒りは、出口を求めて彷徨う。些細なきっかけで吹き出した怒りの矛先が、その人自身やその人の周囲の大切な人であって欲しくない。主に自分の所為にしてしまうのが人の性だろう。あの時自分がああしていれば、それをしなければ・・・。そう思って自分を責めるのだ。
そうなって欲しくない。
「誰かの所為にするのなら、俺の所為にした方が良いんだ」
トールにだけ聞こえる様にそう言った。
これから出て行く俺の所為にして、街の人同士でその場に居ない俺を罵倒すれば良いのだ。それなら、街の人が傷つく事は無い。そこに居ないのだから俺も何とも無い。
「結局何も出来てないのは事実だし。これから挽回しに行くけどな」
そう言った俺の腕に石が当たる。トールが外套で俺と街の人達との間に幕を張る。
「行きましょう」
俺の考えている事が伝わったのかどうかは分からないが、トールはそう言って俺を馬の方へと押しやった。
それに俺は素直に従った。
街の人達の声が大きくなる。流石に我慢し切れなくなった兵達が、街の人達の前に立って両腕を広げた。俺達を守る壁になってくれる。
行こう。早く行ってしまった方が良い。
そう思った時、突然場違いな凛とした声が響いた。
「何故、みなさん石を投げるのですか?」
女性の、澄んだ綺麗な声だった。
その場にいる全員が振り返る。
綺麗な、もの凄く綺麗な女の人だった。
豪華な金髪の巻き髪は丁寧に結い上げられ、場違いな程に豪華なドレスを纏い、侍女を従えて悠々と登場したその様子は、パンを求めて暴走する平民を前にしたマリーアントワネットを彷彿とさせた。
よく見れば、その侍女には見覚えがある。俺と一緒に攫われた女の子、サリアだ。「お嬢の身代わり」と言っていたから、この綺麗な女性がその「お嬢」なのだろうか。
「わぁ、NPCだ・・・」
馬に乗ったっきり高みの見物を決め込んでいたノワが、感心した様な声で呟いた。
「NPC?」
聞き返しながら、俺はその「お嬢」を見た。
「こんな田舎に何で『時の子』がいるのかと思ったらそういう事か。成る程ねー」
1人呟くノワの声を聞きながら、俺は街の人達に向かい問い詰める「お嬢」を見続けた。その横からコチラを伺うサリアと目が合う。口元が笑みを作る。
「この場はあのNPCが収めてくれるよ。だから安心して出発しよう」
そう言ってトールに目配せをするノワ。トールはそれに頷いて、俺を促した。
あまりのんびりとしていられない。疑問は道中聞きながら向かおう。
セーライ神殿へ。